日本機械学会は,2013年度より,独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から「NEDOプロジェクトを核とした人材育成,産学連携等の総合的展開 産業技術の普及と社会制度 機械系における最近の安全・リスク」の事業を受託しており,2015年度はその最終年度であった.日本機械学会の法工学専門会議においてこれまでテーマ設定され議論されてきた内容を総括し,今後の検討に向けた新たな課題が抽出される一年となった.
同事業の一環として,日本機械学会連続講座(NEDO共催)「法と経済で読み解く技術のリスクと安全~社会はあなたの新技術を受け入れられるか~」を実施してきたところであるが,2015年度には,「過失処罰で事故は少なくなるのか」,「北大電気メス事件にみる医療機器使用による事故と責任の所在」,「九大の水素関連『ヒヤリハット』事象の分析と対応」,「小型無人機『ドローン』に求められる安全技術と安全制度」,「航空機事故とヒューマンエラー」,「鉄道事故とヒューマンエラー」の各テーマで,6回の講座を実施した.
上記の連続講座と関連した企画として,日本機械学会2015年次大会で「法と経済で読み解く技術のリスクと安全~三菱リコール隠し事件を題材に~」の市民フォーラムが開催された.事案の概要と刑法の基礎に関する説明がなされた後に,失敗学の観点からの報告,ならびに,ハブ破断原因の工学的分析に関する報告がなされた.
もう一つ,上記の連続講座と関連した特別講演会として,2016年1月23日に,「法工学の挑戦~文理融合で目指す技術の安全・安心~」が開催された.行政学,機械工学,刑法学,行政法学の専門家が,エレベータ事故を素材にして,それぞれの立場から事故防止や安全と法律の関係について多角的に検討を行った.技術の安全性確保と行政・司法の役割に関する基調講演が行われ,それに続いて,法工学からの問題提起がなされた.その後,エレベータ事故から学ぶ失敗学,企業事故と刑事責任,ならびに,自由社会における法規制の限界について,それぞれ報告がなされた.
また,2015年12月4日に「2015国際ロボット展」(東京ビッグサイト)において,上記事業と関連する内容の企画として,全自動ロボットが事故を起こした場合の法的責任の所在に関する模擬裁判が行われた.これを受けて,2015年12月9日の日刊工業新聞では,「リスク影響評価と周知重要に」,「社会の合意形成が先」との見出しで,国際ロボット展の後の反響が紹介され,製造物責任法,労働安全衛生法の枠組みで対応可能であることが報じられた.また,2016年1月18日の日刊工業新聞では,「ロボ『社会進出』課題多く」という見出しで,「自己責任の本質は設計時のリスクアセスメントと,使用時のリスクコミュニケーションにある」とした近藤惠嗣・同事業委員長のコメントが報じられている.
こうした活動の集大成として,近藤惠嗣(編著)『新技術活用のための法工学 リスク対応と安全確保の法律』(民事法研究会,2016年2月)が刊行された.法工学の領域にご関心をお持ちの方々には,ぜひご一読をお勧めしたい.
法工学専門会議では,2016年度以降も,上記の連続講座と関連するセミナーを継続開催する予定である.また,日本機械学会の年次大会等において,適宜,模擬裁判などの形をとりつつ,安全安心をテーマとしたフォーラム等を開催する予定である.
我が国の発明の大半は,企業・研究機関(使用者)に勤務する研究者・開発者(従業者)によってなされた「職務発明」(特許法第35条第1項)であると考えられる.職務発明は,従業者の努力の成果であると共に,使用者も設備提供や人件費等の投資によって貢献しているため,職務発明の帰属の決定は重要な問題である.また,技術立国である我が国にとって従業者の利益を保護することで発明を促進・奨励させると共に,使用者による発明の活用を促進させる必要があることから,使用者と従業者との間で利害の調整を図るための規定として「職務発明制度」(特許法第35条)が設けられている.一方,近年の産業構造の大変革(国際化,技術の複雑化)や従業者の権利意識の向上等に伴い新たな問題が生じたことから,職務発明制度が見直された.職務発明制度を含む特許法は2015年に改正され,2016年4月1日に施行された.
職務発明について特許を受ける権利は,原始的には従業者が有しているため(従業者の原始帰属),使用者は従業者から契約(雇用契約や個別契約)によって特許を受ける権利を譲り受ける(以下,「職務発明の承継」)ことが一般的である.しかしながら,職務発明が他企業や他研究機関の従業者(社外発明者)との共同研究による発明にも該当する場合については,権利の承継に係る手続が複雑になると共に,社外発明者の意向によっては,使用者が職務発明の承継を受けられない可能性がある.また,従業者が使用者以外の第三者に特許を受ける権利を譲渡し(二重譲渡),使用者よりも先に特許出願してしまうと,使用者が特許権を取得できないケースがある.
