3.計算力学
3.1 はじめに
新型コロナ(COVID-19)が第5類に変更されたことで,社会的な活動はコロナ前の活動に近くなっている.これから日本機械学会も対面の講演会が多くなり,研究活動も活発になっていくことが予想される.
社会的にはGPTをはじめとするAIが注目され,機械工学でも機械学習・深層学習などをとり入れた研究が進められている.実際に機械工学への応用活用もすぐそこにあると思われている.特に計算力学については,以前からニューラルネットワークなどを取り入れた研究は実施されており,将来性は高いと考えられる.
またコンピュータの高速化はさらに進んでおり,量子コンピュータによるフェーズフィールド,分子動力学,最適化など計算力学への適用が行われており,今後のさらなる発展が期待される.
一方,固体力学,流体力学,熱工学のCAE技術は社会に十分定着してきており,これらの分野の計算力学技術者資格認定事業は初回から20周年を迎え,毎年多くの資格取得者を出している.今後これらの資格取得者などがさらに計測と融合させてデジタルツインとして更に発展させて行くことが期待できる.
このように計算力学は社会の発展に寄与する部分が大きく,さらなる進展が期待されている.
〔萩原 世也 佐賀大学〕
3.2 計算固体力学
データ同化は,数値シミュレーションモデルと実験データをベイズ統計学を用いて融合する計算技術であり,数値シミュレーションで対象とする現象を解明し,正確に予測するための初期条件やモデルに含まれるパラメータの推定などを可能とする.データ同化は,気象学や地球科学分野で発展した経緯があるが,現在では工学を含む広範な分野に適用が進んでいる(1)(2).ここでは,主に計算固体力学分野におけるデータ同化の動向とその事例を紹介し,今後に向けた展望を記す.
はじめに,データ同化の概要を説明する(3)(4).データ同化では,モデルを用いた数値シミュレーション結果を確率変数とみなし,その確率密度関数(事前分布)の時間変化を追跡する.他方で,実験結果は平均値と誤差の形で確率密度関数(尤度)も評価する.そして,ベイズの定理に基づき事前分布と尤度の積を計算することで,実験結果を加味した数値シミュレーション結果の確率密度関数(事後分布)を得る.この事後分布の計算は,実験結果による数値シミュレーション結果の「修正」または「改善」と捉えることができる.さらに,事前分布や事後分布の分散・共分散を評価することで,数値シミュレーション結果の不確かさ評価も可能である.この点で,データ同化は単なる数値シミュレーション結果を実験結果にフィッティングすることとは一線を期す.
データ同化の具体的な計算アルゴリズムには,制御理論でも有名なカルマンフィルター(5)に端を発するアンサンブルカルマンフィルター(6)や粒子フィルター(7)を含む逐次データ同化アルゴリズムと,最尤推定法に基礎をおく4次元変分法(4DVar)などの非逐次データ同化アルゴリズムがある.それぞれ特徴があるが,計算固体力学分野の数値シミュレーションにおいては,力学的平衡状態を満たす解を繰り返し計算で求めることが多いことから,非逐次データ同化アルゴリズムが適している.
過去の本年鑑でも,データ同化はしばしば取り上げられてきた.過去数年の年鑑を見ると,計算力学と流体工学で注目されてきた.これはデータ同化が,計算固体力学分野に限った方法ではなく,一般の問題に適用可能な基盤計算技術であることを意味する.計算固体力学分野を含めた,本会計算力学分野でのデータ同化の動向を調査すると,「データ同化」のキーワードは2016年の年鑑まで遡ることができる.すでに2013年の計算力学講演会において「逆問題解析とデータ同化の最前線」と題したオーガナイズドセッション(OS)企画が開始しており,OS名を更新しながら現在も継続されている.2023年度の計算力学講演会(CMD2023)でも,OS-4「逆問題とデータ同化の最新展開」が企画されているほか,OS-8「フェーズフィールド法と関連トピックス」やOS-18「計算バイオメカニクス」において,複数件のデータ同化に関する研究報告があった.これらの研究報告を含め,世界的なデータ同化の研究動向を見ると,データ同化に期待される強みのひとつに「実験的に直接は観察できない系(固体)の状態を推定すること」がある.実際,CMD2023においても,デジタル画像相関(DIC)法で測定した材料表面のひずみ分布から,目視できない材料内部のき裂形状の推定結果の報告があった(8).この研究報告で使用されたDIC法は,機械学習手法の発展とともに高度化しており,こうした新しいDIC計測で得られた時系列データを有効活用する方法としてもデータ同化は有効である.
計算固体力学分野でのデータ同化の適用事例としては,プレス加工中の金属板材表面の時系列ひずみ場をDIC法で計測し,非逐次データ同化アルゴリズムで弾塑性有限要素解析に融合することで,材料構成則のパラメータを逆推定する事例が報告された(9).同様に,アルミニウム合金の単軸引張試験をDIC計測した結果をアンサンブル4DVarで弾塑性有限要素解析に融合することで,当該材料の加工硬化則のパラメータの逆推定する事例も報告された(10)(11).さらに,インフラなどの構造物の数値解析に対しても,データ同化アルゴリズムの一種であるマルコフ連鎖モンテカルロ法を適用するという興味深い研究成果が報告された(12).近年では,X線コンピュータートモグラフィー(CT)や放射光CTを使うことで,材料内部の変形状態を直接計測可能となっている.こうした最先端のその場試験方法とデータ同化の融合も加速し,計算固体力学分野が発展していくことが期待される.
