23.マイクロ・ナノ工学
23.1 マイクロ・ナノ工学概観
2023年度を振り返ると,ようやくCOVID-19の影響が収束し,制限なく様々な活動が再開された年であった.マイクロ・ナノ工学分野でも,代表的な国際学会が対面で再スタートした.その結果,情報や意見の交換が以前のように活発に行えるようになった.国際会議のポスターセッションは活気に溢れており,対面でのコミニュケーションがいかに大切かを多くの人が実感したことと思う.一方,オンラインツールは非常に便利であることも事実であり,マイクロ・ナノ工学が得意とするセンサ技術をさらに発展させることが重要である.以下,2023年度に開催された,代表的な国際学会を概観する.
23.1.1 Transducers2023(The 22nd International Conference on Solid-State Sensors, Actuators and Microsystems)
2023年6月25日から29日にかけて,京都の国立京都国際会館において,「Transducers2023」が開催された.これは,隔年開催されるマイクロ・ナノ工学分野における世界最大級の国際会議であり,今回で22回目を迎えた.世界28か国の研究者や開発者1000人以上が集結し,42のセッションで,196件の口頭発表,358件のポスター発表,71件の速報発表が行われた.講演申込み1004件に対して採択率は55%であり,非常にハイレベルな発表のみが採択される,規模だけでなく発表内容もハイレベルの学会である.発表内容は,材料,加工プロセス,物理センサ,化学センサ,バイオセンサ,アクチュエータ,RFMEMS,uTAS,関連する回路技術,エネルギーハーベスタ,無線センサなど,この分野を網羅する幅広さであった.前回開催(2021年)はオンライン開催だったため,今回がコロナ後初の対面開催となり,久しぶりに顔を合わせて,非常に活発な議論が交わされていた.次回開催は,2025年6月29日~7月3日,フロリダ州オーランドにて予定されている.
23.1.2 IEEE MEMS 2024(37th IEEE International Conference on Micro Electro Mechanical Systems)
2024年1月21日から25日にかけて,アメリカ合衆国テキサス州オースティンにおいて,「IEEE MEMS 2024」が開催された.これは,毎年開催されるMEMS技術に関する権威のある国際会議であり,今回で37回目を迎えた.投稿件数は659件であり,この中から306件(採択率46%)が採択された.72件の口頭発表,229件のポスター発表に加え,12件のオープンポスター発表がなされた.上記Transducersと同様に,非常に高いレベルの発表のみが採択される,質の高い学会であった.発表内容は,マイクロ・ナノデバイスの加工技術やパッケージング技術,光学デバイス,流体システム,バイオ・医療デバイス,物理・化学センサ,RFデバイス,電磁デバイス,アクチュエータなど,マイクロ・ナノ分野の幅広いテーマが網羅されていた.また,今回の学会では,Robert Bosch Awardが神永 晉氏に授与さた.これは,同氏が多大な貢献をした,最先端のMEMSデバイスの作製には不可欠な技術であるDRIE(ボッシュプロセス)の開発と製品化に対するものであった.次回開催は,2026年1月19日~23日,台湾の高雄にて予定されている.
23.1.3 IEEE INERTIAL2024(The 11th International Symposium on Inertial Sensors & Systems)
2024年3月25日から28日にかけて,広島のグランドプリンスホテル広島において,「IEEE INERTIAL2024」が開催されました.これは,MEMS,光学,量子技術など幅広い技術を使った慣性センサ(加速度センサ,ジャイロスコープ)に関する専門的な学会であり,今回が初のアジア開催となった.慣性センサは,RFフィルタ,マイクと並んで,関心を集めているMEMSデバイスの一つである.初の開催地となった広島には,18カ国から196人の研究者や開発者が集結しました.これは,この学会としては2番目に多い参加者数であり,アジア開催の注目度を伺えた.IEEE MEMSやTransducersと比較すると規模は小さくなるが,慣性センサのみの話題であることを考えると,この分野がいかに注目されているかがわかる.また,企業からの参加者が多いこともこの学会の特徴であり,32%の研究発表と57%の出席者が企業からであった.次回開催は,2025年5月4日~7日,ドイツ,コンスタンツ湖にて予定されている.
〔塚本 貴城 東北大学〕
23.2 情報科学とマイクロ・ナノ
情報科学の進展は著しく,様々な分野の研究に情報科学の手法が活用されている.このような動向はマイクロ・ナノ工学分野における研究においても例外ではなく,基礎学理からデバイス開発に至る広範な研究において情報科学の利活用が見られる.
