環境問題は,古くはロンドンの大気汚染が知られているが,産業革命以後の工業の発展に伴い人体だけでなく経済や社会に害をなすようになり,世界各地において大きな社会問題となった.これらの環境問題は局所的なことが多く,各国において発生した問題を逐次解決することで対応してきた.しかしながら,このように先進国で解決されてきた環境問題は,開発途上国の経済発展の途上で繰り返し発生しており,技術的な解決だけでは対応が難しい状況が続いている.一方,地球温暖化に伴う海面上昇や異常気象,越境する大規模な大気汚染やオゾン層の破壊,広範な海洋汚染や湖川などの水質汚染,さらには動植物の絶滅などは,各国単位での解決は難しく,国際的な枠組みで取り組まれている人類全体に関わる問題となっている.これらの解決には長い道程を必要としている.
我が国の公害対策(1)は,工場地帯において顕在化した大気汚染や水質汚染,廃棄物処理,騒音・振動などに対し対処する形で進められた.高度成長時代においては,政策面から1967年に公害対策基本法が,1968年に大気汚染防止法,騒音規制法が,1970年に水質汚濁防止法が制定され,さらに自然保護と併せ1971年に環境庁が設置された.技術面においてもこの時期に脱硫・脱硝・集塵装置が開発され,「石灰−石こう法排煙脱硫技術」,「アンモニア接触還元法などによる排煙脱硝技術」,「電気集塵技術」などは現在でも世界中で利用されている我が国発の公害対策技術である.オイルショック以降は,産業公害型から都市・生活型の大気汚染が顕在化し,特に自動車の普及による排気ガスの汚染物質の低減が図られた.政策面では1978年に自動車排出ガス規制が実現し,技術面では,米国マスキー法をクリアする低公害なCVCCエンジンをホンダが開発し,低公害車の開発を世界に促すきっかけとなるなど,我が国の環境技術の高さが世界に浸透した.産業面では,省資源・省エネルギーへの取り組みによる環境負荷の低減などの取り組みが本格化した.1980年代後半になると,高度かつ広範な環境対策技術の導入が進み,集中立地型の産業公害は低減し,1987年には公害健康被害の補償等に関する法律による大気汚染の指定は全て解除された.しかしながら,二酸化窒素,浮遊粒子状物質(SPM),光化学オキシダントなどは低減せず,1990年代に入ると自動車排出ガス規制が強化された.以上,我が国の大気汚染対策を主として紹介したが,廃棄物処理や騒音・振動においても精力的に取り組みがなされてきている.また,産業分野における省エネルギー技術も飛躍的に向上し,1974年と1990年では,鉱工業生産指数当たりエネルギー消費原単位が半分以下にまで低下している.さらに,1990年以降の国際社会では「持続可能な開発」が今後の継続的な発展のために人類共通の課題であると認識されるようになった.
このように環境問題への国際的な意識の変化や我が国の環境技術の熟成を背景に,さらなる革新的な環境技術の創成や学術的課題の解決,顕在化してきた地球規模の環境問題への対応が必要となってきた.環境工学部門は1991年に設立されているが,このような背景のもと社会的要請もあり設立されたのではないかと考えている.これは,時機を得た設立であり,当時の研究者や技術者の意気込みを感じるところで,大いに励まされている.
