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現実と空想のはざまで

東北学院大学大学院 工学研究科 機械工学専攻 2年
菅原隆寿

 私の部屋には堆く積まれた本の山が林立している。電子書籍が普及して久しい今日でも、なんとなく紙の本を買ってしまうことが多い。そのほとんどが、事件のトリックを探偵が鮮やかなロジックで解き明かすミステリ小説だ。大小さまざまな手がかりから、ただ一つの隠された真実を導く様のなんと美しいことか。コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン。名だたる作家の著書は長い歳月を経ても色褪せずに輝きを放っている。
 もちろん、現実には密室での不可能犯罪や時限装置を使ったアリバイ工作など存在せず、大抵の事件は警察が足を使って集めた情報や科学捜査を利用することですぐに解決する。小説など所詮、世俗的な夢物語でしかなく、もっと実用的な本を読むべきだという人もいるだろう。
 それでも、いや、だからこそ私は小説に夢中になる。登場人物に感情移入しながら読むことで、私の精神は小説内の世界に沈み込んでいく。小説の世界が、私の世界になる。現実にはありえない空想の世界へ私を導いてくれるのが小説の魅力なのだ。
 そんなものは現実逃避でしかないと思われるかもしれない。だが、現実逃避をすることはいけないことだろうか。現代社会は厳しく、理不尽で溢れている。そんな世の中を逃げずに真っ向から生き抜いていくことが可能なのは、相当に強靭なメンタルを持ったごく一部の人間だけだ。私にとって読書とは、この社会を生き抜くための正当な自衛手段である。
 生きることに迷いが生じれば思う存分空想の世界に浸って、明日への活力を得る。人生は長いのだから、ときにはそんな時間があっても良いのではないだろうか。







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