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業績賞をいただいて
藤井孝藏
宇宙科学研究所
この度は、計算力学部門より業績賞を頂き、大変恐縮しております。この様な賞は業績録などを提出するために推薦の段階で本人に確認があるものとばかり思っていたので、本当に驚いています。これまでに何度か講習会などを企画したり、ここ数年、技術委員会委員長をやらせていただいたりして、微力ながら部門の活動をお手伝いさせていただいてきました。もしかしたら講習会などで部門に利益をもたらした「業績」が評価されたのではないかと思っています(これは冗談です)。受賞理由は数値解析手法と解析結果の後処理における可視化に関する研究や開発への貢献と伺っております。
私自身、修士課程以来、そのほとんどを数値シミュレーションによる高速流体の解析に関する研究に費やしてきました。考えてみますと、いくつかの幸運が今の研究を続ける原動力になっていたような気がします。1970年代半ば、東大宇宙研の修士課程に在籍した頃は理論解析が不可能といわれる遷音速流れが数値計算によって解けることが明らかになった時代です。計算中に衝撃波が自動的に生ずるような手法はすでに存在していましたが、実際の翼型についてそのような計算が可能であることが示され、その利用が世界的に進んだエポック的な時期でした。これが第1の幸運でしょうか。博士課程を修了した後、職がなかったところへNASAエイムス研究所のKutlerからNRC研究員としての誘いがあったのは第2の幸運だったかもしれません。エイムス研究所ではちょうどCRAY-1Sが動き始めていましたが、多くの研究者はCDC7600に慣れていてCRAY-1を使おうとはしませんでした。そんな中をベクトル型のスーパーコンピュータで3次元のナヴィエ・ストークス方程式を計算できたのはその後の研究に大きな影響があったと思います。2年後帰国して、またまた職がなかったのですが当時の部長さんたちのご尽力で航空宇宙技術研究所に入れていただきました。ちょうどVP400、世界初のギガフロップススーパーコンの導入が企画されていた頃でした。航空業界ではYXXのプロジェクトがあった頃で、夕方になると富士通川崎工場に行き、本体室にこもって実際の翼や翼胴結合などのシミュレーションを明け方までやる機会を与えられました。当時汎用機の32MBをシェアーして使っていたものが256MB(いまではパソコンのメモリーサイズですね)のメモリーを占有でき、しかも性能が50倍近くも出たのですからどんなに幸せな気分だったかは計算力学分野のみなさまならわかっていただけると思います。もっともそんな生活を続けたせいか、胃をこわし今でも酒やコーヒーは飲め(み?)ません。そして再びエイムス研究所へ、今度はCRAY-2が導入された直後でした。UNICOSというUNIXのシステムだったせいもあってまた利用者がいませんでした。まだ、NQSもなく、誰も他に利用者がいないのでa.outをそのまま画面で走らせたりしていました。8年前に宇宙研に移ってからはそれまで程設備には恵まれていませんが、こんどは研究環境と学生たちに恵まれていると思っています。このようにいくつもの幸運が今回の受賞につながっているのは間違いありません。
計算力学分野で私の貢献があるとすればそれは多くの共同研究者によって支えられたものです。あまりにたくさんの方なので名前はあげませんが、これらの方総てと私の研究室の学生たちに感謝したいと思います。最後に、本年の部門委員長松本先生をはじめ関係各位にお礼申し上げます。