1 はじめに
筆者は,2001年度から文部科学省科学研究費補助金特定領域研究『わが国の科学技術黎明期資料の体系化に関する調査研究』盛岡班として,課題名「江戸末期の盛岡藩科学・技術移転関係資料のデータベース化」のもと,旧盛岡藩への科学技術移転の系譜調査の一環として,洋学私塾「日新堂」関係を中心として,旧藩域に存在する科学技術関係遺産の所在調査を実施してきた.本年はその最終年度となり,成果の普及啓発を行うことを目的として,地元工業高校の協力を得,3年生の正課「課題研究」の時間を用いて,生徒たちに江戸末期の科学技術機器の復元に挑戦させ,その過程を用いて技術の歴史認識の重要性の伝承を試みたので,その経過を報告したい.
2 復元対象と工業高校教育
復元の対象としたものは,盛岡市中央公民館所蔵の"指字電信機"である.幕末期の文久元(1864) 年に盛岡藩の費用で,本邦鉄鋼産業の父とも言うべき大島高任(1854年,現岩手県釜石でわが国初の本格出銑に成功)が,日新堂教材用として入手したものである.
洋学校「日新堂」創設者 大島高任
来歴を確定させるための資料が欠けているため,この電信機は特に文化財指定を受けていないが,数年前,東京の国立科学博物館で開催された"江戸のモノづくり展"にも出展され,その重要性は全国的に認知されている.この電信機は,外国の最新技術を国内に取り入れるにあたって,それまで培っていたわが国の江戸期までのものづくり技術を,最新技術に当てはめたものと言うことが出来る.工作機械が殆ど無かったこの時代には,全ての部品が手作りであり,西欧の工作機械による先端技術と言うレールにわが国の技術力でどこまで沿うことが出来るのか,当時の技術者の苦労の記念碑とも言えるであろう.すなわち,この電信機は現在わが国が歩んできた科学技術文化というレールの起点に位置するものと言え,その仕組みと共に時代背景を学ぶことによって,技術文化の流れを確認することが出来,今後の方向性を提案していくべき次代を担う若者達にとって非常に有益である.
さて,工業高校のカリキュラムには,3年次に大学の卒業研究に相当するような「課題研究」の時間があり(盛岡工業高校では通年金曜日の12:40〜15:30),毎年12月の校内予選を勝ち抜いたチームが,1月末に行われる「岩手県工業高等学校工業クラブ研究発表会」に出場し,研究成果のステージ発表を行う.この発表会では,我々の学会発表とは異なり,実物を会場に持ち込む学校が多く,生徒たちが他校の研究の出来映えに接することが出来,刺激を受ける様子が見られる(筆者は過去3年間この発表会の審査委員を務めたことがある).
課題研究では,当然ながら生徒たちは最新の技術を追う傾向にあるが,過去の機器の復元を行うことをきっかけとして,様々の技術分野が今の状況になった流れを知ろうという意識が他の生徒達にも生まれれば,単に先端と言われる技術を真似て多少ひねるだけの課題研究が,全く独自の広がりを持ったものに代わることが出来ることの一つの象徴なのである.それとともに,一学科だけではなく他の学科との協力システムが出来れば,実社会で当然行われているプロジェクトによる製品開発の模擬にもなり,生徒達の視野を学校時代から広げる事が出来ると考えたわけである.
高校への提案に当たっては,まず,復元企画書を作成し,筆者の地元にある岩手県立盛岡工業高等学校長に対し提案を行い,校内での検討を経て,電信機という性格から電子情報科が担当をすることになり,生徒たちにプロジェクトの内容を提示したところ男女各2名が参加意志を表明したので,本格的に始動することになった.また,このプロジェクトは幕末期の技術的な先進性の一般への普及啓発も目指しているので,地元のテレビ局へも企画を提案し,担当ディレクターの途中転勤というアクシデントがあったものの11月に番組内のコーナーとして放送された.
復元対象とした指字電信機
3 ものづくりを取り巻く情勢
明治維新期以来,西欧に追いつけ追い越せで行われてきたわが国のものづくりは,"西欧を手本とし,それのみを目標に,原始的状況で先端技術の存在しなかった江戸期から百年掛けて西欧レベルに追いつくことが出来た"と一般には考えられている.このような認識が技術哲学の基礎となっている現代,科学・技術レベルも世界と肩を並べるようになっているが,あまりに先端化しすぎた現場では,多くがIT・ロボット化されてしまったために技能の伝承が行われず,アイデンティティーを求める需要者の要求に応えられなくなっている.さらに,いかに機械化されようとも,その精度はマザーマシン以上にはならず,精度をさらに上げるには人間の技能に頼らなければならないことも改めて見直されている.
このような情勢を受け,労働集約型産業の海外移転による衰退の中での国際競争力回復を目指し,経済産業省を中心に,ものづくり支援のプロジェクトが立ち上げられ,技術力の底上げを目指した技術者のリカレント教育システム策定の動きも活発化してきている.具体的には企業独自にカリキュラムを設けたり,自治体の支援センターが行ったりすることが一般的である.地方の中小企業対象のリカレント教育に関しては,短期ではあまり効果が上がらない一方で,先行投資とは言え,昨今の不況下で長期的に社員を非生産的現場へ派遣する時間的・経済的余裕がないことから,一番その教育が必要な層にはそのシステムの恩恵は及んでいないのが現状である.
