4.バイオエンジニアリング
4.1 はじめに
バイオエンジニアリング部門は,1987年の部門発足以来,機械工学を基盤とした研究が進められてきた.2023年の主催・共催講演会等でも,分子レベルから細胞レベルの生物学,ナノマイクロ科学,生体分子化学,細胞レベルから個体レベルの生物学,腫瘍学,感染・免疫学,薬学,生体の構造と機能,人間医工学,病理病態学,物性物理学,恒常性維持器官の外科学,器官システム内科学,生体機能および感覚に関する外科学,生体情報内科学,人間情報学,ブレインサイエンス,神経科学,心理学,応用情報学,スポーツ科学・体育・健康科学,看護学,口腔科学,個体レベルから集団レベルの生物学,人類学,水圏応用科学,森林圏科学,獣医学・畜産学,農業工学,農芸化学,生産環境農学,環境解析評価,環境保全対策,化学工学,に関連するマルチスケール・マルチフィジックスな研究と応用が展開されている.
本年鑑では,当部門がカバーする研究分野を3分野17テーマに分類し,そのテーマのいくつかを紹介するように企画されている.本年度は,「バイオメカニカルエンジニアリング」分野から「細胞のバイオメカニクス」と「組織のバイオメカニクス」,「バイオメディカルエンジニアリング・ライフサポート工学」分野から「診断機器」と「スポーツバイオメカニクス・ヘルスケア」,および「バイオテクノロジー・バイオインフォマティクス」分野から「バイオエンジニアリングにおけるAI」のテーマを取り上げ,各専門家に最近の研究動向をまとめて頂いた.
〔中西 義孝 熊本大学〕
4.2 細胞のバイオメカニクス
細胞は,生物において基本となる構成要素であり,身体の構造を形作る以外に栄養素の取り込みやエネルギーの変換など多くの役割を担っている.細胞を力学的観点から探求し,細胞の構造や機能に加えそれらの変化の解明を通して,生理機能や病理解明への貢献を目指しているのが細胞のバイオメカニクスの研究領域である.第35回バイオエンジニアリング講演会(2023年6月3,4日,仙台)では,2日間に亘り関連する研究発表(ポスター)が48件(全体で171件)あり(1),第34回バイオフロンティア講演会(2023年12月16,17日,山口大学)では,関連セッションが2日間で6つ設けられており(2),細胞のバイオメカニクスへの関心および研究アクティビティは依然として高水準を維持していることが窺える.
細胞のバイオメカニクスの研究領域は,これまでの個々の細胞を対象とした研究に加え,細胞集団,複数種の細胞の共存環境,あるいは三次元細胞凝集塊(スフェロイドやオルガノイドを含む)を対象とする研究も増えつつある.また,力学刺激を細胞に負荷するための新たなプラットフォーム(実験系や解析システム)の開発研究についても継続して取り組まれている.当該領域の研究では,細胞の応答をより情報量多く取得可能なライブイメージングが必須と言っても過言ではない状況が共通の兆候として見られる.本会バイオエンジニアリング部門刊行のJournal of Biomechanical Science and Engineering(JBSE)においても,振動刺激を細胞に負荷可能なデバイス(3),渦流れを付加するフローチャンバー(4)や細胞骨格であり細胞の力学応答に重要な役割を担うことが知られているアクチンフィラメントのゆらぎをリアルタイム解析する手法(5)に関する報告がなされている.これらのプラットフォームの開発研究を基盤に,多種多様な細胞のみならず,細胞外基質を含む組織を対象とした力学応答の解明を目的とする研究報告(6),(7),(8)もあり,最終的に医療技術への応用を視野に入れた展開も行われている.今後は,ティッシュエンジニアリングやバイオマテリアルの研究領域と融合しながら細胞のバイオメカニクス研究は更なる深化を遂げると予想される.
