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氷点下起動における固体高分子形燃料電池内の凍結現象 |
田部 豊 北海道大学 准教授 大学院工学研究院 エネルギー環境システム専攻 tabe@eng.hokudai.ac.jp |
1. はじめに
固体高分子形燃料電池は,高効率,高出力,低作動温度などの特性により,次世代の自動車用動力源,携帯用電源等の幅広い分野での利用が期待されている.また,燃料として水素を使用すれば発電時の生成物は水のみとなり,非常にクリーンなシステムの構築が可能である.一方,これらの利点が逆に氷点下環境では重大な問題を引き起こす.電池内における生成水の凍結である.氷点下での始動では,電池が十分に暖まる前に発電により生成した水が凍結すると,起動運転の停止,内部部材の経年的な劣化に繋がることが知られている.これは,特に寒冷地での移動用電源や冷凍倉庫内でのフォークリフトなどにおいて,二次電池に対して低温環境に強い燃料電池のメリットと相反するものであり,その解決は必要不可欠である.また,電池の自己発熱以外に極力ヒータを使用しないことも小型軽量化のためには重要となる.しかし,生成した水が燃料電池のどの部位で凍結し,直接的にどのように起動停止や劣化を引き起こすかは十分に解明されていないのが現状である. 2. 実験装置および方法 本研究で用いた燃料電池を図1に示す[2].電池中央のMEA(膜電極接合体)は,プロトン伝導性の高い固体高分子膜(図1中MEAの灰色部分)の両面に電極としてカーボン粒子,触媒として白金など(黒色部分)を塗布したものであり,電極部分の反応面積は5 × 5 cm2である.MEAの両側は反応ガスを均一に供給するための多孔質構造を有するGDL(ガス拡散層),さらにその外側は水素または空気を供給するための流路を有するセパレータであり,これらを集電板と端板で挟み込む構造となっている.MEAは高分子膜厚さ30 μm,両触媒層厚さ10 μmの計50 μmであり,GDLはMEA側にマイクロポーラスレイヤー(MPL)が塗布された厚さ0.3 mmのカーボンペーパを用いた.電池の熱容量は発電容量に対して十分大きく,電池温度がほぼ周囲温度と同じ一定での実験が可能である.
3. 実験結果および考察
3.1 氷点下起動特性と温度の影響
凍結機構に及ぼす温度の影響を調べるために,氷点下起動停止後に低温環境下のまま電池を分解し,電池内部の各部材の直接観察を行った結果を紹介する[2].氷が観察されたカソードMEA表面の写真を図3に示す.氷点下起動の電流密度は,カソード内に滞留している生成水量がほぼ等しくなる条件として,相対湿度20%のウェットパージ後に-20℃では0.02 A/cm2,-10℃では0.12 A/cm2とした.-20℃起動では,図3右のような僅かな氷がところどころに形成されているものの,電池内にほとんど氷は観察されなかった.一方,-10℃起動ではMEA表面の多くの部分に図3左に示すような多量の氷層が形成されていた.なお,別途行った電流密度0.04 A/cm2の場合にも両温度ともに同様の傾向が得られた.これらの結果から,-20℃氷点下起動では,逆拡散終了後の生成水のほとんどが触媒層内で凍結し,この凍結水が発電停止の原因となる.一方,-10℃氷点下起動では,生成水が触媒層を通ってMPL界面で過冷却水として保持され,何らかのきっかけで過冷却解除が生じた後,凍結地点から氷が伝播・生成する[4].さらに,伝播・生成した氷が原因となり,発電停止が引き起こされると推察される.
