吉田敬介(九州大学)
標記見学会が去る11月18日(日)に大分県で開催されました.これは,大分高専で開催された当部門の公開研究会・講演会の翌日に行われたもので,全国各地より多数の参加を頂きました.
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石橋は江戸時代より九州各県に多く作られ,今でも実用に供されているものが多いのですが,中でも大分県は現存数が490基と全国最大であり,これらは技術史的にも大変貴重な財産と言われています.
今回は一町内に63もの石橋が残る大分県院内(いんない)町を訪ね,石橋研究者のお一人である大分高専の平野喜三郎教授,後藤末広教授らの案内で5つの橋を見学しました.前日の特別講演会でも講演頂いた平野教授は「石橋は使われてこそ価値がある」とお話になっていましたが,これらの橋全てが現在でも実用に供されており,まさに価値ある石橋群を見学することができました.
ただ,石橋の耐荷重が意外に低いこと,長大スパンが苦手なので川幅が広い川では多連構造とせざるを得ず,そのため川に立てた橋脚が流れを遮り,増水時に問題となることなど,石橋が持つ欠点がこれらの存続を危うくする恐れがあることも,見学を通じて実感することができました.
これだけの石橋群をたった半日で見ることが可能なこと自体,いかにこの地方にそれが多く存在するかを証明しているようでした.(写真1)
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写真1:恵良川にかかる鳥居橋にて (クリックするとフルサイズ写真(51KB)が見られます)
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また,鏝(こて)絵は,家屋の妻部分の壁や戸袋の壁に左官が「こて」を使って描いた(実際には顔料を含んだ壁材を塗りつけて完成させる)ものですが,このような絵を家屋に描く習慣があるのは日本に数ヶ所しかなく,中でも大分県安心院(あじむ)町には多くの鏝絵が残り,またその技術が現在まで伝えられています.
今回は,安心院町教育委員会のご協力で,町内の鏝絵をご案内頂きました.鏝絵を見たことがなかった私にとって,鏝絵とは,派手な,どこか成金趣味的なイメージがあったのですが,実際に見てみてそのイメージは完全に覆されました.もっと地に足が着いた,芸術的,文化的な香りがするものでした.心のゆとりがあって始めて出来上がる工芸であるとつくづく感じました.
当町は,国東半島の付根で院内町の隣にあり,宇佐八幡宮がある宇佐市,福沢諭吉を生んだ中津市(彼は中津藩主の子供として生まれた)とゆかりのある町で,鏝絵が現在まで伝えられてきた背景とこれらが密接に関わっているように思えました.ご覧になったことがない方は,ぜひ一度ご覧ください.(写真2)
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写真2:竜王地区古荘家前にて (堤一郎氏提供,フルサイズ63KB)
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なお,今回の見学では,安心院町内に古い風車があることがわかりました(写真3).通常であれば「あれは風車か」程度で通り過ぎたところですが,前日の公開研究会で,多摩美術大学の川上顕治郎教授や千葉大学の佐藤健吉助教授が用水風車に関する発表を行っていたことからもわかるように,風車研究者が大勢参加したことから,一時は鏝絵そっちのけで大騒ぎになりました. 付近の老婦人によると,(1)この風車の持ち主は昔アメリカに移住していましたが,昭和2年(1927年)に現在地に引き上げる際にいっしょに持ちかえったものである,(2)風車は集落内への簡易水道供給のための地下水汲み上げ用ポンプの動力源として使われ続けたが,今は止まっている,とのことでした.前出の川上教授によれば,これはインディアン風車と呼ばれるもので,第2次世界大戦以前のアメリカの重要な輸出品のひとつ,とのことです.
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写真3:鏝絵見学中に偶然見つけた風車) (フルサイズ30KB)
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当日は,大分駅前の大友宗麟像の前に集合し,マイクロバスに乗って午前9時に出発,大分自動車道を北上し,安心院町で鏝絵の見学から行い,その後院内町に入って石橋を見学した後,別府経由で午後4時に出発地に戻りました.石橋,鏝絵と,大変内容の豊富な見学もさることながら,思いがけずもインディアン風車の存在を見つけることができ,大変有意義な見学会でした.
本行事に際して,バスの手配や見学先との交渉など多大なご尽力を頂きました大分高専の先生方に厚くお礼申し上げます.
なお,当日の模様を撮影したスナップ写真がこちらのページにあります.
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