部門紹介
89期 部門長挨拶
第89期部門長 大阪大学 大学院工学研究科 機械工学専攻 梶島 岳夫 |
第89期計算力学部門長就任のご挨拶を申し上げるにあたり、ホームページに掲載されているニュースレターから歴代部門長の所信を通読しました。いずれも計算力学に関する見識と部門運営に対する情熱にあふれた格調高いメッセージでした。筆者自身は、諸先輩の功績を継承しつつ、若干のスパイスを追加できればと望むのみです。
計算力学は、様々な意味で岐路にさしかかっていると言えるでしょう。四半世紀ほど前は、“Computers vs. Wind Tunnels”なる刺激的な表題の論文(Chapman, D. R., et al., 1975)が話題になり、筆者の研究分野であるCFD(Computational Fluid Dynamics)はまさに興隆期でした。それゆえに無理解との闘いも少なからずあり、講演会では「実験せずに結論できるのか?」という批判的質問が飛び交ったことを記憶しております。爾来、Colorful Fluid DynamicsとかComputation for Directorなどと言葉遊びしながらも、多くの研究者が「本寸法のシミュレーション」を目指して営々と努力を続けました。その結果、シミュレーションだけで解決できる問題も増えています。さらに、シミュレーションでなければ解決できない課題、シミュレーションによる発見などの方法論が議論される今日、計算力学にはいっそう質の高い発展が期待されます。
コンピューターについて、社会現象と言ってもよい動きが最近ありました。新たな高性能計算機システムの設置は、第三期(2006~2010年度)科学技術基本計画では強化すべき共用研究設備の筆頭でもあり、順風満帆であるかのようでした。しかし、2009年には、関連企業の部分的な離脱に続き、いわゆる事業仕分けの荒波を受けました。その後、多くの識者が憤慨し、危機感をもち、個人として、あるいは組織だって意見を公表しました。ここでは一連の動きを振り返ることはいたしませんが、筆者としては質問を発した側の次の一言『この初めての盛り上がりを有効に利用すべきは(中略)科学者の方たちだと私は思っています』(蓮舫著「一番じゃなきゃダメですか?」PHP研究所)が印象的でした。これがご本人の当初の意図であったかは知る由もありませんが。
世界最高峰の計算機を磨き上げても、計算力学が自然に発展するわけではなく、産業競争力が高まる保証もありません。たとえは良くないかも知れませんが、計算力学の研究者にとって、計算機は武器といえるでしょう。ここで想起すべきは、『日本の兵器の開発が、それぞれの兵器の戦闘力を直接増すことだけに力を入れすぎ(中略)この傾向は、反省されることなく戦後にも持ち越された』(木村英紀著「ものつくり敗戦」日本経済新聞出版社)の指摘です。匠の技に依存した先鋭化や大艦巨砲主義の挫折を技術面から分析し、「理論」「システム」「ソフトウェア」の重要性を論じたこの書物は、計算力学が目指すべき方向を考えるためにも示唆に富んでいます。
計算力学の分野は、世界一の計算機の出現を待つだけと言える段階にあるでしょうか。基礎研究では、自己満足的な計算手法の作成に没頭する傾向はないでしょうか。論文に載っている計算結果は、その方法で可能な唯一のケースかも知れないから、眉に唾して見なければならぬという戒めは今でもあります。一方、応用技術は、市販ソフトウェアを「活用」できる範囲での適用にとどまってはいないでしょうか。既存の方法を既知の現象に適用し、既に把握されているパラメーターを操作すれば解決できる程度の技術課題はブレイクスルーとは無縁でしょう。
その意味で、計算力学の現状は、難題を放置したままの中途半端な成熟期にあるという認識を禁じ得ません。興隆期は、新規参入する若手にとって魅力的です。完成後は、新たな課題に活用される道具となります。両者の間で成熟しつつある段階では、何がわかっていないのかは十分にわかっているのに、労多くして功少なしの予感がするから次世代から敬遠されるような停滞期に陥ることは避けなければなりません。そのため、数値シミュレーションの無限の可能性を明確化し、新規領域の開拓を促進する交流の場としての部門の役割、さらに部門登録者の責任は重大です。
筆者も時々、計算法やモデルについて相談を受けることがあります。しかし、万能の方法は存在しないので、解析する目的や使用可能な計算機によって、最適な手段は異なるはずです。「対象を徹底的に検討した結果、当面の答えが得られたから、計算(あるいは測定)する必要がなくなったという状態が理想です」と、自分としては会心の回答を準備しているのですが、質問者が必ずしも満足してくれないのが難点です。いずれにしても、計算や実験に取りかかる前の考察が十分である場合のみ、結果を鵜呑みにせずに有効利用することができ、現実と合致しない場合の対処も的確にできるはずです。その際に求められるのは、高性能な計算機や多機能な計算ソフトウェアだけではなく、考察や判断のために不可欠な知識の総合です。
計算力学の成果物は、新しい技術を開発したり、差し迫った社会的問題を解決したりするための工学ツールとしての価値と機能を持たなければなりません。工学的な意味において新たな発展のためのキーワードとして、前掲の「理論」「システム」「ソフトウェア」とともに、普遍的な知識に統合する「数学モデル」の重要性を強調したいと思います。
最後に、今期の計算力学部門に関連して、既に始まっている新しい動きをいくつか紹介しておきたいと存じます。ひとつは、2012年度には部門創設25周年として、定例の計算力学講演会に加え、特に進展著しいアジア地域のいっそうの振興と日本のリーダーシップをアピールする国際的な記念行事が企画され、実行委員会(姫野龍太郎委員長)が発足しています。また、国内での基盤を確固たるものにするため、日本学術会議「計算科学シミュレーションと工学設計分科会」(矢川元基委員長)に計算力学小委員会が設置され、発足時には当部門から筆者が出席しました。ここでは、各学協会が企画する国内会議・国際会議における連携のほか、若手育成、産学協同、国際貢献などの方策が話し合われています。
第88期の計算力学部門は、辰岡正樹部門長の主導により、 CAE懇話会が第23回計算力学講演会に協賛してフォーラムを開催するなど、企業技術者の参画と交流が促進されました。また、総務委員会の寺本進幹事、広報委員会の東川芳晃幹事、白崎実幹事のご活躍は印象的でした。また、運営委員会、各委員会の皆様にも絶大なるご協力をいただき、個人的にも様々な経験をした1年でした。第89期は、澁谷忠弘幹事とともに、吉村忍副部門長はじめ新たなメンバーをお迎えして、部門の運営にあたります。部門登録会員各位には、従前にも増してご支援くださるようお願い申し上げます。
追記
2011年3月11日に発生した東日本大地震により被災された各位には心からお見舞い申し上げます。数週間が経過した今も余震が続き、放射性物質の漏洩は終息しない状況で、災禍からの復旧は緒に就いたばかりです。日本機械学会としての対応はホームページで随時表明されています。計算力学部門もこれに呼応した活動を展開します。当部門は、自然災害や重大事故に関連して、実験に代わって最悪の事態を扱う唯一の手段となり得る数値シミュレーションを主な対象とします。その多くの研究成果が被害の低減や復興の支援に活かされなければなりません。そのためには(予測の的中率ではなく、不確実要素が明示的であるという意味での)信頼性が公開性を伴って高められることが不可欠であると、様々な報道に接して痛感した次第です。