23. マイクロ・ナノ工学
章内目次
23.1 マイクロ・ナノ工学概観
2021年は,昨年と同じく新型コロナ感染症(COVID-19)を軸に全ての活動が行われた一年であった.このような時代において,我が国は「グリーン社会の実現」「デジタル社会の形成」「コロナ後の新たな社会の創造」の3つを科学技術政策の柱として,「資源循環」「輸送・移動現象」「Society 5.0基盤ソフトウェア」「バイオDX」「元素戦略」「感染症創薬」「ポストコロナ社会」「ヒトのマルチセンシング」をキーワードとした8つの研究戦略目標を掲げた.ポストコロナ時代を見据えた基礎研究がフォーカスされているのはもちろん,微小材料やそれに関連する技術に係る基礎研究開発の重要性を窺い知ることができる.つまり,マイクロ・ナノサイズに係る材料や技術,知識に関連する理工学研究全般が我が国の科学技術の潮流を支えていると言っても過言ではなく,この流れはこれからますます大きくなっていくと予想できる.
さて,2021年度開催された関連学会の概要を紹介し,マイクロ・ナノ工学に係わる研究開発動向を概説する.まず,国際学会の動向として,2021年1月にドイツのミュンヘンで開催予定であったIEEE MEMS2021はオンライン開催となった.518件の投稿の中から257件が採択され,108件が口頭発表,残りがポスター発表であった.国ごとの発表件数としては中国が最多の80件であり,次いでアメリカ,日本,台湾の順とアジアのプレゼンスが大きい印象であった.ウェアラブルデバイス応用やシステム化・アプリケーション化を目指した研究が多く見られた.4月に中国厦門市にあるXiamen Universityで開催されたIEEE NEMS2021はオンサイトとオンラインのハイブリッド形式であった.投稿710件中,515件が採択され,174件の口頭発表と341件のポスター発表が行われた.これに加えて118件もの招待講演があった.超分子化学,グラフェンエレクトロニクス,分子トポロジー分子機械に係るプレナリートークがあり,ウェアラブルデバイスや分子操作等の研究発表が多く見られた.6月にアメリカのオーランド市にて開催予定であったTransducers 2021は完全オンラインにて開催された.この会議はMEMS分野で最大かつ最高峰の国際会議の一つである.例年900~1400件ほどの論文投稿があり採択率は50%以下と低いが,今回の投稿件数は553件にとどまった.これはCOVID-19の影響はもちろんあるが,結果として質の高い論文のみを集めることができていたように感じる.会議では「反転授業形式」が取り入れられ,会期以前に全てのオーラル発表ビデオが公開されて会期中は討論に集中するという新たな試みがなされた.内容としては従来と大きく変わらない印象で,各種センサ・アクチュエータや化学応用の発表が多く見られた.9月にはベルギーのLeuvenにて開催予定であったMNE2021がCOVID-19の理由でイタリアのトリノにてハイブリッド開催された.発表件数は約380件と例年より少なく,諸々の影響を受けてヨーロッパからの参加が大半を占めた.内容としては特に注目すべき新技術は残念ながら印象が薄かったが,微小構造体を光学・バイオ・環境の領域で応用したものが多い印象であった.10月にはアメリカのカリフォルニア州にてμTASがハイブリッド開催された.これはマイクロ流体デバイスや微小加工技術に基づく医療・創薬・ライフ等に関連する国際会議である.投稿数1068件のうち,採択数は843件であり,アジア・ヨーロッパ・アメリカでほぼ同じ数が採択された.マイクロ流路の基礎研究から治療・診断システムのような医療応用研究,細胞操作,自家発電システム等,多岐にわたる分野の発表が見られ,μTAS領域の方向性が実用化に向かっている印象を受けた.同じく10月にはMNC2021がオンラインで開催され,すべての発表がオンデマンドオーラル発表となった.材料に関する発表が多く,中でも,ナノ加工技術やナノ構造体の物性計測に関連する発表が多く見られた.
一方,国内にはマイクロ・ナノに関連する多くの学会があるが,ここでは本部門が主催するマイクロ・ナノ工学シンポジウムのみを取り上げる.11月に姫路開催を予定していたマイクロ・ナノ工学シンポジウムはオンライン開催へと変更され,リアルタイムオーラル発表とオンデマンドオーラル発表を合計して139件の発表があった.これは去年と比較して約40%に及ぶ大幅増である.Future Technologies from HIMEJI全体としては484件の発表があり,参加者は838名であった(昨年とほぼ変わらず).上記の国際学会と同じくフレキシブルデバイスやナノ材料,バイオ・医療関連の応用寄りの発表が多い印象を得た.