上記のように,計算固体力学分野ではデータ同化を適用する目的として,これまでは状態推定やパラメータの推定が多い.しかしながら今後は,データ同化を応用して,実験・計測方法の最適化や実験・シミュレーション結果の詳細な不確かさ評価がさらに発展することが期待される.特に不確かさ評価は,機械構造物や材料の信頼性向上に重要である.今後,計算力学分野や計算固体力学分野に限らず,機械工学分野でデータ同化をより有効かつ活発に応用していくためには,データ同化研究が活発な学協会との連携が興味深い.例えば,日本地球惑星科学連合2023大会(13)では,データ同化の最先端研究が多数発表されており,こうした異分野学協会との連携を積極的に企画することも重要である.
〔山中晃徳 東京農工大学〕
3.3 計算流体力学
2023年度は新型コロナウィルス感染症の5類感染症への移行もあり,様々な制約が解除されたことから,計算流体力学分野を含め国内外の多くの講演会が対面での実施となった.まず,本会主催第36回計算力学講演会(1)は,2023年10月25日(水)~27日(金)の日程で,愛知県豊橋市において開催された.アジアCFD(Asian CFD 2023)(2)は2023年10月30日(月)~11月2日(木)にインドのベンガルールで開催され,米国物理学会(APS)主催のDFD Meeting(3)は2023年11月19日(日)~21日(火)にワシントンDC(米国)にて開催されるなど,国内外の多くの学会が現地開催であった.そして,本会協賛の第37回数値流体力学シンポジウム(4)が日本流体力学会主催で2023年12月15日(金)~17日(日)の日程で名古屋市にて開催された.本シンポジウムにおいては,2件の特別講演が行われた:後藤俊幸氏(名古屋工業大学 名誉教授)「雲乱流と計算科学」,渡邉智彦氏(名古屋大学大学院理学研究科 教授)「数値シミュレーションで探るプラズマ乱流 -核融合からオーロラへ-」.一方,新型コロナウィルス感染症流行前は,講演会の会期中に懇親会が開催され,講演者間の交流を図る機会が設けられることが一般的であったが,懇親会を開催しない学会も散見された.
ここで,近年の計算流体力学分野の研究動向について,数値流体力学シンポジウムの発表件数を元に分析したい.機械工学年鑑2022(5)に掲載されている2022年までの同シンポジウムの講演件数に第37回数値流体力学シンポジウムの講演件数を追加し,表3-3-1にまとめた.表3-3-1は,数値流体力学シンポジウムにて企画されたオーガナイズドセッションの2018年以降の発表件数の推移を示す.その際,2022年の年鑑データ(5)に2023年のデータ(4)を追加すると共に,2018年から2022年までの5年間の平均値を算出した.その5年間の平均値に対する2023年の増減率を表に示す.オンラインで開催された2022年の発表件数は205件と比較的少ない発表件数であったが,対面で開催された2023年は以前とほぼ同じ水準の発表件数であった.過去5年(2018年から2022年)の発表件数平均に対して,2023年の発表件数が増加したのは,増加率の順に「種々の連成問題」「大規模・高速計算,新しい計算資源の利用」「乱流,渦,波動」「流体データの処理と活用」「直交細分化・適合細分化格子法」「原子・分子の流れ」であった.2022年に引き続き,「乱流,渦,波動」と「流体データの処理と活用」は発表件数の非常に多い分野である.特に,「流体データの処理と活用」(可視化,データ同化,機械学習等)は,「大規模・高速計算,新しい計算資源の利用」と共に情報科学とCFDの融合を目的としており,これらの分野の研究が盛んに行われているこが分かる.また,2023年においても講演件数の増加が見られた「直交細分化・適合細分化格子法」に関しては,前述の第36回計算力学講演会におけるオーガナイズドセッション「直交格子・AMR法の流体シミュレーション」や日本航空宇宙学会主催の第55回流体力学講演会/第41回航空宇宙数値シミュレーション技術シンポジウム(6)において「第4回直交格子CFDワークショップ」が開催される等,依然として活発な研究活動が行われている.
2023年になって多くの講演会が対面で実施されるようになり,対面での研究者間のコミュニケーションや交流の重要性が再認識されるようになった.一方,オンラインの講演会は,場所にかかわらず参加できる等,オンラインならではの利点もある.その両方を兼ね備えたハイブリッド(ハイフレックス)方式も考えられるが,小規模のセミナーや設備の整っている会場を除いて,一般の講演会ではその実現は難しいようである.そのため,今後は対面とオンラインを使い分けることになると思われる.
