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機械工学年鑑2020
-機械工学の最新動向-

21. 技術と社会

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章内目次

21.1 概観
21.2 工学・技術教育
21.3 技術史・工学史
21.4 機械遺産を含む産業遺産に関する動向と概説
21.5 技術者倫理

 


21.1 概観

 令和元年の年度終盤から新型コロナウイルス感染症の猛威が世界規模で拡散する中,わが国でもさまざま救済処置(1)がとられようとしている.原油価格の大きな値下がり傾向(2)と重なり大規模な経済変調の兆しと捉え,これまでであれば,社会は大混乱したであろう.ところが今回は,ビッグデータを活用した状況解析や大都市での非常事態宣言に伴う自宅待機要請に対し,多くの職場でテレワークなどにより応じたこともあり,幸いにも,わが国の状況は比較的冷静に推移している.

 このことは,より成熟した民主主義的な社会を実現するためには高度な通信情報技術の活用が欠かせないとの考えを我々に抱かせる.しかしながら,反面,情報処理技術の高度高速化は製品やサービスあるいは社会システムの自動化を一層加速させ大規模かつ複雑化させる傾向にあり,エンジニアや理工学研究者らが活用する技術の内部にも内容不詳の領域を拡大させる傾向にある.

 このような自動化をともなう大規模かつ複雑なシステムによって機能を実現しているインフラやプラント,サービスなどは,災害,事故,故障にともなう機能喪失時の特に人が介在する緊急処置において非常に脆弱であるという特徴を持っている.似たようなことは,社会制度的システムにおいても当て嵌まり,今回の新型コロナウイルス感染症に対応するわが国政府における支援処置の検討等においても同様の課題を内包していた様子が伺える.このような課題も,政治的な課題というよりは,民主主義社会を実現するはずの複雑高度な社会システムの技術的な弱点として捉えるべきであり,技術と社会部門が対象とする課題のひとつである.

 一方,技術と社会の相互の関係性は学校教育の場にも大きな影響を与えていることは周知のところである.いわゆる「読み書きそろばん」からはじまる「リベラルアーツ」としての教育から,「何ができるのか,何がしたいのか」といった自己発見型の教育,あるいは社会に参画する手段としての技術教育や職業技能教育といった性格ものへと移行し始めて久しい.しかしながら,当の教育の現場においても「技術」という概念は用語そのものが多様な存在である.すなわち,大きく3とおりの理解(①知識としての側面,②身体に染込んだ技能としての側面,③モノやシステムとして客観的に存在する物質としての側面)があることから,「技術」という用語は文脈の中でどれか一つ,あるいはいくつかの組合せとして用いられている.このことは,先に述べた複雑性とも重なり,教育の場においても非常に広い範囲の課題を対象とせざるを得ないことを示している.

 以上のように極めて広い概念を抱える「技術」ではあるが,それ故に,今後の複雑かつ多様な社会を支える知恵も,やはり「技術」として捉えてよいのではないだろうか.例えば,わが国をはじめ持続可能な社会を目指す世界の多くの国々は国家のエゴを克服するという古典的な試練を抱えている.このことに対する的確な解は唯一つだけ存在するというような性質のものではなく,地域の自然・風土,文化・歴史,あるいは倫理・宗教など様々な境界条件のもとで扱われるためその解も多様であると認めれば,これらの解を検討するためには「技術」と「社会」の対話をより充実させることが極めて重要であろうと推察される.しかしながら,ここで求められている検討するべきことに対し,対話可能な人材が圧倒的に不足している(3)という喫緊の課題を抱えている.

 技術と社会部門はこのような認識を背景に共有しつつ活動してきた.ここでは,「工学・技術教育」,「技術史,工学史」,「産業遺産・機械遺産」,「技術者倫理」の4カテゴリーに分けて報告する.人類が求めて止まない自由も「技術」に対する認識を深めることを抜きにしておよそその実現は叶わないのであろう.次の時代のわが国を支える「今はまだ若い,技術と社会の対話を可能とする多くの人材」に参照して頂き,当部門の今後の諸活動にも是非とも積極的に参画頂きたい.

