西岡 通男
(大阪府立大学 大学院工学研究科
機械系専攻 航空宇宙工学分野)
高周波2次不安定の研究をIUTAMシンポ(1979年9月シュツットガルト)で発表した当時の筆者(ハイデルベルグのネッカー河畔にて)
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1.まえがき
「失敗から学ぶ成功への秘訣」という趣旨の原稿依頼を受けたとき,成功への秘訣といえる独自のアイデアや方法は持ち合わせがないので執筆は困難,お断りしようと思いました.しかし依頼文をよく見ると,流れを実験的に調べている院生・学生を含む若手研究者の励みになるようなエピソードを紹介してほしいとありましたので,若い人に少しでもお役に立つところがあればうれしいことだと思い直し,研究室の仲間と行った実験で失敗から学んだ経験を取り上げてみようと考えました.
未知の現象を実験的に調べる研究では,あれこれ予測し,シナリオを立てて実験を行いますが,予想や推測はしばしば外れ,失敗を重ねることになります.しかし,これはそんなに恥ずかしいことではありません.現実には,この種の失敗を通して現象のポイントが見えてきて,研究が前進する場合が多いのです.このような実験的研究にとって,失敗は避けがたいというよりはむしろ研究の必須の要素であり,重要な成果でもあるということ(私だけの偏見かもしれませんが)をお伝えしたいと思い,筆をとりました.
2.成功に溺れず,失敗に学ぶ
失敗はそんなに恥ずかしいことではないとか,必須の要素であるとか,述べましたが,それは未知の現象に立ち向かう場合のことであり,失敗が他の迷惑にならないことが前提であります.やりそこなったり,しくじったりすることは工学的にはもちろん,どんな場合でも望ましいものではありません.工学的な設計は常に失敗を回避し,要求仕様を満たすようになされます.失敗を避けるように種々検討し考察することによって設計がより確実なものになり,成功が視野に入ってきます.だから,参考になる失敗例を見つけましょう.それは貴重です.現場の仕事に携わる人はきっと成功例とともに失敗例からも多くを学んでいるはずです.設計の基礎となる理論の不備や欠陥を明らかにし,私たちの知識の限界を示すのは失敗例であります.いくつかの関連する失敗例を解析すれば成功に導く新しい道が見えてくるものです.このように確かに失敗は成功の母と言えるでしょう.
一方,注意すべきは,しばしば成功が失敗に導くという現実であります.成功例に溺れた(成功の鍵となるポイントやパラメータ範囲を無視し,適切な判断を誤った)設計による失敗事例は枚挙に暇がありません.私もこの意味で溺れたことがあります.
3.高周波2次不安定の励起
さて,私が溺れた経験について書きましょう.私は壁乱流が生まれる遷移過程に興味をもち,まず,平面ポアズイユ流の線形安定性と非線形の亜臨界不安定性について,T-S波の挙動に焦点を合せた実験を行い,論文[1]にまとめました.そして,T-S波が壁乱流へ導く遷移機構を明らかにするために遷移後期段階の流れを調べようと種々模索していました.Klebanoffら[2]は境界層の乱流遷移を特徴づける流れの構造としてヘアピン渦を実験的に捉え,ヘアピン渦が次々発生すると一気に流れは乱流に遷移すると結論していたのですが,壁乱流への遷移においてヘアピン渦が具体的にどのように寄与しているかについてその論文はほとんど何も明らかにしていなかったので,私には大いに不満でありました.なぜなら,壁乱流の大きな特長として乱れの生成が壁のごく近傍で最大になるのに対し,Klebanoffらは壁から離れたところで生まれたヘアピン渦が外層に移動して主流速度で流下することを示しただけで,壁近くの流れの様子を明らかにしていなかったのです.しかも当時はヘアピン渦の発生機構についても実験・理論両面からいろいろな議論があって,意見が大きく分かれていたのです.その理由の一つは,ヘアピン渦が発生する段階になるとそれまでほぼ周期的であった流れが(残留乱れが増幅されることにより)不規則化し,流れの構造・挙動を詳細に捉えることが困難になることでありました.
そこで私は次のように考えました.私たちの平面ポアズイユ流の残留乱れは0.05 %程度と小さい.だから,ヘアピン渦の発生を周期的な撹乱で人為的に制御すれば不規則化を抑制でき,遷移後期段階を詳しく観察できる道が開ける,と期待したのです.実際,リボン振動法で導入されたT-S波が3次元的に成長(2次不安定)し,その周期ごとにデルタ翼に似た形状の内部せん断層(高せん断層とよぶ)をつくり,高せん断層からヘアピン渦が発生する流れの状態を実現することに成功しました.この高周波2次不安定は変曲点型速度分布(高せん断層)に由来しケルビン・ヘルムホルツ不安定と同質であると判断し,噴流・後流・混合層の場合と同様に,周期的な音波によってヘアピン渦の発生を制御できると考えました.そして平面ポアズイユ流装置下流端に置いたスピーカーから(ヘアピン渦と同じ周波数の)音波を放射しました.ヘアピン渦が自然に発生する少し前の段階の高せん断層を音波で刺激したのです.ところが,その結果は予想に反するもので,音波がしっかり高せん断層を刺激しているにもかかわらず,ヘアピン渦の発生に導く制御はできず,実験は完全な失敗であったのです.