表3-3-1 数値流体力学シンポジウムにおける講演件数の推移
OS名 | 2018 | 2019 | 2020 | 2021 | 2022 | 平均 | 2023 | 増減率 |
乱流,渦,波動 | 30 | 25 | 37 | 31 | 30 | 30.6 | 40 | 30.72% |
混相流体,相変化,反応,界面 | 17 | 19 | 24 | 16 | 19 | 19.0 | 19 | 0.00% |
電磁流体,プラズマ流 | 10 | 7 | 4 | 4 | 6.3 | 5 | -20.00% | |
原子・分子の流れ | 15 | 13 | 20 | 17 | 12 | 15.4 | 17 | 10.39% |
非圧縮流れ解法,圧縮流れ解法 | 17 | 6 | 5 | 13 | 9 | 10.0 | 8 | -20.00% |
連続体力学的解法 | 22 | 10 | 11 | 13 | 11 | 13.4 | 5 | -62.69% |
離散要素型解法 | 22 | 18 | 9 | 11 | 10 | 14.0 | 11 | -21.43% |
新規解法及び高性能化に向けた既存手法改良 | 9 | 6 | 13 | 12 | 8 | 9.6 | 8 | -16.67% |
直交細分化・適合細分化格子法 | 10 | 8 | 18 | 11 | 11.8 | 15 | 27.66% | |
複雑流体の流れ | 19 | 20 | 16 | 14 | 15 | 16.8 | 16 | -4.76% |
種々の連成問題 | 21 | 15 | 17 | 10 | 10 | 14.6 | 23 | 57.53% |
輸送用機械に関連する流れ | 21 | 22 | 17 | 17 | 20 | 19.4 | 15 | -22.68% |
地域環境と防災 | 23 | 22 | 19 | 18 | 7 | 17.8 | 6 | -66.29% |
エネルギーに関連する流れ | 11 | 14 | 12 | 14 | 9 | 12.0 | 8 | -33.33% |
大規模・高速計算,新しい計算資源の利用 | 5 | 4 | 8 | 5 | 5.5 | 8 | 45.45% | |
流体データの処理と活用 | 18 | 19 | 27 | 22 | 25 | 22.2 | 29 | 30.63% |
一般セッション | 0 | 9 | 4 | 6 | 4 | 4.6 | 5 | 8.70% |
〔佐々木大輔 大阪公立大学〕
3.4 マルチフィジックス
マルチフィジックス問題とは,異なる物理現象間の相互作用がシステム全体の挙動に影響を与える問題である.例えば,流体-構造連成問題では,流体が構造物に力を作用させ,その構造物の変形がさらに流体の流れに影響を与えるという相互作用が生じる.マルチフィジックス問題では,複数の偏微分方程式が同時に考慮する必要があるため,これらを適切に解くための数値解法が必要となる. 2023年のマルチフィジックス問題の研究動向を,新たな研究トレンドである機械学習に基づくデータ駆動型解法,特にサロゲート(代理)モデリング,強化学習,Physics-Informed Neural Networks (PINNs)の観点から概観する.
まずサロゲート(代理)モデリングの研究について概観する.サロゲートモデリングとは,計算コストの高いシミュレーションの代わりに,簡略化された近似モデルを用いる手法である.Luo(1)らは,水分拡散による変形を予測するため,シミュレーションデータを画像データとして深層畳み込みニューラルネットワーク(CNN)に学習させることで代理モデルを構築し,高速で精度の高い予測を可能にした.Morganら(2)は,機械学習アルゴリズムの一種であるランダムフォレスト回帰モデルと固有直交分解を組み合わせることで,冠動脈の壁剪断応力と圧力場を迅速に予測できることを示した.これらの研究をはじめ,機械学習に基づくデータ駆動型解法に基づくサロゲートモデルにより,物理現象の短時間での予測を可能にした研究が多数提案されている.今後,複雑な物理現象のリアルタイム予測や,設計空間の高速な探索による設計最適化の実現が期待される.
次に強化学習を活用した研究について概観する.強化学習(Reinforcement Learning, RL)とは,エージェントが環境との相互作用を通じて,報酬を最大化する行動を学ぶ機械学習の一分野である.Liら(3)は,強化学習と流体-構造連成を用いた魚の適応行動の数値シミュレーション手法を提案し,従来の流体-構造シミュレーション方法に比べて魚が複雑な流れ場においてより現実的な行動を示すことを検証した.Jiangら(4)は,振動するシリンダーの抗力を低減するために,強化学習に基づくアクティブフロー制御手法として,直接数値シミュレーションから得られたシリンダーの揺れの運動学的情報をエージェントに組み込み,シリンダーの振動振幅を能動的に調整することで,抗力が低減できることを示した.Wangら(5)は,流体-構造連成問題における渦の発生を抑制するために,強化学習を用いたアルゴリズムを提案している. このように,強化学習を用いたマルチフィジックス問題の数値解析の研究は,エージェントが環境と相互作用して最適な行動を学ぶことで,複雑な物理現象の予測や制御を行う分野として期待されている.
最後にPhysics-Informed Neural Networks (PINNs)を活用した研究について概観する. PINNsは,物理法則を組み込んだニューラルネットワークであり,具体的には微分方程式(例えばナビエ・ストークス方程式やポアソン方程式など)を損失関数に含めることで,物理的な制約を満たすように学習を行う.PINNsは,流体力学,構造力学,熱伝導など,様々な工学分野で活用されている.Hijaziら(6)は,Navier–Stokes方程式の逆問題を解くため,PINNsを用いてPOD-Galerkin ROMに基づく物理方程式を損失関数の一部として組み込み,計算コストを削減しつつ高精度な数値解を得られることを示した.Aygunら(7)は,PINNsを用いてメッシュ変形問題を解決する手法,特に境界条件を厳密に満たすための新しいアプローチを提案している.従来のPINNでは境界条件を厳密に満たすことが困難であったが,この研究では 2つのPINNを用いることでこの問題を解決した.すなわち,最初のPINNで初期解を求め,次に2つ目のPINNで境界条件を厳密に満たすための修正を行うことで,メッシュ変形をモデル化した.
ただし,マルチフィックス問題に機械学習を活用する場合,マルチフィックス問題のデータセットが不足している点,学習範囲外の物理現象に対する機械学習モデルの適用性は,今後の研究課題である.現存するデータセットを拡張するデータオーグメンテーションなどの手法や,既存の学習済みモデルを新たなデータセットに適用するための転移学習など,さらなる研究の進展が期待される(8).
