23. マイクロ・ナノ工学
23.1 マイクロ・ナノ工学概観
2022年度は,COVID-19による活動制限が緩和され,様々な行事がパンデミック前に戻りつつある年であった.国内外の会議も多くが対面形式にもどった.しかしながら,コロナ禍を通して社会に急激に浸透したオンライン会議などは,引き続き使い続けられ,オンラインツールの持つ利便性が明らかとなった.技術的な観点では,オンライン会議にも使われるワイヤレスイヤホンには,MEMSマイクロフォンや加速度センサ,無線フィルタなどが使用されており,マイクロ・ナノ工学無しには成り立たない.また,今後新たな感染症が蔓延するのを防止するためには,マイクロ・ナノ工学をもちいたバイオセンサ等が不可欠である.このように,COVID-19を通して,マイクロ・ナノ工学の重要性がますます明らかとなった1年であった.
マイクロ・ナノ工学分野にとって重要な会議について,以下に概観する.ドイツのミュンヘンで2023年1月に開催されたIEEE MEMS2023は,この会議としてはコロナ禍後初の完全対面開催(前年度の東京で開催のMEMS2022は対面とオンラインのハイブリット開催)であった.会議の雰囲気としては完全にコロナ前に戻った感じであった.投稿件数636件に対して採択件数は314件であり,採択率はおよそ50%であった.口頭発表は70件,ポスター発表は238件であった.この会議は伝統的に単一セッションで行われてきたが,今回は一部平行セッションとなっていた.ここ最近の傾向とも重なるが,およそ半数ほどがバイオ・医療関係の発表であった.その他には,慣性センサ,高周波デバイス,ファブリケーション技術などの発表があった.特にポスター発表は,久々の対面開催というのもあってか,極めて活発なディスカッションが行われていたように感じた.対面での開催の重要性を最認識すると同時に,現状のオンラインツールは対面でのディスカッションにはまだまだ敵わず,改善の余地が多くあることを肌で感じた.
国内に目を向けると,マイクロ・ナノ工学シンポジウムが,11月に徳島で開催された.この会議が対面で開催されるのは,コロナ禍後初であり,3年ぶりの対面開催であった.発表件数は179件,登録参加者は249名と過去最大級であり,多くの人が対面開催を望んでいることがうかがわれた.IEEE MEMS会議と同様に,この会議でもポスター発表において非常に活発な議論が行われており,会議を対面で開催することの重要性が認識された.一般講演の多くが大学の発表であり,これが,IEEE MEMSとの大きな違いであると感じた.IEEE MEMSではBoschやSTMicroelectronicsなどをはじめ,多くの発表に企業が関与しており,また,参加者としても多くの企業関係者が来ていた.基礎研究のみでなく,社会(企業)が求めるような研究も今後発展させていくとがマイクロ・ナノ工学の発展には必要であると感じた.
以上例にあげた会議の他にも,今年度は多くの国際・国内会議が対面でおこなわれ,ほとんどの場で活発な議論が行われており,コロナ禍中の体験と比較して,実空間でのコミュニケーションがいかに重要かが認識された1年であった.一方で,オンラインツールには改善の余地が多くあることが明らかになったが,この問題点を解決するために,センサ等の研究開発を通してマイクロ・ナノ工学が寄与するところが大きいと感じた.
〔塚本 貴城 東北大学〕
23.2 マイクロ・ナノマテリアル
マイクロ・ナノ工学部門で用いられるマイクロ・ナノマテリアルとしては,従来のSiデバイスの他に用いられている材料を紹介する.Si以外のMEMS構造材料として金属材料を用いた報告も多い.新潟大学の安部のグループではTi箔を用いたデバイス開発のための加工手法や材料強度評価を行っており,圧力センサへの応用等を見据えた発表がされている(1,2,3).また,神戸大の菅野の研究グループではステンレス箔上に圧電膜を成膜したエナジーハーベスタの作製の報告もされている(4).
マイクロ・ナノ工学部門でもソフトマテリアルに関する研究帆国も多く,様々なゲル材料(5,6,7)やPDMS(ポリジメチルシロキサン)(8)を用いた報告も多い.特にPDMSについては,広範囲で様々な応用がなされており,研究者により利用する物性は様々である.