この失敗は全く私の無知によるものでした.すぐに気がついたのは,周波数が同じでも波長は異なるという点です.音波の伝播速度(音速)は常温で340
m/s程度,一方,高周波2次不安定波の位相速度は基本流の最大速度10 m/s(実験条件)よりも小さいので,周波数が同じ場合,音波の波長は高周波2次不安定波の少なくとも34倍はあることになります.このような波長のミスマッチがあれば撹乱が励起されないのは当然と言えます.なぜこの点にはじめから気づかなかったのでしょうか.それは,スピーカー(からの音波)による不安定波の励起が後流の遷移の実験[3]で成功していたので,私の実験でも当然励起されるものとあたまから信じ込み,励起のメカニズムについてよく考えていなかったからであります.つまり成功例の重要ポイントを見抜けずに溺れた失敗であったのです.
この失敗がきっかけで新しい研究(受容性に関する研究)を始めることになりますが,それについて述べる前に,高周波2次不安定の研究についてもう少し続けます.前述の通り,高周波2次不安定波を人為的に励起するには波長もマッチさせる必要があります.具体的な方法として,高せん断層の直下のチャンネル下壁に小さなオリフィス(小穴)をあけ,それとスピーカーをパイプで接続するシステムを用意しました.このシステムの狙いは,スピーカーを正弦波信号で駆動すると,オリフィスから音波が放射されると同時に空気が出入し,その結果として所望の波長をもつ渦度撹乱がつくられる点であり,確かに所望の撹乱が高せん断層に導入され,高周波2次不安定を見事に励起することができました.失敗の原因を考察することによって極めて有効な撹乱導入法を開発することができ,その手法によって周期性を維持しつつ発達する高周波2次不安定の流れ場が実現できたのでした.そしてタイミングよく,Klebanoff先生が研究室を訪問くださるという幸運に恵まれ,高周波2次不安定を人為的に制御した流れを2時間にわたって観察しながらヘアピン渦の発生機構について議論することができ,大きな収穫が得られました.いい機会ですから,その当時(1978年)Klebanoff先生がヘアピン渦をどう位置づけておられたかについて書いておきましょう.先生は研究室の窓から見える建物の壁を指差して「あの壁に沿って乱流斑点が成長するとしよう.乱流斑点は寸法を増し,いくらでも大きくなるが,その成長の鍵を握るのは次々に生まれるヘアピン渦である.乱流斑点は壁乱流の基本要素としてのヘアピン渦の生成によって維持されている」と,ヘアピン渦の重要性を強調されました.
ヘアピン渦を周期的に発生させる制御に成功し,壁乱流構造が現れるまでの遷移過程を熱線で捉えることができるようになって,私たちの研究は大いに進展しました.ここでは,そのことよりも,失敗がきっかけで始めた一連の研究について述べましょう.
4.受容性の問題,流れの制御
T-S波の増幅から壁乱流構造の生成に至る遷移過程の第1段階はそのT-S波が外乱(自由流乱れや音波)から励起されるプロセスであります.外乱の位相速度や波長は一般にT-S波とは異なり,私の失敗が示すように,必ず励起されるとは限りません.遷移を予知するにはその励起条件と励起波の強さについてよく知る必要がありますが,この問題は既に1969年に
Morkovin[4]が受容性(receptivity)の問題として強調し,重要性を訴えていました(なお用語receptivityは,外乱が流れに受容されT-S波などの固有撹乱が生まれるという解釈に基づく).しかし,失敗を契機に私が研究の必要性を強く認識した時点では,未開拓に近い状態にありました.そこで私はMorkovin先生に共同研究を申し入れました.そして,イリノイ工科大学に出張し,1980年8月から約20ヶ月間,Morkovin先生のもとでこの問題を実験的に研究する機会を得ました.
受容性の概念そのものは単純明解です.まず非同次線形常微分方程式で説明しましょう.この場合,解は非同次微分方程式の一つの特解と,同次微分方程式の各基本解に定数を乗じ線形結合したものとの和で表され,定数は初期条件(境界条件)を満たすように決定されますが,この基本解が励起T-S波に対応するわけです.微小変動の支配方程式は実際には線形偏微分方程式ですが,その境界条件が(外乱の存在によって)非同次の形をとる場合,特解だけではなく(全領域の境界条件を満たすために,一般的には)固有値問題の解が必要となりますが,この固有値問題の解が励起T-S波に対応するわけです.概念的にはこのように単純で,外乱があればT-S波が励起されるはず,と言えることになります.しかし,励起のメカニズムは,このような議論からは見えてきません.