〔西口浩司 名古屋大学〕
3.5 材料・マルチスケール
物理におけるある問題を理解するかどうかは,それに対する力学モデルを構築できるか?ということである.例えば内部組織を有する固体材料の現象を理解するためには,塑性変形の素過程に基づく微視組織の発展に基づき変形場を記述できる力学モデルの構築が必要となる.ここで個々の素過程の理解は材料の固有の性質を理解するためには重要であるが,素過程に関わる格子欠陥の影響はその欠陥が存在する空間サイズに応じて大きく変化することを考慮しなければならない.このように,材料の力学特性や機能特性の発現機構を正しく理解するためには,ミクロ系とマクロ系の現象を考慮したマルチスケール力学モデルの構築が必要不可欠である.
2023年度の研究動向を,日本機会学会論文集,2023年10月に豊橋商工会議所で行われた第36回計算力学講演会(CMD2023)のプログラム・予稿集から調査した.日本機会学会論文集については,「材料力学・機械材料・材料加工」と「計算力学」のカテゴリーを対象としたが,これらの中で計算材料力学に関連した論文としては,第一原理解析によるひずみ誘起による機能制御(1),原子構造体の構造安定性(2,3),結晶塑性解析や均質化法による多結晶金属の素過程予測,変形解析(4,5,6)などが報告されている.今後は外部負荷を受ける原子構造体の機能遷移を考慮した連続体モデルの発展が期待される.
CMD2023では,2つのOS「材料の組織・強度に関するマルチスケールアナリシス」と「電子・原子・マルチシミュレーションに基づく材料特性評価」に加えて,その合同セッション,合同ポスターセッションが開催され,2日間で計59件の研究発表が行われた.材料の内訳は,金属材料系が37件(量子系6,離散系20,連続体系9),高分子系が10件(量0,離7,連3),その他(複合組織,弾性体,機能性材料など)が12件(量2,離3,連7)であり,現象の内訳は,格子欠陥が30件(量3,離21,連6),変形・破壊・力学特性が18件(量4,離6,連8),安定性・分岐解析が8件(量1,離2,連5),手法開発が3件(原子間ポテンシャル1,離散系と連続体の連成解析2)であった.特に6件の機械学習を活用した研究,2件の原子系と連続体系(有限要素法やメッシュフリー法)の連成解析などの新しい試みが精力的に進められている.
その他にA-TS01-15マルチスケール固体力学研究会において,「塑性の物理:素過程から理解して見えたもの」「マルチスケール固体力学:モデリングを通じて見えたこと」をテーマとして研究会が開催され,粒界を跨ぐ塑性や転位芯構造などの素過程の理解と,それらの素過程を取り込むことができる様々な連続体モデル(結晶塑性有限要素法,フェーズフィールド法,メッシュフルー法,均質化法)の可能性について議論が継続的に行われている.更に,マルチスケール固体力学を牽引されている国内研究者により2冊の関連する本が出版された(7,8).このようにミクロ系解析とマクロ系解析のスケール間の乖離を計算力学的手法によって埋めるという難解な問題に対して,ゆっくりではあるが着実に進んでいる.
〔下川智嗣 金沢大学〕
3.6 計算バイオメカニクス
3.6.1 概況
計算バイオメカニクスは,様々な生命現象を力学的な数理モデルによって表現し,その背景にある力学原理を解き明かすことで生命の理解や医療への応用を目指す学問分野である.その研究対象は,筋骨格,循環器,呼吸器,消化器といった生体内の現象に留まらず,鳥・昆虫の飛翔や,魚の遊泳,微生物懸濁液と多岐に渡り,扱う空間スケールも,分子レベルから,細胞,組織,器官,全身レベルまで非常に幅広い.2023年度に日本機械学会が主催した第36回計算力学講演会(2023年10月25日~27日,豊橋商工会議所),第35回バイオエンジニアリング講演会(2023年6月3日~4日,日立システムズホール仙台),第34回バイオフロンティア講演会(2023年12月16日~17日,山口大学常磐キャンパス)を対象に計算バイオメカニクス関連の講演を調査すると,主な研究トピックとして,生体系では骨リモデリング,心臓,血管,赤血球,血流,気道,肺葉,小腸など,生物系では微生物やイルカの遊泳,昆虫や昆虫スケールのロボットの飛行が挙げられる.計算バイオメカニクスに関連する国際会議として,2023年には(1)International Symposium on Computer Methods in Biomechanics and Biomedical Engineering, CMBBE 2023 SYMPOSIUM(2023年5月3日~5日,Paris),欧州バイオメカニクス学会主催の(2)28th Congress of the European Society of Biomechanics,ESBiomech23(2023年7月9日~12日, Maastricht),米国電気電子学会主催の(3)45th Annual International Conference of the IEEE Engineering in Medicine and Biology Society, IEEE EMBC 2023(2023年7月24日~27日, Sydney),米国バイオメカニクス学会主催の(4)The 47th Annual Meeting of the American Society of Biomechanics, ASB2023(2023年8月8日~11日, Knoxville),(5)The 12th Asian-Pacific Conference on Biomechanics AP Biomech 2023(2023年11月15-18日,マレーシア),(6)6th Japan-Switzerland Workshop on Biomechanics(JSB2023)(2023年8月29日~9月1日,小樽)などの会議が開催された.これらにおける研究動向を見ると,計算バイオメカニクスに特化した(1)では,カテゴリーとして「メカノバイオロジー」,骨から植物までと幅広い「構造とシステムバイオメカニクス」,「生物学のための画像解析・処理法(AI手法)」などのセッションが企画され,(2),(4)においては「AI / バイオメカニクスにおけるデータ駆動型モデリング」,医工学分野も含む「バイオメディカルイメージングと画像処理」などのセッションが企画されており,AI技術の計算バイオメカニクスへの応用が盛んに行われている.また,(2)における「バイオメカニクスのための高度なコンピューティング」セッションおいてもニューラルネットワークモデルを用いた研究が見られ,今後計算バイオメカニクスにおいても機械学習や深層学習を応用した研究が急速に拡大していくと予期される.このような国際的な研究動向において,本稿では,2000年代初頭から活発に研究が行われてきた,飛行生物の計算バイオメカニクスの現況を紹介する.
