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一関工業高等専門学校
機械工学科 5年  加賀谷 靖之

 突然ではありますが、私は何不自由なく学生生活をおくる一介の男子高専生である。今このような機関誌の存在を知らなかった私は、この原稿の依頼を受け、『この文才の全くない私が・・・』とパニックを起こしながらも過去の『Compass』を読みあさっているわけである。一通り目を通してみたところ、研修会やロボコンといった私には縁遠い話題が多く、しかも『あなた方は本当に工学系の人達なのか!?』と思ってしまう程のすばらしい文章ばかリであった。さっきにも増してパニックの極限へと陥った私は、原稿依頼の、『御自由に御執筆くださって結構です。』という一部分にとてつもなく大きく不思議な安心感を持つと同時に、本当に好き勝手なことを書いていいものだろうか、これがあまりにも好き勝手すぎて掲載されなかたらどうしたものかなどという迷いを生じつつ、自らが選んだ自由なテーマで書くべくワープロのキーをたたいている・・・。
 平成3年、春、私は一関高専機械工学科に入学したわけである。私が、”今思えばとても若かった”中学生の頃、この学校を受験しようと決心した(それ程大袈裟なことでもないが)理由は、もちろん『高専』『機械工学科』という名前に、”カッコいいかもしれない”という単純な魅力を感じだからであり、自分の成績と実力からみてこの辺りが妥当だろうという『エンジニアとしての将来を夢見る若者』とは決して思えないものであった。しかし、一見、先の事も考えず、ただ毎日を過ごし、人生というものに希望を持つわけでもない謂わば、”昔の人”の言うところの『近頃の若いモン』的存在”のような”私でも、新入生として多少期待はして入学したつもリである。ここで何を期待してきたのかという質問をされてしまうと、それは答えることができなく、やはリ私は『近頃の・・・』なのであろうかということになってしまうのである・・・。そんな私のような新入生が40数名、同じ年の春、一つの教室に集結したのである。
 それでも、全く夢も希望もなかったというわけでもない。入学する前は機械工学というものに中学生なりに、ロボットを作ったり、動かしたり、パソコンをカチャカチャいじったりできるという、一種の憧れのようなものを抱いていたわけである。ところが、実際の授業はというと、その頃の自分にとっては思ったよリ地味なもので、当初の憧れ的なものの形というものが崩れていったような気がした。4年も前はそんなことを考えていたのかと思うと、また、”あの頃は若かった”などと19才の私が思うのである。
 入学してそこそこ勉強していたものの、いまいち機械工学というものに興味を持つことが出来なかった私は、クラブ活動のテニスに燃えはじめた。中学時代の機械工学というものへの単純で子供っぽい憧れは、テニスに熱中することによリ完全に姿を消してしまった。それ程までにテニスぱかリやっていたわたしは、”プロになる”などという無謀な計画をたてた時期もあったくらいです。しかし、高学年になるにつれ専門科目の授業が増え専門分野にかかわることが多くなると、今度は、中学時代とはまた違ったはっきりとした憧れというか目標のようなものがみえてきた。私は、入学する時から高専を卒業したら、大学へ進学したいと思っていた。何の目的もなく、将来についての考えもなく・・・。それが、機械という路に進んだのだから、できるなら、専門的な知識を増やしたい、そのためには勉強する場所と時間が必要であり、それなら大学へ進学するしかないと『勉強して知るよろこびを知っていても勉強というものは楽ではなく、実際勉強など好きな人がいるわけがない。もちろん自分も嫌いである。』と日々思っている私が考えたのである。いままでテニスにむけられていた集中力などというものは、そう思って以来、勉強することにむけられ、成績も上がっていった。かといってテニスをやめた洲でもなく・それどころか更に上達してきたと思っている。今でもテニスヘの熱は冷めていない。
 こういった感じで、”若い頃”とは違う自分が夜明けをむかえよつとしているころ、同じ年の春に、集結したクラスメイトの中には、ある者はアルバイトに、そしてまたある者は・・・・。等々、自らの得意分野に精を出し、失礼な言い方ではあるかもしれないが、決して”勉学”などというものに励んでいるとは(自分も人のことをいえる程勉強していないが)感じられなかった。そんな時、この人達はいったい何を考えているのだろうか、まったく『近頃の若いモンは』と、ついこの間まで『近頃・・・』であった私が思うのである。いわゆる”昔の人”とは全く違った考えなのかもしれないが・・・。
 そんなこなで、一関高専で『夢のような?』学生生活をおくり、今はもう5年生になリ進路も決まったわけである。
 そして、入学する時ただの”子供”だった私は、5年たった今、少しは大人になれたと思っているわけである。この文を読んで皆さんは私が何を言わんとしているのか理解できないだろう。それどころかはじめから読む気にもなれない悪文だと言う人もいるだろう。それでも私と同じ事を思い、感じ、学生生活をおくってきて、この私の駄文に共感してくれる人がいてくれることを願っている。


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