4. バイオエンジニアリング
4.1 はじめに
2019年6月11日,内閣府統合イノベーション戦略推進会議で,2030 年に世界最先端のバイオエコノミー社会を実現するための「バイオ戦略」が策定されました(1). 2022年4月4日に,イノベーション政策強化推進のための有識者会議「バイオ戦略」は,「新しい資本主義に向けたバイオ戦略の推進に関する提言」(2)をおこないました.直近の状況を勘案し,今後の方向性と具体的施策が述べられ,分野や産業の垣根をこえ,国内成長の起爆剤としてバイオ戦略を推進するよう提言しています.
2022年6月7日には,「経済財政運営と改革の基本方針2022 新しい資本主義へ~課題解決を成長のエンジンに変え,持続可能な経済を実現~」(骨太方針2022)(3) が閣議決定されました.骨太方針では,経済成長のエンジンとして,科学技術・イノベーショ ンが不可欠であり,特に,量子,AI,バイオものづくり,再生・細胞医療・遺伝子治療等のバイオテクノロジー・医療分野が,国益に直結する科学技術分野であるとされ,バイオ分野の重要性が強調されています.
2023年3月14日には,一般社団法人日本経済団体連合が「バイオトランスフォーメンション(BX)戦略」(4)を公表し,バイオエコノミー社会の実現に取り組むことを経済界として宣言しています.
バイオ産業は国内産業を牽引する起爆剤として各方面から期待されています.バイオ産業につながる専門家を多く抱えるバイオエンジニアリング部門の重要性は,近年ますます高まってきていると感じています.バイオエンジニアリング部門で取り扱う分野は多岐にわたりますが,年鑑では専門家にいくつかの分野のトレンドをまとめていただきましたので,是非ご一読ください.
〔工藤 奨 九州大学〕
4.2 生物運動のバイオメカニクス
生物運動のバイオメカニクスは,自然界に存在する多種多様な生物の飛翔,遊泳,機構などを研究対象としている.そのため,機械工学の枠を超えた学際的研究として内容も多岐に亘っている.まず,日本機械学会に関連する国内学会に目を向けてみると,2022年度は第34回バイオエンジニアリング講演会(2022年6月25,26日,福岡国際会議場),第33回バイオフロンティア講演会(2022年12月17,18日,神戸大学)が挙げられる.バイオエンジニアリング講演会では,生物のバイオメカニクス,およびバイオミメティクスのセッションで計24 件のポスター発表が行われた.バイオフロンティア講演会では,バイオミメティクスのセッションが2つ設けられ,計11件の発表があり活発な討論が行われた.国際学会については,4年に1度開催されるWorld Congress of Biomechanics (2022年7月10~17日,台湾,オンライン開催)がある.ここでは,Biofluid and Transportのセッションにて主に微生物の遊泳に関わる研究報告が数多くなされた.また,The 8th International Symposium on Aero-aqua Bio-Mechanisms (2022年11月16~18日,オンライン開催)ではBiomechanics of Microorganisms, Biomechanics and Biomimetics in Flying, Biomechanics and Biomimetics in Swimmingの3つのセッションにて計27件の研究報告が行われた.
投稿論文に関しては,ScienceやNatureを筆頭に数多くの興味深い研究が報告されている.一例として,体長395mmの羽毛甲虫の飛行性能(1),鳥類の飛行安定性(2)や止まり木への着地(3),トンボの立ち直り反射(4)などが挙げられる.これらの自然界の飛行メカニズムは将来的には飛行機設計などで有用な知見となることが期待される.また,複雑流体中での細菌の運動性(5)なども注目すべき研究である.Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)では,生物運動のバイオメカニクスに関連する論文が10件(うち微生物の遊泳5件(6)-(10),飛翔3件(11)-(13),その他2件(14), (15)),報告されている.その他,Journal of the Royal Society Interface, Journal of Experimental Biology, Biophysical Journal, Physical Review Eなどにも生物運動のバイオメカニクスに関する論文が多く掲載されている.