3.6.2 生物の飛行のバイオメカニクス
ドローンのような小型・無人の飛行ロボットの規範とするために,2000年代初頭から,昆虫や鳥類の飛行メカニズムが長く研究されてきた.生物飛行に特有の,様々な流体力学的メカニズムが提案されてきたが,昆虫の飛翔における「前縁渦」の発見から,計算力学は重要な役割を果たしてきた(1).現在も,生物飛行の流体力学的なメカニズムを調べる研究は続けられており,例えば,体長が数mm以下の昆虫の場合,その翅運動の観察などが容易ではないため,近年でも,蚊や甲虫などの微小な昆虫の新しい飛行メカニズムが,数値計算によって発見されている(2),(3).
生物の飛行は,環境の気流の変動,翼周囲の気流,翼や身体の柔軟性・身体の3次元的運動・翼運動の制御などが複雑に相互作用するマルチフィジクスな現象であり,計算力学的なチャレンジも多い.翼の形態・柔軟性(4),(5)や飛行安定性(6)などは,生物の形態の進化や神経生理学にも関わる非常に重要なテーマであり,このマルチフィジクスを考慮した飛行性能の評価には,理想的な環境でパラメータを調整しながら性能評価ができる計算力学的な手法は,不可欠と言っても良いほど,重要な役割を果たしている.
3.6.3 生物の嗅覚のバイオメカニクス
昆虫は,空気中の化学物質(匂い)を有効に利用して,食料や交尾相手を発見する(7).この匂いを検知するための化学センサは,触角に配置されている.昆虫の触角の形態は非常に多様であり(8),単純な鞭状の形から,蛾のようなふさふさの櫛状の構造のような複雑・マルチスケールな構造まである.匂いの分子は気流と共に空間中を移動するため,触角の形態が触角周辺の気流に与える影響は,昆虫の嗅覚を調べる上で非常に重要である.触角の“ふさふさ”を円柱の列に単純化することで,レイノルズ数効果や毛同士の隙間の大きさの効果などが調べられているが,例えば蛾のような昆虫の複雑な形態の触角は,マルチスケールな構造のため数値計算が難しく,単純化したモデルや,表面の鱗粉の影響を単独の触角で調べる等の計算(9),(10),(11)を除いて,まだ解析された例は少ない.
3.6.4 生物の音響のバイオメカニクス
生物にとって,食料や交尾相手の発見のために,飛行に伴って生じる音響は非常に重要である.また,飛行ロボットは,運輸・情報収集などのために,人間の住環境の近くでの活躍が期待されているが,飛行ロボットのプロペラから発生する騒音は,人間への心理的圧迫となるため,できるだけ抑制する必要がある.したがって,飛行ロボットにおいても,音響(特にその抑制)は非常に重要である.雄の蚊は,触角の根元にあるジョンストン器官によって,雌の羽音による触角の振れを検知して,雌の接近を検知し,交尾するために雌に向かって飛行する.すなわち,音響によるコミュニケーションは,蚊の生態において非常に重要である.例えば,雌がどのような羽音を生成し,その強度が空間的にどのような分布しているかを明らかにすることで,蚊のサンプリングや不妊蚊を用いた防除の効率向上に繋がるかもしれない.数値流体力学的な手法によって,蚊の周りの音響の分布が調べられており(12),(13),(14),雄の蚊は30cm程度の距離から,雌の蚊を検知できるとされている.蚊の翅運動のように,羽ばたきの振幅が小さく,周波数が高い運動は,より効率よく大きな音を生成するのに適しているとされる.
フクロウのような生物の翼には,セレーションと呼ばれる微細構造があり,この微細構造によって飛行時の騒音を抑制している.風洞での音響の測定は容易ではないため,微細構造を持つ翼の空力的・音響的性能の評価には,数値計算の利用が効果的である.数値計算によって,セレーションが剥離に伴う大きな渦の生成を抑制し,これによって翼表面の圧力の変動を抑えることが報告されている(15).ドローンや流体機械のプロペラに,この微細構造を導入した場合の性能評価にも,数値計算が用いられている(16).
〔中田 敏是 千葉大学〕
3.7 機械学習と計算力学の融合
3.7.1 はじめに
支配方程式を離散化し数値解析する演繹的手法である計算力学と,入力と出力に注目しその機能(入出力関数)を近似する数理モデルの諸パラメータを統計的に学習する帰納的手法である機械学習を融合することで,新しい工学的・産業的価値を創出することが可能となる.既に,多層NNの普遍近似定理に基づくサロゲートモデル化やデジタルツイン構築,離散データから自動微分とNNを用いた支配方程式の導出と解法,固有直行分解(POD)による縮約モデル(ROM)等については様々な利用が進み,近年では支配方程式を多層NNに取込むPINNs(1)や複雑ネットワークを取込むグラフネットワーク(GNN),流体解析と深層学習の協調,深層学習の量子物理学への応用等,多様な展開が進められている.2023年度計算力学講演会(CMD2023)ではOS-24深層学習と機械学習で17件の発表があり,フォーラムF02でも4件の発表があった.特に,PINNsにおいては現実的な幾何学的形状や境界条件の設定に難しさがあるがそれを解決する例として,解析空間に対し極座標変換を用いて地殻の非線形な応答を柔軟にモデル化(2)している例がフォーラムF02で紹介された.