生物学や医学系の領域においては,2023年前後を境に細胞レベルから組織・個体レベルに至るまでのマルチスケールを意識した研究に急激な変化の兆しを呈している.その背景にあるのは,先に示された令和5,6年度の戦略的創造研究推進事業の戦略目標(9),(10)である.これらの研究には,細胞のバイオメカニクスの研究領域でも馴染みの深い蛍光顕微鏡,共焦点レーザー顕微鏡,超解像度顕微鏡などの観察技術や蛍光共鳴エネルギー移動現象を利用した力分子センサー(11)や牽引力顕微鏡法,原子間力顕微鏡などの計測技術が用いられている.また,アプローチとしてバイオメカニクスを基盤とするものも多く,その存在意義は大きい.しかし,前述のように組織を対象とした研究が増えつつあるものの,国内の細胞のバイオメカニクスの研究領域は依然として細胞の構造や機能に関する研究が多く,個体レベルの応答までを総合的に理解・説明できるようになるには,より一層の発展が必要である.
海外における細胞のバイオメカニクスの研究の現状に目を向けてみる.これまで,生体分子の働きを調べる生化学,分子生物学的な視点から,力学的・構造的環境変化に応じた細胞現象を理解するメカノバイオロジー研究が多く展開されていた.一方,米国機械学会バイオエンジニアリング部門から派生した国際会議Summer Biomechanics,Bioengineering and Biotransport Conference(SB3C)では,2022年(2022年6月20–23日,Eastern Shore,Maryland),2023年(2023年6月4–8日,Vail,Colorado)ともに,純粋なメカノバイオロジー研究から一歩踏み込んで,細胞から組織,さらには個体全体の応答やそれらを応用した医療技術開発への展開を念頭に置いたセッション・究発表が増加している(12).米国に限らず,細胞レベルから組織・個体レベルに至るまでのマルチスケールを意識した研究の潮流が世界的に高まっている.したがって,細胞のバイオメカニクスの研究は,その存在意義は依然として高いものの,細胞の構造や機能を対象とした研究からの転換の岐路に立たされているといえる.これまで機械工学や細胞生物学等の融合領域として進化してきた細胞のバイオメカニクスが,さらに多くの研究分野を取り込みながら深化を続け,関連分野の研究に変革をもたらすことに大きな期待を寄せている.
〔吉野 大輔 東京農工大学〕
4.3 組織のバイオメカニクス
この分野は,多様な組織を対象としている.およそこの分野の対象は,人工物ではなく生体組織そのものであり,主に固体が研究対象になっているように思われる.この対象組織に対し,力学,材料力学,弾性力学,破壊力学,機械力学,流体力学,トライボロジーなど多くの機械工学の学問が適用されており,機械工学全般の科目が生体組織の理解に有効であることを示している.
バイオメカニクスが対象とする組織は近年広がっている印象がある.組織のバイオメカニクスの動向を調べるため,2020年に本稿「組織のバイオメカニクス」を担当された近畿大学・山本衛先生と同様な解析を2023年についても実施した(2020年の結果は3. バイオエンジニアリング – 機械工学年鑑2020-機械工学の最新動向- (jsme.or.jp)を参照).同様な解析実施により,2020年から2023年の3年間の変化が認識できると予想したためである.2023年の対象学術雑誌は,Journal of Biomechanics,Journal of Biomechanical Engineeringとした.なお,バイオエンジニアリング部門の公式JournalであるJournal of Biomechanical Science and Engineeringも対象にしようと試みたが,組織のバイオメカニクス自体の論文が非常に少なく,対象外とした.
始めに,データの解析方法を略述する.2023年に出版されたFull Paperのみを対象とし,ReviewやShort Communication等は対象外とした.この論文のうち,上述の組織のバイオメカニクスに該当すると判断されるものを組織ごとに分類した上でカウントした.なお,血液流れのような流体解析であっても,周囲等の固体内部の解析をしていれば対象とした.