関連して生物の運動や機構から得た知見をものづくりに活かす分野としてバイオミメティクス(生物模倣)がある.例えば,ペンギンの水中摩擦抵抗低減(16),ムラサキガイの接着機構を利用した超強力な水中接着剤(17),タンポポの種子に着想を得たバッテリー不要のワイヤレスデバイス(18)など興味深い研究が報告されている.また,バイオミメティクスの手法を活かしたドローン開発における解説論文(19)では,その課題と将来の展望についてまとめられている.
このように,生物の多様性を踏まえると今後も本領域はますます発展していくと考えられ,その動向に目が離せない.また,生物運動を利用したものづくりという観点からはさらなる社会貢献が期待される.
〔百武徹 横浜国立大学〕
4.3 計算バイオメカニクス
計算バイオメカニクスとは,生命現象を物理法則(特に力学法則)に基づいて数理モデル化し,コンピュータシミュレーションによって生体の機能や病気のメカニズムを解明しようとする研究分野である.分子,細胞,組織,臓器の全てのスケールにおいて,最先端の計算手法を駆使して様々な数値解析が実施されている.2022年7月に開催された9th World Congress of Biomechanics(WCB2022)のセッション(1)を振り返ってみると,「Computational Methods in Cell Mechanics」,「Computational Joint Mechanics」,「Computational Bone Mechanics」,「Computational Analysis in Tissue and Cell Mechanics」,「Multiscale Modeling of Blood Flow」,「Fluid-Structure Interaction」,「Machine Learning and Pose Estimation」,「Artificial Intelligence and Big Data」など,計算バイオメカニクスに関連するセッションが多くあった.学術誌においても多くの関連論文が発表されており,以下では,2022年1月以降に発表された論文をいくつか紹介したい.
一つ目は,核内のクロマチン動態に関する論文を紹介する.クロマチンは,我々のDNAを細胞核に収納する構造である.クロマチンには,ユークロマチンとヘテロクロマチンと呼ばれる領域があり,前者は凝集度が低く転写が活発であり,後者は密に凝集し転写が抑制されている.ユークロマチンとヘテロクロマチンの配置は,遺伝情報の伝達において重要であると考えられており,例えば,ヘテロクロマチンは核膜近傍に凝集している.Mahajanら(2)は,ランジュバン方程式に従うバネ・ビーズモデルを用い,楕円体と近似した核内部における染色体の挙動を数値解析している.ヘテロクロマチン間には架橋が生じ,ヘテロクロマチンと核膜の間にも架橋(接着)が生じるものとしている.また,ユークロマチンのATP依存的な活動を「force dipole」としてモデル化し,さらに,境界積分方程式を用いて核内部に生じる流動を求めている.計算結果によれば,ユーロクロマチンに生じるforce dipole が核内部に流れを駆動し,ユークロマチンの展開とヘテロクロマチンの凝集を促進する.これにより,ユークロマチン領域とヘテロクロマチン領域の分離が生じ,さらに,ヘテロクロマチンと核膜の間の接着によって,ヘテロクロマチンは核膜近傍に凝集することを明らかにしている.
二つ目は,接着分子の結合特性とアクチンネットワークの柔軟性,強靭性に関するものである.接着分子間の結合の多くはスリップボンドと呼ばれ,結合に作用する力がゼロのときに最も解離しにくく,力が大きくなるほど解離しやすくなる.一方,結合に作用する力が小さいときに解離しやすく,力が大きくなると解離しにくくなる結合もあり,こちらはキャッチボンドと呼ばれている.ただし,キャッチボンドの場合も,作用する力が一定以上の大きさになると,スリップボンドと同様,解離しやすくなる.キャッチボンドは,細胞が力学的刺激を感知する機構など,様々な生命現象において重要な役割を担うと考えられているが,未だ不明な点が多い.Mullaら(3)は,実験と数値解析を用い,アクチンのネットワークにおけるキャッチボンドの役割を明らかにしている.三次元アクチンネットワークの数値解析では,個々のフィラメントと接着分子を円柱要素としてモデル化し,円柱要素間の力学的相互作用と接着分子の結合,解離をブラウン動力学に基づく手法で計算している.アクチンネットワークにせん断変形を与えると,応力が低い領域ではキャッチボンドの解離が進み,一方,応力が高い領域では新たにキャッチボンドの結合が生じる.このようなネットワーク構造の再構築によって,アクチンネットワークは変形しやすい性質(柔軟性)と壊れにくい性質(強靭性)を同時に持つことができると説明している.
