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 1992年 ロボットコンテスト

 宮城工業高等専門学校
 機械工学科2専門 高橋 健一

 今年のロボットコンテストは例年にもましてハイレベルな戦いで我々宮城高専テームはかなりの苦戦を強いられました。
 昨年は、2台のロボットが共に一回戦敗退という屈辱を浴び、今年はその雪辱戦とも言うべき戦いでした。しかしながら最初の製作段階においてのスタッフの人数はたったの3人でした。ロボットコンテストに対する関心の低さがもろに影響し、アイデアはなんとか3人で考えたものの、実際、加工段階においてこんなに苦労するとは夢にも思いませんでした。それでも最終段階には8人の有能なスタッフが揃い、旋盤、フライス盤、NCフライスを加工精度は悪いものの使いきることができました。しかし、8人のスタッフの中で4年生以下の下級生はたった1人で、加工上でのノウハウやギア比など聞いてしまえぱすぐに解ることも教えられず、来年の為に何も残せないのが一番辛い点でした。
 苦労話はさておきコンテストでは、他の高専の完成度の高さに驚かせられました。まさかと思うようなバレーボール16個捨い上げやプロペラを使用して揚力を利用したものなどすぱらしいものばかりで、自分達の作ったロボットが妙に華車で悪い点はかりが目についたことを思い出します。
 一回戦は鶴岡高専で高得点は取れないもののロボットの完成度そしてキャラクターの可愛さは、アイデア賞狙いと容易に推測可能で、私達宮城高専もまたアイデア賞狙いだった為、最高のカードと思いスタッフー同燃えに燃えましたが、蓋をあけてみるとギアボックストラブルでの無念の一回戦敗退となり、去年の雪辱を果たすことはできませんでした。
 コンテスト終了後、ああすれぱ良かった、ここをこうすればと後悔だけが残り、納得のいかない後味の悪い結果となってしまいました。私達がやってきたこと、そして、ロボットの機構には一遍の後悔もなく、正解も不正解も何もない状態からここまでできたのを誇りに思い、零からの出発がいかに難しく、また、いかに不安かを体験でき、今後技術者と成るべき我々にとって多くのプラスになったと思います。これまでご指導くださった方々に心から感謝します。


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