はじめに
2009年11月よりYale大学工学/応用科学部に博士研究員として在籍しています。燃焼計算を主に扱うMitchell D. Smooke教授のラボに所属しており、現在は単液滴の燃焼解析のプロジェクトに関わっています。
Yale大学に在籍するようになった経緯は夫の転勤によります。先に夫の就職が決まり、その後同じ大学内で就職先を探しました。少し消極的な理由に聞こえるかも知れませんが、研究が続けられれば私としてはどこでもよく、むしろ新しい世界で生活することに楽しみを感じ、こちらでの生活を選びました。
Yaleはどちらかというと文系学部(歴代の大統領の出身校)や、芸術系学部(ハリウッドスターが所属)が強いイメージがあり、工学部の印象は薄いのではないでしょうか。しかしYale大学は、工学部としても長い歴史を持ち、様々なエンジニアや研究者を輩出してきました。Yale大学の歴史は、ほぼ現代アメリカの歴史に相当します。本稿ではNew Havenについて、Yale大学及び工学部について、歴史的背景とともに紹介したいと思います。またこちらでの生活、研究についてもあわせて紹介します。
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Yale大学のあるNew Havenについて
Yale大学は、アメリカ東海岸北部、コネチカット州南部New Havenにあります。New Havenの緯度は札幌とほぼ同程度で、四季のはっきりした気候ですが、日本に比べると春と秋が短く、また梅雨が無い分夏が長くなります。冬は日中でも氷点下になり、一番寒い時期は-20℃程度まで低下します。
New HavenはN.Y.から東へ電車で1時間半、Bostonからは西へ2時間半の距離に位置します。New England地方に属するので、地理的にはN.Y.のほうが近いのですが、文化的にはBostonよりに感じます(例えば、バーではN.Y. YankeesファンよりBoston Red Soxファンのほうが多いなど)。
この地方の名物の食べ物は、鳥の手羽をから揚げしたものにタバスコ等のピリ辛ソースを絡めたバッファローウィング、ニューイングランドクラムチャウダー、またハンバーガーの生みの親と言われるお店のひとつがNew Havenにあったことからハンバーガーもその一つと言えます。ただ最も特筆すべきなのはピザ店の多さでしょうか。New Havenはイタリア系移民の多さで知られており、街中にもイタリア系のグローサリー(商店)が点在しています。New Havenはアメリカにおけるピザ発祥地とされており、クラストの薄いイタリア型で、日本人の舌にもなかなか合います。
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図1. 雪のNew Haven
(右はYale Woolsey Hall)
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New Haven,Yale大学の歴史
先にも述べたように、Yale大学は文系学部のイメージが強いものの、工学部の歴史はアメリカ及びコネチカットの歴史と大きく結びつき、工学部が果たしてきた役割は非常に大きいと言えます。それというのも、New Havenはアメリカ近代史がスタートしたピューリタンの入植地・マサチューセッツ、経済・政治の発展の中心となったN.Y.に挟まれており、その発展した時代が工業化の波が押し寄せる時期と合致していたことにあると思われます。以下、Yale大学工学部の歴史をYale大学、New Havenの歴史と共に紹介します。
1638年マサチューセッツのピューリタンの一派がNew Havenに初めて入植し、その後1641年に全米で初となる都市計画がNew Havenでスタートしました。彼らは、Yale大学の前身を1701年にNew Havenより東に40km程行ったOld Saybrookにて創設、1716年にNew Havenに移し、Yaleの名を冠することになります(1718年)。
コネチカット州を含むアメリカ北東部はその後、独立戦争(1775-1783年)に巻き込まれていきます。数々の港町は砲撃の対象となったものの、New HavenはYaleの学生の尽力もあり、戦火を逃れます。そのため、New Havenには独立戦争前の建物も現存するそうです。
独立戦争で武器の性能に注目が集まる中、戦後アメリカは工業発展(産業的大量生産)への道を進みます。Yale大学卒業生、Eli Whitneyは綿の紡績機の開発(1792年)、またNew Havenの北部に銃の工場を設立しました。その後、1837年に同じく卒業生のSamuel F. B. Morseはモールス信号を発明しました。New Havenを含むコネチカット州は、以降、工業・軍需産業の町として発展していきます。
今日のYale大学工学部の前身となるSheffield Scientific Schoolは1847年に創設されます。そして1860年、Ph.D.の授与が認められ、1863年、アメリカで初の博士号をJ. Willard Gibbsに出します。ご存知、熱力学のGibbsです。GibbsはYaleで教員として生活を送る中、1872年に3大熱力学論文といわれる最初の論文を発表します。没後は現在の工学部の隣のGrove墓地に埋葬され、今でも授業では、“ほら、僕達の近く眠っている人だよ”などと親しみをこめた言及がなされます。工学部の学生は、一度はお墓参りに行くのではないでしょうか。