次に,臓器のスケールから消化器系のバイオメカニクスを取り上げたい.WCB2022においてもEmerging Areasのセッションとして「Biomechanics of Gastrointestinal Tract and Bladder」が開催されており,最近は消化器系バイオメカニクスの研究も増えてきている.消化器系の流れは蠕動運動をはじめとする消化管の収縮運動によって駆動される.消化管内流れの計算モデルでは,消化管の収縮をあらかじめ規定した強制変位として与えることが多いが(4),実際には,カハールの介在細胞がペースメーカーとなって活動電位の変動(slow wave)が生じ,平滑筋の収縮が生じる.Palmadaら(5)は十二指腸を対象として,この活動電位の伝播を考慮する計算モデルを開発している.ヒト実形状の十二指腸の形状モデルに対し,膜電位の伝播方程式を解く.膜電位の変動に応じて腸管の収縮量を決定し,流体力学解析の境界条件として与えるというモデルである.この計算モデルでは,消化管の固体力学は考慮されていないが,今後の展開としては,電気生理,消化管の固体力学,消化管内容物の流体力学を連成する計算モデルが開発されていくものと考えられる.
最後に,機械学習を細胞計測に応用した論文を紹介する.細胞の増殖,分化,移動などの機能は,周囲の力学環境に応じて変化する.したがって,細胞に作用する力(あるいは細胞が発生する力)と細胞挙動の関係を理解することは,生体を理解するための基本事項である.Liら(6)は機械学習を用いて,顕微鏡画像から細胞が発生する力を予測する手法(wrinkle force microscopy)を提案している.まず,細胞が発生する力によって皺ができる特殊な基板とtraction force microscopy(TFM)を用いて,基板に生じる皺のパターンと変位(※微小変位,線形弾性体などを仮定し力に変換する)を同時に計測する.次に,機械学習の手法の一つであるgenerative adversarial network(GAN)を用いて,皺のパターンと力の分布の関係をシステムに学習させる.このようにして,顕微鏡画像を入力すれば,力の分布が出力されるシステムを構築することに成功している.
〔今井陽介 神戸大学〕
4.4 バイオマテリアル
2023年春現在において,2019年の年末に発生し瞬く間に全世界に猛威を振るった新型コロナウィルス感染症(COVID-19)による国内学会・国際会議開催の延期・中止から状況が改善しつつあるところである.2022年には,ハイブリッド形式やオンライン形式での開催を含むものの,日本機械学会の年次大会・バイオエンジアリング講演会・バイオフロンティア講演会・M&M材料力学カンファレンスや,日本バイオマテリアル学会大会,日本材料学会の学術講演会・International Conference on Materials and Reliability,Society for BiomaterialsのAnnual Meetingなど,バイオマテリアル分野に関連するあるいはバイオマテリアル分野を含む国内学会・国際会議がCOVID-19に負けずに開催された.すべてを網羅することは困難であるが,ここでは,これらの講演会を中心に,2022年において注目すべきと考えられる最新のバイオマテリアル研究の例についていくつか紹介したい.
