2002.4月-NO.40-1
(1)トピックス
     色素を用いて圧力をはかる −感圧塗料− 
     浅井圭介(航空宇宙技術研究所)

(2)第79期流体工学部門講演会の概要
     実行委員会委員長 南部健一(東北大)


(3)第1回「流れの夢コンテスト」開催にあたって
     第1回流れの夢コンテスト実行委員長 平原裕行(埼玉大)

(4)関西支部流体工学懇話会(発足前後の私的な回想)
     東恒雄(大阪市立大)


(5)会告
     第8回流れと遊ぶアイデアコンテスト 
(6)報告
     第79期各委員会からの報告

(1)トピックス

浅井圭介(航空宇宙技術研究所)


浅井圭介
(航空宇宙技術研究所)

1.はじめに

 機械工学の真髄はモノの設計である.これが,航空機やエンジンなどの流体機械の設計となると,見えない媒体を相手にするという困難が伴う.従来,流体設計者は,風洞実験で,電子式・半導体式のセンサを利用し,針で突っつくように,流れの状態を調べていた.しかし,このような点計測から,流れ場全体を知ることは難しく,設計には経験や直感に頼らざるを得ないところが多かった.
 
近年,空気流中の物体表面の圧力分布を,光学的に計測する技術に注目が集まっている.この技術は,感圧塗料(Pressure-Sensitive Paint,以下PSP)と呼ばれるもので,蛍光やりん光などのルミネッセンスを発する色素を塗料に含ませ,塗膜表面の発光強度の分布から圧力を計測しようというものである.


図1 図1

例えば,図1に示すような計測システムを考える.PSPを塗布した模型を紫外線ランプやLEDで励起し,そのときのPSPのルミネッセンスをCCDカメラで計測する.得られた画像をコンピュータで処理すれば,物体上の圧力分布をイメージとして可視化することができる.

このように,PSPを用いると,圧力孔の加工や複雑な配線や配管なしで,面圧力が容易に計測できる.PSPの空間分解能は数十ミクロンと言われ,センサの設置が難しい細かな部分の局所的な圧力を計測することも可能である.また,PSPは非接触の計測技術であるから,これまで困難とされていた,高速で回転するジェットエンジンの圧縮機ブレードの表面圧を計測することも容易である.

開発から10年がたち,PSPは様々な分野で使われるようになってきた.本稿では,航技研で行われてきた研究を例に,PSPの原理と風洞実験への適用法について述べる.合わせて,極限環境に適用できる新しいPSPに関する最近の話題を紹介する.

2.感圧塗料の原理

 PSPによる圧力測定の原理は,センサとなる色素の発するルミネッセンスが,空気中の酸素分子によって消光を受ける現象に基づいている.色素が紫外線などの照射を受けると,光のエネルギを吸収して励起状態に遷移する.通常,光励起された分子は,蛍光やりん光などの光,つまり,ルミネッセンスを放射してもとの基底状態にもどる.しかし,光励起状態にある分子の周りに酸素分子が存在すると,励起エネルギが酸素分子に奪われ,ルミネッセンスの強度が減少する.この現象は酸素消光(Oxygen Quenching)と呼ばれ,理論的には,以下の,スターン・ボルマーの関係式(SV式)で記述される.

ここで,I. と I は,それぞれ,酸素分子が存在しないとき(真空状態)とするときのルミネッセンスの強度,[O2]は酸素濃度を示す.係数Ksvはスタン・ボルマー定数と呼ばれ,消光速度を表す指標である.SV式より,色素の発光は,真空状態で強く,一方,酸素濃度が21%の大気圧状態では弱くなる.つまり,PSPに含まれる色素は,周囲の圧力に応じて発光強度を変えるので,発光強度の計測値から圧力を求めることができる.これが,PSPの原理である.

