TED Plaza
二輪車空冷エンジン開発における熱流体解析

高橋 易資



株式会社本田技術研究所
二輪R&Dセンター 技術開発室
第二ブロック
yasushi.takahashi@mail.a.rd.honda.co.jp
後閑 祥次



株式会社本田技術研究所
二輪R&Dセンター 技術開発室
第一ブロック
yoshitsugu.gokan@mail.a.rd.honda.co.jp



1. はじめに
  二輪車には移動手段としての実用車のほか,趣味として楽しむ大型二輪車がある.大型二輪車には高速走行のみならず,トルク感溢れる加速性能,意のままに操る楽しさ,風格あるデザインなど,ライダーに訴える魅力が宿望されている.エンジンの冷却方式は出力性能の追求,トータルでの軽量化や排気ガス規制への対応を経て,近年では水冷方式が主流となった.しかし二輪車では空冷エンジンにしか出せない魅力もあり,潜在的な顧客ニーズは強い.
 空冷エンジンの課題は熱負荷のみならず,エンジン温度制御の難しさ,レイアウト自由度の制限など多々ある.これらは主に熱に関わる問題であり,開発の初期段階では解析が困難なことから経験や勘が頼りとなり,細部仕様もほぼ決まる最終段階で対策を迫られることも多い.その苦労ゆえ開発に二の足を踏む人もおり,大型空冷エンジンの商品企画には確度の高い見通しが求められる.人とは違う趣ある二輪車を求める声も多いが,趣味性が高まるほど一機種あたりの販売台数も多くは望めず,開発コストを抑制したビジネスモデルが求められる.魅力ある空冷エンジン,更には二輪車を如何に開発するか,その解決へ向けCFD(Computational Fluid Dynamics)の活用が図られている.



2. 開発支援システム
 空冷エンジンである以上走行風が主役であるが,エンジン前方にはフロントタイヤやヘッドライトを始め多くの部品があり,エンジン上部や後方はハーネスや部品が密集し形状は複雑である.更に走行風が直接当るエンジン前方は高レイノルズ(Re)数領域であり,一方流れが停滞するエンジン背面は低Re数領域である.開発段階ではこの複雑な形状を忠実に,しかも試作に先行して解析することが求められる.そこでCFD計算手法として,境界適合格子法ではなく,直線直交格子法を用いたパーシャルセル法(1) の活躍の場となる.

(1)パーシャルセル法

パーシャルセル法はメッシュ生成工数の削減と共に,比較的少ないメッシュ数で複雑な形状を扱うことを目的として開発されたものであり,計算機能力の乏しい時代から吸気ポート形状の開発ツール(2) として,またマフラー(3) や水冷エンジンのウォータージャケット内流れなど部品単位の解析に寄与した.
 直線直交格子で複雑形状を扱う場合,形状精度は近似レベル(図1 (4))によって大きく異なる.最も単純なのは階段近似(図1(a))であり,体積占有率等を用いたもの(図1(b))やカットセル法(図1(c))が知られている.理想としてはセル内部の形状にも追従するもの(図1(d))であり,パーシャルセル法は少しでもその理想に近づくよう工夫した.


Fig.1 直線直交格子法の近似レベルによる分

 パーシャルセル法で苦心した点は壁近傍の乱流モデルであり,y+(壁座標)が小さく壁関数適用が困難なセルの扱いであった.そこには低Re数型k-εモデルに自動的に切り替わり,しかも壁関数適用の隣接セルと折り合いの良い壁近傍乱流モデル(5) が必要である.結果として層流域から高Re数域まで幅広いRe範囲に適用可能なCFDコードとなり,これは空冷エンジンの解析に有用であった.

(2)熱伝達率の可視化
 CFD計算を行うと圧力と流速ベクトルが求まる.これから流線の可視化など流れを理解する上での情報は多々得られ,その分り易さは風洞テストに優るものがある.これだけでもCFDの有用性は高い.しかしエンジン開発で欲しいものは最終的にエンジン本体の温度予測であり,圧力と流速からでは推測の域に過ぎない.エンジン本体を含め固相液相で熱の連成計算を行えば全てが求まる.しかし設計の際の机上検討で用いる簡便さを保持するのは難しい.
 冷却性能を判断するのに,エンジン表面の熱伝達率分布が分れば好都合である.熱伝達率はニュートンの冷却法則により熱流束と温度差の比例係数として定義されるが,液相の種類・形状・流れの状態などにより複雑に変化する.そのため実験では平均値で扱われることが多い.流れの状態とは壁近傍の流速や乱流の状態であり,それはCFDで求まる.そこでカルマンのアナロジーにてCFD結果から熱伝達率を算出(6) した.エンジン表面の熱伝達率分布の可視化は実験ではまず得られないことからCFDならではの効能であり,CFDの有用性を高める.熱伝達率が求まると燃焼の発熱など幾つかの仮定を要すが,熱伝導の式を解いてエンジン本体の温度分布が予測可能となる.