〔筒井 壽博 弓削商船高等専門学校〕

参考文献

(1)https://corona.go.jp/action/(参考日2020年4月14日)
(2)https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/03/4c4d3c46259eff88.html(参考日2020年4月14日)
(3)http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h170929-1-abstract.pdf(参考日2020年4月14日)

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21.2 工学・技術教育

 日本機械学会2019年度年次大会においては,工学教育・技術教育に関わる学術講演のセッションが主に「環境エネルギー・工学技術教育」になった.前年の2018年度年次大会ではセッション「伝統産業工学および工学/技術教育」で工学教育・技術教育を扱っていたが,主に技能を取り扱った一群が2019年度は「伝統産業工学」のセッションを別に設けた.本項では,日本機械学会年次大会一般講演,社会部門の部門講演会「技術と社会の関連を巡って:過去から未来を訪ねる」,日本工学教育協会の年次大会・工学教育研究講演会,日本産業技術教育学会全国大会の動向について言及する.

 教育だけでなく実務でも影響のある話題だが,製図規格の変更とSI単位について日本機械学会の講演会で扱われた.2017年に話題になった製図における用語の変更や製図規格の変遷について言及する発表が,2018年度の日本機械学会年次大会および技術と社会部門の部門講演会では見当たらなかったが,2019年度は日本機械学会技術と社会部門の部門講演会「技術と社会の関連を巡って:過去から未来を訪ねる」において平野らによって行われた(1).平野らは2016年に改訂されたJISにおける公差に関する用語が誤りである旨の主張を丁寧に説明すると共に,学生への指導に際して実務を念頭に置いた対応方法について提案をした.

 また,国際キログラム原器が廃止された影響について小口(2)が述べた.一般気体定数がテキストに記載される桁数でも従来と異なる数値を表示することになる他,授業等で利用される計算機が表示する桁の範囲内では十分に影響が出てくる.

 技能に関する発表は各講演会で行われている.その中でも松浦ら(3)が,技能の習得に際して,身体動作や体感について学習者が気づきを得ることを目論む特徴ある取り組みを報告している.

 人文学的な内容を技術者教育の中で扱う事例も報告された.技術史の成果を大学の機械系学科の工学教育に活用した報告が高橋(4)によってなされた.日本機械学会技術と社会部門の部門講演会では,工学教育を直接扱った講演ではないが,根本らは木質バイオマスの利用方法を題材に,複数の項目を考慮して技術の選択する取り組みを議論した(5).当該講演では,実務における技術的な選択が,特定の例えば「熱効率」や「出力」のような指標だけで成すべきではない旨を示している.現時点では,当該発表に関係して体系的に教育方法の提案がなされるか不明である.日本工学教育協会の講演会では,実企業の財務諸表を教材にして,技術系の学部生を指導する取り組みが報告された(6)

 いずれの講演会においても,用語の意味することが不明確な上,それらキーワードと発表内で扱われる学習者の学習内容の関連が十分に説明されていないものが見られる.アクティブラーニング,Industry4.0,Society5.0,機械学習,プログラミング,課題解決,イノベーションなど流行りのキーワードを用いた発表があるが,特に日本産業技術教育学会ではプログラミングや機械学習に関する発表が多く見られる.機械系の大学生に対する指導でもプログラミングは容易ではないが,義務教育で一律に実施すること現場の教育者が対応に苦慮していることがうかがえる.

 2019年,授業のシラバスは到達目標に対応した評価方法を明示する風潮があるが,態度や関心ならともかく理解度を学習者に対するアンケートで計る不明瞭な報告は無くなっていない.

