3. バイオエンジニアリング
3.1 はじめに
3.2 組織のバイオメカニクス
3.3 計算バイオメカニクス
3.4 バイオマテリアル
3.5 生体計測
3.6 ティッシュエンジニアリング
3.1 はじめに
バイオエンジニアリング部門は,機械工学を基盤として力学的観点から医療・福祉工学などの分野の研究に取り組んできており,今後の超高齢化社会の課題に対応する新規研究分野の開拓も行っている.これら新規研究分野は,ロボットやIoT,AIなどの研究との親和性も高く,さらなる分野横断型の研究の発展に大きく貢献が期待できる.機械学会の基盤となる「ものづくり」の観点から見たとき,バイオエンジニアリングの1つの出口である医用機器開発に関しては,工学,企業(産業界),医療従事者(医学)との関係,すなわち医工産の3者の距離を近づけることが重要な点となる.これに対して,当部門は,これまでの医学会との連携活動の推進に加えて,産業界と医療機器に関する標準化などの情報交換ができる環境の構築を行い,この距離を近づけ,次世代産業への展開を図っている.
本年鑑では,当部門がカバーする研究分野を3分野15テーマに分類し,各テーマが3年ごとに紹介されるように企画されている.本年度は,「バイオメカニカルエンジニアリング」分野から「組織のバイオメカニクス」と「計算バイオメカニクス」,「バイオメディカルエンジニアリング・ライフサポート工学」分野から「バイオマテリアル」,「生体計測」,および,「バイオテクノロジー・バイオインフォマティクス」分野から「バイオナノテクノロジー・MEMS」のテーマを取り上げ,各テーマの専門家に最近の研究動向をまとめて頂いた.
なお,生体力学の基礎を築かれた先駆者の一人であり,当部門でも多大な貢献により功績賞を受賞されたカリフォルニア大学サンディエゴ校のY.C. Fung先生が2019年末に亡くなられた.ここに哀悼の意を表する.
〔玉川 雅章 九州工業大学〕
3.2 組織のバイオメカニクス
生命体は,極めて複雑な階層構造を有しており,低次レベルで構成されているサブシステムが精巧に組み合わさり,より高次レベルの系へとつながっている.バイオメカニクスの分野においても,生体分子や細胞などのミクロオーダから,組織や器官さらには個体のマクロオーダにおよぶ種々の階層レベルでの研究が実施されている.近年では,生物や生体で引き起こされている現象の作用機序の解明や,再生医療や組織工学(ティッシュエンジニアリング)への応用を目指して,細胞だけでなく,細胞内構造や細胞によって生成される生体タンパク質などを対象に,マイクロもしくはナノメートル領域における研究の進展が顕著である.しかしながら,細胞の集合体である組織の単位で,適切な構造を形成し必要な機能を果たしていくことが,生命活動にとって本質的に重要であるのは疑う余地のないところである.さらに,疾患の予防,診断,治療,あるいは治療後のリハビリテーションの新しい手法の開発では,生体の組織レベルの構造や機能を力学系学理に基づいて調べることが極めて有効である.例えば,骨折や動脈瘤破裂は,骨組織や血管組織という材料の強度を超える外力によって生じる力学的な事象であり,その修復治療においても力学的な配慮が不可欠である.また,動脈硬化症,骨軟化症,肝硬変症,筋委縮性側索硬化症などの疾患名が示すように,生体組織の力学的特性と病状とは密接に関連していることが幅広く認識されている.このような背景から,組織レベルでの研究は,1970年代のバイオメカニクス分野の黎明期から長きにわたり行われているが,その価値は普遍であり,近年でも持続的に質の高い研究が遂行されている.
