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提言 −匠の心を忘れまい−
長南征二(東北大・工)
昭和46年の春に文部教官助手とし東北大学に採用されました。その年は、津軽海峡の下を通って北海道と本州を結ぶ青函トンネルの起工式が行われた年です。以来34年、世の中もずいぶん進歩しましたが、その進歩に併せて若い人達の価値観も変わって来ました。小職が若い頃は(これが枕詞に出始めた時は老人の子供還りが始まった時のようです)、卒業するまでに何単位取ったか自慢したものでしたが、最近は如何に効率良く最低単位で卒業するかが話題のようで、学生気質もさま変わりしたと思います。
これまた昔の話ですが、昔は機械工学と云えば油に汚れた作業衣を着て、薄紫に煙る排ガスのガソリン臭を嗅ぎながらエンジンを廻すのが機械系学生の華でした。最近はエアコンの効いた部屋でヘッドフォンミュージックを聞きながらパソコンに向かうのがイケてる姿となりました。コンピュータの使い方は工学の分野でいろいろ違いますが、ご承知のように機械工学では流れのシミュレーション解析やロボット制御などにコンピュータが使われます。機械をモデル化して入力しパラメータを設定してやりますと、あたかも本物が動いているかのように陰影までついた機械がコンピュータ画面上で動きます。ここで間違えやすいのは、画面で動いているのはバーチャルな機械で本物で無いと云うことです。モデル化したものはモデル化した人の発想のなかでしか動かないのですが、動きがあまりにも素晴らしいがためについ画面の機械は本物であるかのように錯覚します。パラメータをいくら入れ換えても、画面の機械はプログラムで決められた以上の情報は提供しません。突き詰めて言えば、真実を知るためにはやはり実物をしっかりと、取っかえ引っ返えして眺め、観察しなければならないと云うことです。今様の傾向として、実物を見ると云う行為が敬遠されがちですが、真にブレークスルーの技術を望むのであれば、原点に立ち返りまずは実物を見る、実物に触れると云う匠の心を忘れてはならないと思います。始めに見えなかったものが経験を積んだあとで眺めたら見えた、気がついたと云うことは誰もが一度は経験していることと思います。
5年くらい前になりますが、研究室でポリフッ化ビニリディンというプラスチックのフィルムを手にいれました。外見は何の変哲も無い、薄いぺらぺらのプラスチック膜です。当時、この膜は変形を加えれば電気信号が出る圧電材料だと云うくらいの知識しかありませんでした。研究室ではこの手の物を入手したときは、1年くらいいろいろいじって見ることにしております。この材料もどう使えるものか、4年生に卒業研究の課題としていじってもらうことにしました。暫くもて遊んでいるうちに、膜の両電極をオシロスコープにつなぎ、膜を手で押すとオシロの画面にスパイク状の波が現れ、膜を押したままでは信号が出ないことが分かりました。たまたまその頃ロボット指の開発を行っており、ロボット知能化の一環として人工指にヒトの触感を持たせる問題を考えておりました。当時眺めていたG.M.Shepherd 著の Neurobiologyという本に、ヒトの皮膚にある感覚受容器と外部刺激に対する発生信号の図がありました。図中にあるパッチーニ小体の出力が圧電フィルムの出力信号と極めて良く似ておりました。皮膚に物が当たった時に、当たったことが分かる一方で、物が当たり続けている時は当たっているという感覚がないと云う、あの感覚をつかさどる皮膚センサです。早速、圧電フィルムがパッチーニ小体の替わりとして触感センサに使えないものか、試みることにしました。以来いろいろ試行錯誤を重ね、現在までに圧電ポリマーフィルムを用いて、@前立腺癌・肥大症診断用センサ、A未熟児の呼吸心拍計測用無拘束無侵襲センサ、Bウェアラブルな点字読み取りセンサ、C皮膚表面形態評価用センサ等を開発しました。いずれも、これからの少子高齢化社会に向けて老人や幼児のQOLの改善に寄与するものです。この研究も、圧電フィルムの出力電荷は変形に比例すると云う、単に教科書的事実のみを受け入れていただけなら発展はなかったことです。ファーブルの昆虫記に、巣穴を行き来する蟻の行列をひねもす眺めていたと云う記述があったと記憶しておりますが、ファーブルも蟻の動きを観察するうちに多くのことを学んだと思います。
このところ眼鏡を外さなければ文字が見えにくくなって来ましたが、興味心だけは若い人には負けないと自負しております。年を重ねても匠の心は忘れずに、諸状に向かって行きたいと思っております。酉年芒種。