同時期、アメリカでは南北戦争が起こります(1861-1865年)。軍需景気により工業製品の生産が増加し、労働力として、この頃からコネチカットへのイタリア系移民が増加します。今日でもコネチカットに住むアメリカ人先祖の多くはイタリア系らしく、同ラボの講師の先生との会話で“おじいちゃんはイタリア人でイタリアから来たのよ”との話題が出るくらい、この地方ではポピュラーなようです。この軍需景気と移民の増加は第一次世界大戦(1917-1918年)を通して拍車がかかります。工学への関心が高まる中、Sheffield Scientific Schoolの生徒数は増加し続け、1912年に最大となります。本稿を書く中で始めて知ったのですが、現在のBoeing社の創設者であるWilliam E. Boeingも、その頃Yaleに在籍していたとのことです(1902年)。航空宇宙に携わる私としては、時代を経てますが、大先輩の存在を嬉しく感じました。その後Sheffield Scientific Schoolはその規模の維持がだんだんと難しくなってきたことから1945年、Yale大学へ移行されることになります。
第二次世界大戦(1939-1945年)では、大学に軍事訓練センターの拠点が置かれ、大学に残った工学部の教員は学内で軍事技術トレーナーとして雇用されるようになります。戦後も冷戦期間を通して、コネチカット州では防衛産業の好景気が続き、一度は全米で最も一人当たりの収入が多い州になったものの、冷戦の終結とともに20世紀末は軍需産業が衰退していき、経済衰退を引き起こします。それに伴い、貧困・治安問題が浮上し、政治的な対策が練られているものの現在でもその問題は残ったままとなっています。「Yaleは治安が悪い」と日本にいた頃耳にしましたが、日常生活においては居住地域、活動場所・時間を選んでいるせいか、私個人としてはそこまで感じたことはありません。しかし2008年以降の経済悪化に伴い、今年は特に軽犯罪が目立つようになって来ました。
Yale大学工学部の歴史も、近代に入り様々な変化を迎えました。冶金学などの大きな工場的なラボは解体し、多様な小さなラボが存在するようになります。近年の日本との関係では、2002年、YaleのJohn B. Fenn教授と田中耕一さんによるノーベル化学賞受賞が皆さんの記憶に新しいのではないでしょうか。現在はYale School of Engineering & Applied Scienceとの学部名がつき、Biomedical Engineering, Electrical Engineering, Chemical & Environmental Engineering, Mechanical Engineering & Material Scienceの4学科構成となっています。
現代のYale大学工学部はそこまで大きな組織ではなくSmall Schoolと呼ばれる部類に入ると思われます。しかしながら150年あまりの歴史を通じて、時代のニーズを反映しながらユニークな研究・教育をしてきたことに誇りを持っており、特に21世紀にはいってからは、大型物を作るといったことより大型物を支えている小さな物事に焦点をあてた研究がなされているように思えます。基本から素直に積み上げていくのがYaleスタイルなのではと私は感じます。小さなNew Havenという街からどんな研究が生まれ、世界に広がっていくのか、これからのYaleもまた楽しみです。
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図2. Grove墓地のGibbs父子の墓
(手前: Gibbsの墓、奥: Gibbs父の墓)
図3. (Boeing’s B&W)
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現在のYale大学
現在のYale大学には、学生がおよそ11500人(うち大学院生が6300人程度)、教員・研究者は5600人程度在籍します。留学生は全体学生の16%程度、出身国は100近くになります。日本人留学生は学部・大学院含め36人在籍します。一方、研究者は1970人ほどが海外研究者で、うち日本人は102人となっています。留学生・海外研究者の出身地別に見ますと、中国が突出しているのが特徴で、学生では日本人の9倍、研究者では4倍を占めます。また海外研究者の在籍学部の割合では医学系が半数以上を占め、工学系では52人の約3%となっています(2008年及び2007-2008年のデータによる)。
様々な出身地の人との交流が、OISS(Office of International Students & Scholars)を通してなされます。アメリカ文化へ親しむためのサークルやイベント、語学プログラム、VISAなどの手続き、配偶者や子供のサークル、などもこのセンターが主導となって行っています。OISSのサービスはとても手厚く、留学生や海外研究者がYaleで暮らすために大きな手助けをしてくれています。交流イベントの一つに、先に行われたワールドカップのパブリックビューイングがありました。ほぼ全試合、OISSのプロジェクターを使って放映し、各国出身者が互いに応援合戦を繰り広げるなど非常に盛り上がり、留学生・海外研究者が多い大学ならではのイベントの楽しみ方もありました。