3.感圧塗料による風洞実験

 一般に,PSPに使われる化合物は,ポルフィリン,フタロシアニンなどの複素環式化合物,ルテニウムやオスミウムなどの遷移金属錯体,ピレンやペリレンなどの多環式芳香族炭化水素に分類できる(図2).このうち,PSPによく用いられるのは,白金ポルフィリン,バソフェナンスロリン・ルテニウム,ピレンの3種類である.これらの感圧分子を固定するバインダには,一般に,ポリジメチルシロキサン(PDMS)や常温硬化型シリコンゴム(RTV)などの高酸素透過性ポリマが用いられる.これらのポリマに色素を溶解したものを,エアガンで塗装すれば,厚さ数〜数十ミクロンの均一な皮膜が形成される.

図2 図2

PSPを用いた実験には,コンピュータによる画像処理が不可欠である.データ処理の一連の流れを図3に示す.一般に,PSPの実験では,実験ケース毎に2枚の画像を撮影する.1枚は風洞が停止したときの(一様圧力下における)画像で,他方は通風時の画像である.ピクセル毎に両者の比を取ると,先に登場したSV式から圧力分布画像が求められる.基本的な処理手順はこれだけであるが,精度の高い計測を行おうとすると,より細かな処理が求められる.例えば,画像間に生じるピクセルのずれは大きな圧力の誤差を招くので,座標変換(アフィン変換など)によって2枚の画像の位置を補正するという操作を行わなくてはならない.一方,PSPの発光強度の温度による変化も大きな圧力誤差となるので,物体上の温度場を,例えば,温度に感応する感温塗料(TSP)を用いて計測し,PSPの発光量を補正しなければならない.このような点に注意を払えば,最高で0.5kPa程度の絶対精度が得られる.

図3 図3

図4に,これまで航技研の大型風洞で行われた実験例を示す.左上は,H−II ロケット先頭部,右上は,超音速実験機NEXSTの翼下面,右下は,ビジネスジェット機の主翼上面の圧力分布のPSP画像である.このうち,NEXSTの風洞実験はマッハ数2における実験結果であり,エンジンナセルから放射される圧力波が干渉して複雑な圧力場を形成しているのがわかる.このような細かな流れ構造は,従来の方法では決して見ることはできなかったものである.

図4 図4

現在のところ,PSPの適用範囲は,真空から2気圧程度まで,圧力変化の大きい高亜音速から超音速の実験に最も適している.速度の小さい領域では,圧力変化による信号がノイズと同レベルになり,計測が困難になる.一方,より速度の大きな領域では,空力加熱による温度変化によって誤差が増大する.PSPの特性を改善するための研究は,現在も精力的に行われており,PSPの適用範囲はさらに拡大すると思われる.

4.PSPによる極限流体現象の計測

 以上,概観してきた通り,PSPは既に実用化段階にあると言える.しかし,色素分子をセンサとして使うPSPの概念には,未開拓の領域がたくさん残されている.化学物質が持つ機能の多様性を利用すれば,従来は不可能と考えられていた計測も行い得ると考えられる.つまり,PSPに代表される「機能性分子センサ」には,流体実験の方法を革新するだけのポテンシャルが内在している.

このような認識のもとに,航技研では,1999年に産官学の研究者と協力して,「機能性分子による熱流体センシング技術の研究開発(通称MOSAICプロジェクト)」を立ち上げた.これは,機能性化学,光計測,画像処理,熱流体の4つの異なる分野の研究者が集まり,熱流体実験を革新する新しい概念のセンサ技術を開発することを目的とした学際研究プロジェクトである(図5).

図5 図5

現在,このプロジェクトでは,従来の技術では計測が困難だった,以下の3つの極限流体現象を対象に研究を行っている.

