バイオエンジニアリング部門では,主として医学や生物学との境界領域において,機械工学を基盤とした研究が進められてきた.それらの研究では,分子や細胞のレベルから一個体のレベルまで,様々なスケールで調査が行われ,生体に関する,力学的観点からの重要知見が数多く得られてきた.その積み重ねにより,バイオメカニクスに関連する基礎工学領域はもちろん,医療診断や組織再生などの医学応用領域にも革新がもたらされている.それと同時に,従来の機械工学では考えられなかった新たな工学研究領域の開拓も図られている.さらには,それら成果の結実の一例として,日本循環器学会などの医学系学会と“相互連携に関する覚書き”が交わされるなど,医工連携が,部門・学会レベルで推進されるに至っている.今後,超高齢社会における新たな産業創出にも部門の貢献が期待される.
本年鑑では,当部門がカバーする研究分野を3分野15テーマに分類し,各テーマが3年ごとに紹介されるように企画されている.本年度は,「バイオメカニカルエンジニアリング」分野から「筋骨格系のバイオメカニクス」と「循環器系のバイオメカニクス」,「バイオメディカルエンジニアリング・ライフサポート工学」分野から「医用機器・診断機器」と「スポーツ工学」,「バイオテクノロジー・バイオインフォマティクス」分野から「細胞工学・遺伝子工学」のテーマを取り上げ,各専門家に最近の研究動向をまとめて頂いた.
筋骨格系のバイオメカニクスの研究は,従来からの筋肉・骨の組織スケール,細胞・分子スケールを対象とした理論,計測,実験,計算シミュレーション等に基づく取り組みがされ,各スケールの相互作用から達成される力学的機能を解明する試み,運動学や動力学を取り込んだ臨床(特に整形外科,歯科),福祉,スポーツの分野における課題解決を目指す試み等,盛んに進められている.
第30回バイオエンジニアリング講演会(2017年12月,京都)では,一般のポスター演題約320件のうち,筋骨格系に関連した演題は少なくとも約70件近くあった[1].例えば,動物骨を対象とした弾性率・異方性・クリープ等の力学特性の計測,X線CT,MRI画像を基にした骨・靱帯・筋の動態計測・解析技術の開発,有限要素法による脊椎,股関節,指骨,肘,骨に挿入した固定デバイス周囲等の応力解析,骨系細胞の挙動を反映した骨リモデリング計算,神経系のシグナル伝達を考慮した筋骨格シミュレーション等,多岐に渡る部位に対し,多様なアプローチにより研究が進められている.
世界的な動向としては,23th Congress of the European Society of Biomechanics(ESB2017,2017年7月,セビリヤ(スペイン))において「Hard Tissue Biomechanics」「Musculoskeletal Biomechanics」のセッションが連日複数立てられ,献体骨を積極的に使用した海綿骨・皮質骨・軟骨の力学特性計測,新たな骨リモデリング計算手法の提案,歩行解析に関する演題が多く見られた[2].骨の機能的適応と構造の関連の解明で先駆的な研究をされ,著名なSteve Cowin先生[3, 4]の追悼セッションもあり,骨のリモデリング現象のモデル化,メカノセンシング機構の解明について,実験,計算の両立場から活発な議論がされた.また,International Society of Biomechanics 2017 Congress XXVI(ISB 2017,2017年7月,ブリスベン(オーストラリア))では,モーションキャプチャによる動作計測を基に筋骨格シミュレーションを行った研究が圧倒的に多く,筋骨格系に関する200件以上の演題があった[5].スポーツ動作を対象とした事例が多く,筋骨格シミュレーションと有限要素法の組み合わせにより,骨の計算モデルにおける筋力に起因する境界条件を算出し,応力解析を行う試みが活発であった.
国内では,2013年から開始した本学会の講習会「有限要素法による骨のバイオメカニクス解析入門~理論から応用まで~」が,好評継続中である[6, 7].筋骨格系や骨の力学解析手法とその計算システムが研究成果とともに急速に普及する中で,その理論的背景を深く理解したい方が対象であり,毎年定員を上回る熱心な参加がある.最近では,従来から見られた整形外科,歯科分野の研究者,医師に加え,脳外科,形成外科分野からの参加もあり,有限要素法を中心とした筋骨格系のバイオメカニクスへの臨床現場からの高い関心の現れを示している.一方,計算機性能の向上に伴い,筋骨格系の理論,計算モデルが大規模化,複雑化する傾向にある.直接的な検証実験が簡単でない多くの事例に対し,妥当性の検証が今後一層課題となる.また,世界的に盛んな骨と筋の作用を有機的に連携させた計算技術開発は国内でも進められているが,さらなる発展が望まれる.