分野横断型の研究が求められてきた昨今において,本部門名にもある「マイクロ・ナノ」という“サイズ”が異分野の研究者間の横串となり,研究分野はもちろん,場合によっては学会の垣根をも超えた学術的,人的交流がオンラインでも継続されていることは歓迎すべきことである.オンラインの特徴を活かしたプログラム編成やバーチャルな交流が企画されており,主催者・参加者の双方がこの環境に慣れてきたこともあって現地開催でなくとも学会を楽しめるようになってきた.オンライン化は発表申し込みや学会参加のハードルを低くすることや,仕事をしながら各自の都合の良い時間に講演をオンデマンド聴講できる等のメリットもあり,今は,ポストコロナを意識した新たな学会の在り方を考える時期である.
マイクロ・ナノ工学そして機械工学が貢献できるCOVID-19関連の研究開発テーマとして,例えばPCRや抗体検査キット,医療従事者の安全確保用の医療機器などがある.マイクロ・ナノ工学の基礎研究と応用がこれから更に重要な位置を占めることは明らかであり,現在と将来の双方を見据えた適切な国家研究戦略の策定に期待したい.個人的には,出口を意識しつつも基礎研究の重要性にもっとフォーカスした研究戦略目標にも期待したい.そして,昨今の困難な状況においても,研究者・技術者の不断の努力が人類そして社会の持続と発展に大いに貢献していることは確かであり,その成果を皆がわかりやすく目にする日が訪れることを期待する.
〔生津 資大 京都先端科学大学〕
23.2 三次元の微細形状創成技術
半導体素子やMEMS/NEMS(Micro- and Nanoelectromechanical systems)などに代表されるマイクロ・ナノスケールの機能素子の研究開発において,所望の機能を発現させるために様々な超微細加工技術が用いられている.本年鑑では,これまでマイクロ・ナノマシニングや材料分析,デバイス解析,マスクリペアなどに広く用いられてきた集束イオンビーム技術(focused-ion-beam: FIB)を取り上げる.様々な研究開発や産業を支える技術の一つである.集束イオンビーム技術は,上記の通り,様々なアプリケーションに対して活用されてきた技術であるが,極低温冷凍機技術と組み合わせることによりそのアプリケーションを広げている.今期の年鑑では,特にこの極低温冷凍機技術を活用した集束イオンビーム技術(Cryo-FIB)にフォーカスし,2021年での研究開発を紹介する.
Cryo-FIBは,FIB装置に極低温冷凍機技術を組み込むことにより,試料を冷却下で観察,加工を行うことのできる技術である.特に,クライオ電子線トモグラフィー(cryo electron tomography: Cryo-ET)やクライオ電子顕微鏡(cryo transmission electron microscopy: Cryo-TEM)の試料作成に用いられることが多く,熱ダメージを抑制した加工が可能であり,高分子材料などのソフトマテリアルや生体材料などの構造の観察,評価に用いられる.例えば,核膜やがん細胞など多様な生体組織の研究(1)–(4)において用いられている.また,HeLa細胞や,マウス脳細胞やチラコイド膜,インジェクチゾームの観察(5)–(8)もCryo-FIBを活用することで行われている.加えて,3次元アトムプローブ用の試料作成(9)にも用いられている.
また,Cryo-FIBを用いることで,高速な堆積加工が可能であり,集束イオンビーム誘起堆積法(focused-ion-beam induced deposition: FIB-ID, focused-ion-beam chemical vapor deposition: FIB-CVD等)にも活用されている.PtやW, Coなどの堆積加工の加工特性や,堆積材料の物性やその応用に関する研究(10)–(12)が進められている.例えば,Coの堆積加工のグラフェン評価への応用や保護膜形成への応用(10)が行われ,材料研究やデバイス研究への期待も高い.
このように集束イオンビーム技術はその応用可能性をますます広げている.今後も様々な分野の研究開発を加速させ発展させていくものと期待される.
