熱工学コンファレンス2005 − 岐阜からの便り −


第83期熱工学コンファレンス実行委員会

幹 事 檜和田宗彦(岐阜大学工学部)
 200511月4,5日、岐阜大学工学部において、日本機械学会熱工学部門の一行事である熱工学コンファレンス2005が開催された。さかのぼること2年前の夏休みも終わりに近づいた頃の一本の電話からこの企画は始まった。電話の主は北大の工藤先生(当時の部門長?)だった。「東海地区の役員に電話したが、夏休みということもあってか誰もつかまりませんでした。先生、実は2005年の熱工学コンファレンスを東海地区で開催することになりましたので、至急実行委員長を決めてください。」こういった趣旨の電話がありました。委員長決定の締め切り期限が1ヶ月もない状況だったと記憶しています。

 早速、実行委員長適齢期の先生方をリストアップし、その先生方の周辺におられる知人に連絡し、現状と近未来の状況を、委員長を引き受けていただけるかどうかの可能性を含めてお聞きしました。というのは結婚適齢期ではありませんが、委員長候補対象者の皆さんのほとんどが管理職、たとえば学長候補者、現役の副学長やら学部長といった方々ばかりでしたから。さまざまな紆余曲折があって岐阜大学の元工学部長で現副学長〔当時〕の熊田先生が実行委員長ということに落ち着きました。

 よくある話ですが、今回の講演会も例に漏れず、船出から波乱万丈の様相を呈しておりました。結果としては、それが今回のコンファレンス全般にわたってついてまわったということになります。順にお話しましょう。

 まずは前回主催の実行委員長であった東北大学の太田先生、そして幹事の小林先生からお聞きした引継ぎ事項にビックリしました。@私たちのコンファレンスから始まった会計システムが厳しいので会計処理が大変ですよ。A予算案そして決算上で赤字を出さないためにも、参加費と懇親会費は値上げしたほうが安全ですよ。Bその他、細かいアドバイスもたくさんいただきましたが、まずは@とAのクリアーが肝心とのことでした。ともあれ、東海地区の現地実行委員をすばやく決め、委員会形式で動き出すようにとのことでした。中部地区の14人からなる実行委員会(うち岐阜大学8名)が出来ました。数回の実行委員会で全体像の骨子を決定し、Aの件を具体化し、それぞれ従来の金額から1,000円値上げすることを決め、熱工学部門委員会の承認を取り付けました。続いて、講演会実施日程をいつにするかが問題でした。燃焼シンポほか他学会の行事を考慮し、上記のように11月初旬としましたが、本学の大学祭の真只中に実施という破目になりました。これが当日の講演会場変更という大問題に発展することになるとは少なくともこの時点では、ホリエモン氏のように「想定内のことです」というわけには参りませんでした。

 どういった講演会にするか? どの程度の参加者を期待するかなどを検討している中で、多くのオーガナイズドセッションを設けることで、参加者数と講演件数をある程度確保できるだろうということが大勢の意見となり、実行委員も最低一つのオーガナイザーになるということで、スタートしました。

 ここでもハプニングがありました。20テーマほど予定していたセッション間で投稿論文数の大きな差が生まれ、7部屋並行して講演という計画のため、関連セッションをつなげて並べることができなかったり、少し研究内容が異なった分野へプログラムされる講演がでるという事態も生じました。出来るだけオーガナイザーの意向に添うよう、そして投稿者の希望を取り入れたつもりですが、すべてに渡ってうまく配置できなくて、幾人かの投稿者には講演順番ほかの入れ替えをお願いしたりもしました。この点の不始末は実行委員会として深くお詫び申し上げます。また講演論文申込み締切後、学術振興会の招聘外国人研究者の特別講演を入れていただけないかのご相談もありました。実行委員長の英断でプログラムに急遽挿入ということになりました。

