「技術」と「社会」をキーワードに,2016年(1月~12月)を概観してみる.
その進展によって得られる様々な成果によって,われわれ人間の生活を豊かにするという使命を持つ「技術」,とりわけ機械工学に関連が深い「技術」について振り返ると,残念ながら,良い面よりも悪い面が際立ってしまった1年と言える.国内自動車メーカーによる軽自動車の燃費試験データ捏造事件である.2015年9月末にドイツの老舗自動車メーカーによるディーゼル車の排ガス規制に関わる不正ソフト使用事件が明るみに出た時には,国内メーカーは関わっていないということで,自動車立国日本の面目を保っていただけに,残念でならない事件となった.事件による影響規模の大小はあるものの,何れも自動車の性能試験に関わる不正事件であり,成果(経済)至上主義が行き過ぎた結果と言える.“人間の生活を豊かにするためにあるべき成果(知見)を,社会を欺くことに利用してはならない”ことは,われわれ技術者にとっては疑う余地のない常識のはずである.今一度初心に戻って,このようなことが二度と起きないように,日々精進し,「技術」に対する「社会」からの信頼回復に向けて邁進しなければならない.蛇足になるが,自動車業界に限らず,今回のような性能試験に関わる不正に対処するためには,試験室での性能試験から実フィールドでの性能試験への転換が増々求められる可能性がある.
われわれ人間が生活する「社会」について振り返ると,国内だけを見ても,度重なる自然災害に翻弄された一年であったと言える(表1).北海道では,2月末の暴風雪,6月中旬の地震に引き続き,8月中旬の台風と,災害復旧途上において新たな災害に次々と見舞われ,収穫時期の農作物への打撃は甚大なものであった.一方,熊本では,4月の地震(後に,気象庁が“平成28年熊本地震”と命名),6月の豪雨に引き続き,10月の阿蘇山中岳の爆発的噴火と度重なる被害を受け,自然の圧倒的な驚異を改めて感じさせられた.自然災害の対策として,その予測精度の向上が度々話題に上るが,現状では実用段階にあるとは言えない.むしろ,ある程度の自然災害が起こっても,被害を抑制できる国づくりが必要と考えられる.そのためには,日本の国土の特徴(表2)をよく理解し,これまでの統計データから自然災害の頻度や影響度が低い場所を割り出して,居住地域を限定するなど,抜本的な意識改革が必要な時期に来ているのかもしれない.
2016年11月に第192回臨時国会において,教育職員免許法の一部改正法[1]が可決された.これによって,本法律の施行予定の2019年度から初等・中等教育の教員養成が大きく変化する.施行規則は,2017年夏頃までに決定されるため詳細は不確定であるが,教員を養成する大学においては,理論よりも実践・演習重視,学校現場での体験の強化および教職課程を統括する組織の設置などが求められることになっている.カリキュラムにおいては,これまで明確に分かれていた「教科に関する科目(学部学科での専門科目)」と「教職に関する科目(教師になるための教育関係科目)」の垣根をなくし,これに関係して新たに教科内容の専門的内容と指導法に関する内容が合わさった新規科目の設置が検討されている.このため,開放制の教職課程(教育学部ではなく,工学部や経済学部など教育以外の専門課程において教員養成を行う課程)を持つ大学においても,専門教育の中で教科教育および指導に関する内容を教育することが必要になる.工業高等学校や中学校の技術を教える教員を養成する大学の工学系の学部の場合,専門科目の中に教職・教育学専門の教員が一部関わることのできる科目を設置したり,あるいは,工学専門の教員にも教育に関する業績が求められたりするようになる可能性が高い.また,新法においては,教職課程の学生に対して,アクティブラーニングの指導力やICT(Information and Communication Technology)活用教育能力を養うことが要求されており,大学や高専などの工学教育においても今後PBL(Project Based Learning)やICT活用教育がより一層求められている.工学部などの工学に関する専門教育の対場から見て,将来教師になる可能性のある学生に対して,こうした教育を受けさせることは,彼らが教える立場になったときにも生かすことのできる貴重な経験になる.
本学会内に目を向けると,年次大会や部門講演会などの講演会の工学・技術教育関係のセッションにおいては,PBLやICTを使った工学教育に関する発表は年々増してきている.2016年度では,年次大会の「工学・技術・環境教育」や部門講演会の「設計教育・CAD教育」および「技術・工学・環境教育」において工学教育に関する発表が行われたが,合計35件の発表の内,PBL関係が11件,ICT活用教育関係が5件あり,約半数が該当した.この結果,工学教育の観点からも,これらに関わる教育は関心が高いことが分かる.本学会の性質上,エンジニア教育だけに目が向きやすいが,子どもたちに将来エンジニアになることに関心を向かせることができる中学校の技術科の教員や,卒業してエンジニアになる生徒を教育する工業高校の教員を養成する教員養成課程についても,工学教育の一部として重要である.本学会としても,今後,教員養成に関する文科省の動向にも注視していかなくてはならないであろう.