〔加藤 義隆 大分大学〕

参考文献

(1)平野重雄,喜瀬晋,関口相三,奥坂一也, 間違いが多数散見されるサイズ公差の教育方法を考える, 技術と社会の関連を巡って:過去から未来を訪ねる(2019), G190314.
DOI: 10.1299/jsmetsd.2019.G190314
(2)小口幸成, IAPWS 国際状態式に与える新SI の影響, 日本機械学会2019年度年次大会講演論文集(2018), S210214.
DOI: 10.1299/jsmemecj.2019.S20214
(3)松浦慶総, 高田一, 溶接技能教育支援システムの開発(要求技能熟達度に対応した技能情報構造化手法の提案), 技術と社会の関連を巡って:過去から未来を訪ねる(2019), G190317.
DOI: 10.1299/jsmetsd.2019.G190317
(4)高橋芳弘, 機械遺産に関する講義の効果, 技術と社会の関連を巡って:過去から未来を訪ねる(2019), G190316.
DOI: 10.1299/jsmetsd.2019.G190316
(5)根本和宜, 中村省吾, 森保文, 大場真, 中田俊彦, 地域における木質バイオマス利用技術の選択要件, 技術と社会の関連を巡って:過去から未来を訪ねる(2019), G190212.
DOI: 10.1299/jsmetsd.2019.G190212
(6)須藤祐子, 池ノ上芳章, 森谷祐一,佐々木保正,財務諸表的な思考に基づく価値創造力育成プログラムの開発, 工学教育研究講演会講演論文集(2019), pp. 426-427 doi10.20549/jseeja.2019.0_426.

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21.3 技術史・工学史

 技術史研究の国際学会として,国際技術史委員会ICOHTECがある.2019年7月,ポーランドのカトヴィツェ市,シレジア大学を会場にして第46回年次大会(1)が開催された.主題は,「技術と動力」で40セッション116件の研究発表があった.他,シンポジウム「軍事技術の社会史」が10セッションに分かれて開催された.

 国内では産業考古学会(JIAS)が2019年6月に第43回総会(2)を東京都八王子市の八王子市学園都市センターを会場にして開催,5件の研究発表が行われた.同年11月の同学会全国大会(中間市)(3)は,福岡県中間市の,なかまハーモニーホールを会場にして開催,9件の講演・研究発表が行われた.

 日本産業技術史学会(JSHIT)は2019年6月に第35回年会(4)を神戸山手大学を会場にして開催,8件の一般講演が行われた.

 日本科学史学会(HSSJ)では,欧文誌「Historia Scientiarum」は年間3号,学会誌「科学史研究」は年間4号およびニュースレター「科学史通信」は年4回程度刊行されている.2019年5月,第66回年会(5)は岐阜大学で開催され,シンポジウム5件,一般講演64件の講演が行われた.

 日本技術史教育学会(JSEHT)は2019年6月に2019年度総会・研究発表講演会をサレジオ工業高等専門学校で開催,16件の講演があった.同年12月に全国大会(8)を福井県鯖江市の福井工業高等専門学校を会場にして開催,特別講演1件,研究発表講演17件の講演があった.2020年3月に関西支部総会・研究発表講演会(9)が大阪産業大学で開催予定されていたが新型コロナウイルス禍により中止となった.特別講演1件,研究発表講演16件は,既発表の扱いとされた.

 中部産業遺産研究会(CSIH)のシンポジウム「日本の技術史を見る眼」第38回(10)は,2020年3月7日に,「服部長七と人造石工法-産業近代化の基礎づくりを担った土木技術」の副題で愛知県碧南市の大浜公民館で2件の学術講演が予定されていたが,新型コロナウイルスの感染予防対策のため,2020年7月以降に開催が延期となった.

 当技術と社会部門では, 2019年度年次大会(秋田大)(12)において ワークショップ2件,一般講演9件,の計11件の発表が行われた.部門講演会(13)は「技術と社会を巡って:過去から未来を訪ねる」のテーマで,東北大学で開催された.技術史関係は1セッション,一般講演6件の講演が行われた.支部講演会では,東海支部第68期総会・講演会が2019年3月に名城大学 (14)で開催を予定していたが,新型コロナウイルス禍により中止となった.「技術史と技術者倫理」セッションの5件の技術史関係の一般講演は,既発表扱いとなった.

 技術と社会部門として2019年度は合計20件の研究発表講演が行われた.

