小特集「社会と安全」
「工学倫理と長期リスク」

 



齊藤了文(関西大学)

 倫理の基本は他人に対する配慮である。そして、身近にいる友人や家族、同僚に対する配慮がその基本だと見なされている。これについては例えば中国3000年の歴史があり、日本も古くから儒教の教えなどの影響を受けてきた。「近頃の若者は・・」という見解はあるにしても、歴史的文化的遺産として連綿とある程度は受け継がれてきている。

 それに対して、工学倫理はエンジニアが自分の仕事において他人を配慮することである。ものづくりにおいてエンジニアは何らかの人工物をつくる。この人工物が、何かの拍子に他人に迷惑をかけることがある。つまり、トラブルを生じたり、事故を起こしたりすることがある。これはエンジニアが自分の専門知識を生かして仕事をしたときに、他人に対する配慮が足りなかったことを意味することもある。

 人間関係において、直接他人を配慮するのではなく、途中に人工物が介在することによって実は倫理問題も難しくなる。エンジニアは設計製造して人工物を世に出し、販売されて消費者がそれを使う。このような(耐久)消費財においても、ユーザは設計者の思いもよらない仕方で使うかもしれない。流通過程で粗雑な扱われ方をするかもしれない。エンジニアが他人(消費者)を配慮しようとして心を込めて設計しても、使われた人工物が事故や故障を引き起こすかもしれない。つまり、途中に人工物が介在することによって、責任問題とか、配慮すべき範囲とかが非常に広く複雑になる。

 もちろん、これらをすべてエンジニアの責任としてものづくりをせよ、というのはきつい話しだし、社会制度もそんなことを決めてはいない。ただ、私は学生などに話をする場合には、様々な社会制度もあるが、それを踏まえた上でものづくりを行うべきだと言っている。人工物に媒介された倫理は、子どもの頃から慣れ親しんでいる倫理(目の前の人に対する配慮)とは違った側面があることに注意して、事故やトラブルの多面性を理解することがまず必要である。

 さて、人工物がユーザの手に渡り、ユーザの自己責任として使われる消費財の場合と比べて、橋やトンネルなどのインフラ、石油コンビナート、発電所などにおいては、設計製造後のメンテナンスが重要になる。つまり、長期リスクの問題である。人工物は、ユーザの手に移っても、まだ設計製造エンジニアの関与が必要になる。しかも、ユーザといっても企業や組織であり、その意味で個人的な問題を超えた問題も生じうる。

 アメリカでは1980年代に橋などのメンテナンスをしてこなかった付けが回ってきて、大きな橋を大規模に改修しなければならない事態になってきた。それは『荒廃するアメリカ』という報告書として有名である。日本でも去年の9月に新日鉄名古屋での爆発事故、ブリジストン栃木での出火、北海道の出光原油タンクでの火災などが相次いで起こった。そして、このような産業事故は、現場力が落ちていることが原因だと言われている。つまり、現場技術者の高齢化と世代交代、オートメ化によって技術がブラックボックス化した中で事故を経験しない技術者が増加、しかも現場での経験的合理化の積み重ねによって変更を見通せなくなる、といった問題があると言われている。

 日本では現在、新しいものをつくるイノベーションが流行し、新製品開発のための産学連携などが叫ばれている。しかも、特許制度などの新しい人工物をつくるための制度設計も次第に完備されてきている。ベンチャー企業の推進も行われている。これらは一つの方向性としては理解できるが、問題は今後『荒廃するアメリカ』現象を生み出す可能性があることである。

 実際、新発明だけでなくその後の手当て、メンテナンスが必要である。スクラップ&ビルドで、廃棄物のリサイクルを考えるだけでは、さすがに非効率で資源の浪費にもなる。

 そこで、発電所などの大規模なシステムを使い続けるためのメンテナンス問題を考えると、ここにはユーザ企業と、設計製造した企業、さらにはメンテナンスをする下請企業のような組織同士の問題が含まれることになる。

 人工物を媒介した倫理は、組織の問題までも取り込む必要があり、問題は非常に錯綜する。例えば関電美浜の原発でも、管が減肉するのは今日明日の問題でもない。しかし、継続的なチェックをやらないといつかは問題が拡大する。

 メンテナンスに特徴的な長期リスクの問題は、生活習慣病に対する我々の立場と似ている。高血圧を何とかしたいと思っていても、目の前にあるこのおしそうなラーメンを食べても、それぐらいでは問題ないだろう。明日から頑張ればいいか、と思ってしまう。少しは手を抜いてもすぐには問題は出ない。

 このような状況があった上で、組織同士の情報の流通が悪かったり、組織内部でも情報が伝わり難かったりすると、大きな問題が生じる。メンテナンスは、検査技術に加えて、変更管理と熟練技術者の理解(それと結びつく知識の伝承)とが大きいので、情報の集積とその利用のシステムが重要になる。

 にもかかわらず、「少し手を抜いてもたいした問題は出ない」という状況もあるために、組織の維持管理そのものが大きな問題にある。

 工学倫理は組織のメンテナンス(守旧だけでなく、新たな環境への適応も含む)までも含むと完結するかもしれない。実際、エンジニアが人工物を作るときに配慮すべきことは多様である。

 私は、学生にこのようなことを意識させることを通じて、エンジニアの責任の大きさと社会への影響力の大きさを示す授業をしている。

     

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日本機械学会
技術と社会部門ニュースレターNo.15
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