1. はじめに
水素は次世代燃料候補の一つとして期待されているが,社会的普及に際しては,製造,運搬,貯蔵,インフラ整備,および,その利用法について未だ多くの課題がある.また,製造プラントや水素供給ステーション等の水素関連設備における水素漏えい時には,周囲に壊滅的な爆風被害をもたらす爆発事故が発生する可能性があり,万が一に備えた爆発危険性評価と事故対策を含めた検討が必要である[1-4].しかしながら,他の多くの炭化水素燃料に比べて,@可燃範囲が極めて広い,A燃焼速度が大きい,Bわずかの着火エネルギで火がつく,といった水素の特異な性質(これらは上述した水素ガス漏洩爆発事故を懸念する要因でもある)を積極的に利用することは有用であり,その一つに水素添加燃焼が考えられている.Table 1に報告例の一部を示したが,水素添加によって炭化水素燃料の燃焼改善を試みた研究が国内外で多数行われている[5-27].
これらの多くは水素添加による燃焼改善効果を確認するために行われたものであるが,水素添加がシステムとして有効に機能するかどうかについては,供給法や添加量等の条件を十分に検討する必要があると考えられる.例えば,LOX-ケロシンロケットの水素混焼実験[9]やガソリンエンジンへの水素添加実験[18]に関する報告によれば,水素添加によって効率がむしろ低下する場合があることや条件によっては燃焼改善の効果がほとんど見られない場合もあり,注意が必要である.
既存燃料,新燃料のいずれにおいても,少量の水素添加によって希薄可燃限界の拡張,燃焼性の改善,低エミッションを同時に実現することができるのであれば,エネルギの有効利用法として導入する意義は大きいと考えられる.ただし,これまでの研究の多くがガス状燃料に対して実施されたものであり,噴霧状燃料に対して水素添加の効果を調べたものは少なく,実用に供するためには様々な状況を想定したより広範な条件における検討が必要になってくるであろうと思われる.また,最近では実機を用いての検証実験が多数報告されているが,燃焼改善のメカニズムを根本的に理解し,幅広い応用を可能とするためには,市販エンジン等を用いた個々の事例のみならず,ベースとなる基礎的知見も重要である.
本稿では,水素添加による噴霧燃料の着火,燃焼促進効果を調べるために,著者らが室温・低温環境下で行った水素添加雰囲気中におけるエタノール噴霧の定容燃焼実験を紹介する.
Table 1. Previous works of hydrogen addition combustion
年 | 著 者 | 出 典 | 主燃料 | 検証装置,方法 | Ref. |
1959 | Scholte, T.G. et al. | Combustion and Flame | CO, CH4 | 軸対称バーナ(実験) | 5 |
1980 | 廣安,他3名 | 機論(B編) | 灯油,C3H8 | 噴射弁を備えた円筒型燃焼器(実験) | 6 |
1989 | Richards, G.A. et al. | Transactions of the ASME | ケロシン | 角タダクト型燃焼器(実験) | 7 |
1990 | Richards, G.A. et al. | Combustion and Flame | ケロシンベースの燃料 | 燃焼モデルの提案と検証 | 8 |
1992 | 小野,他6名 | 航技研報告 | ケロシン(RJ-1J) | ロケット燃焼器(実験) | 9 |
1997 | 山本,他2名 | 燃焼シンポジウム | CH4 | スワール型伸長火炎バーナ(実験) | 10 |
1998 | 山本,他2名 | 機論(B編) | CH4 | スワール型伸長火炎バーナ(実験) | 11 |
1998 | 酒井,石塚 | 燃焼シンポジウム | C3H8, CH4 | 対向流二重火炎バーナ(実験)回転環状火炎バーナ(実験) | 12 |
1999 | 酒井,石塚 | 機論(B編) | C3H8, CH4 | 回転環状火炎バーナ(実験) | 13 |
2001 | 酒井,栗本 | 機論(B編) | C3H8, CH4 | 対向流予混合火炎バーナ(実験) | 14 |
2003 | Jackson, G.S. et al. | Combustion and Flame | CH4 | 対向流バーナ(実験,数値計算) | 15 |
2003 | 田上,他3名 | 機論(B編) | CH4 | 対向流バーナ(数値計算)定容燃焼(実験) | 16,17 |
2004 | D'Andrea, T. et al. | Hydrogen Energy | ガソリン | 2気筒4ストロークSIエンジン(実験) | 18 |