〔石田 正治 名古屋芸術大学〕

参考文献

(1)The 46th Symposium of the International Committee for the History of Technology (ICOHTEC).
http://katowice2019.icohtec.org/ (URL参照日 2020年4月1日)
(2)第43回(2019年)総会,産業考古学会
http://sangyo-koukogaku.net/news.html#2019soukai (URL参照日 2020年4月1日)
(3)2019年度全国大会(中間市),産業考古学会
http://sangyo-koukogaku.net/news.html#2019zenkoku (URL参照日 2020年4月1日)
(4)2019年度第35回年会,日本産業技術史学会
http://www.jshit.org/yousi19.pdf  (URL参照日 2020年4月1日)
(5)2019年度総会,第66回年会,日本科学史学会 (URL参照日 2020年4月1日) https://historyofscience.jp/soukai/2019gifu-u/ (URL参照日 2020年4月1日)
(6)日本技術史教育学会ニュースレター「技術史教育」,No.118 (2019.4.30).
(7)日本技術史教育学会ニュースレター「技術史教育」,No.119 (2019.7.31).
(8)日本技術史教育学会ニュースレター「技術史教育」,No.120 (2019.10.31).
(9)日本技術史教育学会ニュースレター「技術史教育」,No.121 (2020.01.31).
(10)シンポジウム「日本の技術史をみる眼」第38回,中部産業遺産研究会
http://csih.sakura.ne.jp/nitigi.html (URL参照日 2020年4月1日)
(12)日本機械学会2019年度年次大会(秋田大):「サスティナビリティ」,「AI社会の機械工学」,「小子高齢化・人手不足を支えるテクノロジー」,日本機械学会
https://www.jsme.or.jp/conference/nenji2019/index.html (URL参照日 2020年4月1日)
(13)日本機械学会技術と社会部門2019年講演会(東北大学),日本機械学会
https://www.jsme.or.jp/conference/tsdconf19/doc/program.html (URL参照日 2020年4月1日)
(14)日本機械学会東海支部第69期総会・講演会(名城大),日本機械学会
https://www.jsme.or.jp/tk/Documents/TEC19_program_180307_mini.pdf (URL参照日 2020年4月1日)

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21.4 機械遺産を含む産業遺産に関する動向と概説

 13回目となった「機械遺産」であるが,2019年度の認定では,田瀬ダムの高圧放流設備,新津油田金津鉱場―採油と製油技術の証―,京都鉄道博物館の蒸気機関車と検修施設群,国産化黎明期の乗用エレベーター,急傾斜地軌条運搬機「モノラックM-1」の5件が認定された.まずはじめに,これらの遺産の概要を紹介しよう.

 機械遺産は,Landmark, Site, Collection,Documentsの順に,北から南に向かって附番することになっている.これに則り,最初に挙げられるのはLandmarkである田瀬ダムということになる.

 岩手県北上山峡に位置する田瀬ダムは,日本で最初に作られた“多目的ダム”である.田瀬ダム以前に建設されたダムの湛水量(あるいは放水量)の制御は,ダム上部のクレストゲートの開閉によって行われていた.しかし,これでは放水量の制御範囲が10m程度に限られ,細かな制御が必要な多目的化はできなかった.それを解決するために導入されたのが“コンジットゲート”(これには流路も含む)を用いた放流システムで,今般はこれを認定したのである.このシステムのポイントは,ダム下部の高水圧(水深40m以上)の場所で放水量を制御できることにある.田瀬ダムに設置されたゲート自身は米国製であるが,その導入に当たり,特に技術の移転を目指した担当者は製造所と質疑応答を繰り返しており,その原本ファイルの存在,さらに,国内で設計開発された排水管設計過程の重要度がゲートそのものより大きいものであったことは特筆しておくべきであろう.