金属材料においては,代表的なバイオマテリアルのひとつであるチタンはじめとして,その微視構造最適化による機能性向上の取り組みがなされている.たとえば,レーザ粉末焼結積層造形により造形した多孔質チタン構造に対して骨量を増加させる効果を持つ(1)ストロンチウムを導入し内部構造制御によりストロンチウム徐放性を制御しようとする試み(2),チタン表面構造の最適化により間葉系幹細胞を制御する試み(3),コバルト―クロム合金製培養面に微細溝構造を施すことにより筋芽細胞の配向性を制御する試み(4)など,金属系バイオマテリアルの微視構造制御により,積極的に細胞機能を制御しようとする取り組みが多くなされている.セラミック材料においては,近年Ishikawaらによって開発された骨無機成分と同じ組成を持つ人工の炭酸アパタイト(5)を用いた足場材料を作製して造血幹細胞ニッチ(維持・増殖に必要な微小環境)を創製する試み(6),結晶を同方向に成長させることができるゲル化凍結乾燥法を利用して高熱伝導物質(アルミナ)を複合することで気孔配向性を向上・制御したリン酸カルシウム系足場材料での骨形成の評価(7)など,足場材料としての組成や構造の最適化により細胞挙動を最適化しようとする取り組みがなされている.高分子材料においては,形状記憶ポリマーの活用により細胞運動を動的に制御しようとする試み(8),中程度の相溶性を有する二種類のポリマーを用いて創製した厚さ方向の弾性率傾斜機能を有する足場材料上での破骨細胞代謝挙動の評価(9)など,高度な機能発現により細胞挙動をコントロールしようとする取り組みがなされている.
高分子以外のソフトマテリアル系においても,生体高分子に応答して体積変動を生じることにより物質を徐放できるゲルの開発(10),変性タンパク質による刺激に対して応答することができるゲルの開発(11)などのように,従来から開発・研究されてきた種々の刺激(pH・温度・電場など)に対する応答性ゲル(12)からさらに発展して,生体内における種々の現象・病変などに対応して自律的に応答・対応可能なゲル材料を創製しようとする取り組みのみならず,組織再生において線維化を防ぐ機能を有するゲルの開発(13),ゲルマイクロマシニング技術により細胞形態を制御しようとする試み(14)など,細胞挙動そのものを制御し得るゲル材料技術開発の取り組みがなされている.さらには,これらのバイオマテリアルを用いて,腱様コラーゲンゲルの創製(15),電界紡糸によるエラスチン組織の創製(16),骨構造を模倣した等方性ラティス構造の創製(17),コラーゲンによるがん―間質組織のモデル化(18)などのように,生体組織を模倣あるいは生体組織に類似した人工材料創製の取り組みがなされている.加えて,幹細胞をナノ薄膜で封入した血管新生増強デバイスの開発(19)や,骨系細胞により形成されたアパタイト結晶の配向度が骨組織健全性の決定因子のひとつであることの発見(20)など,細胞そのものを「バイオマテリアル」の一部として用いたり,細胞機能発現により産み出された「バイオマテリアル」の働きを追求したりする研究もおこなわれている.
以上のように,従来から主として金属材料・セラミックス材料・高分子材料・ソフトマテリアル系といった分類がなされてきたバイオマテリアル研究において,長年の知見をベースに,単にその「材料特性」を最大化あるいは最適化するにとどまらず,その微視構造や機能性を高度に最適化することにより,生体組織や細胞との相互作用を理解し制御ようとするチャレンジングな研究が精力的になされており,2023年以降もさらなる発展が期待される.
〔田中 基嗣 金沢工業大学〕
4.5 生体計測
生体計測とは,人間の身体の状態や機能を計測する技術であり,バイオエンジニアリングの分野を含め,医療,スポーツ,基礎科学など様々な分野で重要な役割を果たしている.生体計測の研究対象は,生体内の細胞・組織・臓器などの形態的情報,心拍,脳波,呼吸などの生理学的情報,生体分子の局在や活性などの生化学的な情報,力学特性などの力学的情報など多岐にわたっている.また,人工知能(AI)や量子技術を用いた先端的な生体計測なども目覚ましい発展を遂げている.
特に生体計測におけるAI技術の応用は,大きな潮流となっている.PubMedでAI,Machine learning,bioimaging,medical imagingなどをキーワードに検索をすると,2022年だけで1,000件以上の文献が公開されている.また,2018年に国内初の製造販売承認が行われた内視鏡画像診断支援ソフトウェアを始めとして,2022年時点において国内で20件以上が医療機器として承認されている(1).さらに,戦略的イノベーション創造プログラム「AI(人工知能)ホスピタルによる高度診断・治療システム」(2018年度〜2022年度)(2)などを中心に,AI技術を医療に活用するAIホスピタル構想が国家的なプロジェクトとして推進されており,今後も生体計測の需要が高まっていくと考えられる.また,基礎科学の分野においても,AI技術を用いることで,高速な光イメージングセルソーター(3,4)などが実現されている.このように,AI技術を生体計測へ応用することで,医療や基礎科学の高度化に貢献している.しかし,AI技術に適した計測の標準化が難しい,生体計測情報の正誤ラベル付けを行う専門人材の不足,個人情報保護の問題,医療機器化されると臨床試験で得た診断能を担保するためAIのバージョンアップが制限されるといった課題も山積している.