3.7.2 グラフネットワークをニューラルネットワークと融合
計算力学と機械学習の融合に加えて,様々な事象の関係性を表現するグラフ表現を深層学習に取込んだGNNを融合することで,複雑さを含む現実の世界を解析・予測するデジタルツインの構築が可能となる.図1に示すように,ネットワーク科学はグラフ理論の一分野として複雑ネットワークが定義され,ネットワークを構成する頂点や辺に対し特徴量を定義し,構造と機能の関係を探求する.これは情報と物理を融合する「関係性の科学」と呼ばれ,通信,電力,遺伝子,生物,人・社会の関係性のモデル化に広く利用され,さらに物理モデルとしてのバネ・マス系,多体系問題,剛体運動系に加え,文章の構文ツリーや画像とシーンの結合等,様々な分野の構造的特徴を表現できる(3).
図1.計算力学と機械学習に加えネットワーク科学を融合するデジタルツイン構築(4)
GNNを用いて物理現象を学習する最初の事例は,多様な粒子法の汎用的な定式化をprocessorとして組込み,学習したメッセージパッシングによって動力学を計算するGNS(Graph Network-based Simulators)フレームワーク(5)としてDeep Mindによって提案された.さらに彼らは計算力学で多く用いられるメッシュ・ベースのシミュレーションを学習するMeshGraphNetフレームワーク(6)に展開,最近では,全球中期気象予報のための多重multi-mesh構造を持つGNNベースのGraphCast(7)を発表,数値予報モデルの精度を超えて注目を集めている.
一方日本ではJSTさきがけ研究として,GNNをベースに物理現象の対称性と任意形状に適用可能で,時間発展を陰的に解く非線形ソルバーを組込み,特にディリクレ境界条件を厳密に解き精度と計算時間の高度なバランスを実現したシステム(8)が提案され,実問題に適用されつつある.
3.7.3 生成系AIの急進展と物理・化学問題への展開
近年,ChatGPTに代表される生成系AIが急激に進展している.これは,大規模言語モデル(LLM)の学習規模が,新しい学習アルゴリズムであるTransformer(9)とそのGPUによる並列化処理によって今まで考えられなかったデータ量を学習可能となり,そのスケール則に従って知識体系が学習・整理され,あたかも人間が対応しているかのような回答を可能としている.しかし膨大な文章の統計的繋がりから回答を生成しているために,実際には存在しない情報を生成すること(Hallucinationと呼ばれる)も有ることが指摘されている. 一方で,LLM用のTransformerはシーケンス内の単語間の全ての接続を表す完全接続グラフ上で動作するため,グラフの接続性に基づく帰納的バイアスを活用していない.そこで,標準モデルと比較して新しい特性を持つグラフTransformer(10)が提案され,アテンション機構ではグラフ内の各ノードの近傍接続関数を導入,位置エンコーディングはラプラシアン固有ベクトル表現で一般化する等により,トレーニングが高速化され汎化性能が向上するという.さらに,アーキテクチャがエッジ特徴表現に拡張され,化学結合タイプや知識グラフ内のエンティティ関係などのタスクにとって有効な関係的帰納バイアスを持つことになり,性能向上が期待されている.
Transformerアーキテクチャを用いた物理・工学的問題への展開に関して概観すると,初期の研究として物理現象を表す動的システムの予測に使用する提案があり,予測制御で用いられるKoopman演算子を用いた埋込(Embedding)学習によって任意の動的システムをベクトル表現に投影し,その後,Transformerを用いた学習によって時系列の変化を予測(Decode)する(11).2D円柱周り粘性流れ問題への適用例や,他の物理モデル(カオス・ダイナミクス等)にも適用し,時系列を扱うLSTMモデル等よりも高精度な結果を示している.
先に述べたGNNベースの粒子法シミュレータGNSでは膨大な粒子数を扱う必要があり,選択メカニズム無しで各粒子が近くのすべての粒子と相互作用する必要があった.また,上述のグラフTransformerでも有効なエッジを明示的にモデル化するため,粒子間の関係を記述するアテンション機構を効率的に活用できない欠点があった.それを解決するためにTransformer with Implicit Edges(TIE)(12)が提案されている.これはマルチヘッド・アテンション機構を利用し粒子間相互作用を表現するエッジを潜在的パターンとして動的にモデル化し,他のアプローチに比較しより精度高く効率的な結果を示している.
生体高分子分野の特筆すべき進展は,Deep Mindが2021年に発表したAlpha Forld2によるタンパク質構造予測アルゴリズム(13)の開発である.これは図2に示すようにタンパク質のアミノ酸配列(言語に近い表現)を入力しend-to-endに立体構造を計算するもので,既知の限られたアミノ酸配列と立体構造の知識を利用してマルチプル配列アラインメント(MSA)の初期データを生成,attentionベース・アーキテクチャを用いてEncodingし,MSAと残基ペアの特徴抽出し最終的に残基位置を更新するプロセスを繰り返すことで,2億個以上のタンパク質の立体構造を決定し,この結果を一般に公開した.この成果と合わせてAlphaFold2プログラムそのものも公開することで,今や創薬や生命科学において大きなパラダイムシフトを起こしている.さらに,先に指摘した生成系AIのHallucinationを新たな分子の組み合わせの候補であると解釈すると,新薬の開発時の多様な候補分子を生成することに利用可能であると考えられ,創薬分野では活発に利用され始めている(14).