結果を表4-3-1に示す.2023年におけるJournal of Biomechanicsの解析対象数は全362報であり,このうち組織のバイオメカニクスと判断した論文は96報であった.これは,2020年の374報中108報とほぼ同程度であった.また,2023年における各組織の報告数は,骨11(2020年は14),歯1(同0),軟骨9(同11),心臓・血管19(同33),腱・靭帯19(同17),皮膚2(同0),脳・神経5(同4),筋14(同16),その他16(同13)であった.心臓・血管を対象とした報告数は減少傾向にあるものの,それ以外の組織の報告数は2023年と2020年でほぼ同程度であった.
表4-3-1 主要学術雑誌での組織のバイメカニクス関連の論文数
雑誌名 |
論文 |
組織バイオメカニクス関連の論文 |
組織の種類 |
||||||||
硬組織 |
軟組織 |
その他 |
|||||||||
骨 | 歯 | 軟骨 | 心臓・血管 | 腱・靭帯 | 皮膚 | 脳・神経 | 筋 | ||||
Journal of Biomechanics | 362 | 96 | 11 | 1 | 9 | 19 | 19 | 2 | 5 | 14 | 16 |
Journal of Biomechanical Engineering | 155 | 79 | 16 | 3 | 7 | 25 | 9 | 1 | 7 | 2 | 9 |
Journal of Biomechanical Engineeringの結果(表4-3-1)もJournal of Biomechanicsとほぼ同様となった.ただし,全155件のうち組織のバイオメカニクスと判断した論文は79報であり,雑誌における組織のバイオメカニクスが占める割合はJournal of Biomechanicsより多かった.各組織の割合もJournal of Biomechanicsとほぼ同程度であったが,Journal of Biomechanicsより骨や心臓・血管を対象とした報告が多く,腱・靭帯や筋を対象とした報告が少ない.Journal of Biomechanicsは筋骨格の運動学に関する報告が多く,これに付随して腱・靭帯や筋を対象とした報告が多いのかもしれない.
全雑誌において,比較的報告数が多い組織は,骨,軟骨,心臓・血管,腱・靭帯であり,力伝達が主目的な組織や力負荷が大きい組織である.明確に強い力が加わる組織は古くから研究対象であり,かつ当時の研究室で研究した弟子が研究を継続しているために,報告数が多くなったのかもしれない.
2023年に上記雑誌にて報告数が多くなかった「その他の組織」に着目すると,臀部,膀胱,肺,三半規管,声帯,角膜,強膜などを対象とする報告があった.臀部はMRI画像からdigital volume correlation法を用いて(1),膀胱は脊髄損傷後の膀胱組織を対象に(2),肺は周波数を変化させた動的要素を含んで(3),それぞれ力学特性解析を実施しており,ひずみ,弾性率,粘性係数等を計測した報告であった.三半規管はモデルを製作して耳石の数やサイズとクプラの変形関係を調べた報告(4)であり,声帯靭帯は組織内の実際の線維配向を組み入れた流体構造連成解析による声帯振動の報告(5)である.強膜は引張時に解消されるコラーゲン線維の蛇行と力学特性の関係(6)の報告である.World Congress of BiomechanicsやSummer Biomechanics, Bioengineering, and Biotransport Conference等の国際会議においてもOcular Biomechanicsのセッションが定着してきており,目を対象とした研究は体感的にも研究数が増加している.また,手根管(7)や膣(8)を対象としたReviewもあり,バイオメカニクスがあらゆる組織に浸透していると感じる.このような比較的この分野では報告が少ない組織が次のホットトピックになる可能性はある.
〔杉田 修啓 名古屋工業大学〕
4.4 診断機器
医療機器の国内市場規模はおよそ3兆円であり,そのうち約60%が治療機器,約20%が診断機器であると言われている(1).矢野経済研究所のレポート(2)によると,国内市場規模が大きい診断機器として,内視鏡(629億円,2022年度,以下同),超音波画像診断装置(545億円),医用X線CT装置(503億円),磁気共鳴画像診断装置(MRI)(473億円)などが挙げられている.この中には,国内企業の競争力が高い分野も多くあり,また,機械工学の貢献が大きい分野でもある.一方,従来の診断機器の分類に当てはまらない,新規性の高い診断機器の開発や実用化も進んでいる.