 さて,次のLandmark案件となった油田のシステムであるが,どのくらいの方々が国内で油田が現役稼働しているということをご存じだろうか.現在,北海道・秋田・新潟に原油油田(天然ガスも産出し,近隣に都市ガスとして供給しているところもある)があり,自噴井も多数にのぼる.おそらくは,ほとんど知られていない国内の油田であるが,現在,日本の原油消費量の0.3%程度が国産である.エネルギ量で比較すると,実は地熱発電が生産するエネルギ(エネルギ総量の0.2%)よりも,国内産原油によるエネルギ量の方が多い.

 これまでの歴史では,国産原油が総消費量の10%程度を占めたことさえある.その頃の油田遺構がこの新津油田で,明治末からは日本最大の産油量を誇った(大正末ころ以降は秋田の黒川油田が国内では最大となる).指定対象とした事案には,1996年の終業当時の設備がほぼ残されている.油田中央部に位置するインフォメーションセンタを核として,現物資料から系統だって国内油田の歴史と生産システムを知ることができ,国内のエネルギーシステムの変遷をたどることのできる始点の一つとなるのである.

 次いで挙げたものは蒸気機関車と検修施設群であるが,分類はSiteあるいはCollectionではなくLandmarkとした.この事案では単に機関車や道具の集団を示そうとするのではなく,機関車の運行システムを系統だってストーリー化して学べるような第3世代の博物館,“そこにあったままを見せる”という方法を明確に取っていることを評価したのである.

 最近,あちこちで行われている蒸気機関車牽引の観光列車であるが,その先鞭をつける役割を担ったのが,京都鉄道博物館内の開館に当たり,そこに包括された旧梅小路蒸気機関車館である.ここでは23両の歴史的蒸気機関車が保存され(一部は動態保存),JR山口線のように籍をここに置きつつ他所で定期運行されたりしている機関車もある.博物館には,旧蒸気機関車館から継承した機関車のほかに,移籍されたものもあるほか,機関車の運転用・検修用の機器も保存されており,蒸気機関車の運行を系統的に知ることができる設備となっている.

 今日,蒸気機関車は観光列車の牽引がその唯一の役目と言える.現役時代の蒸気機関車を知っている世代もおよそ60代以上であろう.石炭さえ見たことがない世代にとっては,蒸気機関車が客貨輸送の主力から無煙化(近代化ともいえる)施策の中での地方輸送の脇役化そして全面廃止,観光列車としての復活というストーリーは輸送近代化の歴史の理解につながると言えよう.

 さて,霞が関ビルを端緒とする高層ビル群とともに,近年爆発的にと言っていいほど増加してきた超高層マンションに欠くことのできないものが,垂直方向の交通機関である(高速)エレベーターである.さらに,このような高層建築だけでなく,近年必要性が増してきているバリアフリー化にも必要性は増す一方である.我が国へのエレベーターの初導入も,その当時国内で最も高層建築であった浅草凌雲閣(浅草十二階)に設置されたアメリカ製のもので,そこから歴史が始まった(不具合からすぐに撤去されたが).本格的導入は大正の初期(1910年代)であるが,進取の気性が非常に強い日本人はすぐにデッドコピーからスタートして国産化も時を措かず成し遂げることができた.現在国内に残るこの当時のもののうち,システムとしてほぼ完全に残っているのが,指定した敦賀市博物館のものであった.この純機械式のエレベーターは,昇降路から取り外されているものの,全体的機構を俯瞰することができ,仕組みの理解が容易と考えられる.このことから技術の変遷をたどる始点としての役割を担うことができるという判断である.

 さて,日照量の多い瀬戸内で多く生産される露地ものの蜜柑は,土地の環境(リアス式の地形),日照の観点から急峻な山肌に立地しているものが非常に多い.生産の近代化以前は収穫物を人力で急傾斜面を昇降搬出していたが,非常な労力を要した.それがまず索道の導入により省力化が図られた.しかし直線的にしか運搬できないというその欠点を補ったのが,自由に走行方向を変えることができるモノラックのシステムである.この装置の登場が柑橘類の栽培の画期となったと言ってよい.ミカンの産地でも特に和歌山,愛媛で導入率が高く,山道の道路沿いにはモノラックレール終端部がそこかしこに見られる.現在では,このシステムは,専有面積が非常に狭いことを生かして,災害復旧現場への資材・機械の搬送にも使用されるようになってきている.

