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家が狭い

鶴岡工業高等専門学校 機械工学科 5年
佐々木真澄

 私が日頃から思っていること。それは、「家が狭い」

 なぜそう思うようになってしまったのか。私の家は転勤族で、借り暮らし。私が幼かった頃はこんなのが当たり前、普通だと思い、家の大きさについて全く気にすることはなかった。

 数年経った頃、また引っ越すことになった。新しい学校にも慣れた頃、もう引っ越さなくていいように借り暮らしをやめ、家を探した。その家が現在の家。その時は自分の家なんだと、とてもうれしかった。今までよりも広く感じられ、引っ越しの必要がなくなり、やっと落ち着けると思った。

 友人と、フトしたきっかけで部屋がどうのという話になり、そこで自分の部屋の話をする。そういえば「自分の部屋」はない。なんてったって、現在の家は、「家族の顔がいつも見える家」というコンセプトで建っていた。もちろん誰がいつどこにいるのか一目でわかり、話ができるのは良いと思う。でも年齢が上がるにつれ一人の時間も欲しいと思う。そんなコンセプトなど必要ない。なんてったって、顔がいつも見えるということは一人集中できる場所がない。時間とともに場所を変えたり、なんとか工面している。

ちなみに私には兄弟もいる。互いに気を配りながら、なんとかする毎日。もしかしたら、家族のコミュニケーションは他よりも多いかもしれない。逃げ場がなく、どうしようもできない分、うまくバランスを取ろうとしている。これは狭いからこそできたと思う。

 母は言う。「屋根と窓がある。雨風はしのげる。」ないものねだりせずに、今が幸せだと思いたい。

 春、私はこの家を出る。やっと自分の部屋が持てる。




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