2005 | Li, H., et al. | Hydrogen Energy | CH4, CO | 4ストロークCFRエンジン(実験) | 19 |
2005 | 川那辺,塩路 | 機論(B編) | CH4, C3H8 | (数値計算,反応動力学計算) | 20 |
2005 | Guo, H. et al. | Proc. of the Combust. Inst. | CH4 | 対向流予混合火炎バーナ(数値計算) | 21 |
2007 | Pandey, P. et al. | Combustion and Flame | C2H2 | 同軸流バーナ(実験) | 22 |
2009 | 西,渕端 | 燃焼シンポジウム | C2H5OH(l),軽油 | 噴霧バーナ(実験) | 23 |
2009 | 星野,他2名 | 微粒化シンポジウム | C2H5OH(l) | インジェクタを備えた定容燃焼器(実験) | 24 |
2010 | Wang, S. et al. | Hydrogen Energy | C2H5OH | 改良したSIガソリンエンジン(実験) | 25 |
2010 | 古市,他4名 | 機論(B編) | C2H5OH(g) | 同軸流バーナ(実験) | 26 |
2010 | 星野,斎藤 | 燃焼シンポジウム | C2H5OH(l) | インジェクタを備えた定容燃焼器(実験) | 27 |
2. 実験装置および実験方法
Fig.1に,用いた実験装置の概略を示す.燃焼容器は,内径110 mm,奥行き106 mm,容積が約1000 cm3の円筒形状である.容器側面には強化ガラス窓が取り付けてあり,燃え広がる火炎の様子が観測できる.燃焼室内壁には,液体燃料微粒化のための自動車用直噴インジェクタ,スパークプラグ,圧力センサが配置されている.真空ポンプで容器,配管内部を一度真空にした後,分圧法により,乾燥空気と水素を所定の混合比となるように充填する.手動ポンプにより液体燃料(本実験ではエタノールを用いている)に圧力をかけておくと,インジェクタ駆動用ドライバへ入力したTTL信号により,設定した時間だけ燃料を噴射することができる.燃料噴射開始後,ある遅れ時間(Δτ)後にイグナイタを駆動するTTL信号を送り,点火プラグからの火花放電によって着火させる.Δτを変えることにより,点火時におけるプラグ周りのエタノール噴霧混在混合気の状態が変化する.初期圧を0.1 MPaとし,上昇する燃焼室内圧力の時間履歴をオシロスコープで記録した.実験条件をTable 2に示す.低温環境での試験は寒冷地を想定したものである.
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Figure 1. Experimental setup
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Table 2 Experimental condition
Hydrogen volume fraction [vol%] |
0 | 2 | 4 |
6 | 8 | 10 |
Initial pressure [MPa] |
0.1 |
Initial temperature [K] |
296.15, 240.15 |
Injected ethanol [g] |
0.07 |
Total equivalence ratio (296.15 K) |
0.53 | 0.59 | 0.66 |
0.72 | 0.79 | 0.86 |
Total equivalence ratio (240.15 K) |
0.43 | 0.49 | 0.55 |
0.61 | 0.68 | 0.75 |
Spark delay (Δτ) [ms] |
15, 20, 30, 50 |
3.実験結果
3.1 着火可能条件への影響
インジェクタ噴射開始後,噴霧先端はおよそ10 ms程度で点火プラグ付近に到達する.このため,Δτを15 ms以降で数条件設定し,各条件10回の着火実験を行った.室温,低温環境における着火実験の結果をTable 3に示す.着火の可否は,容器内圧力の上昇が認められるかどうかで判断した.表中,◎は10回の試行中10回とも圧力上昇が確認できたものを示し,以下,5〜9回を○,1〜4回を△,まったく着火できなかったものを×としている.表から明らかなように,水素添加なしの条件では,室温,低温環境ともΔτ =20 msの条件を除いて,着火の成功確率が概ね低い.一方,水素を少量添加した条件では,いずれの温度環境においても,着火可能な条件範囲が広がることがわかる.エタノールは低温始動性の悪さが指摘されているが,少量の水素添加でこれを改善できる可能性がある.
