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震災があった日

日本大学

工学部 機械工学科 創成学研究室 修士1年 服部 恭典

  私の地元は福島である。忘れもしない2011年3月11日14時 それは起こった。当時私は大学の研究室に新しく在 籍した後輩たちと大学の研究室が入っている棟で実験装置を作成していた。最初に激しい横 揺れに襲われた。初めは「 大きな地震だな…。」程度に思っていた私だったが、揺れが大きくなるごとに不安も増大していった。棟が揺れ始め て、一分後には普段よく見上げていた棟の天井に設置されている配管はまるで天井を這う大蛇のごとくうねっていた。 一緒にいた後輩たちも焦りを隠せず、身を隠すように近くにあった机の下に避難した。その時間はほんの数分であっ たが、恐怖のせいだろうかまるで途方もない時間を過ごしているようだった。地震が治まってから棟を出てみると建物 の窓ガラスは割れ悲惨な光景が広がっていた。周りには我先にと家族の安否 確認をするため携帯電話を取り出し連絡 を取ろうとする人たちがたくさんいた。私も慌てて携帯電話を取り出すが呼び出し音すらならず切れてしまう。自分 の家族に限ってそんなことは…。しかし、不安は頭の底にこびりつき消えることはない。「早く家に帰らねば…。」 頭で考えるより先に体が動き、研究室全体で簡単な安否確認を終えすぐに車に乗り自宅に向かった。私が本当のことの 重大さに気付いたのはその家に帰るまでに見た景色だった。もう人が住むことが不可能だと一目見てわかる建物、数十 メートルにわたって割れた道路。普段見慣れた風景とは明らかに違うこの景色に大きな恐怖を抱いたのは言うまでもな い。不安は大きくなるばかりである。通常はほとんど混むことのない道路はたくさんの車であふれかえりまったく進ま ない。そうしているうちに友人達から安否確認のメールが次々と送られてきた。友人『大丈夫か?』私『大丈夫だ。そ っちは?』友人『親と連絡がつかない』そんなやりとりをしているうちに家に着く。外から見るといつもと変わらぬ 我が家。なかに入ると…。親が何気ない顔でテレビを見ていた。胸につかえていた不安がふっと消えた。震災を振り 返ると私の家族、友人ともに死傷者が出ておらずよかったなと思う。しかし震災で亡くなった方は約1万人をゆうに 超える。震災後、学校が開校したのは例年より一カ月遅れてのことである。その間にガソリン不足、食糧不足など起 こり非常に苦労した。普通が普通でなくなる ことの恐怖を私は身をもって体験した。しかし、今思うとそんな困難も かけがいのない友人達、家族の支えがあって乗り越えられたのだと思う。こんなことがないと人は本当の物の大事さ 、人との絆の深さをなかなか認識できないと思うと悲しいものである。しかし、それを認識できた私は貴重な体験をし たと思う。これからは人に感謝の気持ちを伝えていこうと思う。感謝は言葉に出さなければ伝わらない。手始めに今 年は 父の日に感謝の手紙でも書こうかと考えている今日この頃である。


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