筋骨格系のバイオメカニクスは,臨床現場の課題解決や生体組織の力学的機能の役割の理解に大きな変革をもたらしつつあるが,他のバイオメカニクス分野と関連する点も多い.細胞,臨床,スポーツバイオメカニクス等における研究のアプローチを互いに積極的に取り入れることで,今後さらに発展することが期待される.
2017年は,数値流体力学解析に基づいた血流のシミュレーション(CFD)による解析が循環器系疾患の診断機器として医療機器として承認され,運用が始まった年であると認識できる.例えば,循環器系疾患に血管が狭くなる病気(狭窄)がある.狭窄の程度(狭窄率)は狭窄後の組織に供給する血流量の情報(機能情報)として重要であり,狭窄前後の圧力の差を測定する方法(冠血流予備量比,FFR)がこれまでに存在した.この方法では,プレッシャーワイヤと呼ばれる医療機器を,カテーテルを通して直接冠動脈患部に挿入し測定するが,侵襲性が高い.そこで,CT画像から血管の3次元構造を再構築し,CFDから圧力の差を計算する方法が考案され,2017年に医療機器として承認された.
今後このようなCFDが数多く開発され,医療機器として申請されると予想される.その開発の迅速化及び薬事審査の円滑化に資する評価指標の構築には機械工学の知識が欠かせない.「次世代医療機器・再生医療等製品評価指標作成事業(2016年~2017年)」には,機械工学を専門とする研究者が委員に含まれ,医療従事者と共に指標を作成している[1].また,機械学会主催の講習会「次世代診断治療支援のための血流シミュレーション~基礎から実践まで~」[2]が2016年度より開催され,医工連携の一翼を担っている.このように,本分野は医療従事者との協働による指標の規格化が進むことが予想されるが,国際化を目指す必要がある.
2017年は,医療機器の力学評価に使用する生体組織のモデルの国際標準化にむけ,世界が動き出した年である.骨ネジなどの医療機器の力学評価には,骨モデル(模擬骨とも言う)を用いて行われている[3].この骨モデルの規格はこれまでアメリカの標準化が存在したが[4],ISOには存在しなかった.2017年に,日本から提案されていた骨モデルの力学試験法の国際標準がISOから発行された.さらに骨だけではなく循環器系用のモデルの評価も加味して,モデルの試験法を標準化する新しいWGの設立申請が,日本よりISO/TC150(Implant for Surgery)[5]になされた.投票の結果,2018年4月19日に可決された.
モデル市場は非常に活発で,教育・トレーニング用モデルも含めて年率14.9%で拡大する予測がある[6].
以上のように医療機器の客観的な指標の導入のため,標準化・規格化・国際化が今後とも進む.
診断機器は,医療機器産業の国内市場規模約28兆円(2016年)の中で約25%を占め,2010年~2014年の平均年間成長率は約5%で増加傾向にある[1].技術的課題に関しては,例えば2009年に経済産業省が策定した戦略が公開されているが[2],その流れに沿う形で機器開発が行われて来ている.代表的な診断機器を医療施設で扱う側の職種で分けると,臨床検査技師が扱うものとして超音波診断装置が,診療放射線技師が扱うものとしてエックス線コンピュータ断層撮影装置(X-ray computed tomography:X線CT),核磁気共鳴画像診断装置(Magnetic resonance imaging:MRI),陽電子放出断層撮影装置(Positron emission tomography:PET)が挙げられる.本稿ではこれら装置の最近の動向について取り上げる.
超音波診断装置は,実時間の画像が得られ易く同位体元素注入などの前処理が不要などの長所を持ち,空間分解能は波長程度(0.1~1.5 mm,周波数:1~20 MHz)である[3].代表的な撮像方法には,静止像から形態情報を得るBモード,心臓など動く臓器の時間的変化の像を得るMモード,ドップラー効果を利用した血流の速度と方向の表現機能であるカラードプラ法がある.最近の装置はこれらの合成表示が可能で,例えば心機能の診断目的で心臓や弁の形態,動き,血行動態を同時に捉えられる[4].また,小型化が進み本体の大きさが携帯電話程度の物も有り,在宅診療,スポーツ診療,リハビリテーションなど様々な医療現場のニーズに応えている.