 以上,今年は,一般社会に目に見える形で直接的にかかわる内容の遺産が多かったと言えようか.これらは,文化の面からの社会システムの大きな転換点を示す実物資料である.機械遺産(mechanical Engineering Heritage)の最後の単語Heritageは,過去から未来へ受け継いでゆくものというのが原意だ.機械遺産は,過去の技術者たちの努力の証であるとともに,人間社会へ残した足跡の顕彰という意味付けがある.そういう意味でも特にプロジェクト名にふさわしい内容であったと言えよう.

 さて,例年述べている他の学協会の動きであるが,土木学会の「選奨土木遺産」には28件,電気学会の「でんきの礎」には5件,情報処理学会の「情報処理技術遺産」には3件,日本化学会の「化学遺産」には4件,というように継続して認定が行われている.また,産業考古学会では,「推薦産業遺産」制度に加え,2019年度から複数の産業遺産が構成する景観を認定する「産業景観100選」の選考を開始した.このほか,広範な分野を網羅するものとして産業技術史資料情報センター(国立科学博物館)の「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」26件の認定が行われている.これらのうち,トピックとしてマスコミで取り上げられる頻度としては,機械遺産が最多であることは疑いがない.また,これに次ぐものは,この未来技術遺産であろう.

 2019年末には,世界初の電子楽器である“テルミン”の発明から2020年で100年になることを記念して,国立科学博物館の主催で「電子楽器100年展」が開催された.テルミンは,一時期テレビなどでも多く取り上げられ,衆目を集めた楽器であるが,最近はそのブームも去って落ち着いている状況といえよう.ただ,興味をもってその楽器に関係する人たちは静かにではあるが熱心に活動を続けていたわけである.

 これは一例であるが,他の分野であると,「~の~周年記念」と言ったプロジェクトの開催の情報に接することは少なくないが,機械の遺産の場合,ある企業の製品に限られてしまうこともあってか,そういった記念事業は行われにくいようである.これからは,こういった年期行事も何らかの形で行える方向性を探ることも,一般への機械heritageの普及の一助になるであろう.

 さて,重要文化財では,トヨタ産業技術記念館の一連の繊維産業関連の所蔵物が一括指定されたことが目を引く(2019年度;昨年の年鑑刊行以降).近年,国の文化財指定には,毎年のように技術遺産が含まれるようになっている.そして,まだ技術遺産が基本となったものは制定されていないが,あるストーリーの中に遺産(文化財)を位置づける文化庁の「日本遺産」制度では2019年,16件が認定されている.これまで,点で位置付けられてきた文化財を拡がりと時間軸を組み合わせて表現しようという試みであり,今後技術遺産を含むストーリーの認定が期待される.

 最後に,これまで,機械遺産委員会は組織上,機械学会「技術と社会部門」に属していた(初年度は,機械学会110周年事業実行委員会の下部組織)が,実質上は部門とは独立した経費配分,運営機構という状況を踏まえて,2019年度認定分に関する活動からは,理事会直属に組織変更されており,今年度はその第1回目の認定であった.

注記:各学協会の遺産,文化庁の史跡,重要文化財,日本遺産などの各種制度と認定物品の位置づけに関しては,各学協会等のホームページを参照いただきたい.

