与える
福島大学 共生システム理工学類 4年
渡辺すみれ
「お笑い芸人になるのはどうかな?」
「大学に行ってからお笑い芸人になる道もあるよ」
高校3年生の冬,大学受験.私は第一志望に行けず浪人生になってもう一度挑戦することにした.今となっては,なぜその大学にこだわって一年頑張ろうと決心できたのか分からない.高校の行事で一度その大学を見学し,ほかの大学を大して調べもせずにここしかない!と決め込んでいた.
私の家はお金がなかったので,私は,予備校には行けず自宅で浪人生として過ごす,通称「宅浪」だった.新たに参考書を買うお金や模試の試験代を稼ぐためにアルバイトをする.個別指導塾でなら自分の勉強にもなる!と考え応募した.周りの先生は大学生ばかりで,通常であれば浪人生は採用しないそうだが,なぜか採ってもらえた.
浪人生として過ごす間,人生とは?自分とは?と考えることが多かった.そこで考え着いたのが,私が好きなのはバラエティ番組!芸人になるしかない!だった.しかし母には却下された.
高校卒業から一年経ち,福島での一人暮らしが始まる.引っ越しは自分ひとりでした.自分で稼いで,自分の力で,自由に生きる!高校の時よりも専門的なことが学べるようになった授業も,新しいことにチャレンジしようと入ったチアダンスサークルも,自分の強みであるコミュニケーション能力を活かせる接客のアルバイトも楽しくて,大学に来てよかったと思った.同時に,自分より面白い人なんてたくさんいると気が付く.お笑い芸人にならなくてよかった.観ているだけで十分.しかし,大学に入ってからも,人生とは?自分とは?と悩むことは尽きなかった.
三年生の前期に研究室の希望調査がある.ちょうどその年に異動してきた先生が優しくてすてきな方だった.ロボット分野.私は考えたこともなかったが,また新しいことに挑戦するチャンスと思い,その研究室に希望を出した.
私は今とても楽しい.自分の力で,新しいことに挑戦して切り開いてきた.そう思っていた.しかしそうではなかった.新しいことに挑戦していく先々で,親切な人に会い,支えてきてもらったからだ.誰かに支えられて生きるって当たり前のことかもしれないけれど,振り返る機会がないとなかなか気づかないものである.今までは自分に矢印を向けて人生をとらえていたのだなと恥ずかしく思う.この人の人生は?そのために私ができることは?自分は与えられる側ではなく,誰かに与える側になっていきたい.
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