2023年11月に開催された,マイクロ・ナノ工学部門 第14回マイクロ・ナノ工学シンポジウム(1),電気学会E部門 第40回「センサ・マイクロマシンと応用システム」シンポジウム(2),応用物理学会 第15回集積化MEMSシンポジウム(3),化学とマイクロ・ナノシステム学会 第48回研究会(4)の合同シンポジウムである我が国でマイクロ・ナノ科学・工学を扱う最大のシンポジウムであるFuture Technologies from KUMAMOTO合同シンポジウムにおいては,「機械学習」や「ニューラルネットワーク」などの関連する語句をタイトルに含む20件余りの発表がされている.この中には「ニューロモルフィックAI」や「リザーバーコンピューティング」に関連するセッションも含まれており,当該分野での利用に関する研究が増加傾向にあることを示している.また,発表タイトルにはあらわれないもののデータ分析や画像処理などにこれらの技術を利用している研究は非常に多く,情報科学の進展が当該分野における研究に欠かせないツールとなっていることが実感できる.
国際的にもこのような動向は見られ,材料関連分野ではナノプラズモニクスにおけるナノ構造の決定(5)やナノインデンテーションなどのマイクロ・ナノ力学を含む広範な実験技術への機械学習をはじめとした情報科学の応用(6)についての総説論文が見られる.マイクロTASに関連する分野では,液滴生成,材料合成,バイオ分析におけるインテリジェントデバイスの開発へのAI(artificial intelligence)応用(7),血液のラベルフリーでの細胞分析への機械学習の応用(8)やスマートフォンを用いたPoint of Care検査デバイスにおける画像を利用したAI(9)に関する総説論文が見られる.またフレキシブルセンサ(10)やガスセンサ(11)への機械学習の応用に関する総説論文も見られる.他にもマイクロ科学全般において多く利用されるマイクロスコピーについては,超解像画像の再構成(12)のような計測システムの開発,あるいは画像データにおける検出や分類のような後処理解析(13,14,15)に関するものまで,画像を扱う各段階において情報科学分野の技術が利用されていることが分かる.
以上のような情報科学技術を各種の研究に利活用する動向は今後も継続すると考えられる.情報科学分野も活発に研究が進められており,毎年優れた手法が提案されている.またこれらのソースコードに関してはweb上を通じて公開され,論文発表後直ぐに研究に活用することができる状態にあるため,容易に試すことができる.一方で膨大なコードが入手できる環境でもあるために,目的に敵う手法を見極める鑑識眼の重要性も向上している.
〔松田佑 早稲田大学〕
23.3 マイクロ・ナノ熱流体
マイクロ・ナノ熱流体はマイクロ・ナノスケールの微小領域における内部流れの挙動,操作,制御を研究対象としていることが多く,小さくなればなるほど粘性・表面張力・壁面の濡れ性などの顕在化に起因して物理的挙動や熱力学的・化学的特性に大きな影響を及ぼすことが知られている.また,広義の意味では液体の中にマイクロ・ナノスケールの粒子・液滴・気泡が分散した混相流もこの分野の研究対象であり,ナノ粒子が分散したナノ流体は良好な伝熱特性や音響特性が期待できる.これらのマイクロ・ナノ熱流体の特徴はインクジェット,マイクロポンプ,小型化学反応セルなどの工業用途だけでなく薬剤輸送システム,ラボオンチップなどのバイオ分野など幅広い応用展開が進められている.
この分野に関連して最近掲載された機械学会の発行する和文・英文の論文としては,燃料電池内の多孔質媒体内を透過する流れのガス種依存性に関する研究(1),磁気誘導型ドラッグデリバリーシステムへの応用を想定した扁平状磁性粒子の吸着特性に関する研究(2),インクジェットを用いてプリンティングしたナノ粒子によるガスセンサに関する研究(3)などの発表があった.また,第13回マイクロ・ナノ工学シンポジウムの特集号では,マイクロバルーンを用いたマイクロスケール流れの制御や(4),シリコンオイルに分散させた銅微粒子を用いた金属配線の自己修復におけるブリッジ形成過程(5)に関する研究報告がなされている.
