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学園祭の存在意義

八戸工業大学工学部機械工学科3年
           藤田 拓也

 本学の学園祭は、「拡大・拡充」というテーマのもと、去る10月27.28日にわたって行われたのであるが、毎年のように学園祭の存在意義が問われるのである。というのも、”学園祭に参加する学生が年々減少している”ということである。
 その理由は、学園祭の前後に1日ずつ準備と後始末の日が設けられているために、学園祭に参加しない学生はまるまる4日の休日を手にいれることができるのである。この休日を有効に使わなければ、と実家に帰省する学生もいれば、アルバイトに精を出す学生、紅葉の過ぎた十和田湖にツーリングにいく学生など、予定を組んでいる人が結構いるらしい。
 ところがどうだろうか白もし学園祭に参加する学生がこのまま減少していくとすれぱ、当然日程などは削られるだろうし(現にかつては3日間開催されていた)、”将来的には学園祭をなくした方がよい”という話も教授陣からちらほら聞かれるのである。
 さらに追い打ちをかけるようなとんでもない事件が、この原稿を執筆しているときに発生してしまった白というのは、学園祭期間中に帰省していた学生が交通事故で死亡してしまったのである。本学ではこの一年余り交通死亡事故がなかったために、この事件に対する衝撃は大きい。
 では、なぜ学園祭に参加する学生が減少しているのであろうか?
 まず第一に、学生数が多いために、同学科同学年内においても顔と名前が一致しないことがよくあるのである。すなわち結束力が弱い、といつことである。また、宿命である製図や実験に時間をとられ、朝から夕方まで講義がびっしり…と、学園祭の準備の為の時間が十分に確保できない、ということである。
 第二には、学園祭には参加するが、スタッフにはなりたくない、ということである。本来は、学生全員がスタッフであるはずなのに、学園祭で行われる催物に学生自身が参加してしまっているという。これでは内輪の学園祭ともいわれても仕方ないと思われる。
 第三には、学園祭に来ていただく芸能入によっても、学生の学園祭に対する見方が変わってくるという、およそ学園祭の内容とはいいがたい点で評価が決まるのである(ちなみに本学では「ZIGGY」に来ていただいた)。もう少しacademicな学園祭のほうが…と思われる。それにしても、子供たちから”お祭りの縁日みたいだね”といわれたときには、返す言葉がなかった…。
 ここであえて対策をどうこうということはいわないが、一ついえることは、このままでは学生の自主性が失われかねないということを肝に銘じておかなければならない、ということである。それこそ、”大学は就職予備校た”といわれかねないのである。


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