事実,遷移の予測に必要な,流れ(渦度場)と外乱の組み合わせについて受容性の強弱などを判断することは,焦点をどこに合して考えてよいかわからず,厄介でありました(私がこの問題に取り組んだ頃は数値計算も手軽にできる状況にはなかった).実験的に調べる場合にも,どのような視点から捉えてよいかわからなかったのです.私は,主流乱れが0.1%の風洞でT-S波の観察ができるか調べる必要がありましたので,まず,先述のオリフィスとスピーカーからなるシステムで実験しました.そして,高周波2次不安定波の励起実験の時に波長のマッチングについて考えていましたので,すぐに次の点に気づきました.すなわち,このシステムによる(その上流域を含むオリフィスまわりの)変動圧力場(のフーリエ変換)がT-S波の波長スケールを含み,そのスケールの振動ストークス層からT-S波が生まれるように見えたのです.この点を確かめるために,次にどのような実験をすればよいかMorkovin先生と検討しました.その結果,境界層の外に置いた(静圧管によく似た)管のオリフィスから音波を放射し,T-S波のスケールを含む変動圧力場を境界層壁につくるという外乱条件下でT-S波が励起できるかどうか,見ることにしました.この試みは見事に成功しました.そして,変動圧力場に焦点を合せて受容性(励起のメカニズム)を考察する論文がまとまりました[5].この論文は私たちが得た知識をもとに過去の関連する実験結果を考察し解釈する部分も含み,かなり長編となりました.Morkovin先生の鋭い思考と粘り強い姿勢に感動しつつ研究をすすめることができ,実にありがたい経験でした.
翼前縁や後縁あるいは剥離点近傍のように圧力や速度の空間変化が激しい流れ場においては,外乱による渦度場もそのスケールに強く支配され,波長のマッチングは容易で,外乱は効率的に受容されることになります.剥離せん断層において不安定波が成長し一気に孤立渦ができる現象は,剥離点近傍の流れの受容性が強いからであります.私はこの点に着目し,剥離せん断層の不安定性を利用して音波で強い孤立渦をつくり,翼の失速を抑制できることを実証しています[6].渦が絡む流れの制御では,現象の鍵を握る渦度場と受容性に目を向け,物体面上の境界条件を工夫することが大切です.柔毛による空力騒音の抑制の研究[7]や超音速キャビティ流の振動機構に関する研究[8]もこのような点に焦点を絞って考察し,成果が得られた研究であります.
5.むすび
超音速混合・燃焼の促進制御に関する研究も含め,私が今も続けている乱流遷移,受容性,流れの制御に関する研究は,鍵となるメカニズムを探る楽しみがその原動力でありますが,もう一つは,それを知ることの大切さが失敗を通して骨身にしみたことが大きいと思います.私にとって,まさに,かけがえの無い失敗であったのです.流れはその魅力的な多様性と意外性でもって,実験家一人ひとりに,かけがえの無い経験を用意しているように見えます.若い人はそれを決して見逃さず,大いに実験を楽しんでください.
引用文献
[1] Nishioka, M., Iida, S. and Ichikawa, Y.: An Experimental
Investigation of the Stability of Plane Poiseuille Flow, J.
Fluid Mech. 72, 731-751(1975).
[2] Klebanoff, P. S., Tidstrom, K. D. and Sargent, L. M.: Three-Dimensional
Nature of Boundary- Layer Transition, J. Fluid Mech. 11, 321-352(1962).
[3] Sato, H. and Kuriki, K.: The Mechanism of Transition in
the Wake of a Thin Flat Plate Placed Parallel to a Uniform
Flow, J. Fluid Mech. 12, 1-34(1961).
[4] Morkovin, M. V.: Critical Evaluation of Transition from
Laminar to Turbulent Shear Layers with Emphasis on Hypersonically
Traveling Bodies, AFFDL-TR-68-149 (1969).
[5] Nishioka, M. and Morkovin, M. V.: Boundary Layer Receptivity
to Unsteady Pressure Gradients, Experiments and Overview, J.
Fluid Mech. 171, 219-261(1986).
[6] Nishioka, M., Asai, M. and Yoshida, S.: Control of Flow
Separation by Acoustic Excitation, AIAA Journal 28, 1909-1915(1990).
[7] 西岡通男: 柔毛を用いた空力騒音の抑制手法, 日本航空宇宙学会誌48, 175-179(2000).
[8] 浅井智広, 西岡通男: 超音速キャビティ流の振動機構に関する理論的研究,日本流体力学会誌 22, 147-156(2003). |