トピックス(2003年度年次大会より)
焼玉機関(エンジン)実演展示会


吉田敬介(九州大学)


  去る2003年8月7日(木)12時から,徳島大学工学部において,焼玉機関の実演展示会が行われた.これは,8月5日〜8日に行われた本会年次大会の当部門のワークショップ「産業考古学シリーズ」において川上顕治郎氏(多摩美術大)の「焼玉機関について」と題された講演に付随して行われたものである.

 ところで,「焼玉機関」をご存知の方は,今の会員でどのくらいいらっしゃるのだろうか? あるいは,この「業界」の人間なら,言葉ぐらいは知っているかも知れない.が,おそらくそれを実際に見たり触ったりした方は1割に満たないのではないか? 著者も幼少時代を北九州工業地帯で過ごしたため,焼玉機関を搭載した船が「ポンポンポン」と乾いた音を立てながら走って行くのを見た記憶がかすかにあるが,小学校の高学年(1960年代後半)頃にはもうほとんどその音を聞いた記憶がない.
 焼玉機関は,ディーゼル機関によく似ていて,シリンダ内に燃料を噴射して自己着火により燃焼させるが,圧縮比を高くできないためにシリンダ頭部に球形の部屋(焼玉)を作り,そこを燃料で予熱して燃料に着火する内燃機関である.
 構造の簡単さと使用燃料の汎用性から,世界中で古くから用いられ,19世紀末期には農業作業用や船舶用の中小動力源として,それまで蒸気機関ばかりであった分野に使用が広まり,一時は方々で使用されたが,取り扱いに熟練を要するなど欠点も多く,取り扱いの容易さや燃費の良さなどで後発のディーゼル機関に取って代わられ,現在では蒸気機関車と同じく焼玉エンジンは完全に現役を引退してしまった.

 展示会に供された焼玉機関10台はすべて,各地に住む収集家の貴重なコレクションであり,すべてが動体保存品であった.近くは徳島市内から,遠くは大分県から本会のために輸送され,キャンパス内の機械工学科中庭に並べられた.
 どの機関も良く手入れされており,所有者の機関に対する思い入れが伝わってきた.実演は大変な騒音を発するため,午前中の講演会終了時の12:00から昼休みの間だけということになっていたため,その焦りと,前述のような機関の特性とが相まって,始動に手間取る機関もかなりあった.

 そして,いざ始動すると…,やっぱり「ポーーーン,ポーン,ポン」と昔聞いた焼玉機関特有の音がした.おそらく,年配の参加者には大変懐かしい音だったであろう.が,どう考えても音が大き過ぎる.さらに馬力が小さい.もちろん,動力計があったわけではなく,同出力のディーゼル機関が同時展示されていて,2者を比較しただけであるが,後者は前者の10分の1ぐらいの体積であった.ディーゼル機関は最近のものであるので,直接の比較はフェアでないかも知れないが,いずれにせよ,焼玉機関が特に第2次世界対戦後に急速に使われなくなった理由が奇しくもこの展示会で実感することができたようである.

 が,それはともかく,これらの焼玉機関の特徴は後のディーゼル機関などと違い,小さな工場で小規模〜中規模生産が行われていたことにあるようである.それは焼玉機関が1890年代に輸入されたとほぼ時を同じくして国産化が成功したこと(川上氏の当日の講演による)と無関係ではないであろう.すなわち,取り扱いに熟練が必要なことは裏を返せば,「とりあえず作れば何とか動く機関」であったこととも取れ,そのことが,日本各地で焼玉機関を製造販売する動機付けになったのではないかとも考えられた.

 技術史を眺めていくと,その時代になぜそのようなものが生まれ,また消え,あるいはいつまでも残っているかを知ることができる.これは我々が未来に向かって技術を発展させて行くときに,社会との関わりを常に意識して行かねばならないことを物語っている.

 最後に,我々参加者にこのような楽しくかつ貴重な体験をさせて頂いた,川上先生を始め,この行事のために遠方からはるばる重量物である焼玉機関を運搬・提供頂きました収集家の方々に謝意を表します.


川上氏の講演風景


屋外展示された
焼玉機関


機関の始動風景

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日本機械学会
技術と社会部門ニュースレターNo.14
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