小特集「工学教育と教育効果」 「技術者教育と教育効果の評価」 |
|
|
1.はじめに |
|
高等教育機関における教育はかなり全人格的なものである。以前に日本工学教育協会で聞き取り調査をしたときに、中小企業の親父さんに大学卒のよいところを聞いた。その答えは専門的な知識や数学の力ではなかった。その親父の言うところによると、大学卒と高卒では客先との人間関係の作り方がぜんぜん違うとのことであった。 |
|
2.教育効果は多次元ベクトルで評価 |
|
日本技術者教育認定機構(JABEE)が本格的な教育機関審査をはじめて2年になる。企業に長くいた立場から見るとJABEEが工学部や高専を中心とする高等教育機関の教育を「技術者教育」であると定義したことは非常に大きな意味を持つ。そのために従来の「工学教育」という言葉に代表される「学問の伝授」だけではなく、技術者という人間を育てることが目的になった。人間がどれだけ大きく育ったかをどのように評価するかを考えれば、評価が多次元になるのは当然の帰結である。 JABEEは教育の目標として八つの項目を含めることを求めている(基準1−(1))。この八つの項目は必ずしも独立したものではないが、ある意味で教育効果を8次元のベクトルとしてあらわすことの提案である。その8項目は簡単化すると次の通りである。
(a)広い視野を持つこと それぞれの教育機関ではこれをさらに翻案して独自の多次元の教育目標ベクトルを作るようにJABEEは提案している。 JABEEが示したものが現在、学会という団体を通じて、大学側と産業界側の協力で出来上がった技術者教育に求めるものの一例である。これらの能力の中には、多くの大学生が卒業研究などの大学生活の中で自然に身につけていたものもある。しかし従来との大きな違いは、それを教育機関の目標と考えるという点である。つまり意識して教育して欲しいということである。 |
|
3.教育機関が追求するベクトルと企業の求めるベクトルを一致させる方法 |
|
筆者は企業で大学リエゾンという大学との連携を取る役割を続けてきたし、バブルの頃には全社の採用担当として文系を含めた採用を行った。その経験と、日本工学教育協会の理事としての10年間の体験で、高等教育機関の目指すベクトルと産業界が期待するベクトルにかなりの差があることを実感した。極論すれば産業界は人間性を重視するのに対して、教育界は優秀な研究者を育てようとしていたように思う。 このベクトルの違いは、長い間、教育機関で育てて欲しい卒業生像を企業側が示せないでいたこと、社会の要求を教育側が積極的に取り入れようとはしないこと、という状況から生じており、筆者はこれを70年安保の後遺症だと言っている。あの頃の「大学が企業のことを考えて教育するなど、もってのほか」、「企業が大学教育に口出しなどしてはならない」という風潮が、両者の卒業生に求めるベクトルに違いを生じさせ、改善のきっかけをつかめないまま30年経ってしまったように思える。 この点を鋭く突いたのが1996年の「大学と企業からみた工学教育の教育法と評価法に関する調査報告書」(日本工学教育協会、主査末松安晴氏)で、産業界は卒業生に「学力」と同じ程度に「人間力」を期待していると指摘している。またそのほとんどを教育側は卒業研究で身につけていると解答しており、これは卒業研究に対する過大な期待であると述べている。 筆者は卒業研究廃止論を主張しており(「工学教育」2002.5)、JABEEの要求の(c)、(d)以外や、末松先生の言われる人間力も、計画された授業やプロジェクト・ベースト・ラーニングなどで学習する方が効率的だと考えているが、ここでは議論しない。 現在明らかに高等教育機関は変わろうとしている。その動きに対して産業界からの反応が非常に鈍いように感じている。産業界は地元の大学・高専の目標設定に協力して、産業界で役立つ人材を育ててもらえるように積極的に働く必要がある。採用するか、しないかというだけのフィードバックではなく、地域の教育に対して一体となって改善していく意欲が必要である。今や高等教育機関側にはそのような産業界の働きかけを受け入れるだけの準備が出来上がりつつあるといえる。 教育界と産業界の持つ評価ベクトルはその要素が違うという意味での質的な違いが大きい。評価というととかく定量的な方法に目が向くが、それ以前に何を評価するかという質的な面での議論が必要である。その意味でJABEEは一つの例を挙げた。これをもとにそれぞれの教育機関と産業界で個性的な評価ベクトルの議論が行われることを期待する。 |