平成17年度(2005年)から開始された,厚生労働省の次世代医療機器・再生医療等製品評価指標作成事業では,数年後の実用化が見込まれる新規性の高い医療機器を対象として,製品開発の効率化及び承認審査の迅速化を図る目的で,その品質,有効性及び安全性を科学的根拠に基づいて適切かつ迅速に審査するための道標となる「評価指標」を作成している(3).本事業では,対象分野ごとに設立される審査ワーキンググループで1~2年をかけて討議を行い,評価指標(案)を作成する.その後,パブリックコメントなどを経て,正式な評価指標となり厚生労働省の通知として発出される.これまでに40件以上の評価指標が公表されており,このうち,診断機器に該当するものとしては,平成20年(2008年)に発出されたDNAチップを用いた遺伝子型判定用診断薬に関する評価指標,平成22年(2010年)に発出されたコンピュータ診断支援装置に関する評価指標,平成24年(2012年)に発出されたRNAプロファイリングに基づく診断装置の評価指標,令和元年に発出されたマイクロ流体チップを利用した診断装置に関する評価指標がある.
平成25年(2013年)の薬事法改正では,医療機器プログラムが規制対象として明確化され,単体のコンピュータソフトウェアであっても,医療機器として取り扱うことが可能になった.これを受けて,医療機器プログラムに該当する医療機器の評価指標も作成された.このうち,診断機器に該当するものとしては,令和元年(2019年)に発出された血流シミュレーションソフトウェアに関する評価指標と人工知能技術を利用した医用画像診断支援システムに関する評価指標,令和4年(2022年)に発出された乳がん診断支援装置に関する評価指標がある.これらの分野に関連する製品としては,冠動脈のCT画像から数値流体力学解析を用いて血流の状態を評価するハートフロー・ジャパン合同会社のハートフローFFRCT(4),大腸内視鏡画像をAIで解析し診断支援を行うサイバネットシステム株式会社のEndoBRAIN(5),医療機器プログラムではないが,咽頭画像を撮影しインフルエンザウイルス感染症の診断補助を行うAI搭載医療機器であるアイリス株式会社のNodoca(6)などが挙げられ,これらの製品の承認審査の際には,関連する評価指標や評価指標作成時の討議内容が活用されている.
AI技術,特に深層学習を代表とする機械学習技術は,今後も様々な医療機器への応用が期待されているが,このような医療機器の開発には,診療情報の利活用か欠かせないと考えられている.そこで,令和2年(2020年)には,個人情報の保護に関する法律が改正され,技術革新をふまえた利活用などの観点から,氏名等を削除した「仮名加工情報」が創設されたほか,令和5年(2023年)には医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報及び仮名加工医療情報に関する法律(次世代医療基盤法)が改正されるなど,診療情報を利活用した技術開発や製品開発を推進するための行政の様々な取り組みが進められている(7,8).日本機械学会誌の2024年1月号に掲載された「JSMEメンバーが考える2050年の社会像実現に向けた技術ロードマップ(9)」では,AIに加え,ウェアラブルデバイス,遠隔診療,ブレインマシーンインターフェース,生体センサーといったキーワードが挙げられている.このような技術領域で診断機器の開発が進む可能性が考えられる.尤も,これらは必ずしも未来の技術というわけではない.
例えば,スイスのSENSIMED社が製造し,日本では株式会社シードが販売するトリガーフィッシュシステムは,24時間にわたって眼圧変動を計測する検査機器であり,日本の製造販売承認を2006年に取得している(10).検査対象者は,ひずみゲージ,アンテナ,テレメトリーチップを内蔵したシリコーン製のコンタクトレンズ型ウェアラブルセンサーを装着する.日本の製造販売承認を2016年に取得した,米国アボット社のFreeStyleリブレは,血糖値のトレンドを継続的に把握することを可能にするウェアラブルデバイスである(11).さらに2020年には,アップルウォッチ用のアプリである「Appleの心電図アプリケーション」と「Appleの不規則な心拍の通知プログラム」がそれぞれ,一般的名称「家庭用心電計プログラム」と「家庭用心拍数モニタプログラム」として日本で承認されている(12).