〔米谷 玲皇 東京大学〕
23.3 バイオ・医療MEMS
マイクロ・ナノ工学技術は,バイオや医療分野への実用化が多く展開されている.昨今のCOVID-19の流行なども相まって,マイクロ・ナノ工学を技術基盤とするバイオセンサやポイントオブケア技術などはすでに実用化が進められている実例である(1).さらに,最近,創薬分野で急速に実用化検討が進められているマイクロ・ナノ工学技術が,Organ-on-a-chipをはじめとするMicrophysiological systems(MPS:日本語訳は生体模倣システム)である(2).Organ-on-a-chipとは,チップ上で実現される臓器モデルを意味し,MEMSをはじめとする微細加工技術によって作製されるマイクロ流体チップを使って細胞培養を実施することで,生理的な環境を再現し,培養細胞の高機能化を目論むものである.マイクロ流体チップを細胞培養に適応する場合,細胞に対して,時空間的に精密に制御された液性因子などの化学的な刺激だけでなく,細胞へ流体によるせん断応力や伸縮運動などの力学的な刺激も負荷できる(3).このような培養細胞の操作は,従来の培養皿をはじめとする細胞培養ツールでは困難であった.創薬分野では,新薬開発コストの肥大化や動物実験倫理などが社会的な問題となっており,臨床試験前に新薬候補化合物の薬物動態・安全性・薬効を精度高く評価できる新たな動物実験代替法としてOrgan-on-a-chipをはじめとするMPSの実用化に対する要求が高まったわけである.欧米諸国では,2012年頃から多額の公的資金が投入されて多くのMPS関連ベンチャー企業が立ち上がっており,大手製薬企業が製品化されたMPSの利用を開始している(4).我が国におけるMPS研究は,2000年代初頭から本会あるいは関連学会に所属するマイクロ・ナノ工学関連のアカデミアを中心に推進されてきたが,実用化に至った例は皆無であった.これに対して,日本医療研究開発機構(AMED)主導のもと「再生医療・遺伝子治療の産業化に向けた基盤技術開発事業(2017~2021年度)」の5年間のMPS研究開発事業が実施された(5).この事業では,薬物動態に寄与する主要臓器である肝臓・小腸・腎臓・血液脳関門の4つの臓器モデルが研究開発の対象となった.この事業のユニークな点は,製薬企業などのユーザーのニーズに沿った国産のMPS製品の実現を目指して,MPS研究開発が製薬企業・製造企業・アカデミア・技術研究組合の産学官の密な連携によって推進されたことである.この結果,事業の最終年度となった2021年度には4つのMPSについて製品化のめどが立てられるまでに至った(6).このように,もはやマイクロ・ナノ工学の技術はイノベーションを起こすための次世代技術というだけでなく,社会基盤を支えるキーテクノロジーとなりつつあるといっても過言ではない.
国内の研究動向に話題を移すと,2021 年度の日本機械学会年次大会では,マイクロ・ナノ工学部門で企画された9つのオーガナイズドセッション(OS)のうち,3つがバイオと医療・福祉に関連するトピックスであった.特に,ここ数年,姉妹セッションとしてマイクロ・ナノ工学部門とバイオエンジニアリング部門の連携で運営されてきたOS「マイクロ・ナノ工学とバイオエンジニアリング」とOS「機械工学に基づく細胞アッセイ技術」は,丸1日かけて6セッション,合計25件の講演を集めて大変盛況であった.さらに画期的だったのは,この二つのOSの共同企画として,マイクロ・ナノ工学をバイオや医療の研究に展開している新進気鋭の4名の若手研究者らによる招待講演セッションが合同開催されたことである.この招待講演セッションでは,生体センシング(7),ポイントオブケア(8),シングルセル分析(9),メカノバイオロジー(10)に関連したトピックスの講演がなされた.このような試みは当該研究分野の研究者や学生にとって大変刺激的であったに違いない.
上記のように,マイクロ・ナノ工学技術は,バイオや医療の分野における基礎研究から応用研究,はたまた実用化まで幅広く展開されており,今後ますます発展していくことが期待される.
〔木村 啓志 東海大学〕
23.4 マイクロ・ナノ熱流体
マイクロ・ナノスケールの熱流体現象では,物性に寸法依存性が現れたり,輸送特性を支配する現象がマクロスケールとは異なる.それを生かすことで熱交換器やエネルギー変換デバイスなどの各種機器の性能を高めることができたり,逆に,それにより機器の設計に問題が生じたりすることがあるため,マイクロ・ナノ熱流体現象をよく理解することは意義深い.
日本機械学会発行の論文誌で発表されたマイクロ・ナノ熱流体に関連する研究としては,微細多孔質構造上の沸騰熱伝達特性(1),Thermal Interface Material(TIM)と金属面間の界面熱輸送特性に濡れ性が及ぼす影響(2),マイクロヒータとサーモパイルからなる超小型フローベクトルセンサ(3),磁性微粒子の凝集現象のブラウン動力学シミュレーション(4),高温壁面上への微小液滴の接触限界(5)に関する研究があった.