図2.AlphaFold2のアーキテクチャとEmbedding, Evoformer, Structureブロック(15)
さらにDeep Mindは,無機材料に関してもGNoME(Graph Networks for Materials Exploration)と呼ぶGNNベースの材料探索システムを開発し,48,000個の安定した結晶を基に学習し,新たに200万個以上の新結晶構造を発見した(16).そのうち736個の結晶構造は,既に世界中の研究所で独自に合成済という.
3.7.4 生成系AIの材料・構造設計への活用
ここでは,Transformer等の生成系AIを含む深層学習と科学知を融合することで,新たな発見や新規な設計案を生成する可能性を考える.最近,Generative Designという表現で生成系AIによる新規構造の設計手法が提案されている.例えば,生成系AIの1つであるVariational AutoEncoder(VAE)を利用した多段階トポロジー最適化の例が挙げられる(17).これは,低忠実度の最適化問題で得られる設計候補を初期設計案として高精度(NS方程式)解析を行い候補設計点を選択,図3に示すようにVAEを用いて潜在変数の抽出を行い新たなデータ群を生成,進化アルゴリズムによって交叉操作による新たな材料分布から成る新たなデータセットを生成している.またCMD2023 OS-24においても,VAEによる意匠性を考慮した3D形状最適化が報告されている(18).
図3.VAE(変分オートエンコーダ)を用いた潜在変数の抽出と高次元設計空間での交叉操作(17)
前節で触れた生成系AI(Transformer)のHallucinationによる新たな分子の組合わせ候補抽出に関し,下記にそのプロセスを示す(14).Aに示す通常のアミノ酸配列からの3D構造予測では鮮明な2D距離マップを示すが,Bに示すHallucinationを利用したタンパク分子設計ではMCMC法によりランダムにアミノ酸配列の組合せを導入するため2D距離マップがぼやける.Cに示すMCMC法によってランダムに繰り返される突然変異を含む最適化処理の進行に従って, KLダイバージェンス(2D距離マップのコントラスト)が単調に増加することがⅮに示されている.
図4.タンパク分子のDe Novo Hallucination設計プロセスの概要(14)
一方,GPT ModelにおけるHallucination(幻覚)とCreativity(創造性)の関係に関して,最近,数学的な考察がなされている(19).まずGPTモデルの文脈内でHallucinationとCreativityを以下のように定義した.
- Hallucinationの定義:入力tokenから導かれる真の基礎分布に基づいて予想される出力tokenから乖離する,文脈上非現実的で現実世界と矛盾する低確率のtokenを生成すること
- Creativityの定義:GPTモデルが予測する次のtokenの確率分布の情報エントロピーを,最大エントロピーで正規化された量
この定義から,低確率tokenの生成が曖昧さの高い選択プロセスに結びつけることができ,創造性とは文脈的な妥当性を保ちつつ独自性と多様性を示すtokenの生成として説明できる.従って,最も可能性が高いものを超えて,さらに広範なtokenシーケンスを探査することができるため,創造性はHallucinationによって増強される可能性があることが示唆された.
さらに,最新の生成AIであるGPT4を用いたプロンプト・エンジニアリングに関して,ポリマー材料の構造-物性相関を予測するための説明変数の選択を行った事例が報告されている(20).特に,ポリマーの屈折率の予測に適用し,GPT4が学習し獲得している物理化学の知識を有効活用する事で,少ないデータセットから分子構造や屈折率を予測した結果,既存の手法に比較して優れた予測性能を達成している.
〔平野 徹 ダイキン工業〕
3.8 産業界での計算力学
3.8.1 概況
産業界における計算力学を取り巻く環境は大きな変化を遂げている.計算力学とAI・機械学習の技術が汎用化し,産業界での利用が進んでいる.また自動車業界を中心に発展してきたモデルベース開発が異業種にも展開・標準化され,モデル化のために数理科学がより重要な時代を迎えている.さらに,半導体業界の拡大に伴い,CAEベンダーの買収や計算力学分野の半導体製造プロセスへの領域拡大が進行している.これらの動きは,産業界での計算力学を取り巻くビジネスモデルの変化であり,今後計算力学が企業の競争力にとって,より重要な存在になっていくと考えられる.
3.8.2 CAEベンダーの動向
産業界での計算力学活用において,機械学習・AIの活用は一過性のブームから実利用へとシフトを続けている.システム全体などの構想設計においては,パラメータスタディや設計空間の把握,トレードオフの検討のために,複雑なマルチドメインの特性をlow-fidelity化する必要がある.従来は1次元の数値計算をlow-fidelityモデルとしていたが,AnsysのTwinBuilder(1),AltairのromAI(2)などのソフトウェアでは,複雑なマルチドメインの特性を深層学習やガウス過程回帰のような非線形関数や物理法則へのサロゲート化によりlow-fidelity化を実現している.一方,3次元の形状設計検討を行う3次元の構造・流体計算そのものをサロゲート化する技術も実用化されてきている.形状の違う複数の計算のインプットとアウトプットを学習し,サロゲートモデルを構築することで,内挿領域における形状検討を,汎用商用ソフトを用いることで高速に実現できる.しかし,サロゲートモデルの課題もいくつかあり,形状変更が大きいと計算結果の予測が困難になり,モデル化によっては形状が回転するだけで計算結果の精度が低下する.その中でマツダ(3)とダイキン(4)はモデル内に微分項を含めた予測モデルを構築できるRICOSの予測モデル化技術(5)に着目し,それぞれ共同で技術開発を開始している.サロゲートモデル開発は進展を続けており,単なる機械学習による予測ではなく,実利用を考えた際の改良が加えられている.