岩手地域では,企業技術者のリカレント教育を掲げ,大企業の技術者を主な対象として,ものづくり大学院(一般専攻)の設置を計画している.ところが,大学の教員は殆ど企業経験がなく,単なる部分的先端技術の伝習しか行えない他,もと企業技術者を招いたとしても,やはり部分的伝習に過ぎず,大企業が自社の中で行うことが可能な系統だったものづくりを伝えることは困難と言う問題がある.
4 技術者の基礎教育の一環としての技術史
技術レベルが,西欧諸国に追いつき,倣うべき手本を失った今日,新たな技術開発を行うに当たって本来的に必要なことは,本来考える能力の育成である.これまでのキャッチアップを目指した技術開発は欧米の敷いたレールの方向に進めば事足りたわけであるが,今後はそのレールの方向を自ら見定める必要があるわけである.ところが,そのレールの終点に立ってしまった日本人は,途方に暮れ,その終点からどの方向にレールを延ばすべきか混乱のただ中にいるようである.
従って,これまで先頭を走り続けてきた欧米諸国がなぜレールを引き続けてくることが出来たのかを考えることが,今後の方向性を辿る上で,大きな参考になるであろう事は論を待たない.では,欧米が中世以降連綿として世界の技術の先頭であり続けることが出来た背景は何であろうか.それは「技術・文化の断絶無き蓄積」によると言えると私は考えている.過去の技術の上に次の技術はあり,その行くべき道は過去から現在へのレールの延長方向にあるのであり,わが国が現在行おうとしているような急ハンドルを切ることは出来ないのである.わが国が幕末から明治維新に掛けて急カーブを切ったと考える誤った知識の上に,将来の方向を選択する愚を犯してはならない時期が今であろう.幕末期のわが国には十分に西欧レベルに達する技術の蓄積があったゆえに西欧のレールにそれを載せることができたことを改めて認識すべきである.
したがって,今後わが国が行なわなければならない事は,西欧の歴史に倣い,これまでわが国が行ってきた文化の変遷を技術の流れの面から確認し,わが国の走ってきたレールの方向が今どちらに向いているのかを知ることである.それが出来て初めて,中長期的な目標に向けた今後の方向性をしっかりと定めて進んでいくことが出来るのである.
5 実際の復元作業と年次計画
一般的に言って,工業高校生徒の"もの作り"に係わる技術レベルと熱意は大学生のそれを大きく凌駕している.一方,大学における工作技術のレベルは近年の総取得単位数抑制のあおりを受けての実験実習時間削減を受けてますます低下している.更に,そのような工作技術の基礎を持たない学生が,もの作りに携わるには時宜にかなった適切な指導を行う必要があるがそれがなされている機関は非常に限られている.加えて,もの作りに関する基礎教育の中心の一つであるはずの大学工学部課程であっても,現状では技術史関係の研究は実績にならないと言う理由で冷遇されるばかりで,たとえ機器を研究復元したとしても発表の場が限られ,動機付けの面でも熱意を与えると言う点で若干難があることになる.そこで前記のように技術・熱意レベルの高さを認識している工業高校の生徒たちにその復元作業を正課活動(課題研究)の一環として担ってもらうことによって,生徒に過去の技術導入の歴史の一端を理解させることが出来るほか,現在の技術を応用した製品を中心として出展している工業クラブ発表会(課題研究の発表会)にも多角的な側面からの教育効果を与えることが出来ると考えたわけである.
復元は以下のような流れで進めた.
第1回 時代背景の説明および仕組みの解説
第2回 実寸法計測
第3回 プロトタイプの外寸決定及び全体計画の策定
第4回〜第9回 受信機試作
夏期休業 復元図面作成
第10回〜第12回 受信機製作
第13回〜第15回 調整
第16回〜第17回 送信機試作
第18回〜第20回 送信機製作
第21回〜第22回 各部調整
(左の写真) 送信機(左:上面、右:下面)
(真ん中の写真) 受信機内部
(右の写真) 製作着手直後の様子
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第1回目の授業前に生徒たちと担当教諭は実物を確認するために所蔵している展示室を訪問したり,電信機の歴史を調査したりし,基礎知識の習得を自主的に行っており,当初考えた目的に添った成果も早速得られているようである.
完成した送受信のデモンストレーションは12月1日に盛岡市中央公民館で筆者が企画した「南部藩の科学・技術展」オープニング行事としてミニ高炉による製鉄実験とともに実施し,生徒たちの発表のレベルの高さに参加者は感嘆していた.
6 おわりに
江戸期の器物資料復元作業を通じて技術の歴史の流れを認知させ,今後の社会の方向性を考えさせることを目的として,工業高校にプロジェクトを提案し,具体的な作業を開始している.また,その完成予定時期を念頭に,実物を含む展示会を企画すると共に復元課程のテレビ番組化も提案し,社会への啓蒙も行おうとしている状況について述べた.このプロジェクトは,学術面を大学側が,実務面を工業高校側が担うことによって,それぞれの不足を補い連携して技術の流れを確認していく一つの試みである.
なお,このプロジェクトは,岩手県立盛岡工業高等学校校長川原利夫,同校教頭川村正博の両氏,および同校電子情報科阿部正孝教諭をはじめとする諸先生方の多大な協力を得て実施した.また,実際に復元に携わった同校電子情報科3年伊藤,駒木,小綿,藤澤の諸君の努力も大きい.最後に付記して謝意を表する.
*日新堂
大島高任が文久3(1863)年,藩からの補助を得て盛岡に設立した西洋医術および洋学の学校(私塾).多数の洋書のほか西洋の機器(電信機,船舶時計,望遠鏡,避雷針,オルゴールなど)が教材として所蔵されていたとされる.戊辰戦争の混乱期に破却消滅した.
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