スマートウォッチに代表されるウェアラブルデバイスは,生体計測や診断を特殊な現場(病院)しかできない状況から解放し,いつでも・どこでも・誰でも生体計測が行えるユビキタス生体計測の実現に大きく貢献している.特に,医療現場という特殊な状況ではなかなか計測が難しい日常の生体情報の取得が可能となり,適切な医療の実現,生体の理解促進などへの活用が期待される.生体計測を目的としたウェアラブルデバイスの市場は年々拡大傾向にあり,2022年時点で世界市場4兆円規模であると見込まれ,また2030年までにはさらに約4倍に成長すると予想されている(5).
クロスリアリティ(XR)の発展に伴い,医療現場における現実世界(患者や手術行為など)と仮想世界(生体計測情報など)を直接的に融合する試みも行われている.CT,MRIでの組織情報や,インドシアニングリーンを活用した血流やリンパ節の位置情報などを事前に取得し,手術の際に術者がスマートグラスを着用,あるいはプロジェクションマッピングで直接投影することにより,術者をサポートする画像ガイド手術の症例報告も複数件見られるようになってきた.さらに,手術支援ロボットの症例数も大幅に増えてきており,手術を支援する生体計測の需要がより高まってきている.特に,ロボット手術の場合,術野を外光に晒す必要がないため,蛍光イメージングなどの外光下では実施できない手術も容易に可能となる.
前述のAI,ウェアラブルデバイス,XRなどにおける生体計測は,生体計測技術自体は従来から実現されている物が多いものの,それを如何にデジタル的に扱いやすく計測を行うか,小型デバイスに実装するかなどが主な研究課題となっている事が多い.一方,新しい原理に基づいた生体計測自体の研究も進んでいる.
特に,量子技術を用いた生体計測の発展は著しい(6).例えば,超電導量子干渉素子や窒素-空孔中心を有するダイヤモンドセンサーなどを用い,スピン状態や磁場計測に基づいて分子構造やナノスケールの回転運動などの計測,温度計測,脳波や心拍により発生する微弱磁場計測などが実現されている.これまでの量子計測技術は,特殊な環境(超低温など)が必要であり生体計測への応用が困難な場合が多かった.しかし,量子コンピューターなどの発展と相まって,生理条件下(常温環境など)での計測や,小型量子センサー(窒素-空孔中心を持つダイヤモンドセンサーなど)の開発も加速しており,今後ますますの発展が期待される.
超解像光学顕微鏡は,2014年にノーベル化学賞を受賞した技術として知られている.通常,光を用いた生体計測の場合,その空間分解能は半波長程度が限界(光の回折限界による物理的限界)であった.超解像光学顕微鏡技術を用いると,nmスケールの3次元空間分解能を実現できる(7).これまで,超解像顕微鏡を実現するためには蛍光色素による測定対象分子の染色が前提となっていたが,光熱変換を用いた無染色的方法による超解像顕微鏡が提案された(8).この手法により,蛍光色素の毒性等の問題で蛍光色素を適用できない生体計測への応用も広がり,超解像光学顕微鏡のさらなる応用拡大が期待される.
また,測定対象自体を拡大してナノスケールの分子局在を観察するエクスパンション超解像顕微鏡も応用が広がりつつある.エクスパンション超解像顕微鏡の基本原理は2015年に提案されている(9).組織を膨潤性ポリマーなどで包埋し,組織分子の位置情報を維持したまま物理的に膨潤させることで,nmスケールの分子局在を通常の空間分解能をもつ光学顕微鏡でも観察できるという手法である.膨潤率は数倍〜10倍程度である.これまで,適用可能な生体組織が制限されてきたが,メタクロレインを用いた生体分子と膨潤性ポリマーの結合法の開発(10)により,ほぼ全ての生体分子への応用が可能となった.前述の光学計測システム自体の空間分解能を高める超解像光学顕微鏡とエクスパンション顕微鏡を組み合わせることで,さらなる生体計測の深化が期待される.
