No.172 当たり前って当たり前?
2018年度副会長 池田 英人[(株)IHI 主席技監]
JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。本会理事が交代で一年間を通して執筆します。
2018年度(第96期)副会長
池田 英人[(株)IHI 主席技監]
テレビのチャンネルを替えると突然「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と強い口調で怒鳴声が聞こえてくる。ご存知の方も多いと思います、某番組の名台詞です。叱っているのはおかっぱ頭の5歳女児チコちゃんで、叱られているのは大の大人3人。何故、チコちゃんは叱っているのかといえば、日ごろ誰しもが当たり前に思っているだろう事について、その根拠まで突っ込んで聞いてみると答えられなかったからである。
その日のチコちゃんからの質問は「何故、虹は七色なのか?」で、答は「虹の七色とは赤、橙、黄、緑、青、藍、紫を指し、虹は七色だと定義したのはニュートンで、ドレミファソラシドの音階が七音でできているからそれに合わせた」とのこと。
今から40年ほど前、“七色の虹が消えてしまったの♪ シャボン玉のようなあたしの涙♪”から始まる「ラブユー東京」という歌が流行った。これを聞いて育った自分は、虹といえば七色からできていることに何ら疑いの余地も入れず当たり前だと思っていた。一方、理科の実験でプリズムに太陽光を通すと、屈折によって赤色から紫色まで分散されることを学んだが、そのとき七色だと学んだか否かは覚えてない。恐らく高校の物理で、分散された光は連続スペクトルだからきっちり色分けすることなどできないことを学んだのではなかろうか。従って、虹は連続スペクトルであることを知りながらも、七色であることも当たり前に受け入れている自分に違和感を覚える。
虹の七色は万有引力の発見(1665年)で有名なニュートンが定義したという。万有引力の法則は普遍的なものだが、虹の七色は決して普遍的なものではないので、そのアンバランスがなんとも面白い。更に調べていくと、国によって虹色の定義は違うらしい。日本では七色だが、米国やニュートンが生まれた英国では六色が当たり前だという。どうも当たり前の基準は国によっても違うらしい。
このようにたかが虹でも一つの疑問をきっかけに探求していくと新たな発見に出会えるところが面白い。虹以外にも新たな発見を期待して、時間があればチコちゃんから教わるようにしている。
日ごろの当たり前にベテラン技術者が科学的、工学的視点から解説した書き物の一つにIHI技報の中のコラム「箸休め」がある。初版は「お豆腐の話」1)で、これまで船舶や橋梁といった大型鉄鋼構造物を対象に構造解析をされてきたベテラン技術者が、対象を柔らかくて小さいお豆腐に替えて構造力学の視点で解説しているからなかなか興味深い。そのベテラン技術者の疑問は「何故、お豆腐は水槽の中に浸っているのか?」だ。今ではお豆腐と言えばスーパーでパックに入っているものを買う人がほとんどだろうから、設問を聞いてもピンとこない人がいるかも知れない。自分が子供の頃には近所にお豆腐屋さんがあってお鍋を持って買いに行った。するとお豆腐屋さんはお鍋に水を半分入れ、水槽からお豆腐一丁をすくい上げてお鍋に入れてくれる。今では見かけなくなった光景である。
さて、直方体のお豆腐一丁を水槽から取り出してまな板の上に置くとどうなるか。その状態を構造解析すると、お豆腐は自重で型崩れし、真横から見ると上底辺が下底辺より短い左右対称の台形になるとの解が得られた。実際に家でまな板の上にお豆腐一丁を置いて真横から観察すると、微妙だが確かに解析結果通り台形に見える。一方、水槽に浸ったままのお豆腐を構造解析すると、お豆腐の高さ分だけ水圧がお豆腐の側面に掛かるのでお豆腐の型崩れは抑えられるとの解が得られた。町のお豆腐屋さんの水槽はステンレス製なので、中に浸っているお豆腐の形を真横から見ることができないのが残念である。
因みに全国豆腐連合会のホームページ2)を見ると、お豆腐を水槽に浸す理由は製品を冷やすと同時に余分な凝固剤やアクなどを除くためと書かれている。それが主目的だとは思うが、副次的効果があってもいいと思う。普段あまり気に掛けないことでも、ベテラン技術者視点で見るとまったく違った一面が見えてくるところが面白い。
落語の世界では物知りと言えばご隠居と相場が決まっている。長屋の八っつあん、熊さんは好奇心旺盛で、何か分からないことがあればすぐにご隠居に尋ねに行く。するとご隠居は親切丁寧に教えてくれる。
今の時代、もし八っつあん、熊さんのように何か分からないことがあったら誰に尋ねに行くのだろうか。幸い今は誰でもスマホを持っている時代なので、まずは自らその場でスマホ検索するのではなかろうか。大変便利な時代になったと思う。でも誰しもが八っつあん、熊さんのように好奇心旺盛であるとは限らない。もし何ら疑問に思わなければ、今の便利さも新たな発見に出くわす喜びも享受できにくくなる。そうならないように、ボーっと生きないようにしたい。
参考文献
1. https://www.ihi.co.jp/var/ezwebin_site/storage/original/application/4c873517e9fd9398fdf6ce1f161f8da0.pdf
2. http://www.zentoren.jp/knowledge/kind_1.html