◆セミナー&サロン 講演概要◆
「今日の原子力発電所ができるまで ―安全思想の変遷を中心にして―」

石川迪夫

  人類が初めて臨界を経験したのは1942年の暮、第2次世界大戦の最中でした。当時の様子を描いた絵が米国原子力学会50年史に載せられていますが、手で制御棒を出し入れし、ガイガー管の発する音で核反応状態を判断する有様が描かれています。その絵の右上隅の炉上面横には、三名の人がポツンと居ます。その手にはボロンが入った袋が有り、緊急時に命令一下原子炉目がけて投げ捨てて逃げるのが役目でした。今で言えば後備停止装置の役目を人間が果たしていた訳です。僅か60年ほど前の話です。安全とは人手で守るもの、自分自身で守るもの、それが昔の安全原則でした。

 それから十年、核の国際競争は熾烈を極めました。原爆の材料を造り出す原子炉は次第に大きくなり、それに伴い原子炉の除熱技術が必要となり進歩し、結果として発電用原子炉の設計が可能となりました。1953年のアイゼンハワーの原子力平和利用宣言は、こんな技術的進歩を背景にしてのものです。各国は原子力発電の開発に力を入れました。ただ、軍事技術を市民の住む街の中に持ち込む訳ですから、安全性が特段に留意されたのは言う迄も有りません。でもその当時の安全対策は二つ。万一を考慮しての広大な敷地を用意する、放射性物質の確実な管理を行う、でした。今はもう解体されて残っていませんが、その当時作られたシッピングポート発電所には格納客器が3つもありました。1つは原子炉用ですが他2つは蒸気発生器用です。格納客器とは苛酷事故対策のためではなく、放射性物質の管理が目的でした。

 1960年代、実に色々な発電所設計が提案されました。システム工学、自動制御工学の発展によって、設計が進化進展を続けたからです。その折安全設計の必要性について警鐘を鳴らしたのがSL-1の事故でした。潜水艦の乗組員訓練用とは言え、歴とした軽水炉の一族です。この原子炉が暴走して爆発を起こしたのです。急遽米国では、実炉を使っての安全性研究が始まりました。実炉に事故状況を再現させて、放射線災害を引き起こす条件と理由を究明するものです。事故現象を詳細に解明するために、実機に似せた大型の支援実験がいくつも準備され、また、幅広いパラメータ変化の許で分担実施されました。実験解析には、その頃丁度開発された大型計算機が利用されました。今日使用されている安全設計のための設計手法、また判断根拠は、すべてこの安全研究の成果と言って良いでしょう。当時軽水炉を使用し始めた日本とドイツがこの研究に大きく協力した事実も伝えねばなりません。

 安全設計の確立、言い換えれば安全設備と言う名の機械に安全を委ねる考え方は大成功を納めました。設計基準事故(DBA)、単一故障指針、他の災害との組み合わせ、等々論理的補強が加えられ、今日の安全設計に従った原子力発電所の安全性が、他産業と比較して桁違いであることは、確率計算によって証明できます。

 ところが皮肉なことに、安全研究がほぼ終局を迎えた80年頃、TMI事故(79年)、チェルノブイリ事故(86年)が起りました。何れも人為ミスが数多く重なって炉心溶融を引き起こしたものです。安全設計を如何に強化しても限度が有る、それを防ぐには安全に携わる人間の注意と、万一事故に至った場合それを軽減させる人間の智恵に頼る以外に方法はない。前者は安全文化として、後者は事故対応(アクシデント・マネージメント)として発展しています。
 機械設備と人間が互いに特長を活かし合って守る安全、これが今日の世界における原子力安全の考え方です。安全設備は可能な限り設置されねばなりませんが、無くとも安全規則の補強によって安全が強化されるならば運転は認められます。原子力安全の本質に関する事柄のみ規制が関与すると言う、米国のリスクに基く規制の実施は、40年間にわたる安全実績を更に加味した結果と解釈して良いでしょう。

 ここで深層防護について述べておきます。深層防護とは米国の国防の考え方です。国防とは、隣国と仲良くし、紛争の種を検知し、紛争が起きた場合局部紛争に止めると言う三段構えの考え方です。これを原子力発電に応用して、良い物を作る(品質管理)、故障や異常状態を検知する(安全保護系)、放射線災害に到らせない(工学的安全設備)と言う考え方で、先に述べた安全設計とは別個の考え方です。両者合わせて、丁度縦糸と横糸で布が織られるように、安全を創ります。多重防護とも訳され、時折多重の防護壁(燃料のさや、圧力バウンダリ、格納客器)と混同している人を見掛けます。念のため。

 JCO事故以来、防災が現実味を帯びて語られるようになりました。防災は苛酷事故時対応の究極に位置するものとは言え、欧米では設置許可の条件となっています。これまで日本がなおざりにして来た事項でした。その内容はともすれば形式に流れがちですが、実質的に何が必要か、今十分に詰めておく必要がありましょう。

 安全文化の重要性は、物凄い勢いで世界の安全界を今動かしています。これまでは修身道徳のような原理原則論でしたが、安全文化の実践が現実的に営業成績の向上に繋がる事例が多いためです。安全マネージメントなどと言い換える人もいますが、私は原子力発電に通した運転管理そのものと理解しています。

 東電事件をきっかけに維持基準が認知されようとしています。当然のこととは言え遅きに失した感が有ります。いま世界は、安全文化の確立、言い換えれば原子力発電に適した運転管理方法を、規制方法をも含めて模索中です。日本もこれに参加せねばいけません。その中から、また新たな安全への考え方が誕生してくることでしょう。