No.182 体験と考える力,創造する力
2019年度編修理事 中村 正行[信州大学 教授]
JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。本会理事が交代で一年間を通して執筆します。
2019年度(第97期)編修理事
中村 正行[信州大学 教授]
高等学校学習指導要領の国語の科目再編が行われる.2022年度より現行の選択科目5科目が,論理的な思考力を育成する「論理国語」と感性を育てる「文学国語」,そのほか「国語表現」「古典探究」の4科目の選択科目に再編される.再編の目的の一つは,技術文書や学術論文などの実用的な文章を読み書きできる能力を育てるというもので,理数科目の学習能力向上にもかかわる.AI翻訳(ニューラル機械翻訳)の進展はめざましく,論理的文章であればいずれは高い精度で翻訳が可能になるに違いない.“Fig.”を“イチジク。”と誤訳する程度はすぐに改善される.一方で,感性の領域の表現は,理解や共感を得るには豊かな体験と想像する力が必要である.未来を創造・想像する力は,論理的思考力だけではなく,豊かな体験に基づいた感性によるところが大きいのではないだろうか.また,日本語で思考するには,表音文字より,象形文字の方が形(かたち)から想起される情報もあり,素早く理解できるように思う.
理数教育が推進されているが,学校教育の中で技術教育の時間数は減ってしまっている.もちろん,学校教育のなかで基礎科目として理科や数学の時間数を増やすことは大切である.高学年になって理数科目の理解を進める上では,小中学校の時代に基礎となる実体験が必要である.身の回りには製造物であふれているにもかかわらず,機械の仕組みや製作に触れるような体験の機会が少なくなっている.児童生徒のものづくり体験が不足しているように思う.中学生の技術家庭科の授業でガソリンエンジンの分解組立て・運転の実習を行った記憶がある.ほぼ半世紀も前のことで教育課程もだいぶ変わったとはいえ,今は実習は行わないようで残念である.エネルギー変換の内容であれば,現代ならモーターやハイブリッドシステムかもしれないが,物理現象の応用の実習としてはハードルが高い.VR/ARによるインタラクティブな疑似体験も可能な場合もあるが,すべてを体験することはできない.高学年になれば,文章や図表,写真,動画,Webなどの記録された情報から,経験したことがない事柄の理解を進める能力を高めることが必要である.
今年の「機械の日・機械週間」ジュニア向けイベントとして行われたワークショップの一つに参加させていただいたので,内容を紹介したい.講師はママさん設計者としてメディアでも活躍している女性の設計者で,講座の中で現在の職にいたる過程と日常の仕事内容を説明されていた.キャリア教育の視点からも参加者の反応を見させていただいた.受講者が個々に3D CADを使ってハンドスピナーのデザインを行った.その場でレーザーカッターで加工し,設計データが加工機に渡され加工される様子も見ることができた.3D CADの操作性の良さもさることながら,受講者がデジタル技術を使いデザインから製作までを体験し熱心に取り組んでいる様子は,児童生徒へのものづくり教育の効果を再認識させられた.組立の後,回転の持続時間を競い女子が優勝した.
最近参加したワークショップの一例を紹介させていただいたが,他にも優れた企画がたくさん実施されていると思われる.全国規模のイベントとしては費用対効果の面で難しいかもしれないが,支部や全国各地にある製造業の集積地において,児童生徒を対象として機械技術を幅広く体験できる「ものづくりの祭典」あるいは「機械の祭典」を開催してはどうだろうか.30年近い実績があり全国各地で開催されている「青少年のための科学の祭典」のように,出展者がお互いにテーマ,内容,演示方法,必要機材などの情報交換ができ,来場者に幅広い機械技術を魅力的に伝えられるイベントに発展するのではないだろうか.機械工学にかかわる実務者・実務経験者や研究者に出展していただければ,キャリア教育としても効果が期待できる.ものづくり体験をプリミティブな体験として,児童生徒の機械工学への興味関心・体験を継続することで,理数科目の教育効果も高まるように思う.