目次へ戻る   前のページ   次のページ


夢は鈴鹿へ

日本大学工学部
機械工学科2年 金崎 智穂

 小さな頃から飛行機やロボットが好きで、自分にはここしかないと思って機械科に入ったものの、機械に関する知識はゼロ、どころかマイナスから始まったような私でした。そして今そんな私が全情熱と精力を注いでいるのが「機械研究会」なるサークル活動です。機械研究、といっても堅苦しいものではなく、省エネルギーカーを制作して毎年鈴鹿サーキットで行われるマイレッジ・マラソンに出場するのが主な活動内容です。
 入部当初は「創部40年来初の女子部員だが、いつまでもつか。」などと言われましたが、毎日毎日部室に通い、見るのも触れるのも初めてだっを少しずついじらせてもらえるようになっていきました。
 ところが入部して1ヵ月程だった頃、山形で行われたエコノパワー記録会で、体重の軽さを買われてドライバーを任されていた私は、本番1周目の最初のコーナーでいきなりクラッシュしてしまったのです。原因は下り坂でのスピードの出し過ぎ。先輩違に期待されているんだとすっかり舞い上がっていたのに、自分の考えの甘さと未熟さに打ちのめされ、しばらくは立ち上がれずにいました。
 その時私を浮上させてくれたのは、私が最も尊敬し信頼していた先輩の「記録を狙うのは3年後でいい。こんなに頑張っているお前がやっていけないはずがない。」という言葉でした。そして私は、皆の、そして何より自分自身の期待に応えるためにも、全力で鈴鹿を目指す決心をしたのです。
 1年生の夏休みには帰省もせずに部室にこもり、黙々とエンジンを組みました。いったい何が楽しいのかと問われたこともありますが、ものを作ることが大好きな私にとって、初めて自分が組み上げたエンジンがかかった時の感動は、「やはり自分はいるべくしてここにいるんだ。」と再確認してしまうほど、強くて深いものだったのです。
 夏が終わると有無を言わさぬ早さで時が過ぎて行き、鈴鹿が目前に迫ると連日夜中の3時過ぎまで作業しました。部屋が狭くて作業は外で行われるため、11月の寒さの中、思うように作動してくれない省エネルギーカーの傍で凍えながら朝を迎えてしまったことも何度もあります。そうして94年度の鈴鹿で出した記録は、1号車の『レイピア」が310km/L、私が乗った2号車の「Vertex」が334km/Lと、全国的に見れば大したことはありませんが、我が部にとっては300km/Lの壁を越えた史上最高配録となりました。
 もちろん、私達はこれで満足したりはしません。今は、歴代の先輩方が残していった研究の成果がようやく実を結ぶ最も大切で幸運な時期なのです。今年は3年生がいないため、2年生の私達が活動の中心となりました。私はリヤアームの担当となり、試行錯誤を繰り返し、約1年かけて作り上げました。最大の改良点はギヤ比を大きくして加速重視にしたことです。自分のやったことが正しいのかどうか、まだ結果は出ていませんが、95年度マイレッジ・マラソンまであと10日あまり。今まで頑張ってきた皆と自分の、血と汗と涙と青春を乗せて、私は走ります。

平成7年10月24日



目次へ戻る   前のページ   次のページ