技術史研究の国際学会として,国際技術史委員会ICOHTECがある.2016年は,ポルトガルのポルト市,科学技術史国際交流センターで第43回年次大会[1]が開催された.主題は,「技術,革新と持続性:歴史と現代の物語」で11セッション33件の研究発表があった.他,ポルト大学にてクランツベルクレクチャーが開催された.
国内では産業考古学会(JIAS)が2016年5月に第40回総会[2]を横浜市の横浜みなと博物館日本丸訓練センターを会場にして開催,7件研究発表が行われた.10月の同学会全国大会(近畿大会)[3]は,兵庫県西宮市の大手前大学さくら夙川キャンパスを会場にして開催,8件の研究発表が行われた.
日本産業技術史学会(JSHIT)は2016年6月に第32回年会[4]を大阪市立大学を会場にして開催,6件の研究発表とテーマセッションとして「日本の工学教育と産学連携」が行われた.
日本科学史学会(HSSJ)では,欧文誌「Historia Scientiarum」が年間3号,学会誌「科学史研究」が年間4号およびニュースレター「科学史通信」が隔月刊で刊行されている.2016年5月に第63回年会[5]が東京都の工学院大学で開催され,シンポジウム,基調講演等を含む73件,学会誌で3論文の計63件の発表が行われている.また,同学会技術史分科会では会誌『技術史』第10号,第11号を2016年度に発行している.
日本技術史教育学会(JSEHT)は2016年5月に学会創立20周年の記念シンポジウム「日本における技術史研究の現状と展望」[6]を開催,4件の講演があった.6月に総会[7]を東京大学で開催,特別講演1件,研究発表講演22件があった.10月に全国大会[8]を松江市のサランポーむらくもを会場にして開催,特別講演1件,研究発表講演13件があった.2017年3月に関西支部総会・研究発表講演会[9]を大阪産業大学で開催,特別講演1件,研究発表講演15件があった.
中部産業遺産研究会(CSIH)のシンポジウム「日本の技術史を見る眼」第34回[10]がトヨタ産業技術記念館で開催され,「ものづくりとデザイン―産業の近代化とデザインの歩み―」について2件の学術講演が行われた.また,同研究会の11月の名古屋都市センターパネル展「東海の綿織物・毛織物と産業遺産」の講演会[11]にて,講演2件,研究報告3件が行われた.
当部門では,2016年度年次大会(九州大)[12]においてワークショップで3件,一般講演6件,の計9件の発表が行われた.部門講演会[13]は宮城教育大学で開催され,一般講演3件,特別講演1件の計4件が行われた.支部講演会では3月の九州支部第70期総会・講演会(佐賀大)[14]において「技術と社会」セッションで2件の一般講演があった.東海支部第66期総会・講演会(静岡大)[15]において,「技術史と技術者倫理」セッションにおいて3件の一般講演が行われた.
技術と社会部門として合計18件の技術史・工学史の研究発表講演が行われた.
2016年度は,2007年度に“機械遺産”の第1回認定が行われてからちょうど10年目に当たり,年次大会(九州大学)では,毎年恒例となっている機械遺産のパネル展示も行われた.機械遺産としては,日本初の本格的地熱発電所「松川地熱発電所」,自家用車普及の立役者の一つ「スバル360」,日本製レジの原型「ゼニアイキ」,日本初の門型洗車機など,7件が認定され,これまでの認定総数は合計76件となった.
当会が把握している限りでは.機械学会に関する報道の大部分を“機械遺産”が占めており,学会活動の広報に大いに成果を挙げていると言える.このことは,機械学会が専門家集団を対象とした役割だけではなく,機械技術あるいは自分たち技術者の位置づけについて社会に向けて発信することにもつながっている.マスコミの間でも“機械遺産”という言葉は一般化しつつあり,特集を組む雑誌や放送番組も恒常的に続いている.
さて,他の学協会の動きであるが,先行する産業考古学会,土木学会以外は当会に続いて認定をはじめており,これら遺産もマスコミに少なからず取り上げられている.2016年度の学協会の遺産認定状況について表3に示す.
