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就職活動を終えて

東北学院大学大学院工学研究科
機械工学専攻 修士2年 熊谷 健

 「人年には大きなイベントが二つある。一つは就職でもう一つは結婚である。」この言葉は我が指導教授が、就職活動まっただ中の私たちに幾度となく、聞かせてくれた言葉である。終身雇用制がくずれ、一度や二度の離婚もそう珍しくもない時代になった昨今、この言葉の持つ重みも昔ほどのものではないと考えていた。新聞ではリストラや雇用の問題が紙面をにぎわし、テレビのワイドショーでは、芸能人の離婚話がトップニュースを飾る毎日である。就職や結婚といった問題を直接自分のものとして考えるには、あまりにも現実昧に欠けた日常生活に慣れすぎていたように思う。
 ちょうど昨年の今頃、第一回目の院生を対象にした就職説明会が開かれた。そこでは、超氷河期といわれた昨年度の院生に対する求人情報や就職状況が報告され、院生といえど決して安心できない状況であること、場合によっては学部生よりも厳しいこともあるということを、およそ一時間近くにわたって説明を受けた。当初、学校推薦で就職を決めようと考えていた私は、この話を他人事のように聞いていた。学校推薦によって、意中の企業に確実に就職できる自信があったからである。この時点の私にとって、新聞の紙面をにぎわす就職関係の記事やテレビのニュースなどは、別世界の出来事でしかなかったのである。
 したがって、初期の私の就職活動というのは、お世辞にも他人に自慢できるような立派なものではなかった。資料請求のはがきを送る際も、業種の絞り込みなど充分に行わなかったし、はがきの数も“どうせ入社する会社は一社なのだからそんなに数を出してもしょうがない”ということで、十枚前後しか出さなかった。しかしこれでも、私の当初の思惑通り事が進んでいたのなら、何の苦労もなく就職活動が終わっていたのかもしれない。ところが4月になって思いもかけなかった出来事が起こったのである。
 県内の主要企業が集まる合同企業セミナーに参加したときのことである。私は学校推薦での就職を狙っていた企業のブースで、人事の方と話をするのを待っていた。長い待ち時間の後、ようやく私の順番となったのだが、学校名と学部が書かれたカード差し出したとたん、人事担当の方から“今年度そちらの大学の機械科から採用する予定はない”というようなことを言われたのである。
 予想だにしていなかった事の成り行きに、私は目の前が真っ暗になる思いがした。学校推薦獲得に対する絶大な自信から、万が一の時のことなど考えもしていなかったからである。そして、十数枚しか資料請求はがきを出さなかったことを後悔するとともに、そのとき初めて、私は自分の就職に対する考えが非常に甘く、現実というものを直視していなかったことに気が付いたのである。
 このような経緯のもと、私の本当の就職活動は5月に入ってから始まった。幸いにも、就職係の先生方のご指導や友人からの助言もあり、失敗を重ねながらも何とか7月の上旬には、自分自身納得のいく形で内内定を手にすることができた。もし、あのまま何も考えず楽な道を選んでいたなら、きっと今頃自分の選択が本当に正しかったのか悩んでいたに違いないと思う。就職活動を終えた今、心の底から感じるのは“就職とは自分自身の頭で考え・悩み・自分自身の足で動き回った者のみが、納得のいく結果を得ることのできる人生の一大イベントである”ということである。


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