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太陽は東から,境界要素法は西から!
田中正隆
信州大学工学部生産システム工学科
この度は、計算力学部門より業績賞を頂き、大変恐縮しております。材料力学関連のコンピュータ解析技術の開発に携わってきたことから、計算力学と深くかかわって今日に至っています。計算力学部門が発足する時期には、学会の材料力学委員会のメンバーでした。計算力学部門が材料力学部門よりも先に発足したわけでして、当時の 材料力学委員会ではそれへの対応やら材料力学部門の発足に向けての議論が活発に行われていました。計算力学部門が発足して約10年が経過し、順調に発展を続けていることは喜ばしい限りです。計算力学部門の運営に携わって来られた、歴代の委員長をはじめ運営委員の方々のご尽力に厚くお礼申し上げます。計算力学部門の講演会は最初のうちは東京で開催されていましたが、2年程前から他の地区でも開催するようになりました。その講演会の一つを長野市で開催するお手伝いをしましたが、場所を変えて開催することにより、講演発表や参加者が増える傾向にあるように思います。将来の発展につながることは積極的に取り入れて運営することにより、部門がますます発展することを祈っています。
さて、ここで私と計算力学とのかかわりを簡単に述べさせて頂きます。私が研究活動を始めた時期は大学院に進学したあたりからですから、もう研究歴は30年余りになります。博士論文のための研究テーマは、軸対称シェルの弾塑性大変形問題の差分法による数値解析とその応用でした。当時は有限要素法が日本に導入され、私の身辺でも研究が開始され熱を帯びて来ていました。私は有限要素法に気持が揺れていましたが、博士論文にかかわる上記の研究課題に取り組んでいました。しかしながら、研究会などには顔を出しては、他人の研究には厳しい批判を浴びせては顰蹙をかっていました。ずいぶん生意気なヤツという印象を与えて来たのではないかと反省しています。
博士論文をまとめて大阪大学の助手になってからは、矢も楯もたまらないという心境になって、有限要素法研究の拠点の一つであったドイツ・シュツットガルト大学J. H. Argyris教授の研究所に、フンボルト財団の奨学研究員として2年ばかり留学しました。この研究所では、Natural Factor Formulationというものに基づく有限要素法の開発が一貫して行われていました。私はそれを固有因子有限要素法と名付け、大変形問題の解析に応用することに取り組みました。この研究成果を数編の論文に纏めて機械学会論文集や他の学術誌にも発表しましたが、私の心中の葛藤を静める効果は余りありませんでした。このような研究に取り組みながらも、どうもしっくりしないという印象を持ち続けていました。
そうこうするうちに、1978年にC.A. Brebbia博士の「境界要素法入門」という本が出版されました。積分方程式を用いた解析法の研究が長く続けられて来たわけですが、簡単に言えば、この本はその解析法を分かりやすく有限要素法のレベルで記述したというものでした。英文の原著書を手にしたときに、「これだ!」という思いが電流のように身体を通り抜けた感じがしました。当時は、有限要素法とは一味違った解析法の研究に関心が向いていた時期でもありましたので、出版社も境界要素法に関する著書の出版にきわめて積極的でした。
ところで、私は助手の身分で一躍脚光を浴びるようになり、多少なりとも苦しい状況が身辺に生じてきました。当時名古屋大学工学部教授であった成岡昌夫先生の知遇を得たのはそのころでした。鷲津久一郎先生を通じてウィーン工科大学のH.A. Mang 教授の関西旅行のお世話をしたのが、成岡先生と親しくお付き合いを始めさせて頂く端緒であったように思います。成岡先生は境界要素法に並々ならぬ関心を持っておられましたが、ご自身では乗り出すことなく、私のような若者が活躍するのを応援するというスタンスを取られました。私を応援をするために「太陽は東から、境界要素法は西から!」というキャッチフレーズを作ってくださり、官製はがきに思いついたことを書いて投函するというやり方でたびたび激励してくれました。先生はそれをどこで書かれるのかは知りませんが、達筆すぎて判読出来ない箇所も多々ありました。しかし、先生の善意が痛いほど伝わって来るものでした。先生は、鷲津先生監修で境界要素法の著書を丸善から出版するお膳立てを全てしてくれましたし、機械学会誌に境界要素法の解説を書くための手配もして下さいました。境界要素法の研究が順調に行 きだした矢先に、鷲津先生が急逝され、またスポンサーの一人であった(株)構造計画研究所の創業者社長の服部 正さんと、計算力学関連の出版に寄与された(株)培風館・編集部長の渡辺邦彦さんが相次いで急死されるという不測の事態が生じました。それにもかかわらず、私が境界要素法研究の第一線で活躍を続けられたのは成岡先生に負うところが極めて大きいのです。成岡先生はまた、私が信州大学に新しい職場を得たことを我が事のように喜んでくださり、いまでも先生から例の走り書きの官製はがきによるお便りを折りに触れて頂きます。「いつまで境界要素法をやってんねん!」という主旨の内容にはなりましたが……。いま、自分の過去を振り返る機会を与えられることが増えてきた年令に達して、かつて私を励まし続けてくれた成岡先生のような立場で、新しいことをこれから始めようとする有望な若手研究者を励ましてやることの意義を人一倍感じております。日進月歩で研究環境が変化してゆく計算力学部門では、若手研究者が中心になって活躍頂くのが理想的です。その思いを込めて、私なりに若手研究者を激励し続けたいと思っているこの頃です。