X線CTは,波長1 pm~10 nmのX線を利用し撮像するが,撮像時間が比較的短く空間分解能は0.2 mm程度と優れていることが長所である.放射線被曝が短所で,画像の鮮明さと被曝量の間には相反関係があり[5],少し前の装置は鮮明画像の獲得に重点が置かれていたため必然的に被爆量が多くなっていた.最近では,装置開発側では出来る限り低線量(短時間曝露)で鮮明な画像を得るための画像合成アルゴリズム見直しや[6, 7, 8],機器管理側では被爆リスク削減のために適正被曝量の管理を目的とした計測技術の開発などが行われている[9].
MRIは,ラジオ波照射による水素原子核の磁気共鳴がもたらす変動磁場を検出して断層像を得るため,放射線被曝が無く画像のコントラスト分解能に優れることが長所で,空間分解能は0.3 mm程度である.しかし,撮像に長時間を要し,しかも,鮮明な画像獲得のために強磁場(1.5~3T)を利用していることから装置が大型化し,更に,シールドルームが不可欠なため高コストであることが短所である.最近は,3次元画像構築技術が発展し,脳神経系や心臓血管などの解剖画像の可視化が可能なっている[10].また,強磁場・高コストの短所を解消すべく,地磁気(約50 μT)程度の極低磁場を利用したMRIの技術開発が行われており,微弱化した磁気信号を検出可能とするためにレーザー光を利用した光ポンピング原子磁気センサが開発中である[11].
PETは,炭素,酸素,フッ素,窒素など陽電子放出の放射性同位元素を体内に注入した際に発生するγ線を検出し断層像を得るため,代謝の様子を正確に把握可能なことが長所で,脳疾患の病態解明や微小腫瘍の発見,更に,神経伝達物質測定による精神的病態の解明にも用いられている.空間分解能は3~5 mm程度であり,その確保のため全身用と局所用に分けて装置が開発されている[12].撮像に長時間を要し,設備が高コストであることが短所である.最近は,特にがん診断や治療効果の判定に利用するため撮像放射線量の定量性が重要視されており[13],その実現のためPETとX線CTを組み合わせて代謝と形態の画像を一度に取得出来るPET/CTが開発され普及しつつある[14].
上記の診断機器にはそれぞれ長所と短所が有り,撮像に際しては対象や目的に合わせた選択を行う必要がある.これからも,医療現場のニーズに合わせ長所を伸ばし短所を克服するような機器開発が行われていくことが期待される.
2017年は,2016年のリオデジャネイロオリンピックパラリンピックが終わり,2020年の東京大会へ向けた研究開発がスタートした.本会のポテンシャルを東京大会へ向け,大いに発揮する機会が増えていくであろう.
スポーツ工学・ヒューマンダイナミクスシンポジウム2017(実行委員長:金沢大学 岩田佳雄先生)は,2017年11月9日(木)~11日(土)に金沢商工会議所会で開催された.招待講演2件,特別講演1件,一般講演140件,参加登録人数285名,企業展示数19社であった.一般講演数,参加登録者数,企業展示数は,年々増加している.講演数に対して,参加登録者数が2倍以上である.これは,潜在的に興味を持っている研究者が多いことをあらわしている.
招待講演では,University of Massachusetts, LowellのJames A. Sherwood先生をお招きし,「Wood Baseball Bat Durability」というタイトルで,木製野球バットの強度や耐久性に関する講演が行われた.Sherwood先生は,iMechE(英国機械学会)PartP:Journal of Sports Engineering and Technology(JSET, Impact Factor=1.0)のエディタでもあり,本会とJSETで機械学会同士の連携を深めているところである.一般講演では,選手・人間の安全,運動機能を阻害しない(或いは向上させる)用具の開発,評価に関する講演[1, 2, 3, 4, 5]等,ヒトとモノの両者に配慮したバイオエンジニアリング的・分野横断的な様々な講演があった.
海外に目を転じると,2017年度に開催されたスポーツ工学関連の国際会議は3つあった.その内の2つ,APCST2017とISEA2018の紹介をする.
APCSTはAsia-Pacific congress on Sports Technologyの略で,今回が第8回目であった.2年に一回開催される会議で,同じ周期で開催されるISEAの未開催年に開催されてきた.今回,イスラエルのテルアビブで開催された.会場はヒルトンホテルテルアビブ,日程は2017年10月16日~18日までであった.キーノートプレゼンテーションが9件,一般発表が82件であった.参加人数は約140人であった.過去,日本人研究者も数多く参加し,占有率は3割ほどであったが,今回,日本人研究者は筆者も含めて,わずか2名であった.会議は,イスラエルパラリンピック委員会が後援しており,パラリンピックの用具開発に関するセッションが複数企画されていた.