また,2023年の計算力学講演会(CMD2023)ではトポロジー最適化についても実例の発表が多く見られた(6).くいんとのHiramekiWorks(7)のように,既存CADソフトのアドオンとしてトポロジー最適化機能を提供する開発元も出てきており,専用ソフトでなくても実行できる環境が整いだしているという点で産業界でより多くの利用例が増え始めていると思われる.
3.8.3 モデルベース開発の周辺動向
自動車業界をはじめとして産業界に広まりつつあるモデルベース開発(MBD)について,内閣府(8),JAXA(9)において認証プロセス内にMBDモデルを取り込む検討がされている.旧来の開発手法としてだけではなく,認証プラットフォームとしての役割を担いだすことに対し,日本の産業界もMBDを基軸とした開発を進めていくことは視野に入れておいた方が良いと思われる.これらモデルベース開発においては,もちろんAI・3次元などのモデルなどを含めることも可能であるが,1次元としての定式化が重要であることに変わりなく,そのために工学の知識だけでなく,数学の知識が必要になる.文部科学省は「2030年に向けた数理科学の展開-数理科学への期待と重要課題-」(10)として,「根本原理を解明し,重要な変化の兆しを予測」するために数理科学が重要なイニシアチブを持つとして,数理科学の人材育成,社会との連携モデルの実践が急務であるとしている.企業としても過去から保有している数理資産を活用したモデルベース開発を実践することで,これまで企業が積み重ねてきた技術を基盤としたモデルベース開発ができるようになることから,数理科学人材の獲得・育成は今後,重要となると考えられる.
3.8.4 半導体業界での計算力学の活用
近年では,我々が日常で使用する電子部品の多くには半導体が必要不可欠なものとなっており,半導体産業の需要が高まっている.2023年6月には経済産業省が「半導体・デジタル産業戦略」(11)を改訂し,その中で「GX(Green Transformation)の実現には,高度な先端技術を持つ半導体の確保が重要である」とされている.
近年では,AltairがEDA(Electronic Design Automation)ソフトウェアツールを開発しているPolliwogを買収したり(12),EDAソフトウェアツールやIP(Intellectual Property)を手掛けるSynopsysがAnsysを350億ドルで買収したり(13)したことなどからも,今や半導体設計とシミュレーションは不可分な関係になっている.
また,計算力学講演会(CMD2023)では第31回(2018年)以来5年ぶりに「半導体産業を牽引する計算機シミュレーション-結晶成長からデバイス製造の最先端技術まで-」のセッションが企画された(6).
半導体の製造プロセスには多くの物理現象が複雑に絡み合っており,高度な技術が必要である.例えば,前工程のシリコンウェーハ製造工程では,多結晶シリコンから単結晶シリコンを作る方法としてCzochralski法(CZ法)やMagnetic Field Applied Czochralski法(MCZ法)がある(14)(15)(16)(17).CZ法では,単結晶シリコンのインゴッドを取り出すために,石英の坩堝に多結晶シリコンを溶かした状態で種結晶を回転させながら引き上げるのだが,大規模直径の単結晶を製造する際に,シリコン融液の熱対流の影響によって融液の対流が不安定になり,製造が困難になるという課題があった.そこで,シリコン融液内に磁界を印加することで融液対流を抑制するMCZ法という方法が開発された.CZ法/MCZ法では坩堝に含まれている酸素やドーパントなどを取り込むのだが,高品質なウェーハを製造するためには,酸素やドーパントが適切に分布されるように坩堝の温度や種結晶の引き上げ速度など多くのパラメーターを制御する必要がある.従って,CZ法/MCZ法における坩堝内の現象をシミュレーションするためには,熱・流体・電磁場・化学反応を考慮したマルチフィジックス・マルチスケールのシミュレーション技術が必要になる.
本年度のCMD2023のセッションにおいても,CZ法におけるSi単結晶中のボイド欠陥の抑制メカニズムを第一原理計算用いて推定した事例(18)や,大規模ボイド欠陥をMLIP(機械学習原子間ポテンシャル)を用いて計算した事例(19)などが発表された.これらのことからも,シミュレーションは半導体産業においても必要不可欠な存在であると考えられる.
3.8.5 今後の展望
驚異的なスピードで技術革新を続けるAI・機械学習の活用による計算力学の応用範囲が広がってきている.また異業種・異分野からの技術の水平展開による計算力学自体が産業全体に広く浸透してきている.さらに,半導体製造プロセスのようなより複雑な領域に対する計算力学の適用が進んでいるなど,産業界では計算力学がビジネスモデルに大きな影響を与えている.
より高度な計算力学の適用は製品の競争力をけん引し,より広く計算力学が適用された開発プロセスは企業価値を高めている.このように計算力学と計算力学を周辺の動向を理解し適切に対応することは,企業の持続的な成長と競争力向上につながっていると考えられる.
〔片山 達也,川畑 真一,江田 裕貴 ダイキン工業〕