本稿では,厚生労働省の次世代医療機器・再生医療等製品評価指標作成事業で取り上げられた分野や,日本機械学会誌で取り上げられたキーワードを中心に,近年の機器開発についてその動向の一部を紹介した.なお,診断機器やそれに用いられる技術は極めて多様であり,すべてを網羅できていない点については,ご容赦いただきたい.
〔迫田 秀行 国立医薬品食品衛生研究所〕
4.5 スポーツバイオメカニクス・ヘルスケア
スポーツバイオメカニクス・ヘルスケアの分野におけるトピックとして,ウェアラブルデバイスやカメラによるマーカーレスモーキャプチャを用いた実競技・生活環境化における運動・行動計測手法と人工知能技術との統合により,簡便かつ疎な運動・力計測からパフォーマンス評価,傷害リスク,身体機能評価へ活用する研究が近年増加している.2023年度に開催されたXXIX Congress of International/Japanese Society of Biomechanicsでは,運動のバイオメカニクスにおけるウェアラブルデバイスと機械学習/人工知能の活用に関連するイベントとして,「Machine Learning Application in Movement Biomechanics」と題したワークショップ,「Artificial Intelligence in Biomechanics」と題したシンポジウムが開催された.また,オーラルセッションでも「Artificial Intelligence and machine learning」が4セッション,「Wireless sensors and wearable device」が2セッション開催された.実際の競技環境や生活環境下において人体モデル/筋骨格モデルを活用して関節トルクや筋発揮力などの生体力学的評価を行うためには,バイオメカニクスにおける基本物理量である身体体節の運動と外力を,なるべく身体拘束をかけないように少量・小型のセンサにより計測することが求められる.この観点から,一つもしくは少数のウェアラブルセンサの計測結果から機械学習を用いて身体の内部状態を予測する研究が多く発表された.特に,単体もしくは少数のInertial Measurement Unit(IMU)による運動計測が入力として多く用いられ,IMUにより計測されたデータに対して機械学習や深層学習を活用することにより,義足歩行時の全身の姿勢を予測する研究(1),歩行特性を予測する研究(2),床反力を予測する研究(3)などが発表されている.外力計測に関しては,床反力予測を行う研究が多く発表されている.床反力予測の手法としては前述のようにIMUにより計測される加速度データを使用する方法に加えて,過去に実験室環境下で計測された運動・床反力データセットを学習して床反力を予測する手法が発表されている(4).スポーツバイオメカニクス・ヘルスケア分野におけるウェアラブルセンサと人工知能技術の活用に関する研究は国内学会においても注目されており,当会のシンポジウム:スポーツ工学・ヒューマンダイナミクス2023において新たにセッション「スポーツAI」が立ち上げられている.
こうした運動・力計測と機械学習/人工知能を統合することにより,実生活環境下において運動・力計測を行うことはスポーツやリハビリテーション分野のみならず,高齢者の身体機能の低下を家庭内で検知し評価するための研究にも活用されている.例えば,深度カメラにより家庭内での階段昇降時の手すり依存性よりフレイル評価に活用するシステム(5)や,2D-LIDARによる転倒検知システムなどが発表されている(6).また,COVID19以降の社会構造変化に伴いテレワークが急速に浸透したが,それに伴うヘルスケア手法として在宅での健康増進を図るテレエクササイズという概念も産まれ,ウェアラブルデバイス/センサホームとAI連携による高度化が期待されている(7).以上,ウェラブルセンサやマーカーレスモーションキャプチャ等と機械学習/人工知能技術活用による実競技環境,日常生活環境下での運動・力計測のスポーツバイオメカニクス・ヘルスケアの領域での発展について概説したが,今後は人間のデジタルツインとなる人体モデルとも連携することにより人間の内部状態推定の更なる高度化も期待される.
