機素潤滑設計部門発足にあたって(1990年4月)

初代部門委員長 梅澤清彦(東京工業大学)

いま,機械装置は,従来通りの重要さとより厳しい改善を求められながら,同時に情報処理関連の機械装置,複写機をはじめのOA機械,知脳化された多機能の生産現場で働く専用機等,いまだかってない激しい多様化が進んでいます。

この多様化する各種の機械装置の設計開発に携わる科学技術者は,その分野分野の特殊な先端へより先端へとの要求仕様を,そのときどきで具現化することに全精力を使い,具現化に用いた機構,機械要素,潤滑法が最適であったか否かをふりかえり,またすぐ隣の類似の機構の分野の動きを見る余裕も機会も非常に少ないのが現実です。

また,研究開発を担当する科学技術者の活動の反映である,機械工学の最先端の情報を満載した日本機械学会論文集も全く同じ状況にあるように見えます。

この状況は,飛躍的に発展した計算機援用技術,各種の新素材,新技術といったことを取り込むことに気がとられ,機械装置具現化のための基盤技術である機械要素,トライボロジーといった面から系統立てて見られることが希薄になり,全く求心力をなくし,各自おのおのが勝手な方向に最先端・外へ外へと突き進んでいる,突き進まされている,という感じがします。その昔のビッグバーンのような状態に,我々科学技術者が今あるのではないでしょうか。

短期決戦,電撃戦であればこの状態でも許されるかもしれませんが工学の目指すところが人間生活の幸せのためにあると考えれば,人間の営みが未来永劫に続く限り,工学の存在が不可欠であり,短期決戦などが許されるはずもありません。むしろ超長期戦であると肝に銘ずべきです。

本来工業技術には,工学という芳しい理論体系があり,未来に立ち向かえる力があったことを思い出し,いま一度我々はこれをとりもどさなければならないと愚考します。

なぜこのようなことが起きたかを考えると,単に瞬時の効率におどらされすべての情報を印刷物,カソードチューブからのみ得ることを良しとしたところにあるのではないでしょうか。一見非能率に見える,人と人が顔と顔を合わせ,各自の持つ専門知識をもとに互いに議論するところにしか,次の発展飛躍がないという人間の生理にもとづくことを,不覚にも,いや不遜にも忘れてしまったのではないでしょうか。

このように考えてくると,「学会」という日本語から受ける響きは,文書のやりとりだけでこと足りるというイメージがあります。

しかし,学会という訳語の原語「Society」という単語は,共通の文化基盤をもつ人間の集団的ふれあい,それも上質の知的欲求を豊潤に満たしてくれるふれあいの場を意味しているはずです。

自分の分野分野で独自に行動する機械設計者,機械要素コンポーネントの設計開発者,トライボロジストにとって,学会とは何だと,本部門の前身の機素潤滑委員会委員長になっての10ヵ月自問に自問を重ねてきました。

その結果学会とは,

  1. 互いに知的インパクトを与え・受け,各研究者がさらに自己の研究を深められるものである。同じ研究分野の研究者が一堂に集まり,各自の独自の研究発表の出来る場でなければならない。
  2. 機械設計者にとって,単に印刷物からでは得られない,最先端の研究者の,粗削りだが萌芽的な情報を,効率良く広い範囲にわたって得られる場である。
  3. 最先端研究者の中で十分に熟成した知識・考え方を,その最先端研究者の先達としての矜持と善意にたより,次世代を背負う後輩に,広くわかり易く伝える場である。
  4. 全員で上記の場を質・量ともに高め活性化し,自分たちの分野に後輩が喜んで来る雰囲気,いや確固とした状況を作るのがなによりも重要である。

これが,学会=ソサエティであると考えます。

それが機械学会の我々の分野で具現化されていない,こんな思いから出来るだけ専門の近い方々がより濃密にソサエティが組めるように,5専門分野の木目細かい組織体として,「機素潤滑設計」部門を発足させました。ご期待下さい。

これから先は,本部門に関係のある方々は当然ぜひ積極的に,また機械学会の会員の仲間の方々は自己のソサエティの中の一分野でこういうことが起こっていると心温かく,いま双葉を出した「機素潤滑設計」部門を育んでいっていただきたいとお願いして,発足のあいさつにさせていただきます。