自分の嫌いな個性に向き合う
福島大学 共生システム理工学類 4年
薄井 里緒菜
あの人子供っぽいことしていて汚い、床に体育座りなんて汚い、そんな考えを持ち始めたのは実に6歳の時であった。突然同じ学級の女の子が、自分の頬に口付けして来て衝撃を受けたのである。そんな阿保らしいきっかけであるが、その後私を16年悩ませるのであった。
皆が使うドアノブ、電車の吊り革、エレベーターのボタン、図書館の本など、誰もが触っている、また自分の指紋や手汗が混じってしまう等の先入観から、触るのを躊躇するようになり、いつしか素手で触れなくなってしまった。ちなみに決して潔癖症ではない。残念なことに部屋は普通に散らかっている。
中学時代に所属していた吹奏楽部で、楽器を使い回したり、床に置いていたりする光景に驚いた記憶がある。「楽器を大切に」的なことは置いておくとして、これが普通なのかと、言葉にならなかった。信じられなかったが、我慢した。とにかくその頃は「普通の人」になりたくて必死だったのだと思う。
高校生の時、HSPという言葉を初めて耳にした。環境の刺激を受けやすい人という意味合いである。聞いてみると、何でもありだなと呆れた部分もあったが、何となく近しいものを感じた。自分はHSPです!と、声を上げる人が増えた。真偽はともかく、少なくとも皆悩んでいるという事を知った。
大学入学と同時期、コロナ禍で皆が除菌、外出自粛、3密など、衛生面に気を遣うようになり、多くの人が大変な思いをしただろう。そんな中、私はひっそりと喜んでいたのである。マスクをしていても何も言われないし、手袋をしていても不自然ではない。なんて生きやすいんだと感動した。これが多様性なのか!と実感した。
しかし実際、多様性という言葉は狡い。その言葉が個性を許すように見せかけて、マイノリティを強調する。恐らく言語化されていない個性は想像以上に溢れている。その中で争いが起こることもある。自分自身も先入観から他者を認められず、傷つけてしまったことが多くあり、後悔している。こういったことを「法律では裁かれない罪」と勝手に言っているのだが、これが自分の中で課題となっている。今では自分の個性、他者の個性から逃げずに向き合うべきだと考えるようになった。
所属する衣川研究室で自分は、突発的な感情や個人の感じ方など、心理学を含めた工学系の研究を行っている。これは、これまでの自分と向き合うための良い機会でもある。自分自身を見つめ直すため、また他者を理解するためにも、これからも研究に励んで行こうと思う。
|