〔宮崎 祐介 東京工業大学〕
4.6 バイオエンジニアリングにおけるAI
機械学習が科学界で重要な位置を占めるようになって久しい.将棋のトップ棋士がAIとの対局を通した研究により新たな戦型の深淵へ到達する(1)ように科学者にとっても思考・研究手段を支援する欠かせないツールになるのであろう.機械学習は主に教師あり学習・教師なし学習・強化学習の3種があると説明されるが,本稿ではバイオエンジニアリングにおいて活躍する教師あり学習と強化学習にスポットを当て,研究例を通じた動向について概説する.なお,バイオとAIのキーワードのみでは対象が広いため,本稿のスコープを主に力学が関連するバイオメカニクス・生物物理分野とする.
4.6.1 バイオエンジニアリングと教師あり学習
教師あり学習は例えるならば,練習問題(入力)と解答(出力)の対応関係を学習させたモデルを作成し,そのモデルにテスト問題を解かせる自動化により仕事の代替を目指すものである.一般に神経回路を模したニューラルネットワークによる深層学習が採用されるが,入出力の組み合わせ次第で様々な応用が可能となりバイオエンジニアリング・医工学分野においても教師あり学習は大きく貢献している.クラシカルな用法としては,各入力に対する目的の出力を人の手で分類・ラベリング(アノテーション)し学習させることにより人の判断を代替する用法が挙げられる.例えば皮膚画像から皮膚がんの種類・悪性度を専門医と同等の精度で診断できる(2)ことが報告されたが,この機械学習では皮膚画像を入力,専門医の分類を出力として学習している.入出力がともに画像である教師ありの深層学習もバイオエンジニアリングにおいて有用な応用先であり,例えば2015年に発表された機械学習モデルのU-Net(3)は画像の中から注目する対象を抽出するタスク(セグメンテーション)において分野に大きく貢献している.入力画像中の抽出したい対象のみを正解出力として準備し訓練することにより,顕微鏡画像中の細胞(3)や細胞外基質の座屈変形(4)を抽出できる.機械学習を活用した顕微鏡画像におけるSN比の向上・超解像技術など,他の試みについては総説(5)に詳しい.訓練データの準備は容易ではないものの,一度訓練してしまえば以降は人の判断を代替可能なため自動化という点において強力なツールとなる.近年はImageJ/FijiプラグインのDeepImageJ(6)や,動物体表の特徴点の動きを自動追跡するDeepLabCut(7)などのソフトウェアも開発され機械学習を専門としない研究者も利用できる環境が広がりつつあり,今後もこの潮流が続くと期待される.
ここまで力学が関連しない応用例について概説したが,教師あり学習は力学情報を入出力に含む数値計算・実験計測にも応用できる.入力データは容易に得ることができるものの出力データの取得が時間的・作業工数的に困難である場合において,入出力の変換過程を教師あり学習の代理モデル(サロゲート)で代替することにより処理を高速化し,解析のスループットを向上させることが可能である.例えば先行研究(8)では数値流体力学を学習モデルで代替することにより,大動脈・冠動脈における患者個別の血流計算の短時間化を実現した.一般的に数値流体力学で血流計算を行う場合,血管形状を抽出した後に入口・出口の境界条件を定めて数値計算を実施するが,計算ドメインが広い大規模計算となる場合は数値計算の時間が長いために圧力・流速などの血流動態の評価には時間を要する.そこで,この研究では血管形状を入力,その形状で流体力学計算を行って得た血流動態の情報を出力とする教師あり学習を実施し代理モデルを作ることにより,血管形状を与えるだけで瞬時に血流動態を評価するシステムを実現した.他の先行研究(9)では,細胞実験において細胞が発する収縮力を顕微鏡画像から推定するシステムが提案された.一般に細胞が発する収縮力を計測するためには培養基板の変位を計測し,逆問題を解くことにより収縮力を推定する牽引力顕微法と呼ばれる有力な手法が知られるが,工数が多くスループットが悪いために大規模データの取得には向かない.そこで,この研究では,より観察が容易い培養基板上に生じたシワ(座屈)画像を入力画像,細胞の収縮力の場を出力画像とした教師あり学習を行うことにより,最終的にはシワ画像から瞬時に収縮力場を推定するシステムを実現した.これら2つの研究例に共通するのは,容易に取得できる物理量(幾何情報)から取得困難な物理量(力学情報)への写像を代理モデルで処理する高速化により新たな解析基盤を実現した点である.もちろん実計算・実計測とは一定の乖離を含むことになるが,そのデメリットを超えて,大規模処理・コスト削減によってはじめて見えるパラダイムもあるだろう.