このほか,広範囲の工業系の物品を対象とした,国立科学博物館の「重要科学技術史資料(技術未来遺産)」では国産初の油圧ショベル,円盤録音再生機,単気筒試験用ガスエンジンなどの機械系の物品を含む16件が登録され,合計225件となっている.
一方で,“石川モノづくり産業遺産”,“北海道遺産”などその地域として受け継いで行くべき遺産を調査認定する動きもある.これらは地域が限定されていることもあり,ある程度の事案が認定されると,追加はあまり多くはならず,保存活用に軸足が移って行く.
海外では,“機械遺産”の創設に当たり先行事例として調査を行ったASME(アメリカ機械学会)のHistoric mechanical engineering landmarkが1件指定されて合計260件に,IMechE(イギリス機械学会)のThe Engineering Heritage Awardsは5件指定されて合計107件となった.双方とも,国外の資産も国内と同等に認定作業を行っており,例えば,16年度ASMEはスイスの物件を指定している.
さて,2015年度は,「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産リスト記載で沸いたが,2016年度,各自治体は,UNESCOから宿題とされた各遺産の“保存管理計画”の策定で多忙を極めている.遺産は指定すれば終わりではなく,その意味するところをどのように後代に伝えてゆくのかが非常に重要なのである.ここで問われるのは,社会との関連の中での,“普遍的価値”をどのように説明するのか(その事物が社会の歴史に占める重要性に関するストーリーの明確化)であり,これができてはじめて一過性のブームではなく,その価値が受け継がれていく.これはすべての遺産に共通する課題である.
2016年に起こった技術に関する不祥事は,三菱自動車工業の燃費不正問題がまず挙げられる.4月20日付の三菱自動車工業のホームページ[1]によると,国土交通省へ提出した燃費試験データについて燃費を実際よりも良く見せるため,不正な操作が行われていた,また,国内法規で定められたものと異なる試験方法がとられていた,と書かれている.三菱自動車工業は,2000年,2004年にも大型トレーラーのハブに関して,リコール隠しを行っており,再度の不祥事である.軽自動車を日産自動車向けにも供給していたが,その日産から指摘されて発覚したものである.もし,日産が燃費試験をチェックしていなければ,まだ続いていたかも知れない.国で決められた走行抵抗(転がり抵抗と空気抵抗)の測定方法は「惰行法」であるが,三菱はそれを採用せず,「高速惰行法」と呼ばれる,ばらつきが大きい方法で測定し,そのため,故意に改ざんできる自由度が広がり,燃費のよい方向に操作したと思われる.この測定は小会社が行っていたようだが,製造側の三菱が測定のチェックをしていない.売り手側がエビデンスを作成し,自信をもって製品を販売することが必要で,三菱側は「買い手よし,売り手よし,世間よし」という近江商人の「三方よし」が守られていなかったことがわかる.
その後,スズキも軽自動車の燃費データの測定で,国の規定と異なるやり方をしていたと発表した.5月18日付けのホームページによると[2],惰行法ではなく,惰行法実測値と比較して妥当性を検討した後,タイヤなど,装置ごとの転がり抵抗の実測値や風洞試験装置での実測値を積み上げて走行抵抗値を使用していた,と書かれている.その理由として,風が強い場所での走行で,ばらつきが大きくなるため,別の方法で行ったようであるが,スズキはその後あまり批判されていない.真相はわからないが,燃費をよくするために行った行為ではなかった,ことが世間に認められたようである.
このほかに,株式会社神戸製鋼所の子会社も試験値の書き換えを行ったと発表している.6月9日付けのホームページによると[3],子会社が製造しているばね用ステンレス鋼線の一部について,引張強度の試験値の書き換えを行い,規格外品を出荷していた,と書かれている.今回の対象材の引張強度は規格上の下限値の96%以上で,一般的なばねの設計余裕度を考えると,リスクは極めて低いとも書かれている.技術者倫理では,規格から少しでも外れることが不祥事に至る第一歩であると教えているので,4%下回っただけだとしても,リスクマネジメントの観点から大きな問題となる.検査記録のある9年2ヶ月間は追跡調査ができているが,その前のデータは残されていない.関係者へ聞き取り調査を行った結果,少なくとも2001年頃には改ざんが始まっていた可能性がある,とも書かれているが,記録がない以上,万一事故が起こったとしても原因が特定できず,被害にあった人や企業に対する責任が負えないことになり,製造物責任として問題点が残る.
大企業あるいはその傘下にある子会社がデータを改ざん,あるいは決められた方法で実施していないことが多く発表されているが,規制側も製造側もチェック体制を強化し,再度起こり得ないようにすることが重要である.
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22・2の文献
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