本部門主催の第12回マイクロ・ナノ工学シンポジウムでは,熱流体に関する12件の口頭発表と6件のオンデマンド発表があった.WEB開催された年次大会,熱工学部門主催の熱工学コンファレンス,他学会主催の伝熱シンポジウム,熱物性シンポジウム,数値流体力学シンポジウムなどでマイクロ・ナノ熱流体に関連したOSが企画され多数の発表があった.
Asian Union of Thermal Sciences and Engineering(AUTSE)主催の熱流体工学の広範な分野に関する国際会議である2nd Asian Conference on Thermal SciencesがWEB開催された.7件のPlenary講演のうち3件(マイクロ流路内輸送現象,ナノ材料熱物性の新規計測技術,熱電ナノ材料)が,Keynote講演についても23件のうち半数ほどがマイクロ・ナノ関連で,オーガナイズドセッション「Micro/nano heat transfer」でも6セッション,21件の多数の発表があったことからも,分野の活性の高さが読み取れる.
マイクロ・ナノ熱流体工学についてまとめられたハンドブック「マイクロ・ナノ熱工学の進展(6)」が刊行された.本ハンドブックでは,微小スケールでより重要になる輸送現象(フォノン輸送,近接場ふく射輸送,相界面熱物質輸送など)の基礎に加え,熱輸送・エネルギー変換デバイス,ナノ材料,燃料電池などの応用におけるマイクロ・ナノ熱流体現象,新規計測技術などが紹介されいている.
エネルギー・環境技術において熱流体工学が果たすべき役割は大きい.マイクロ・ナノテクは,既存の熱流体技術に革新を生み出す可能性を多分に秘めている.今後も,材料,化学,計算・情報科学,バイオなどの異分野と融合しながら活発な研究が展開され,技術の進歩につながることを期待したい.
〔矢吹 智英 九州工業大学〕
23.5 未来のセンサシステム
AIやビッグデータなどの活用によって社会課題の解決や新たな価値創造を目指す超スマート社会(Society5.0)においては、データがイノベーションの源泉となっており、特に実世界のリアルデータをいかに高精度かつ膨大に取得・活用できるかどうかが、産業競争力を維持・強化する上で極めて重要となっている。また、コロナ禍による人との接触や人の密集を回避するなどの行動変容は、コロナ終息後も不可逆的なものとして定着・加速することが見込まれており、人の五感の代わりとなって、これらの新たな社会・産業構造を支える革新的なセンシングシステムの重要性はますます拡大している。世界的にも、消費者行動や健康状態等のリアルデータを取得することを目的としたサービス、アプリが開発され、リアルデータの取得競争が苛烈化する中で、センサ市場における日本のシェアは37%と非常に大きく、国内のプレイヤー企業が多数存在する状況である(1)(2)。
しかしセンサ素子に関してはシェアが高いものの、ハードウェア、ソフトウェア、サービスといった上位レイヤまで含めたIoT関連市場における日本のシェアは、10%程度まで落ち込む(1)(2)。こうした状況を転換するには、日本の得意分野であるセンサ技術の優位性を確保しつつ、それを足掛かりとして新たなサービス市場の創出を目指すことが重要である。国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)では、「IoT 社会実現のための革新的センシング技術の開発事業」(2019~2024)において、これまで世の中に分散し、活用されていなかった現場の豊富なリアルデータを一気に収集・分析・活用することで、生産・サービスの現場やマーケティングの劇的な精緻化・効率化を図り、画一的ではない、個別のニーズに対してきめ細かく、リアルタイムに対応できる製品やサービス提供を可能にすることを目指してた研究開発事業が進められている(3)。
またセンサシステムの観点では、スマートフォンや自動車に代表されるように一つの端末に多数種のセンサが搭載されるマルチセンサ化が進んでおり、それらのセンサ群で取得する時系列データから新しい価値を抽出するためのエッジAIとの組み合わせが重要なポイントである(4)。こうしたセンサシステムにおいては、フィジカル空間から物理量を読み取るセンサとそれをロジックに伝えるためのアナログ回路の性能がエッジコンピューティングの差別化に直結する。現状では、センサ、回路、情報処理、通信、それぞれの技術レイヤで個別最適化が進んでいる状況であり、それらを統合するための設計論が不足しており、開発の長期化や、過剰性能、基盤サイズや消費電力が最適化されていないといった問題が顕在化しており、センサシステムの統合設計技術の進展に期待がかかる。
〔竹井 裕介 産業技術総合研究所〕