少ない学習データによる低い汎化性能や出力結果の物理法則の破れなどの欠点も指摘されるが,自己教師あり学習や訓練データの物理空間の向きに依存しない手法(10),物理法則に即した出力結果を返すPINN(Physics-Informed Neural Networks)なども開発され欠点は改善されつつある.教師あり学習の他の用途として時系列データの未来予測や異常検知なども知られており,今後もバイオエンジニアリング・医工学分野においても活用が進むと期待される.
4.6.2 バイオエンジニアリングと強化学習・遺伝的アルゴリズム
強化学習とは機械学習モデルに試行錯誤を繰り返させ,目的関数を最大化する戦略を探索する手法であり,世界のトッププレイヤーを破った囲碁のAlphaGoや将棋AIなどに用いられている例が有名である.バイオエンジニアリングの分野においてもヒトや生物の最適動作を理解するため,強化学習や遺伝的アルゴリズムといったフレームワークが活躍している.本研究分野の中でも,小さい生物の泳ぎの解析に使われた例よりその発展を概説する.
微生物や精子に至るまで小さな生き物の遊泳戦略を理解することは,環境・エネルギー問題や先進医療において重要であるだけでなく,微小環境で動作するマイクロロボットの設計にも活かされると期待されており重要な課題である.伸縮可能なアクチュエータを連結したマイクロロボットモデルについて,先行研究(11)ではQ学習と呼ばれる強化学習のフレームワークを用い最速で遊泳する戦略を探索した.この研究では過去の理論研究で知られる最速の遊泳戦略を獲得可能と報告するとともに,ノイズ強度の異なる環境では違う戦略を獲得することを報告し先進的な研究として注目を集めた.近年では古典的なQ学習ではなく意思決定にニューラルネットワークを組み込んだ深層強化学習を導入し,マルチリンク型のマイクロロボットの最適遊泳(12)や遊泳モードを切り替えながら向きを自在に変更し遊泳するモデル(13)が報告されている.遺伝的アルゴリズムは候補解のうち目的関数に適合する個体のパラメータを保存しながら交叉・突然変異などの操作を経て進化的に最適解を探索する最適化手法の一種である.遺伝的アルゴリズムを用いて精子の最適遊泳を解析した研究例(14)は,精子の頭部の大きさに依存し平面的な鞭毛打かヘリカルな鞭毛打かの最適な鞭毛打パターンが異なることを明らかにした.また近年の研究(15)では遺伝的アルゴリズムによりニューラルネットのトポロジーが進化するNEAT(NeuroEvolution of Augmenting Topologies)アルゴリズムを用い,走化性を微生物モデルに実装したところ,非常に簡素なニューラルネットにより微生物のラン・アンド・タンブル運動を再現できることが明らかとなった.生物の動きの効率や目的関数を評価することは困難であるが,これらのフレームワークは環境に応じた最適動作の候補を探索可能にするため,上記の例のように生物の動作や環境適合性を理解する上で強力なツールとなると期待される.
〔松永大樹 大阪大学〕