PDMSは,熱硬化型シリコンエラストマーの一種で,SiやSU8等の金型を用いたモールディングにより成形加工が容易なため,マイクロ・ナノプロセス,デバイスへの親和性が非常に高い.但し,熱硬化型特有の2液混合型や硬化前の高粘度のため,脱泡が必要,また硬化に時間がかかる欠点があるものの, 1液型や,UV硬化型のPDMS(9)も開発されており,成形プロセスが大幅に改善されている.
これまでPDMSの可視光の透過性,疎水性,高い生体適合性から,Lab-on-a-Chipマイクロ流路デバイスに広く用いられてきた.また,エラストマー特有の弾性特性からソフトロボットやマイクロ弾性デバイス(8)や,マイクロコンタクトプリントのスタンプ材(10)にも用いられている.弾性特性も組成の調整が可能でh(hard)-typeのPDMS(11)も入手可能である.
一方,PDMSは有機溶剤を吸収しやすいことが度々問題になるが,この有機溶媒を吸収する特性を利用して,樹脂材料やゾルゲル材料を有機溶剤に溶かしたものを,PDMSの金型にモールディングすることで,溶剤をPDMSにスポンジのように吸収させ基板上にその固形成分をインプリントするPDMSナノインプリント等(11),応用先はこれからも多種多様な分野へ広がることが考えられる.
〔櫻井 淳平 名古屋大学〕
23.3 マイクロ・ナノ熱流体
マイクロ・ナノ熱流体の分野で取り扱う現象は,機械工学で一般的に学ぶ熱力学や流体力学で対象とするマクロスケールの現象と共通する部分も多いが,粘性や壁面の影響の顕在化や分子の平均自由行程以下のスケールの形状・構造体表面でのエネルギー交換や熱物質移動の特性など大きく異なる点も多く,その現象の理解や問題解決の意義は極めて大きくなってきている.また,マイクロ・ナノオーダの気泡(ファインバブル)を利用した製品もシャワーや洗濯機などの一般の人が直接目にする頻度も多くなってきており,これまでのナノ材料創成,半導体,電池,バイオ機器などへの応用に加えさらに幅広い応用を想定した研究がなされている.
機械学会の発行する和文・英文の論文としては,サブクール条件下での気泡微細化沸騰に関する研究(1),マイクロピラー周りの振動励起流れに関する研究(2),ソーレ効果によるマイクロチャネルを用いてガス分離に関する研究(3),ナノ粒子触媒近傍の反応のエネルギー移動に関する分子動力学シミュレーションに関する研究(4),局所加熱による沸騰抑制に関する研究(5) ,対向流拡散燃焼で形成されるマイクロフレームに関する研究(6)などが発表されていた.
本部門主催の第13回マイクロ・ナノ工学シンポジウムは対面にて開催され,熱流体に関連する54件のポスター発表があった.日本機械学会 2022年度年次大会でも部門設立10周年記念としてマイクロ流路に関する基調講演が行われた他,本部門,流体工学部門,熱工学部門の部門合同セッション”マイクロ・ナノスケールの熱流体現象”をはじめとする熱工学部門あるいは流体工学部門との合同セッションが5つ企画・実施された.関連する国際会議としては,MicroTASがオンラインにて開催され,Droplet-Based MicrofluidcsやNanofluidicsに関する基調講演やマイクロ・ナノ熱流体に関連する8つのセッションが企画・実施された.その他,熱工学部門主催の熱工学コンファレンス,流体工学部門主催の流体工学部門講演会,他学会主催の混相流シンポジウム,伝熱シンポジウムなどでマイクロ・ナノ熱流体に関連した多数の発表があり,活発な議論が行われた.
マイクロ・ナノ熱流体の分野については,基礎的な知見・研究成果を半導体,エネルギー,バイオ,医療関連の分野への応用展開する流れがより一層強まり社会実装されていくことが期待される.また,逆にファインバブルなどの一部のマイクロ・ナノ熱流体関連の製品に関してはむしろビジネス先行での展開も多く学術的な裏付けを求める流れも強まっている.今後もより一層の研究機関同士の連携,学術機関と産業界の緊密な連携により,現象の理解や社会への貢献がなされることを期待したい.