1) 高マッハ数流れ

 宇宙往還機などの設計では,マッハ数5を越える極超音速における流体現象の解明が重要である.このような流れの実験は,衝撃風洞やルートビーク管によって発生できる超高速気流を用いて行われているが,持続時間が数ミリ秒と極めて短いため,使用できる計測手法はきわめて限られたものだった.私たちが開発した「色素吸着型PSP」は,多孔性の陽極酸化アルミナ表面にセンサ分子となる色素を物理または化学的に吸着させたもので,酸素分子との反応速度が極めて速いという特徴を持つ(応答時間数〜数十マイクロ秒).これまで,このPSPを用いて,マッハ数10の衝撃風洞気流中におかれた物体上の圧力分布(図6中央)や,衝撃波管を移動する衝撃波と物体の干渉による過渡的な圧力分布(図7)などが計測されている.現在,マイクロ秒を切る応答時間を有する超高速感圧コーティングの開発が進められており,これに成功すれば,高速で運動する物体上の変動圧力場の計測も不可能ではなくなる.

(2)高レイノルズ数流れ

 ジャンボジェットの巡航時のレイノルズ数は約 ,通常の風洞試験で再現できる値より1ケタ以上大きい.遷音速において,このような高いレイノルズ数を出せるのは,「低温風洞」だけである.低温風洞の作動気体は摂氏マイナス183度の窒素ガス,冷却による密度の増加と粘性の減少の効果が相乗して,レイノルズ数は常温風洞の場合の約7倍に増加する.欧米には,低温原理に基づく大型の低温風洞が存在し,大型輸送機の実機レイノルズ数が再現できる.一般に,PSPは,温度が下がると酸素感度が著しく低下する.そこで,私たちが注目したのが,分子状の軽石と呼ばれる多孔性高分子「トリメチルシリルプロピン(PTMSP)」である.この高分子は,1983年に我が国で初めて合成された機能性高分子で,現在,気体透過性のチャンピオンデータ(ポリジメチルシロキサンの約10倍)を保持している.図6中央は,白金ポルフィリンを分散したPTMSP膜を用いて,摂氏マイナス173度の低温気流中で計測したデルタ翼の圧力分布画像である.前縁渦による低圧域がはっきりと見てとれる.現在,大型低温風洞での実用化を目指して,PTMSP膜の感度と安定性をさらに向上するための研究が行われている.

(3)高クヌッセン数流れ

 圧力を大気圧から極端に減少してゆくと,気体分子の平均自由行程が物体の代表スケールより大きくなり,気体の流れはもはや連続流として扱えなくなる.同様の状況では,物体のスケールが極端に小さなマイクロ流れでも起こる.このような高クヌッセン数流れの研究は,理論的には進んでいるが,検証のための実験データは極めて少ない.現在,分子センサを希薄流の計測に用いる試みが,名古屋大学のチームによって進められている.図6右は,内圧が1トール(大気圧の0.13%)の真空チャンバに置かれた平板に希薄超音速噴流が衝突したときの圧力分布を,PTMSP膜を用いて計測した画像である.このような実験は,まだ始まったばかりであるが,低圧用のPSP技術が完成すれば,理論検証のためだけでなく,たとえば,ハードディスクのヘッドまわりの流れ場を計測するのにも活用できると思われる.

図6  図6

図7  図7

5.今後の展開

 開発から10年がたち,感圧塗料の基礎はほぼ確立したと言える.航空宇宙分野を中心に,今後もその実用化が進むだろう.一方で,最近の,特殊環境で利用できる新しい感圧塗料の登場により,従来は困難とされていた流体現象の計測が行えるようになってきた.色素分子の機能の多様性を利用すれば,様々な流体の計測が行えるに違いない.

機械工学の立場で,開発が期待されるのは,

− 遅い流れに使用できる超高感度の圧力センサ
− 水中でも使える酸素消光によらない圧力センサ
− 単一膜で圧力と温度を同時計測する複合機能センサ

などである.機能性化学など他分野の専門家との学際的な協力が進めば,このようなセンサが実現するのも,遠い将来のことではないだろう.感圧塗料技術のさらなる発展に期待したい.

参考文献

浅井,可視化情報学会誌 18(69) 1998.4 pp.1-7

"特集 PSP技術の新展開," 可視化情報学会誌 21(83) 2001.10 pp.203-245

MOSAIC 計画Home Page: http://www.nal.go.jp/fluid/jpn/mosaic/index.html