本部門主催の第14回マイクロ・ナノ工学シンポジウムは対面にて開催され,マイクロ流路および光機能性分子を用いた熱流体可視化手法に関する2つの基調講演があった他,熱流体に関連する約40件のポスター発表があった.日本機械学会 2023年度年次大会でも,本部門・流体工学部門・熱工学部門の部門合同セッション“マイクロ・ナノスケールの熱流体現象”で口頭・ポスター併せて23件の発表があった他,熱工学部門あるいは流体工学部門との合同セッションが4つ企画・実施され多くの発表があった.関連する国際会議としては,ASME-JSME-KSME 流体工学国際会議2023が大阪国際会議場で開催されMicro & Nano Fluid MechanicsのセッションではKeynote講演3件・口頭発表48件と多くの講演があった他,MicroTAS2023,MEMS2024も開催され最新の研究事例が報告された.
上記の論文報告などにもあるようにマイクロ・ナノ熱流体に関する研究分野では,医療,エネルギー,環境センシングデバイスなどへの応用を中心に実用化が積極的に進められている.この研究の更なる加速のためにはデバイス作成に当たってのインプットとなる各種条件の最適化,アウトプットとなる機能性や有用性の明確化,製造の低コスト化や性能の安定性の確保など,解決すべき課題も多く残されており,大学・研究所・企業などの組織や研究分野の垣根を超えた連携による課題解決に向けたブレークスルーを期待したい.
〔幕田寿典 山形大学〕
23.4 バイオ・医療
23.4.1 緒言
本稿では,バイオ・医療の動向を調査するために,分野の代表誌であるLab on a Chipにおいて2023年のHOT Articlesに掲載された57報の原著論文とレビュー論文を対象にした.特にすう勢が明確になっていることを3報以上の論文が掲載されたことを条件にした.これらを次の5つのカテゴリに分類した.①分子ロボット・ナノロボット・マイクロロボット,②ペーパーベースのバイオセンサ,③マイクロ・ナノ粒子を利用したバイオセンシングと医療応用,④3次元空間を利用したマイクロ流体デバイス,⑤Organ-on-a-chip(臓器チップ)における最新の進歩について概説する.
23.4.2 分子ロボット・ナノロボット・マイクロロボット
ナノメディシンやグリーンナノテクノロジなど,さまざまな領域で複雑なタスクを実行できる高度なシステムとして,分子ロボットが登場している(1).その例としては,分子機械とコンピュータを脂質小胞に組み込んだ脂質小胞ベースの分子ロボットがある.その中核部分は,(i)分子機械を内包するボディ,(ii)センサ,(iii)コンピュータ,(iv)アクチュエータで構成される.これまでは脂質小胞を安定的に作り,分子を内部に挿入することは難しかった.ここでマイクロ流体技術の導入により,分子ロボットの体を形成する巨大脂質膜リポソーム(GUV)の量産と高品質化が可能になり,実用化に向けた大きな前進がみられている.
従来のセンサーでは困難だった極小空間や生体内部でのバイオ・ケミカルセンシングが実現できれば,疾病の早期発見,創薬スクリーニング,環境モニタリングなどへの応用が見込まれる.マイクロ・ナノロボットは極めて小型でありながら,プログラム可能で多機能化が可能な次世代デバイスとなりうる.ここで環境中の化学・生物学的センシングのためのマイクロ・ナノロボティクスの最新動向を概説されている(2) .困難な点はマイクロ/ナノロボットは低レイノルズ数環境下で動作するため,粘性力が支配的になり,連続的な動力が必要となる点である.従来の電池などの電源を使用できず,代替の燃料源が必要である.そこで推進には化学,磁気,音響,光駆動などの手法が用いられる.その中でも,磁気駆動や光駆動など,生体適合性と制御性の高い推進メカニズムが提案されている.製造にはフォトリソグラフィ,電気めっき,3Dプリンティングなどが用いられる.センシングの手法には運動,光学的,電気化学的な手法がある.これらの応用例としてターゲット分離,輸送・送達,汚染物質除去などがある.
Houらは,特に光・磁場マイクロロボットの設計と制御戦略を探求し,その汎用性と生物医学応用の可能性をまとめている(3).光と磁場はどちらも外部エネルギー源から動力を得て運動に変換するものだが,その物理特性に違いがある.光駆動マイクロロボットでは,光ピンセット,光電子ピンセット(optoelectronic tweezers,OET),熱媒介光マニピュレーション技術(heat-medicated optical micromanipulation)を利用し,高精度な操作が可能である.その一方で光を透過して照射する必要がある.磁場駆動マイクロロボットは,回転磁場,磁場勾配,交番磁場を利用する.移動効率や駆動力に優れるが,磁性材料の使用には注意が必要である.光と磁場を併用することで,互いの長所を活かした高機能マイクロロボットの開発が期待される.