(3)形状モデリング
 二輪車開発にCFDを活用する際最も課題が多いのは,計算に供する3次元形状データの作成である.パーシャルセル法ではメッシュ生成のための形状簡略化を要しないことから,解析向けの形状モデリングではなく,エンジン設計視点の形状モデリングを行う.これにより形状簡略化に伴う人為的な精度低下を回避する.またエンジン開発には試行錯誤のため形状修正を多々要すが,これら作業に3D-CAD操作に優れたメンバーの協力を得る体制を構築し,当初目標とした開発効率の向上を果した.



3.空冷エンジン開発事例
 大型空冷エンジンには高い冷却性能が求められる.そこで設計検討事例から,冷却フィン形状の適正化と強制油冷システムについて紹介する.

(1)冷却フィン形状
 図2 (7) と図3は冷却フィン形状の検討を行ったものである.フィン形状は冷却性能のみならず,大型二輪車の風格や印象を決定付けるスタイリングデザインの主要素である.扱い易く加速フィーリングの優れたトルク性能とスポーツタイプに相応しい高速性能を生み出す排気量,軽快な操作性を得るためのコンパクトかつ軽量,それと同時に,空冷エンジンならではの存在感とシンプルさ美しさが求められる.



(a) 角形冷却フィン形状

(b) 丸形冷却フィン形状
Fig.2 冷却フィン周りの流れ(パーティクルトレース法)


(a) 角形冷却フィン形状

(b) 丸形冷却フィン形状
Fig.3 冷却フィン周りの熱伝達率分布


 最初に既存モデル(8) を用いて走行風の挙動解析を行った.(図2(a)) この車は角形を基調としたデザインであり,冷却フィンへの走行風の当りを見ると剥離が大きく,フィンとフィンの間の奥まで風が入っている状況は見受けられない.熱伝達率(図3(a))も高いのはエンジン前方角周辺だけであり,側面で急に下がることから剥離の影響が伺える.エンジン後方は流れが停滞しているため当然ながら低い.
 フィンを効率よく働かせるにはフィン根元まで風が入り込み,シリンダにまとわりつく流れが望ましい.そこでフィン形状や長さの検討を行った.エンジン前方は風が直接当るので長くても根元まで風が入り,フィン表面積も広く取れる.しかしエンジン背面はフィン間に風が入り難いので長いと先端しか冷えず,逆に短い方が好ましい.そこで前後のフィン長を変えることとした.しかし前後のフィン長が大きく異なると見た目のバランスが崩れる.そこでフィン形状を丸形とし,連続的にフィン長を変化させることとした.更にヘッドボルトやリブ位置の見直しにより,図2(b)の様に剥離が抑えられ,シリンダにまとわりつく流れとなった.この結果,図3(b)に示す様に熱伝達率の向上を成した.

(2)強制油冷システム
 空冷エンジンで最も熱負荷が厳しいのは,点火プラグ周りと2つの排気ポートに挟まれた箇所である.図3を見ても点火プラグ周りの熱伝達率は低い.ここを空気で冷やすには,バルブ挟み角の拡大,導風経路の設置,エンジン前傾などが考えられる.バルブ挟み角は燃焼室形状と共に決まるが,排気ガス規制への対応や質感を損う不整燃焼を抑えるため,コンパクトな燃焼室が好ましい.またバルブ挟み角はシリンダヘッドの大きさ感を左右し,スタイリングデザインからの注文も多い.大排気量車ほど部品の実装密度は高く,有効な導風経路の設置も難しい.ましてやエンジン搭載角度の変更は車体の基本諸元に影響を及ぼす.