このように最近の生体計測分野は,生体計測技術自体の深化もさることながら,情報工学や量子工学を含む多くの分野との共創の重要性が増してきている.生体計測分野のみならず,様々な機械工学の分野とさらなる連携を図り,力学という視点でのヒトの理解,ヒトに優しい医療システムの構築などに貢献することが,機械工学という視点からも重要になっていくだろう.
〔南川丈夫 徳島大学〕
4.6 バイオナノテクノロジー・MEMS
バイオナノテクノロジー・MEMSの分野においては,MEMS(Micro-Electro-Mechanical Systems)技術を基盤としてマイクロ流体技術が発展し,この10年間で,さまざまなマイクロ流体技術が開発され,生物学研究の新時代を切り開いている.単一細胞の機能を理解するためには、生きた環境での単一細胞の動的挙動をモニターすることが非常に重要であり,マイクロ流体技術はその目的を効果的に達成する手段の一つである.2022年7月に開催された9th World Congress of Biomechanics(WCB2022)のセッション(1)を振り返ってみると,「Microfluidics and Microdevices for Mechanobiology」,「Nano- and MicroMechanics of Biological Tissue, Biomimetic and Bioinspired」,「Microcirculation Mechanics: Structure and Function」,「From Microcirculation to Large Artery Flows」,「Biofluid and Transport 2:Micro and Nano Flow Applications」,「Biomechanical Microengineering of Tissue Mimics for Human Disease Modeling」,「Biofluid and Transport 1:Biofluids in Devices and Microfluidics」,「Cell Biomechanics 2: Cell Interaction with Microenvironment」「Biofluid and Transport 2:Microfluidics」など,Micro/Nanoに関連するセッションが多くあった.
Micro/Nano分野におけるMicroTAS,MEMS,Transducers等の国際学会においては,MEMSセンサー技術の発展とともに最近はバイオセンサー分野の投稿件数が多くなっている傾向がある.マイクロ/ナノ技術の発展とともに,単一細胞のみならず.再生医学・創薬分野で新たな人工組織や解析ツールとして期待されているスフェロイドやオルガノイドなどの細胞凝集体を対象として,弾性等の機械特性を単一粒子レベルでの計測をすることが可能となってきている.機械特性計測の代表例として,機械式マイクロマニピュレータを用いたマイクロピペット吸引法(2)(3),原子間力顕微鏡を用いた機械特性のマッピングが挙げられる(4).これらの手法は,精密に機械特性を計測することが可能である一方で,高スループット化への課題がある.このような背景の中,マイクロ流体チップにロボット技術を適用することで,フローサイトメトリー環境でのハイスループットな機械特性計測法が提案されている(5) (6).
ロボット技術を適用したハイスループットな細胞計測の例として,赤血球の変形能計測技術が報告されている.PDMS(ポリジメチルシロキ酸)製のマイクロ流体チップを用いた流体システムに内包される弾性を仮想的な流量縮小機構として利用し,高速シリンジポンプを用いることでマイクロ流路内での精密な細胞位置決めを実現した(5).構築したシステムとマイクロ流路の一部に設けた狭窄部を用いて,赤血球の疲労特性の指標化に成功している.
さらにロボット統合型のマイクロ流体チップによりヤング率等の機械特性を計測する手法も構築した例もある.マイクロ流路の一部としてオンッププローブと力センサーを構成することにより細胞を変形させた際の反力を計測することで,対象の機械的特性の計測を達成した.この機械指標を元に細胞凝集体を分取するオンチップソーティングシステムの構築にも成功している(6). このような機械特性計測技術は,従来の細胞や細胞凝集体評価のためのオミクス指標に,機械特性という新たな評価指標を加え,細胞や細胞凝集体の状態を理解するだけでなく疾患の検査や薬効効果にも貢献し得る技術である.
〔山西陽子 九州大学〕