Table 3. Result of ignition test
Room temperature (296.15 K) |
Spark delay (Δτ) [ms] |
15 | 20 |
30 | 50 |
Air |
× | ◎ | ○ | ○ |
Air + H2 addition (2 vol%) |
○ | ○ | ◎ | ◎ |
Air + H2 addition (4 vol%) |
◎ | ◎ | ◎ | ◎ |
Low temperature (240.15 K) |
Spark delay (Δτ) [ms] |
15 | 20 | 30 | 50 |
Air |
× | ○ | △ | × |
Air + H2 addition (2 vol%) |
○ | ○ | ○ | △ |
Air + H2 addition (4 vol%) |
○ | ◎ | ○ | △ |
3.2 水素添加量と燃焼圧力
Δτを20 msとした条件で,室温,低温環境のいずれにおいても着火が良好であったため,この条件で燃焼圧力の比較を行った.Fig.2(a), (b)は,それぞれ,室温,低温環境における圧力上昇履歴の比較である.室温,低温環境ともに,水素添加量の増大とともに圧力波形のばらつきが小さくなり,最大圧力が増大することがわかる.ただし,室温環境では4 vol%の水素添加で効果が現れたのに対し,低温環境下においては,4 vol%程度の水素添加では燃焼改善効果が顕著に出ず,室温よりも添加量を増やす必要があるという結果になった.低温環境ではエタノールの予蒸発量が減少し気相当量比が下がるため,室温よりも低下した燃焼性を改善するのにより多くの水素が必要となったと考えられる.
さらに水素添加量を増加させ,20 vol%(総括当量比1.26)とした場合の圧力波形をFig.3に示す.波線は水素−空気混合気のみの燃焼圧を示したものであるが,エタノール噴射の有無にかかわらず,ほとんど同じ圧力波形となっている.この場合,結果的に水素−空気予混合気の燃焼を行っただけにすぎず,エタノールを噴射した意味がないことになる.従って,燃焼促進のために,水素添加量を単に増大させればよいというわけではなく,燃焼促進効果を得るのに妥当な添加量が存在すると推測できる.
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(a) Room temperature (b) Low temperature
Figure 2. Overpressure time histories
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Figure 3. Overpressure time history (room temp., hydrogen addition: 20 vol%)
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水素添加量と燃焼圧特性の関連性を見るために,充填した水素−空気混合気のみの圧力特性とエタノール噴射を行った場合の圧力波形から,最大燃焼圧,最大昇圧速度,最大圧力に到達するまでの遅れ時間,圧力波形の時間積分であるインパルス(発生圧力の力積に相当)を求めたものがFig.4〜Fig.7である.各特性値とも,水素添加量の増大とともに水素−空気予混合気の定容爆燃特性に漸近していくことがみてとれ,水素添加量を単に増加させればよいというわけではないことがわかる.最適な水素添加量に関しては,例えば,確実な着火が可能で,充填した水素−空気混合気のみの特性値,あるいは,水素添加をしない場合の燃焼特性値に対する水素混焼燃焼時の特性値の比が最大(もしくは,すす等の有害排出物質量であれば最小)となる条件とすればよいようにも思われるが,燃焼促進による火炎温度の上昇とNOx排出がトレードオフの関係にある場合もあり[6, 18, 21, 23],単純ではない.
燃料噴霧の時空間的不均一性が大きく影響する噴霧燃焼場において,水素添加を行うことによる燃焼促進効果を狙う場合,添加によって噴霧の蒸発過程と噴霧火炎構造がどのように変化するのかを把握しておく必要がある.本実験において水素−空気混合気の燃焼特性と同程度となった水素添加条件では,エタノール噴霧が単に蒸発したのみで燃焼反応にほとんど寄与しなかった可能性があり,水素添加による燃焼反応領域の形成状態と噴霧の蒸発挙動の変化について今後検討することにしている.
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Figure 4. Variations of overpressure with hydrogen concentration
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Figure 5. Variations of maximum rate of pressure rise with hydrogen concentration
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Figure 6. Variations of delay time with hydrogen concentration
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Figure 7. Variations of impulse with hydrogen concentration
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4.まとめ
水素添加燃焼法について,国内外の研究状況と著者らの行っている実験研究について紹介してきた.燃料噴霧が混在する状況でも水素添加による着火・燃焼促進効果は確認できたが,噴霧火炎構造の変化にまで踏み込んで行われた研究例が少なく,系統的な理解には至っていないのが現状である.差し迫るエネルギー問題の解決策の一つになり得る可能性を示すことができればと考えている.
4.謝 辞
本研究の実施にあたり,文部科学省科学研究費(若手研究(B),H17 -18,課題番号17760163および若手研究(B),H20-21,課題番号20760131)の支援を受けた.ここに謝意を表す.また,緻密に実験を遂行していただいた芝浦工業大学大学院機械工学専攻の星野昌平君に謝意を表す.
参考文献
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2. |
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17. |
田上公俊,後藤晋平,嶋田不美生,浜武俊朗,日本機械学会論文集(B編),Vol.69,No.677,pp.168-176,(2003). |
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