23.4.3 ペーパーベースのバイオセンサ
ペーパーベースの検出技術は,ローコストである利点を有し,Point of Care Testing(簡易迅速検査) での活用が期待されている(4).従来の手法では,基本的には単一の紙ストリップで反応を進めるものであり,扱うことができる反応に限りがあった.ここではより多段階の反応を行うために,2種類のペーパーベースデバイス,(i)2次元ペーパーネットワーク(two-dimensional paper network, 2DPN)(5)と(ii)紙ベースのマルチウェル枯渇ELISA 法(酵素免疫測定法)(6)が開発された.
2DPN(5)では,特定のDNA配列の検出用に,ハイブリッドキャプチャー反応を段階的に行えるようにしている.ここではこのデバイスを子宮頸がん検診におけるハイリスクHPV(Human papillomavirus)のDNAの検出に使用した.検体調製から結果判定まで7ステップで1時間以内に完了でき,ポイントオブケアに適したワークフローである.検査に高価な機器は不要で,高感度のハイブリッドキャプチャー反応を低コストで実現した.臨床サンプル中のハイリスクHPV DNAの検出を検証し,リソースが限られた環境での子宮頸がん検診の可能性を示した.1検体あたりの費用は3ドル未満と見積もられている.
Leeら(6)が開発したペーパーベースのマルチウェル枯渇ELISAデバイスは,サンプルの連続希釈と各ウェルへの分注を自動化している.従来は手作業のピペッティングが必要だったが,この手法では抗原を固定化した積層ペーパー層を通過する際に,目的の抗体が補足され,徐々に「枯渇」することで自動的に抗体の濃度勾配が形成される.紙で作製した内蔵のフローコントローラにより,ELISAに必要な各種試薬の順次供給とインキュベーション時間の制御を自動化している.このフローコントローラにより,これまで必要だった手作業での試薬添加や反応時間管理が不要になった.96ウェルプレートと同等のマルチウェル構成で結果が得られた.従来のペーパーベースELISAは定性的な結果しか出せないことに比べ,この手法では抗体価の定量的測定が可能である.
23.4.4 マイクロ・ナノ粒子を利用したバイオセンシングと医療応用
マイクロ・ナノ粒子は,薬物送達,イメージング,センシングなどの目的で生物医学応用に広く用いることができる.最近の研究として,デジタルタンパク質検出の技術革新(7),遠心液滴デジタルタンパク質検出技術(8),ナノ粒子のタンパク質コロナの構造と機能(9)が報告されている.デジタル検出法では,1分子のタンパク質を捕捉・標識化し,ポアソン分布に基づいて定量する.これにより,従来の免疫測定法に比べ,飛躍的に感度が向上する.
Duffyら(7)は,免疫測定法の感度を大幅に向上させたデジタルタンパク質検出の技術革新と,その生物医学への影響について概説した.タンパク質のデジタル検出とは,単一タンパク質分子またはタンパク質分子の単一集合体を分離して検出する方法を指す.この1分子の分解能により,イムノアッセイの感度は従来の “アナログ “法を大きく上回る.デジタルイムノアッセイの中には,核酸を測定するPCR法のような手法の感度に迫るものもある.そのためデジタル検出は,タンパク質測定の感度を劇的に向上させ,新たな臨床応用を可能にするパラダイムシフトである.この中でもデジタルビーズアッセイがこれまで最も広く採用されているアプローチである.継続的な技術革新により,これらの技術の自動化,小型化,広く利用ができるように研究が進められている.
Tangら(8)は,小型化した遠心液滴生成デバイスとデジタルImmuno-PCRアッセイを組み合わせ,遠心液滴デジタルタンパク質検出技術を発表した.デジタル化は遠心力を使った液滴生成で行い,生成箇所を96×4に並列化している.Immuno-PCRアッセイのために,抗体-オリゴ核酸コンジュゲートとPCR増幅を組み合わせ,タンパク質のデジタルカウントを可能にした.洗浄不要で超高感度のプラットフォームであり,サブマイクロリットル量の血漿中の目標タンパク質のフェムトモルレベルの検出限界(0.0128 pg/mL)を達成した.