今回の法改正では,契約等において定めたときは,職務発明の完成時から使用者に帰属させる(使用者の原始帰属)ことが可能となった.これにより,共同研究等における権利の承継に係る手続が簡略化され,また従業者による二重譲渡は不可能となったため,権利帰属の不安定性は解消する.なお,使用者の原始帰属にはその旨の契約が必要であることから,改正前と同様に従業者の原始帰属を選択する余地は残されている.
法改正前においては,職務発明を承継した使用者は,従業者に対し金銭の給付である「相当の対価」を付与する規定となっていたが,使用者あるいは従業者から金銭以外の経済的インセンティブ(留学の機会やストックオプション付与)を望む声もあることから,「相当の金銭その他の経済上の利益(=相当の利益)」とした.
製品における職務発明の寄与度は技術分野や業界の性質等により一律ではなく,また複数の発明者が関与している場合の貢献度は必ずしも均等ではなく,さらに職務発明に対する使用者の投資額も様々であることから「相当の利益」の算定は困難である.このため,従業者が算定基準に不服を持っていると退職後等に使用者に対して予想外の高額な補償金を請求し,企業経営に悪影響を及ぼす可能性がある.このため,2004年法改正では,「相当の利益」の算定基準について契約等で定める際のプロセス(使用者と従業者との間で行われる協議の状況等)に合理性があれば,使用者と従業者が予め定めた契約等が尊重され,「相当の利益」の法的予見可能性を向上させることとした.今回の法改正では,さらにその内容を明確化・具体化するために,経済産業大臣が指針を定めて公表する旨を規定することで,「相当の利益」の算定における法的安定性をさらに向上させた.
2015年9月29日に東京地裁で争われていた「シンドラー社(以下S社と略す)の事故」の判決が下され,S社が保守点検業務を請負った当時の点検責任者の被告1名は無罪,S社の後に保守点検業務を請負ったSEC社の,幹部社員・点検責任者の3名が有罪となった.
本件は2006年6月3日午後,東京都内の公営住宅で高校2年の被害者が,扉が開いたまま上昇したS社製エレベータに挟まれて死亡した事故である.東京地検は,1998年の設置後S社が保守点検業務を行っていた期間中の,2004年11月にブレーキ関係を点検・調整した際に,プレーキを制御する部品の交換等の適切な対応を怠ったこと,またSEC社が事故9日前に点検していたにも関わらず異常を見逃したこと等により,両社の関係者を業務上過失致死罪で起訴した.
事故機のブレーキ機構は,停止時にはバネによりブレーキを作用させ,走行時にはコイルに通電し,プランジャーを吸引してバネに抗し,ライニングとドラムの間に隙間を作り走行させる方式であった.判決によれば,事故に至ったメカニズムとして,ソレノイドの短絡等で吸引コイルの力が弱まったことにより,ブレーキを作動させるバネの力に対抗出来ず,走行中もライニングとドラムが接触して摩耗が進行し,ついには停止時に必要なブレーキ力を維持できず,扉が開いたまま走行して事故になったという判断であり,事故の技術的因果関係については基本的に争われていない.
法廷で争われたのは,設置後の点検・整備を請負った両社が適正・適切にメンテナンスをすれば「事故の発生を予見」し,「必要な予防処置による回避」ができたのではないかというポイントに集約された.判決では,ソレノイドの短絡によるブレーキ力の低下が短時間で進展すること等により,約2年前のS社の点検時点で異常があった証拠はないとした.一方,SEC社については,当該機のブレーキ部の構造が特殊であり,プランジャーのストロークを測定してブレーキライニングの摩耗を測定する検査方法が必要であるにもかかわらず,保守点検業務の実施前にこの様な構造であることを検査方法に反映しなかったことに問題があるとした.従って事故9日前の点検時に,プランジャーストロークの測定等の適切な検査を行えば,異常摩耗が判明できたのではないかとした.
また判決では,SEC社の,「検査は五感」で可能であり,点検実施に先立って,検査マニュアルの入手・分解調査等による検査手順の策定等は不要であるとの主張を退け,機構の異なる他社製エレベータの点検・調整作業には,「五感」以外にも構造・特徴を踏まえた分解調査等による適正・適切な作業手順の策定が必要であるとした.また,SEC社の責任者らは,同社の保守点検体制では,経験の少ない当該機の検査員(事故機の様なインバータ制御のエレベータではライニングの摩耗は無いと誤解していた)がブレーキの異常を見逃す可能性があり,それにより扉が開いたまま走行する重大事故が発生するおそれがあることを「予見」することができ,かつ適正な保守点検体制を構築するという「結果回避義務」を怠ったとした.