さてYaleの特色のひとつに英国由来(Oxford, Cambridge等)のCollege制があります。College制は1933年に始まり、当時は7つだったのが現在は12になり,それぞれ約450人の学部生が暮らしています。Collegeは日本で言うところの寮に近く、衣食住はもちろんのこと、学術活動、課外活動を通じて社交性を養います。各Collegeには学生だけではなく常駐教員も存在し、ダイニングホール、図書館、セミナールーム、レクリエーションラウンジを備え、それぞれコートヤードと呼ばれる中庭を囲む風情の在る佇まいです。
YaleにはこれらCollege含め、とても趣のある英国風の建物が多く残っています。ダウンタウン全体が大学であり、キャンパス内に居るとまるで中世のイギリスに紛れ込んだような錯覚に陥るくらいです。その中心のひとつが地上7階建てのゴシック様式の建物、Sterling Memorial Libraryです。入口の彫刻のすばらしさもさることながら、中に入ると中央回廊は吹き抜けになっており、ステンドグラスの照らすほの暗いやわらかな光に息を呑みます。Yaleは図書館大学と呼ばれるくらい蔵書数が豊富で、現在は1100万冊を越えてアメリカではハーバードにつぐ規模となっています。研究者にとっては200年以上も前の論文も読むことが出来ることが大きな強みです。
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図4. Collegeの中庭
図5. Sterling Memorial Library
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Yale/New Havenでの生活
Yaleに在籍する海外研究者、及び学生の多くはダウンタウンか若しくは大学の北に広がる住宅地に住むことが多いです。アメリカでは中古車の価格が高く、またコネチカット州では車の保険がアメリカでの免許保有期間に依存するため非常に高くなります(1年目は20万円近くになる)。そのため多くの留学生は車を保有することが難しく、大学はシャトルバスを5ルート運行して日々の生活を助けます。北に広がる住宅地エリアにはシャトルバスがほぼ15分間隔で走り、また治安も考慮して午後8時以降は家の前でおろしてもらうことも出来ます。深夜にはエスコートサービスも実施しており、Door to Doorの送り迎えサービスもあります。これだけ気を使うのは周囲の治安状況のためです。大学近辺、北に広がる住宅地も、あるエリアに限れば本当に安全な地域です。しかし、残念ながら通りを1本隔てるだけで様変わりします。先にも書きましたように、リーマンショック以降、ひったくり、窃盗などの軽犯罪が増えつつあり、大学関係者が巻き込まれる報告もよくなされます。そのため大学では地元警察の協力を得ながら自治的に防衛を講じています。日中歩くのは問題ありませんが、夜間の帰宅になる研究者、夜までパーティーをしたいお年頃の学生にはこのサービスは欠かせません。
アメリカでもこのように車保有率が低いエリアということもあり、日々の生活の買い物は街中ですることが出来ます。アジア系の食材もある程度は揃えることができます。しかし、限られた小売店しかないので価格は非常に高くなります。日本での価格になれていた私は、こちらに来た当初、その価格の高さにびっくりしました。食品、衣料をとりましても日本は良い品質のものがかなり安く売られているように感じます。
学内での昼食は、いくつかのチョイスがあります。一つは大学内の学食です(一部はCollege内にあります)。そのうち工学部に最も近いのはCommonsと呼ばれる大学食で、かつてインディージョーンズの撮影(図書館のシーンとのことです)で使われた趣のある食堂です。ここではビュッフェ形式で価格は$10程です。Collegeに住む学生はミール・クーポンというのを購入しなくてはならず、このクーポンを利用することも出来ます。またもう一つはカートと呼ばれる屋台を利用することです。お昼時になると15以上のカートが並び、カートでは各国の料理をかなりのボリュームで楽しむことができます($5程度)。日本食のカートもあるので、日本食が恋しくなったときには手軽に入手できるのが嬉しいです。
さて余暇の楽しみには、美術館・博物館めぐり、観劇、コンサートなどがあります。YaleはIvyリーグでは唯一、4つの芸術学部を保有することもあり、学内にはゴッホの絵を保有するYale University Art Gallery、Yale Center for British Art、恐竜の骨の標本展示をはじめとしたPeabody Museumが無料で楽しめるほか、保有するシアターや音楽堂では、学生の講演だけではなく外からのプロの招待講演のプログラムもあり、格安に楽しむことが出来ます。スポーツ観戦、またはゴルフやスケートなども大学保有の施設で楽しむことが出来ます。このように、日本に居るときには考えられないくらい、余暇の楽しみの選択肢はあります。居住地が大学のそばということもあり、日々の通勤は往復でも1時間かかりません。そのため仕事が終わったあとにも余裕があるため、余暇の幅は広がります。医療や物価の高さ、治安の不安といったマイナス面ももちろんありますが、日々の“余裕”が生活になんともいえない張りを与えてくれることは、とても大きな魅力になっています。