ISEAは,International Sports Engineering Associationの略で,第12回目の開催であった.今回は,オーストラリアのブリスベンで開催された.会場はブリスベンコンベンションセンタ,日程は2018年3月26日~29日までであった.Plenary sessionが8件,一般発表が110件であった.参加人数は194人であった.日本からは31人の参加であった.21ヶ国からの参加者があった.自転車に関する発表が多く,自転車用ヘルメットの空力と温度制御に関する論文[6]がベスト論文賞を受けた.
生命現象の理解とそれに基づく医療展開には,当該現象を担う分子群の同定が不可欠である.例えばがん細胞の遺伝子変異を網羅的に同定し,生体内におけるその空間的,時間的変動を把握することは,がん進展機構の理解や創薬標的の提示,あるいは診断用バイオマーカーの開発につながる[1].このように網羅的情報を研究する学問分野は,遺伝子を対象とする場合はgenomics,転写因子ではtranscriptomicsというように語尾に-omics(オミクス)をつけて呼んでいる.これらのオミクス解析の元となるデータは,様々な工学技術を駆使して取得される.その代表例には次世代シークエンサー[2]や,DNAマイクロアレイ,質量分析装置が挙げられる.これらの技術の精度とスループット(解析処理能力)の進展とともに,近年革新的と言える未来医療を導きうるオミクス研究が推進されている.
例えば,単一細胞レベルでの全分子情報を明らかにし,それぞれの細胞間の相互作用を網羅的に解析する試みが行われている[1].その実現のために米国の「Single Cell Analysis Program(SCAP)」,EUの「Platform for Advanced Single Cell Manipulation and Analysis(PASCA)」や,日本のCREST研究「統合1細胞解析のための革新的技術基盤」などの巨額プロジェクトが近年進められ,所期の成果を得つつある.ここに機械工学からも,細胞サンプルや作動流体のハンドリングなどにおいて貢献がなされている.また,全身の遺伝子の発現パターンを解析し,がんや糖尿病など様々な疾患における異なる器官同士の相互作用や医薬品の影響が網羅的に解析されつつある[3].このように疾患や,あるいはエイジングなど,あらゆる生命現象に関してオミクス解析の対象が拡大し,その結果激増するビッグデータを統合し(トランスオミクス),活用すべく統計解析手法も盛んに研究されている[4].このような情報のシステム化や疾患ごとのパッケージ化は,将来的に予測精度の高い個別化医療を実現するために役立つと期待される.
広範な分子情報の蓄積は,医療応用だけでなく,基礎研究にも新たな局面をもたらしている.それはオープンアクセスのパブリックデータを活用した(分子スクリーニングを含む)データ駆動型科学である.例えば,京都大学の山中による細胞初期化誘導四遺伝子の同定において,あらかじめ理化学研究所のFANTOMデータベースを活用して24個にまで候補分子を絞ることができていたことは有名なデータ活用例である.現在は日本国内で管理するだけでも(疾患,医薬品,あるいはモデル動物や植物などの)分野ごと,あるいは分子種ごとに様々なデータベースが整備されている.さらに,それらを横断的に検索可能にするための事業がバイオサイエンスデータベースセンター(NBDC)によって進められている.異なる生命科学データベースが統合されて使いやすくなるに伴い,機械学習を導入して既存のビッグデータから遺伝子発現パターンなどに未知の規則性を見出そうとする試みも盛んになっている[5].このような趨勢により個人の研究者もオープンサイエンスを重視し,自身が得たデータを公開して誰しもが二次利用できるように努める状況となっている.また,データ捏造の防止という側面もある.
最後に特筆すべきは,ゲノム編集の方法に技術革新があったことである.ゲノム編集とは遺伝子の任意の位置に任意の配列を置換,挿入,もしくは削除する技術である.2012年にCRISPR/Cas9を用いてゲノム編集することができる方法が発表され,従来法よりも格段に向上した簡便さから様々な分野の研究者が活用を始めた[6].ゲノム編集は,遺伝子疾患の治療法として期待される一方で,特にヒト受精卵への人為的操作について倫理的な議論が生じている.
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