〔小野寺 英輝 岩手大学〕

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21.5 技術者倫理

 2019年においても残念ながら工学における不祥事が発生した.住友重機械工業株式会社は,同社プラスチック機械事業部,およびグループ会社3社の不適切な検査等の事案について2019年1月24日に公表した.その後,2018年度に同社より公表されていた事案も含めて,「『品質管理における不適切行為』に関する特別調査委員会報告書」が特別調査委員会から同社取締役会へ提出され,「当社グループにおける不適切な検査等に対する再発防止策について」と題してその内容について同報告書とともに同社ホームページに2019年3月28日付で掲載されている(1).住友重機械工業株式会社プラスチック機械事業部の事案は,半導体組立工程に用いられるオートモールド装置の一部に関するもので,その試験成績書に検査未実施の項目や実測値と異なる数値が表示されており,不適切な検査が行われていた.これは,調査対象期間2017年11月1日から2018年10月30日までの対象件数279件の内214件,1995年9月から2018年12月までの間では,総計2,122件の不適切行為が確認されたとのことである.また,グループ会社3件の事案に関しては,住友重機械精機販売株式会社はスキーリフト設備等の駆動装置に使用される遊星歯車減速機や産業用ベルトコンベア等に使用されるパラマックス減速機のオーバーホール作業の検査成績書に記載の数値の一部が実測値と異なる数値を記載していた不適切な検査に関するもので,調査対象期間2017年10月1日~2018年9月30日までの対象件数761件の中で総計28件の不適切行為が確認されたとしている.また,住友重機械搬送システム株式会社は,動く歩道の定期検査において調査対象期間2013年4月1日~2018年11月30日までの対象件数88基中4基について,無資格者による不適切な検査が行われていたとしている.さらに,住友重機械ギヤボックス株式会社では,ゴミ処理場や製糖工場での発電設備,石油化学プラントの各種ガス圧縮機等に用いられる大型減速機において,調査対象期間2017年10月1日から2018年9月30日までの対象件数504件中41件が検査成績書の数値の一部が実測値の数値と異なる数値を記載するなどの不適切検査が確認されたとしている.これらの事案は,いずれも大きな事故に繋がりかねず,また納品あるいは設置場所が全国にまたがる規模であり,社会的責任は重い.今後の対応をよく注視しておく必要があるだろう.

 品質管理に関しては,ユニチカ株式会社および子会社が不適切な事案を公表している(2)(3).これは,繊維の成績書に記載する測定数値等の改ざん・ねつ造・選別が行われたとのことである.再発防止策を徹底し,体質改善に期待したい.

 株式会社ジャムコは,航空機シート・内装品等製造関連事業に係わる生産委託先である株式会社宮崎ジャムコにて不適切な検査業務が実施されていたことを2019年3月26日に同社のホームページに公表している(4).その中で,調査対象期間2015年4月1日から2018年11月30日までで,無資格者による検査の事案は受入検査における対象件数192,975件中283件,工程検査における対象件数13,299件中109件行われていた等としている.

 検査データ等の改ざんやねつ造をはじめとする不適切な検査は各分野に広がっており,憂慮すべき事態である.

 技術と社会部門技術倫理委員会では,工業会を担う技術者リーダーの育成に資する企画として毎年2回「リーダーを目指す技術者倫理セミナー」を開催している.2019年の第1回は通算第22回のセミナーとして「製造現場における人の変化にどう対応するか~技術・技能伝承は可能か~」と題して,2019年5月11日(土)に東京工業大学キャンパスイノベーションセンター東京にて開催された.2019年の第2回は通算第23回のセミナーとして「これからの技術開発における人の役割がどう変わるか ~AI・ロボットと人との協調」と題して,2019年11月23日(土)に東京工業大学キャンパスイノベーションセンター東京にて開催された.技術・技能の伝承が重要度を増す一方で,ビッグデータを基盤とするAI技術が急速に進化している.このスピードに遅れることなく,技術者倫理の観点による十分な議論が早急に必要であろう.2019年のセミナーで取りあげたテーマは社会の倫理観の醸成に重要であると言えよう.今後も,こうした取り組みを継続的に進めていきたい.

〔大髙 敏男 国士舘大学〕

参考文献

(1)https://www.shi.co.jp/info/2018/6kgpsq00000088np-att/6kgpsq00000088oa.pdf(参考日2020年4月6日)
(2)https://www.unitika.co.jp/news/io-pdf/646.pdf(参考日2020年4月6日)
(3)https://www.unitika.co.jp/news/io-pdf/651.pdf(参考日2020年4月6日)
(4)https://www.jamco.co.jp/ja/news/ir_news/auto_20190325494934/pdfFile.pdf(参考日2020年4月6日)

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