ナノ粒子が生理的環境に入ると,タンパク質がナノ粒子表面に吸着してタンパク質コロナ(protein corona)を形成する.これは再生医療,ドラッグデリバリー,バイオセンシングに役立つ.Bashiriら(9)は,ナノ粒子のタンパク質コロナの構造と機能について論じ,健常および病原性の生物学的環境における治療標的への影響を解説した.タンパク質コロナの組成や構造は,ナノ粒子の物理化学的特性(サイズ,形状,表面化学など)や生理的環境(pH,イオン強度,タンパク質濃度など)に依存する.ナノ粒子表面に吸着したタンパク質は構造変化を起こし,機能が変化する可能性がある.金ナノ粒子,シリカナノ粒子,酸化鉄ナノ粒子,量子ドットなど,様々なナノ粒子とタンパク質の相互作用がありうる.タンパク質コロナの構造を制御して,ナノ粒子の標的化,細胞応答,免疫応答の制御など,治療応用につなげられる可能性がある.今後の課題として,病的環境でのタンパク質コロナ形成や,タンパク質の翻訳後修飾の影響など,さらなる研究が必要とされている.
23.4.5 3次元空間を利用したマイクロ流体デバイス
マイクロ流体デバイスは,流体の流れを正確に制御し,サンプル量を減らし,ハイスループットを実現することで,様々な生物医学応用において強力なツールである.これまでは2次元的な微小空間の利用を中心に研究が進められてきたが,3次元空間をうまく活用したマイクロ流体デバイスが開発されている(10–12).
連続フェムト秒結晶構造解析(SFX)では,大量の微結晶が必要であった.ここでDopplerら(11)は,サンプル保存のために,モジュール式の液滴インジェクターを開発した.これにより連続結晶化実験に対し,ヒトNAD(P)H:キノン酸化還元酵素1(NQO1)とフィコシアニンの微結晶を電圧印加により120Hzの繰り返し率で供給することを可能にした.NQO1タンパク質結晶の液滴注入による完全なSFXデータセットを収集し,2.7Å分解能でのNQO1の初の室温構造を得た.この進歩により,疾患関連NQO1酵素の構造的不均一性に関する新たな知見を得た.マイクロ流体液滴注入は,連続注入や時間分解ミックス&インジェクション実験に必要な量を大量に得ることが困難なタンパク質結晶のSFX研究において,試料を保存する強固な方法であることを示している.
Zhangら(12)が空気中で二重エマルションをオンデマンドで印刷するためのマイクロ流体アプローチを提示した.マイクロ流体デバイスを用いて,ダブルエマルションドロップレットを空気中で制御しながら印刷する新しい手法を開発した.予め試薬を内包した単一エマルションを再注入し,表面の濡れ性を空間的にパターン化したマイクロ流体プリントヘッドでダブルエマルションを生成した.射出されたダブルエマルションドロップレットをリアルタイムでソートして,目的の内核を持つ各ドロップレットを選択的にプリントした.所望の組成のダブルエマルションドロップレットアレイを大規模に構築するための汎用プラットフォームを提供している.この手法により,ダブルエマルションを空気中で制御しながらプリントすることが可能となり,質量分析,バイオ分析,材料合成などへの応用が期待される.
葉酸代謝は,DNAやタンパク質の合成に関わり,細胞の分裂や成長に必須であるため重要である.従来の葉酸代謝の検出法は,時間と手間がかかるという問題があった.そこで,Linら(10)は血液サンプルから核酸抽出とLAMP増幅を一体化した専用の分析装置からなるシステムを構築した.3次元的なカセットに必要な溶液を貯め,テープにバルブ機能を持たせて,溶液操作機能を集積化した.このシステムにより,高感度かつ交差汚染がなく,約70分で葉酸代謝関連の遺伝子多型を自動検出することに成功した.患者サンプルを用いた検証でもqPCRやシーケンスの結果と一致し,出生前診断などへの応用が期待できる.
23.4.6 Organ-on-a-chip(臓器チップ)
Organ-on-a-chipは,ヒトの臓器の複雑な生理学的微小環境をin vitroで再現することを目的としている.創薬スクリーニングや疾患モデリングのためのより正確で予測性の高いモデルを提供する.最近の研究では,化粧品の経皮吸収スクリーニング用のskin-on-a-chipプラットフォーム(13),がん転移の臓器指向性の理解(14),中枢神経系障害の再構成のためのミニ脳(15),ヒト化血液脳脊髄液関門モデル(16),骨生物学研究のための多因子制御可能なシステム(17)など,従来と異なる臓器や疾患を対象としたOrgan-on-a-chipの開発が報告されている.
