「ただ思いつくままに」
日本大学大学院 工学研究科 機械工学専攻1年 平子 雅通
「日暮,徒然なるままに硯に向かいて…」とは吉田兼好の徒然草の一節であるが,今私はパソコンに向かってこの原稿を書いている.もちろん徒然草のような名文が書けるわけではないが,思いついたことを書きとめてみたい.最近自分の人生にあきらめがついてきたように思う.もちろんあきらめといっても「諦め」ではなく,「明らめ」である.まだまだ人生は捨てていない.これまではただ何気なく日々を過ごしていたが,あるお坊さんが書いた本のなかに「世の中愉快で愉快でたまらぬぞ」という一文を読んで本当に身の回りのことが愉快に思えるようになった.その瞬間に自分が生きていることを実感している.社会的に成功もしていないし,むしろ失敗ばかりであるが充実した日々を送っている.
ある新聞に面白い川柳が載っていた.それは「頬被り 李下に籠持つ 知事ばかり」である.知事ばかりでもないだろう.昨年は巷間をにぎわす事件が一段と多かったように思う.古代中国の名宰相管仲が言ったとされる「衣食足りて礼節を知り,倉凛満ちて栄辱を知る」という言葉がある.しかし,現代では「衣食余りて礼節を忘れ,倉凛溢れ栄辱を忘れる」が当てはまるのではないだろうか.衣食は捨てるほど溢れているのはそれが当たり前だと思って感覚が麻痺しているかもしれない.しかし,物を大切に出来る人というのは食べ物を大切に出来る人ではないかとつくづく思う.私は兄弟が多かったため夕食時は争って食べていた.そのためか私は今でも食べ物に意地汚い.そのためか食べ物を平気で捨てるところを見るともったいないと感じる.「もったいない」という言葉が一時期はやったが,それを友達に言うと「みっともない」と返されるので,今では何もいわないようにしている.物を大事にするという心は日本人の美徳であったように思う.新商品が次々と発売されるし,お金を出せばなんでも買える世の中であるから,逆に自分の物に愛着を持ってほしいのだが,難しい問題であろうか.
人の一生は決められたものではない.日本人の平均寿命は約80歳といわれているが,誰もが80歳まで生きられるということは保証してくれない.生きているということは絶対であるが死もまた絶対である.だが,生と死の間は絶対とはいえないものである.この絶対といえないから人間は夢や理想を求めて生きてゆくのかもしれない.そこが人生の愉快といったものであろう.冒頭に吉田兼好や管仲などの大人物を挙げながらこのようなまとまりのない話になってしまったが,何でも書いてよいとのことでご容赦願いたい.しかし,人生は金があろうとなかろうと,社会的地位を得ようと得まいと,自分の人生を楽しまなければ損をするということを一人でもわかってくれれば望外の至りである.
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