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No.181 大学教育の指針を合理的に決めるべきでは?
2019年度企画理事 梅原 徳次[名古屋大学 教授]

JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。本会理事が交代で一年間を通して執筆します。


2019年度(第97期)企画理事
梅原 徳次[名古屋大学 教授]


国立大学の教授をしているが大学教育において考えさせられることが多い。

最近ミシガン大学から来訪された日本人教授の方と話す機会を得た。

米国では博士号取得の学生は、企業に就職しても、課題を分析し、解決策を見いだす能力があるため企業としても、新規分野創出のために必要不可欠と聞く。そのため、給料は高く、学生も企業も満足している。一方、我が国では、博士号を取得しても企業の扱いは修士卒と変わらず、結果、学生も企業も満足した結果にならない。

何故そうなるかを考える。

米国では、子供たちはキャンプに行くためには、キャンププロジェクトを立案し、自ら資金を集めて、キャンプを実行に移すそうだ。あるいは、レモネード売りや洗車をして資金を集める。非常にタフであり、Streetwiseな子供が博士課程に進む。一方、日本ではキャンプは親により企画実行される。そのため、日本の博士課程の学生は貧しくなく、子供の頃から塾に入れられ、受け身であり、自分でプロジェクトを起こす必要が無い。このような危機感の無さが結果的に、起業指向や新規分野開発指向のない無能な博士課程の学生を養成するのではと考える。

日本の大学に問題があるとも言われている。研究成果が中国に抜かれて研究能力が減少している。教育でも企業に有益な博士課程の学生を輩出できていない。同様の傾向にあるのが米国のUCBと聞く。州からの運営費交付金が減り、教員の収入も減り、研究教育成果が落ちていると聞く。一方、同じ米国の州立大学でもミシガン大学などでは、同様に州からの交付金が減ったが授業料を増額することで改善し、UCBを抜く勢いとの事である。UCBはヒッピームーブメント発祥の地で授業料を上げることに抵抗のある教員と大学の体制であり、その結果没落を生む。

一方、日本ではどうかというと、いずれの国立大学も運営費交付金が減り人件費の削減が求められ、しかし、同時に研究成果を上げることが求められている。人件費と運営費の入力は減っても、出力だけは大学の工夫で出すようにと言う、まさに根性論である。合理的に考えれば、入力が減れば出力が減るのが自明である。また、何故授業料を上げられないのかを聞くと、国民の合意が得られないとのことである。ここで、欧州のように教育の無償化を進めるのであれば税率を高くすることが必要であり、米国のように利益者負担とするのであれば、授業料の値上げが必要である。現状は根性論であり、日本国民自体も安心、安全及び教育のすべてが無償で得られるものと考えており、合理的な考えに至っていない。

日本の大学生の英語能力の低迷についても話題が出た。多くの留学生が米国に来るが中国や韓国などにも英語能力では20年は遅れているのだという。日本では小学生にも英語教育を行うことで追いつこうとするが正しい方向なのか。もう少しでITやAIを利用した自動翻訳機が一般的になる。このようなITベースとした新しい英語を使った工学の進め方はないのだろうか? 20年遅れているのだから抜本的な改革を行うチャンスではないのか。

これらの「大学の博士課程」や「大学の経営」や「英語教育」の問題については、既に多くの議論があるが、問題は最終的にどちらの方向に行くかが決定されていない事である。現状では、大学の現場で、根性論で何とかするように求められている。是非、世界の教育事情を見渡した指針を産官学の総意で合理的に提案頂きたい。