小特集「工学教育と教育効果」
「技能教育と熟練技能の伝承」−何故難しいか…−


平間 明(新興プランテック(株))

1.はじめに

 ながびく不況の中で,熟練技能を必要とする製造業でもさまざまな問題を抱えている.深刻な問題のひとつが,高齢化による熟練技能者の減少と技能伝承の危機的状況である.こうした中で,若年技能者達を教育によって早期に育成し,熟練技能者の補填と伝承を図ろうとする企業が多い.が果して熟練技能は画一的な教育で早期育成と技能伝承が可能であろうか?この機会に「技能教育と熟練技能の伝承」をテーマとしてとりあげてみた.小生の愚考にしばらくおつき合い願えれば幸いです.

2.技能教育とはなにか

 一般の企業で行われている社員教育などは,厳密には技術教育に近いものが多い.一般的には技能教育と技術教育を分ける必要性はないが,それぞれの教育のしかたや評価,伝承となると本質的な違いについて考える必要がある.「技能教育」とは教えることも教わることもむずかしく,相当な時間を要し,且つ成果に対する評価尺度が数値化困難なものといえよう.これに対し「技術教育」とは比較的容易に教えることができ,しかも短時間で伝承が可能でその成果は数値目標の設定などで評価しやすいものといえよう.熟練技能は教育などによって十分に修得でき,かつ容易に伝承可能なものであろうか? 小生は,はなはだ難しいと感じている.このへんが技能教育と伝承の難しさの本質的な問題ではなかろうか.

3.技能とは? 技術とは?

 辞書によれば,技能とは「物事を行う腕前」とあり,技術とは「物事を巧みにしとげるわざ」とある.イメージ的には,前者が“ワザ”後者が“術”といえようか.技能とは個人が長年の経験から得た,固有の“ワザ”であり,多くは“五感”や“勘”により,他人の業を“見聞き”することによって得た身体的能力といえようか.したがって,いったん身についた“ワザ”は基本的に忘れることはないが,その代わり,めざましい“ワザ”の進歩はない.また“ワザ”は一代限りの非常に個性的な財産といえよう.技能は伝承によって単純には蓄積されにくく,伝承された技能レベルや「質」は必ずしも前任者のものと一致しない,つまり伝承の成果にバラツキが生じるのが特徴であろう.
 一方技術とは,先駆者が長年の実績から得た客観的な“術”であり,多くは数値や文章や言葉によっ伝承される.伝承に際しては五感や“勘”は無関係である.システム的な教育で修得がほぼ可能であり,修得した技術は仮に忘れたとしても,残された記録や文書などから比較的容易に再生できる.伝承された技術や「内容」は前任者のものと一致するのが原則で,伝承の成果に原則としてバラツキは生じない.

4.余談・・・[阪神タイガースは高度技能集団]

 プロ野球では「打撃技術」とか「投球技術」などの言葉がでてくるが,これはむしろ「打撃技能」「投球技能」と呼ぶのが正解ではなかろうか?優秀な打撃コーチがいて,いとも簡単に打撃“技術”を教えることができ,打者がいつも4割を打てるならば,セ・パ両リーグともに阪神タイガースだらけになろう.コーチの教えには限界があるはずで,その先は打者自身の技能(勘,読み,動体視力,反射神経,パワー,度胸)と,あとは努力と練習によるものであろう.

5.熟練技能者の適性

 ところで教育を受ける側はの適性要件はどうであろうか,もって生まれた才能・素質・感性・忍耐力などがこれに当たろうか.さらに「向いている・いない」「好き・嫌い」がこれに加わる.従って教育に際しては,受ける側のこれら要件の見極めが重要であるが,難しいのは第三者もむろんのこと,本人自身でさえ,やってみないと分からないということである.じつのところここが技能教育の最も難しいところかも知れない.

6.技能伝承には相当な時間が必要

 技能伝承には,相当数の時間が要することと,伝承結果の尺度がなく数値化できない難しさがある.一般の企業では10年で一人前とよくいわれるが,これは技術者の場合で技能者の場合はさらに年月を要する.高度な熟練技能ともなれば,その伝承方法は芸能や工芸,芸術の世界に近いであろう.