前節で示した-10℃のように比較的0℃に近い起動における過冷却水の伝播・生成挙動をサーモグラフィにより検出可能であることを発見した結果を紹介する[4].ここでは,サーモグラフィによる検出のために熱容量の小さい図4に示す自然給気型の燃料電池を用いた.電池は空気側セパレータに設けられた貫通スリットを通し周囲空気が直接供給される構造であり,サーモグラフィによりカソード側ガス拡散層およびセパレータ表面温度を測定することが可能である.なお,銅製のセパレータには,サーモグラフィでの熱画像撮影時に外乱の影響を受けにくいようにつや消し黒の塗装を施している.反応面積は5 × 5 cm2であり,実験は冷凍庫内で行った. 自然給気型燃料電池を用いて測定した電池電圧,抵抗および熱電対により測定した空気側GDL表面の温度変化を図5に示す.環境温度は-8℃,電流密度は0.04 A/cm2である.起動開始後,電池電圧はほぼ一定に保たれ,表面温度は反応熱により徐々に上昇している.その後,起動開始約780秒後において突然の電圧降下とともに,一時的に急激な温度上昇が測定され,電池内の凍結が起こったものと推察される.このときサーモグラフィにより得られたカソード面の温度分布画像を図6に示す.電池電圧が急低下するのに合せて,図6(a)の中央左側に赤色の高温領域が出現する.その後,高温領域は右下側へ移動し(図6(b),(c)),右側中央に広がっている(図6(d)).このように高温領域の伝播が観察され,図中に点で示した熱電対設置位置の高温領域の通過と図5のGDL表面温度の急上昇が対応していることもわかる.サーモグラフィで測定された高温領域は氷の生成による温度上昇および放射率の変化に起因すると推察されるが,熱電対による温度変化との対応から,過冷却水の凍結の際に放出される凝固熱による温度上昇が,サーモグラフィによる凍結現象の可視化を可能としている主要因であると言える.
-20℃氷点下起動では触媒層内部に氷が生成し,発電停止に至ると考えられる.本節では,図1に示した燃料電池を用い,Cryo-SEMにより氷点下起動後のカソード触媒層断面の観察を行い,氷の分布や生成挙動について考察した結果を紹介する[5,6]. 氷点下起動停止後のカソード触媒層断面の写真を図7に示す.ウェットパージの際の窒素湿度は20%であり,起動温度-20℃,起動電流密度0.04 A/cm2または0.02 A/cm2である.氷が触媒層内全体に生成している様子(丸で囲んだ部分)が確認できる.この氷によってガス供給が阻害され性能が低下し,最終的に発電停止に至るものと考えられる.電流密度を0.02 A/cm2とした場合には,起動時間は長くなり計算上は凍結に寄与する凝縮生成水量が多くなるが,写真からも0.02 A/cm2の方が0.04 A/cm2より多量の氷が確認できる.これは触媒層内部において,低電流密度では反応に寄与できる部分が少なくても運転でき,より多くの氷を許容できるためであると考えられる.また,どちらもMPL側により多くの氷が付着しており,とりわけ0.04 A/cm2の場合に分布が大きいことがわかる.図8は空気の代わりに純酸素を用いて氷点下起動を行った結果であり,逆拡散が終了する前に氷点下運転を停止させた場合と起動停止まで運転を行った場合の結果である.ここでは,高分子膜側に氷が多く生成していることがわかる.このように,カソード供給ガスが異なると-20℃起動における膜内の氷生成の方向が異なり,空気ではMPL側から,酸素では膜側から生成されると推察される.これは,空気の場合は触媒層内部に酸素が十分に供給されず,ガスが拡散してくるMPL側でより多く発電できるのに対し,純酸素の場合は触媒層内部に酸素が十分に行き渡ったため,プロトンが供給される膜側でより多くの反応が起こっていたためであると考えられる.
4. おわりに 我々の暮らしに馴染みが深く,工業的にも重要な'氷'は,なかなか予想したような挙動を示してくれず,現象を解明するには手強い相手である.特に燃料電池の氷点下起動では,生成しうる氷が数mg/cm2と極端に少なく,これを観察し再現性のある結果を得ることは極めて困難である.にもかかわらず得られた成果は,正に本研究室で氷点下の冷凍庫に手を入れながらこの'氷'と奮闘してきた多くの学生の努力の賜物である.今後,電池内の凍結機構の解明および耐氷点下起動性に優れた電池構造や起動条件の提案という目標を達成し,北海道から寒冷地向け燃料電池の発展に寄与できるよう研究を続けていく次第である. 参考文献
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