Fig.4 オイル通路形状

Fig.5 オイル通路の熱伝達率

 そこでシリンダヘッド内に冷却用のオイル通路を設け,点火プラグ周りと排気ポート間を冷やすこととした.そのレイアウトを図4 (9) に示す.油冷システムは冷却に使用できる油量が限られることから,熱負荷の厳しい箇所だけを冷却しそれ以外での受熱を極力抑えることにより,潤滑機能やオイル劣化に影響を及ぼす油温上昇過多を回避することが必要である.そこでオイル通路表面積の適正化やオイル流量の設定には,熱伝達率解析(図5 (9))やシリンダヘッド・ブロックの温度分布予測(図6 (9))を用いた.



(a) 空冷のみ(油冷無し)

(b) 油冷あり
Fig.6 シリンダヘッド・ブロックの温度分布予測

 油冷無し(図6(a))の場合は内側(#2, #3)の気筒の排気ポート周りを中心に壁温が高い.それが油冷(図6(b))により大幅に低減する.更に各気筒への冷却油量を調整することにより,内側と外側の気筒の間にある温度差の解消も可能であることが分った.なお試作車による実走行テストの結果(図7 (9))では,点火プラグ取付座面の温度(Tplug)は,同一IMEP(Indicated Mean Effective Pressure)条件で既存量産エンジンと比較して,油冷無しの状態では空冷エンジンレベルであったのが,油冷を行うと水冷エンジン並みとなった.


Fig.7 実走行テストによる油冷の効果


4.おわりに
 日本で市販車として本格的スポーツタイプが誕生して50年,二輪車空冷エンジンの更なる進化を計った.ここに記したのは量産モデル(10) 前の研究段階であるが,研究段階だからこそ熱流体解析を駆使し,空冷エンジンの新たな可能性や方向性を探ることが出来た.
 空冷エンジンの魅力を改めて問うてみると,その一つは造り手の心に描いた思いが乗り手に伝わることかもしれない.技術が技術の世界に留まることなく人の感性に触れ共感を呼び起こしてこそ,趣向の域に属する商品を支える技術になり得る.エンジン・車体技術のみならず解析技術にもその意気を込め,一層の展開を計りたい.



参考文献
1. Yasushi Takahashi, Kazuto Fukuzawa, Isao Fujii, "Numerical simulation of flow in intake ports and cylinder of multi-valve S.I. engine using PCC method", Proceedings of International Symposium on COMODIA 94 (1994), pp.529-534.
2. 高橋易資, 村上泰男:CFDを用いた吸気ポート設計支援ツールの構築, Honda R&D Technical Review, Vol.15 No.1 (2003), pp.103-108.
3. Yasushi Takahashi, Mutsuo Nakajima, "Development of a CFD system using PCC method and its application to an exhaust muffler design for motorcycles", Proceedings of Small Engine Technology Conference, SAE paper No. 1999-01-3306 (1999), pp.427-433.
4. 小林敏雄編:数値流体力学ハンドブック, 丸善出版, (2003), pp.543.
5. 高橋易資, 野村友和, 石間経章, 小保方富夫:直線直交格子を用いたパーシャルセル法による筒内定常流の計算とPIV計測による検証, 日本機械学会論文集, 71-706, B(2005-6), pp.1694-1701.
6. 高橋易資, 稲吉真, 後閑祥次, 石間経章, 小保方富夫:カルマンのアナロジによる局所熱伝達率の数値予測と二輪車用空冷エンジンへの応用, 日本機械学会論文集 特集号「乱流研究の最前線」, 72-724, B(2006-12), pp.2886-2893.
(再録英文:Yasushi Takahashi, Yoshitsugu Gokan, Makoto Inayoshi, Tsuneaki Ishima, Tomio Obokata, "Numerical prediction of heat transfer coefficient by Karman's analogy and an application for air-cooled motorcycle engines", Journal of Fluid Science and Technology, Vol.2, No.3 Special Issue on Advanced Turbulence Research (2007), pp.570-581. http://www.jstage.jst.go.jp/article/jfst/2/3/570/_pdf/-char/ja/
7. 高橋易資, 後閑祥次:二輪車用空冷エンジンの冷却風流れのCFD解析, Honda R&D Technical Review, Vol.18 No.2 (2006), pp.140-147.
8. http://www.honda.co.jp/motor-lineup/cb750/
9. 後閑祥次, 高橋易資, 稲吉真:強制油冷システムを用いた二輪車用空冷エンジンの熱マネージメント, Honda R&D Technical Review, Vol.19 No.1 (2007), pp.65-72.
10. http://www.honda.co.jp/motorshow/2009/CB1100/, http://www.honda.co.jp/CB1100/