〔幕田寿典 山形大学〕
23.4 バイオ・医療MEMS
本節前半では,2022年のトレンドとしてLab on a Chip誌のHOT Articles 2022からバイオ・医療MEMSに関する技術を紹介する.本節後半では,Nature誌のSeven technologies to watch in 2023(1)から,2022年に大きく進展した技術として1分子タンパク質シークエンシングと幹細胞由来胚モデルを取り上げる.
2021年はパンデミックの影響も根強く,ポイントオブケア診断(2)が中心に注目を浴びていたのに比べ,2022年は異なる疾患の治療の研究にも焦点が当たっている.マイクロ流体デバイスを用いて,放射線治療の研究が行われた(3).放射線腫瘍学のトランスレーショナルリサーチという方向性が目新しい.マイクロ流体デバイスは不妊治療に活用できる高いポテンシャルがあるが,臨床応用には壁があった.そこで障壁となる薬事承認や製造方法を考慮した現実的な方法が検討された(4).生殖補助医療の自動化に向け,体外で配偶子や胚を電気的に操作するチップの利用が展開している(5).バイオフィルム増殖の検出とモニタリングするために,ウェアラブルタイプのセンサが開発された(6).細胞外小胞(EV)のマイクロナノ技術も,免疫腫瘍学で活用が活発になっている(7).また超低濃度の様々な分子の構造や化学情報を得るために,チップに表面増強ラマン分光法が統合されている(8) .脳疾患モデリングに血液脳関門(BBB)チップ技術が活用され,脳疾患研究のブレークスルーとして期待されている(9).生体外の肝臓オンチップモデルを肝臓に近づけ,毒性試験としての有効性を高めるためには,微小環境の再現や細胞ソースの重要であることが述べられた(10).
2021年には,タンパク質でできたナノポアを用い,ナノポアベースのDNAシークエンシングを模倣したタンパク質シークエンシングが報告された(11).ここではポリペプチドが小さな流路を通過する際に電流が引き起こす変化に基づき,ポリペプチドのプロファイリングを行い,ポアを通過するポリペプチドの個々のアミノ酸を識別した.2022年には,蛍光標識した「バインダー」タンパク質を用い,タンパク質の末端にある特定のアミノ酸またはポリペプチド配列を光学的に検出する方法が発表された(12).フォトダイオードアレイ上のナノチャンバにペプチドを固定化し,色素標識したN末端アミノ酸(NAA)に結合するタンパク質(認識剤)を用いて,NAAをリアルタイムで検出した.アミノペプチダーゼが個々のNAAを順次除去し,後続のアミノ酸を認識した.蛍光励起用のパルスレーザ光源を照射し,半導体チップで蛍光強度と蛍光寿命を測定して,色素ラベルを識別した.さらにNAA認識の時間的順序とオンオフ結合の速度論を考慮し,ペプチドの同定に成功した.
生体外にて胚性幹(ES)細胞を使い,着床期のマウス胚の発生が実証された(13,14).正常な胚発生を完了するためには,絨毛幹(TS)細胞,胚外内胚葉幹(XEN)細胞との密接な相互作用を必要とする.そこでこれらの細胞をES細胞から形成し,ピラミッド形状を有したマイクロウェル内でES細胞と共培養し,受精後8.5日目までの子宮内における胚の発生を再現した.脳領域のすべて,神経管,拍動する心臓,腸管が形成した.この成果により,着床後の胚形成の生理学的に適切なモデルを提供することが期待される.
〔永井 萌土 豊橋技術科学大学〕
23.5 未来のセンサシステム
AIやビッグデータなどの活用によって社会課題の解決や新たな価値創造を目指す超スマート社会(Society5.0)においては,データがイノベーションの源泉となっており,特に実世界のリアルデータをいかに高精度かつ膨大に取得・活用できるかどうかが,産業競争力を維持・強化する上で極めて重要となっている.また,コロナ禍による人との接触や人の密集を回避するなどの行動変容は,コロナ終息後も不可逆的なものとして定着・加速しており,人の五感の代わりとなって,これらの新たな社会・産業構造を支える革新的なセンシングシステムの重要性はますます拡大している.世界的にも,消費者行動や健康状態等のリアルデータを取得することを目的としたサービス,アプリが開発され,リアルデータの取得競争が苛烈化する中で,センサ市場における日本のシェアは37%と非常に大きく,国内のプレイヤー企業が多数存在する状況である(1,2).