図1 環境工学部門の登録会員数の変化 |
図2 環境シンポの講演件数と参加者数の変化 |
環境工学部門は,1991年に設立されてから今年度で29年目を迎える.1990年以降の環境問題を巡る社会情勢は大きく変化し,1993年には「公害対策基本法」を発展継承し,持続的な発展が可能な社会の構築を謳う環境基本法が制定されている.1997年には第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)が日本で開催され,京都議定書が採択されている.COP3は地球規模の環境問題に対し世界が一致して対応することの大切さと共に各国の利害が絡む難しさも示した重要な会議であった.私自身もほんのわずかであるが,この会議に参加しあの熱気を感じることができたことは,思い起こすと幸運であった.この頃の環境問題への関心は社会においても大変高く,2001年には環境省が発足し,現在につながる様々な施策を始めている.この社会情勢を反映して,図1に示すように環境工学部門も第1位から3位までの部門登録者数が設立時に3400名であったのが,1997年〜2000年にかけて最大4500名に達し,登録者数のピークを迎えている.その後は,現在に至るまで減少を続け,2017年度では2500名となっている.これは,身の回りでは分かりにくい地球規模の環境問題への関心が低くなってきていることや,少子化に伴う日本機械学会全体の会員数の減少の影響も大きいと考えている.一方,環境工学総合シンポジウム(環境シンポ)の一般講演の発表件数の変化は,1997年から2006年までは概ね115件以上を保ち,2007年以降から,100件前後となってきている.参加者数はデータのある2006年以降は概ね200名前後を維持し続けている.これらのデータは,登録者数の減少とシンポジウムの発表・参加者数の相関が小さいことを示している.すなわち,登録されている方に,環境シンポの魅力をしっかりと伝えることができれば,参加者数はむしろ増やすことができる可能性がある.
さて,環境工学部門では,環境シンポの開催の他,特別講演会,講習会,見学会,子供向けイベントを毎年開催している.2018年度は11件,2017年度は13件,2016年度は12件と多数開催し,環境問題の理解や解決に向けた取り組みを継続的に進めている.これらの企画・実施は,1.騒音・振動評価・改善技術分野,2.資源循環・廃棄物処理技術分野,3.大気・水環境保全技術分野,4.環境保全型エネルギー技術分野の4技術委員会毎に行っており,環境工学部門の企画行事の多さの原動力となっている.一方,部門全体として「先進サステナブル都市・ロードマップ委員会」や「規格・規制委員会」について取り組んでいる.その他にも,部門活動のための委員会が設置され継続した活動を進めている.
環境工学部門の背景と現状から,環境工学部門が今後社会において果たす役割は,今まで取り組んできた国内の研究・技術の情報提供や交流,社会貢献に加え,我が国の世界最高水準の環境技術を基盤にした,地球規模の環境問題への対応や急速に発展している開発途上国における環境問題への対応など,アジアにおける環境工学拠点となることを目指すことではないかと考えている.指針として,(1)国際ネットワークの構築と強化,(2)情報発信の強化,(3)部門活動の拡充・強化,(4)ビジョン・ロードマップ作成の4つを掲げたい.
具体的には,2018年度から部門として取り組んでいる以下の活動を推進する.(1)&(2)環境工学国際ワークショップ(IWEE)を5年毎から3年毎に開催間隔を短くし,継続的な国際交流と情報発信を行えるようにする.2019年は,その起点となるべく,沖縄の万国津梁館にて,6月25〜28日にIWEE2019と第29回環境シンポを開催することにした.20名程度の基調講演・招待講演を世界12カ国から招聘し,国際委員会を設置し今後も継続的に参加頂くことを計画した.また,開催場所に,2000年に開催された第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)の会場である万国津梁館を選び,見学会,バンケット,エクスカーションも充実させ,沖縄の伝統文化や自然も楽しめる企画とする等,開催場所の魅力による参加者増と交流の促進を狙った.(3)機械学会年次大会において環境工学部門単独で技術分野を横断する「先進サステナブル都市」のオーガナイズドセッションを既存委員会の協力を得て,新たに企画した.(4)部門の技術ロードマップも参考にし,アジアの環境工学拠点形成に向けたビジョンとロードマップの作成を行う.
最後に,現在機械学会部門協議会で検討している部門再編については,環境工学部門の位置付けをはっきりさせ,部門活動を強化することで,再編に向けて主導できるような立ち位置を確保していきたいと考えている.
2019年部門長としての抱負を述べたが,皆様と一緒に,IWEE/環境シンポ,年次大会,ビジョン・ロードマップ作成,そして,アジアの環境工学拠点の形成を一緒に成し遂げていきたい.
(1) (独)環境再生保全機構ウェブサイト
(https://www.erca.go.jp/index.html)