Govey-Scotlandら(13)は,化粧品の経皮吸収をスクリーニングするためのskin-on-a-chipプラットフォームの設計と製造について研究し,動物実験に代わる方法を提供した.Koら(14)は,がん転移における有機向性を研究するための微小生理学・システムの利用について議論し,がん進行の根底にあるメカニズムについての洞察を提供した.さらにKangら(15)は,中枢神経系(CNS)障害を再構成するためのマイクロ流体ベースのヒトミニ脳の設計と応用について概説し,神経疾患のモデル化と個別化治療の開発に対するその可能性を示した.Zhouら(16)は,マイクロ流体デバイス上に血液脳脊髄液関門(blood–cerebrospinal fluid barrier, BCSFB)モデルを生体工学的に構築し,生理学的および神経炎症状況下でBCSFBの構造的および機能的特徴を再現することに成功した.このモデルは,BCSFBとその様々な神経疾患における役割を研究するための貴重なツールとなる可能性がある.Scheinpflugら(17)は,骨組織構築体を生理学的条件下で培養するために,灌流,酸素分圧の調節,機械的負荷を組み合わせることができるマイクロ生理学的システムを提示した.このシステムは,複数の生理学的に関連するパラメータを同時に制御しながら,ヒトの骨に関する生物学を研究することを可能にした.
これらの微小生理学的モデルは,動物実験の代替となるだけでなく,ヒトの生理学的条件をより忠実に再現することで,疾患メカニズムの解明,医薬品開発,個別化医療などの分野に革新をもたらす可能性を秘めている.
23.4.7 結言
以上のように5つのカテゴリに分けて,①分子ロボット・ナノロボット・マイクロロボット,②ペーパーベースのバイオセンサ,③マイクロ・ナノ粒子を利用したバイオセンシングと医療応用,④3次元空間を利用したマイクロ流体デバイス,⑤Organ-on-a-chip(臓器チップ)についての最新の状況を解説した.これらは疾病の検出,モニタリング,治療,薬物スクリーニング,毒性試験,環境モニタリングといった需要に対し,新たな道を示している.この分野の特徴である学際的なアプローチでの継続的な発展により,これらの強力なツールが社会に多大な利益をもたらすことが期待される.
〔永井 萌土 豊橋技術科学大学〕
23.5 未来のセンサシステム
近年,センサ分野でもAI・機械学習を用いた研究発表が盛んに行われており,画像だけでなく圧力などの単純な情報を分布や時系列で取得し解析することによって,有用なデータへの応用事例が多数報告されている.これらのセンサは,例えば,都市のインフラや環境を監視するためのスマートシステムへの活用を想定しており,気候変動によって激化する環境変化や少子高齢化による人手不足を支えるため,今後不可欠な技術基盤となりうる.さらに,ウェアラブルセンサとして,健康状態を取得するためのサービスとしても展開されることが期待されている.こういった情勢から,最新の国際学会でも多くの関連した発表があり,例えばIEEE Sensors Council 2023では,体感として,発表された研究の約1/3がAI・機械学習を含むデータプロセス関連であった(1).またIEEE MEMS2024において,Googleのデータセンターで用いられているMEMSミラーに関して基調講演があり,7万個近いミラーをできる限りシンプルに製造,駆動させ,最終的にはビジョンフィードバックによって高精度にミラーの動きを制御するという内容が紹介されていた(2).さらにAIとセンサに関してフォーカスした国際学会が開催される(3)など,今後も盛んになる分野であると考えられる.機械学会マイクロ・ナノ工学部門が国内において毎年主催しているマイクロ・ナノ工学シンポジウムにおいても,ニューラルネットワークを用いた発表などがあり注目されている.
しかし,現在のセンサ分野の研究開発の大部分は,センサ単体の新規開発,既存のセンサを利用して回路や情報処理を含むセンサシステムの構築,既存のシステムによるAI・機械学習を組み合わせたデバイスの実証実験といったような,センサ,回路・情報処理,AI・機械学習といったそれぞれの技術において,それぞれの個別で研究されている状況である.そのため,デバイス全体として最適化されておらず,今後のセンサシステムとして日本が優位に立つためには,それらを統合し包括的に研究開発することが重要であると考えられる.
〔高橋 英俊 慶應義塾大学〕