しかしセンサ素子に関してはシェアが高いものの,ハードウェア,ソフトウェア,サービスといった上位レイヤまで含めたIoT関連市場における日本のシェアは,10%程度まで落ち込む(1,2).こうした状況を転換するには,日本の得意分野であるセンサ技術の優位性を確保しつつ,それを足掛かりとして新たなサービス市場の創出を目指すことが重要である.
国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)では,「IoT 社会実現のための革新的センシング技術の開発事業」(2019~2024)において,これまで世の中に分散し,活用されていなかった現場の豊富なリアルデータを一気に収集・分析・活用することで,生産・サービスの現場やマーケティングの劇的な精緻化・効率化を図り,画一的ではない,個別のニーズに対してきめ細かく,リアルタイムに対応できる製品やサービス提供を可能にすることを目指した研究開発事業が進められている(3).
またセンサシステムの観点では,スマートフォンや自動車に代表されるように一つの端末に多数種のセンサが搭載されるマルチセンサ化が進んでおり,それらのセンサ群で取得する時系列データから新しい価値を抽出するためのエッジAIとの組み合わせが重要なポイントである(4,5).
国立研究開発法人 産業技術総合研究所では,次世代コンピューティング基盤の研究開発,ビジネス化,および人材育成の戦略を議論するため,大学,企業の有識者,新エネルギー産業技術総合開発機構技術戦略研究センター(NEDO-TSC)および産総研のメンバーからなる戦略会議を設置し,2030年を見据え,社会的,産業的必要性から,2022年6月に次世代コンピューティング基盤戦略を策定した(5).その中で,次世代のセンシングシステムに関する議論もなされており,災害時リアルタイム予測・診断を例に,アクティブセンシングエッジAIセンサ端末に関する検討が行われた.具体的には,未知の事態が発生する災害現場においては,現場の多元的な情報を多数種のセンサデータから取得する必要があるが,通信,電源の制約下ですべてのデータを処理することは困難である.そこで多数種のセンサデータから状況を判断し,必要なセンサを自律的に選択するアクティブセンシングエッジAI端末により重要情報を集中的に取得することが重要となる.選択したセンサ群について,微弱信号の抽出によるセンサの超高感度化,センサデータの圧縮復元による通信データ量の低減,転移学習によるキャリブレーション,追加学習によるセンサップデート等のリアルタイムデータ処理をエッジAIが実施する.またセンサの高信頼化には,MEMSセンサモノリシック集積化技術を利用し,動作補正用のアクチュエータを内蔵した構造を実現することで,エッジAIによるフィードバックを可能にすることも重要となる.このようなアクティブセンシングエッジAI端末を実現する技術として,エッジAIチップに多数のMEMSセンサとアナログ,デジタル回路チップを高密度集積化した三次元混載融合技術の開発が重要となる.またコア技術として,多数のセンサを一体化する極薄MEMS積層化技術,集積化したセンサ/アクチュエータ/アナログ/エッジAI/メモリ/通信チップの異種信号をレベルシフト回路により分離制御するマルチ電圧信号混載融合技術,これら異種チップを配線/信号分離/パッシブ回路機能を有するインタポーザを介して積層するヘテロ集積化三次元実装技術などが重要である.
こうしたセンサシステムにおいては,フィジカル空間から物理量を読み取るセンサとそれをロジックに伝えるためのアナログ回路の性能がエッジコンピューティングの差別化に直結する.現状では,センサ,回路,情報処理,通信,それぞれの技術レイヤで個別最適化が進んでいる状況であり,それらを統合するための設計論が不足しており,開発の長期化や,過剰性能,基盤サイズや消費電力が最適化されていないといった問題が顕在化しており,センサシステムの統合設計技術の進展に期待がかかる.
〔竹井 裕介 産業技術総合研究所〕