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図6. 路面に並ぶカート
図7. オーケストラの公演などが行われる
Woolsey Hall (正面中央は巨大なパイプオルガン)
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研究室紹介
最後に簡単に研究室紹介をします。私たちの研究室はMitchell D. Smooke教授をはじめとする、7人の小さなラボです。主に燃焼数値計算を取り扱っており、Flame、Sootの生成、固体燃料、液滴の燃焼計算を行うとともに、反応流体の計算手法や反応のカップリング手法など理論的な研究も行っています。
テーマは各自で持ち、個々に進めておりますが、7人という小所帯ですのでそれぞれが話合いながら進めていくような方式です。私自身も研究室に入ることがきまり、先生からテーマを提示されるというより、こちらからこんな研究がしたい、との提案をさせていただいて、話合いながらテーマが決まっていきました。ポスドクの学生にはなかなか無いような自由な裁量のなかで研究させていただき、とても感謝しております。
研究室は計算用のサーバー(21-node,168-core cluster,Processor: Xeon 5472 3.0 GHz,RAM: 1ノードあたり32 GB,OS: CentOS)を保有し、主にこのサーバーにてシミュレーションを行っています。またお隣の実験系のラボや他大とそれぞれ共同研究しながら進めているプロジェクトもあり、海外からの学生やビジターも受け入れています。学科内でのセミナーはおよそ月に1-2回のペースで行われており、海外を含めた他大学からの第一線で研究する研究者の発表が行われています。
現在、私はロケット・衛星液体燃料の一種であるヒドラジンを用いた単液滴の燃焼計算を行っています。ヒドラジン自身は長い間航空宇宙分野で使い続けられてきた燃料です。近年、無重力環境下での液滴燃焼が注目を集めることになり、また新しい宇宙往還機の設計もあって、ヒドラジンの燃焼について数値的に再現しようという試みが行われております。ヒドラジンは自着火性があり、且つ毒性に富む燃料であることから、大学レベルの実験では非常に取扱いにくく実験例は少ないです。しかし、アメリカでは、1960-70年代にNASAやU.S. Air Forceを中心に集中して実験が行われており、今回はこの過去のデータを下に数値的に再現する試みを行っています。会社時代から更に大学の研究へと、長く衛星エンジンであるスラスタの研究・開発に携わっていた私としては非常に興味深いテーマです。日本に居る頃、その推薬の取扱いにくさもあって簡単な系での実験データの入手が難しく、作った反応機構の検証がなかなか出来ないというジレンマがありました。しかし、このアメリカへの移動が、かなり時代を経てますがデータの入手のしやすさにつながったということもあり、とても縁を感じています。また現在のラボに所属したことで、新しく気液二相の燃焼コードの開発にも取組むことになり、少しずつ研究の方向性が広がっていくことにも楽しみを感じております。
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おわりに
本稿ではYale大学の紹介と共に、New Havenでの生活・歴史なども合わせて紹介させていただきました。本稿を執筆するに当たりまして、私も今一度調べ直しながら自分の住む街や背景を勉強させていただきました。このような機会を下さいました大阪大学の竹内先生、小田先生には感謝を申し上げます。ありがとうございました。
本稿を読まれた皆様が、少しでもYale大学に興味を持っていただければ幸いです。
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参照
Yale大学Webページ
Yale大学全体:http://www.yale.edu/
Yale工学部: http://www.seas.yale.edu/home.php
Yale OISS:http://www.yale.edu/oiss/
Wikipedia
著者略歴
1999年 |
立教大学大学院理学研究科原子物理学専攻修士課程修了 |
1999年 |
三菱スペース・ソフトウエア(株)入社、鎌倉事業所勤務(2005年退職) |
2008年 |
総合研究大学院大学物理科学研究科宇宙科学専攻博士後期課程修了,工学博士 |
2008年 |
東京大学インテリジェント・モデリング・ラボラトリー,特任研究員(〜2009年) |
2009年 |
Yale University,School of Engineering and Applied Science,Postdoctoral Associate(〜現在)
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