7.余談・・・[師匠と弟子]

  • 落語家の師匠と弟子たちの関係はどうであろうか.
    師匠の古典落語をいかに真似してもイコール師匠とはならない.
  • 一流料亭の板長さんと見習いの板さんはどうであろうか.
    皿洗い,包丁研ぎ,盛りつけに5年,料理に10年以上 
  • 大工の棟梁と見習いの大工さんはどうであろうか.
    砥石とカンナの目利き,それに研ぎに10年 
  • 「釣りバカ日誌」のハマチャンとスーさんの師弟関係はどうであろうか.
    これは番外か?スーさんは永久にハマチャンに追いつけない.


8.教える側の阻害要因

 技能教育では熟練技能者自らが教育者としてあたる事が好ましいが,この場合のやっかいな点は,“おはこ”の伝承拒否である.“おはこ”は当人の得意技であり,これで「飯を食って」いるわけである.これをやすやす他人に教えては「おまんまの食い上げ」になってしまうので,「俺しかできない」“ワザ”が当人にとってのアイデンテイテイーであり容易に手放さないという事実がここに存在する.

9.技能伝承の環境作りも必要

 現在我国は国策として平成10年度から「高度熟練技能者認定制度」を設け技能の海外流出のハドメや「ものづくりの大切さ」などの施策を実施している.こうした意味で技能者にとって“国の後押し”という環境がようやくできたといえる.しかし社会全体としては,技能者に対する評価と認識はまだまだ低いのではないかと考える.
 現状はどうか,先ず技能者たる“なり手”が少なくなった事実がある.これにはさまざまな議論がなされているが,よくいわれる3Kや高学歴化の影響などがそれである.しかしそれだけでなく,もっと根本的な問題が存在していると小生は思う.
 技能には,ものを生み出す技能となおす技能(修理)があり,そこには双方に共通するつぎのような喜びのキーワードがあると考えている.

  • 自らが培ってきた「ワザ」に対する更なる工夫をすることの喜び
  • 一品一様の手作り完成品(品物としての新たな生命誕生)の喜び
  • 修理再生し(品物としての再生)生命復活の喜び
  • 自らが手を下すことによる自然発生的かつ自由な発想の喜び
  • うまく行ったときの満足感,達成感

 などがあげられよう.
 (戦後の時代は別として)これらの喜びとしての価値観は,時として労働の対価としての報酬よりも優先するのではないか.これらの中で最も重要なことがらは“自らが考え工夫する喜び”にあると思う.
 現在の社会環境はどうであろうか.

  • 自然環境の激減(自然から学ぶ機会の減少)
  • 画一的な教育システム(極端な一部の成果主義的教育,全てではない)
  • 成果を求めるだけの学習塾通い(全てではない)
  • ファミコン,テレビゲーム,マンガ雑誌の氾濫
  • パチンコ業界の好況
  • ゲームセンターの乱立

 これらの全てを否定するつもりはないが,これらに共通することは自主的な判断や自らの思考を殆ど必要としないことである.そこには精神的高揚や自主性(ヤル気),ユニークな発想,独創的思考,将来への夢や期待などは到底期待できない.
 こうした環境の中で,ものづくりの大切さや修理再生の喜びなど,果たして技能者を生み出すことができようか?

10.おわりに

 技能教育と技能の伝承はどうすればよいか,数多くの問題点を指摘したが,残念ながら明確な解答はいまだみつからない.あえていうならば教育計画者,教育者(熟練技能者)双方の信頼関係の樹立であろうか.そのうえで実を結ぶ技能教育を考えることが重要ではなかろうか.熟練技能者の育成と技能伝承は,画一的な教育だけでは達成できない.
 いずれにしてもこれからの社会は,技能や技能者に対しつぎのような認識を深める必要があろう.

  • 技能者の底辺拡大(なり手の環境作り)
  • 技能者に対する社会全体の敬意
  • 技術大国日本と技能大国日本はどちらも必要不可欠との認識
  • 先端技能に先端技術との認識
  • 企業における熟練技能者の環境と評価の見直し
  • 伝承できる環境づくりの必要性

(了)

     

目次へ
日本機械学会
技術と社会部門ニュースレターNo.14
(C)著作権:2003 社団法人 日本機械学会 技術と社会部門