 何よりも大変だったのは、講演当日の当方にとっては騒音となった大学祭の音楽です。心地よいBGMとはなりえず、講演が聞き取れないほど甚大な被害をもたらしたF室とG室は午後から3階へと会場変更し、多少なりとも騒音効果が軽減される措置をとりました。初日の午前中のFおよびG室のセッションの講演者および座長の皆様にはお詫びの言葉もありません。本当にご迷惑をおかけしました、ここに改めてお詫び申し上げます。また全講演室を通じてですが、地方大学ということもあって放送設備が不十分で、マイクが講演者と座長分しか用意できず、会場からの質問者にはマイクなしで対処していただく不便をおかけしてしまいました。

 もう一つ大わらわな対応に明け暮れたこともありました。師走ですから師が走るというわけではないでしょうが、熊田実行委員長自らが駆けずり回る事態がありました。当日参加者が予想に反して大勢だったこと、それに連動して懇親会出席者も当日申し込みが事前申し込みの半分近くとなったこと。嬉しい悲鳴でもあり、登録事務処理と懇親会場の食べ物飲み物の追加への対応で、初日の実行委員会は委員長を筆頭にしててんやわんやでした。

 さらにそれに追い討ちをかけたのが、現地の実行委員会へ「フェロー賞」の推薦が委嘱されたことでした。1講演に3名のチェック委員が必要という条件付です。実行委員はオーガナイザーでもあり、座長も請負、さらには会場での各種任務を担当しています。都合の悪いチェック委員は誰か適当な方(座長+1名のケースがほとんど)をお願いする役が別途与えられました。このフェロー賞の推薦を現地実行委員会にまわすのは、当日運営のアクシデントを考えると、とてもまかないきれない任務だったと思います。次回以降、再検討されることを切に希望しておきます。

 こんな現地実行委員会の珍事の連続とは裏腹に、講演会の方はというと、結構盛り上がって質疑応答が活発に展開されたと後で聞きました。それは逆に実行委員会の立場からすると懇親会場への配車の時間がなくなるという嬉しくもあり悲しくもなる事態でした。

 懇親会は、到着者を乗せたバスが交通ラッシュに遭遇したこともあり、予定より30分近く遅れて始まりました。実行委員長挨拶まではよかったのですが、現部門長(東京大の西尾先生)が急病のため、「トリ」をお願いしていた次期部門長(東工大の岡崎先生)が早くも登壇という次第。それではということで来年度開催の実行委員長(慶応大の菱田先生)からの一言をいただいて、乾杯(豊田中研の小池氏)と運びとしました。せっかくのご歓談の邪魔をしないという方針で臨み、スピーチは特別報告の割り込みをされたモスコー大学のカズマ・キチタ(Kuzma-Kichta)教授だけにお願いしました。当日登録で大幅に増員された出席者に飲み物・食物が追いつかず、懇親会は予定より15分早く19:45に終了としました。JR岐阜駅方面に3台のバスでお送りすることで、この日の私のお仕事も終わりました。

 翌日の2日目は日曜日でしたが、午後から雨模様ということでしたが、なんとか天気は持ってくれました。この日は初日より30分早く9時から講演開始。この日は大学祭も最終日ということもあって、ドンチャンドンチャンの派手なBGMは影をひそめており、助かりました。しかし午前中だけしかない講演会でしたが、それぞれの会場では昨日同様活発なやり取りがあり、文化の日の後に、格調高い学問の香りを秋風に乗せて、日本全国から岐阜の地に運んでいただいたような気がしました。このコンファレンスにご参加いただいた皆様に慎んでお礼申し上げます。

 ちなみに、両日ともに7室同時進行での講演会で、オーガナイズドセッションは18テーマ、講演件数は226件、参加登録者は400名強、懇親会参加者は130名強でした。まだ決算案承認ほかの実行委員会があと一度残っておりますが、予算的には黒字になったと実行委員長からは個人的にお聞きしております。

 最後にこのコンファレンスの実施に当たり、様々な役割分担を担っていただき、大変な時間と労力でもって、この企画を成功裏に導いていただいた、実行委員会の各位にこの場を借りてお礼申しあげます。

 熊田実行委員長の執筆の都合がつかず、幹事の檜和田宗彦(岐阜大学工学部機械システム工学科・教授)が代理執筆いたしました関係で、いささかトンチンカンなところがあろうかと思いますが、お許しいただきたく存じます。

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