僕は、そうは、思わない。
秋田工業高等専門学校 創造システム工学科 機械系 5年
山本 禎人
私は、よく本を読む。ミステリー近代文学恋愛ライトノベルノンフィクションエトセトラ。
その中でも私が特に考えさせられた小説、伊坂幸太郎著「逆ソクラテス」を紹介していこうと思う。
大まかな紹介をすると。小学生の少年少女が主人公の日常から少し逸脱した短篇集である。
この小説にはこんなセリフがある。
「僕は、そうは、思わない」
これは作中子供が大人に言い放ったセリフ。
誰もが思ったことがあるのではないだろうか。しかし誰もが言えなかったのではないだろうか。
世の中というのは理不尽なもので立場が上の人間が正しくなり、レッテルで対応を変えられ、多数決の
多い方が常識で正解になる。無意識なうちに自分の中の常識と偏見を押し付ける大人であふれている。子供の意見なんて関係ない。
そして何より、「こんな大人」になりたくないと思っていた自分自身が「こんな大人」になってしまう。理不尽に抗うというのはとても難しい。
ソクラテスといえば「無知の知」が思い浮かぶのではないだろうか。自分は何も知らないということを知っているという意味である。逆にすると自分は何も知らないということを知らない。まさしく「逆ソクラテス」だ。
永六輔氏の言葉にこんなものがある。「人間は二度死ぬ」一度目は肉体の死、二度目は忘れられた時。
私はその前に、もう一度人間は死ぬと考える。「逆ソクラテス」な「こんな大人」になったときである。
「逆ソクラテス」な「こんな大人」になるのは簡単だ。常識を受け入れてそれを自分の意見だと思えば良い。ここで“自分”というのは一度死ぬ。自分で殺すのである。その方がきっと生きやすい。
こんなこと考えない方が幸せに決まっている。気付かない方が世界は私に優しくしてくれる。
しかし気付いてしまった。無視しないと決めた。
こんな19歳の叫びを聞いている君も考えてみてはどうだろうか。
ほんとにそれは自分の意見か?周りと同じが正解か?自分に嘘はついていないか?そのYESは自分を殺していないか?
少しでも答えに悩んだのであれば君は死んでいない。まだ間に合う。
全てに「はい」と答えれるのであれば君はもう君じゃない。立派な「逆ソクラテス」な「こんな大人」だ。
これをくだらない、若い、無意味だと言う人も多いだろう。
しかし僕は、そうは、思わない。
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