本件判決は「保守点検体制」が「同業他社」と比較して「不適切」であったことを重視しており,いわば「コスト」と「維持管理リスク」の問題について関係者(メーカ・事業者・保守点検業者)に警鐘を鳴らしていると云える.なお本案件は,検察・SEC社が東京高裁に控訴している.
2015年1月26日未明,小型無人機(ドローン)が,米ワシントンDCはホワイトハウスに難なく侵入し,着地した.酩酊して操縦能力を失っていた米情報機関員のものだという.米大統領は米航空法(FAR)の改正等,直ちにドローン規制の強化を打ち出した.
米政府に衝撃を与えたドローンではあるが,これに先行して,既にアフガニスタンやイラクで軍事的にも使用されており,その後,民間でも急速な技術革新や量産化が進み,上空監視や記録などの空撮や輸送用等に個人的に,あるいは民間産業でも利用され,アマゾン・ドット・コムやグーグルなどでは,配達等の事業用としても本格的に検討され始めていた.
ドローンを利用する個人や産業の広がりもさることながら,ドローンを製造する産業もフランス,イギリス等,世界的に拡大している.ホワイトハウスで墜落したドローンは,米国製ではなく,2006年創業の中国企業DJI社製の2013年発売開始の超ヒット作の空撮用の「ファントム」である.発売後,社会的な需要に対応し,安価で取り扱いが簡便なことから,売り上げが右肩上がりに急増して来たものだ.
立ち遅れていた日本で,ドローン規制が喫緊の課題として社会的にクローズアップされるようになったのは,2015年4月22日,微量の放射性物質を搭載したドローンが首相官邸屋上に着地していたのが発見されたからで,その後,元自衛官が4月9日に飛行させたと名乗り出た.ドローンは,ホワイトハウスの場合と同じ「ファントム」であった.
永田町(国会)や霞が関(内閣)はドローン規制への対応を緊急に迫られることになった.先ずは永田町でテロ対策に向け議員立法案が慌ただしく提出され,次いで霞が関から「改正航空法」が内閣法案として提出された.
議員立法案[1]では,首相官邸や国会,外国公館など重要施設周辺300メートル以内の上空の飛行を禁止する.警察当局などが,必要に応じて,ドローンを破壊したり,飛行を妨害したりする措置も取れるようにする.違反者には,1年以内の懲役,または50万円以下の罰金が科される.衆議院で修正可決[2]後,参議院で継続審議となった.
内閣法案[3]では,航空法では曖昧であったドローン等無人航空機に関する条文が追加され,より現実的な規制が行われる.従来の航空法の安全規制は,有人航空機(飛行機,回転翼航空機,滑空機及び飛行船等)に対してのみであった.
2015年9月4日,適切な規制で産業利用を促進しながら,航空機運航の安全確保を目的に,改正航空法が成立し,同12月10日に施行された.人口集中地域や空港周辺の上空,夜間の飛行等が禁止になる.禁止空域での飛行には国土交通大臣の許可が必要.違反者には50万円以下の罰金を科される.詳しくは,参考文献[3],[4],[5],[6]を参照されたい.
あるいは早くも,12月15日,地域を絞って規制を緩める国家戦略特区に千葉市が指定され,ドローンによる宅配サービスができるようになり,米通販最大手アマゾンが3年以内の事業化を目指して参入する方針とのこと.
今後の課題として,ルールの周知徹底や積み残された免許制,機体の登録制の導入,製造時の技術基準の整備等,あるいは更に,ドローン利用の一般的なルールを越えて,商用利用を想定したルールの設定が挙げられよう.
ドローンの技術開発や製造は,我が国の商用ドローン規制を国際標準(ディファクト・スタンダード)化しつつ,既存の産業もさることながら,国際的な利用状況を見据え,あるいは開拓する輸出型ベンチャーの創出にとって,ビジネス市場の拡大を媒介に,経済成長に寄与するグッド・チャンスなのかもしれない.
ドローン技術の利用や普及は,技術の高度化の成果でもあり,人間の行動に影響されるところ(ヒューマン・ファクター問題)も多く,ドローン技術の展開に伴い,社会の中の人間の在りようを規定する法工学に,今後「格段の進展」も期待されよう.
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