バイオメカニクス分野の学術誌では,掲載論文総数の20~30%が組織レベルでの研究であり,近年その傾向はほぼ変化していない.代表的な当該分野の専門誌として,エルゼビア社が発刊するJournal of Biomechanics と Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials,本学会バイオエンジニアリング部門が発刊するJournal of Biomechanical Science and Engineering(JBSE)を取り上げ,2019年度に公表された論文(総説やShort Communicationを除く)が対象としている生体組織の種別をカウントしたデータを表2-1に示す.身体支持,運動伝達,内臓保護などの力学的役割を担う筋骨格系の組織である骨,軟骨,腱,靭帯,筋を対象とした論文は計106編,血圧や血流によるせん断力が作用する循環器系の組織である心臓や血管に関する論文が計45編となっている.筋骨格系や循環器系に属する組織は,バイオメカニクスの主たる対象として,専門的知識の蓄積が着実に行われている.一方,力学的機能を第一義的なものとしない脳神経系,感覚器系,生殖器系の組織に関する論文は計36編と相当数になっている.子宮および子宮頸部の組織に対して内圧負荷試験を行い,それらの力学的特性を定量化している研究では,胎児の成長とともに変化する力学的負荷に適応する現象を明らかにするとともに,妊娠期間中に生じる変形挙動の経時的変化が胎児成長に影響を及ぼしており,早産の原因究明にも有効な知見が得られたと述べられている(1).さらに,感覚器系の組織である鼓膜(2)や角膜(3),さらには消化器系の組織である食道(4)や肝臓(5)を対象とした研究でも,それらの力学的特性と機能が密接に関連していることが明らかになっており,あらゆる組織の損傷機序の解明や修復治療法の開発や改良に,バイオメカニクスの観点からの検討が大きく貢献していることが示唆される.
また,隔年で開催されている生体組織とバイオマテリアルの力学に関する国際会議,The 8th International Conference on Mechanics of Biomaterials and Tissues (ICMOBT)(2019年12月15日-19日,ワイコロアビーチ,ハワイ,アメリカ)では,口頭発表総数110件のうち,29件が組織レベルでのバイオメカニクスについての研究内容であった(6).さらに,本学会バイオエンジニアリング部門の部門年次講演会である第32回バイオエンジニアリング講演会(2019年12月20日-21日,金沢市)では,全184件の口頭発表のなかで組織のバイオメカニクスに関する発表は31件であった(7).これらの2019年度に開催された国外および国内での講演会では,従来から盛んに調査されてきた骨や血管などの力学的特性だけでなく,脳,神経,小腸,眼球など,非常に多岐にわたる組織を対象とした研究が発表されている.今後は,整形外科学や循環器学に限定されることなく,より広範囲の医療分野にバイオメカニクスの研究成果が応用されていく状況にあり,その意義はより深まるものと推察される.
近年における組織レベルのバイオメカニクスに関する研究の趨勢を鑑みると,微視的構造に着目したマイクロメカニクスに基づく研究アプローチが不可欠になるものと考えられる.2019年度に公表された論文でも,骨(8),歯(9),軟骨(10),血管(11),腱(12),筋(13)などの種々の組織に対して,マイクロメートルオーダ以下の特性を計測する手法が提案され,データの蓄積が進んでいる.これによって,生体組織のマクロな現象とそのミクロな要因とを結び付け,成長,適応,修復などの生命現象の本質に迫ることが可能になるだけでなく,生物や生体の自己組織化や自己修復の機構を有する新規機能性素材の開発などの工学分野への展開が進むことも期待される.さらに,生体内における組織の力学的挙動を非侵襲的に高精度で測定する手法の必要性が今後益々高まるものと考えられる.腱や靭帯の力学的特性を非侵襲的計測方法によって定量化した研究論文が2019年度も発表されている(14)(15).しかしながら,生体内に存在する組織の力学的特性を調べた研究は,計測手法に厳しい制約があることに起因して,非常に少ないのが現状である.このようなIn vivo(生体内)バイオメカニクスに分類される研究についても,その将来的な進展が待ち望まれている.
表2-1 主要学術雑誌での組織バイオメカニクス関連の論文数
〔山本 衛 近畿大学〕
参考文献
(1) Conway, C. K., Qureshi, H. J., Morris, V. L., Danso, E. K., Desrosiers, L., Knoepp, L. R., Goergen, C. J. and Miller, K.S., Biaxial biomechanical properties of the nonpregnant murine cervix and uterus, Journal of Biomechanics, Vol. 94 (2019), pp. 39-48.
(2) Liang, J., Smith, K. D., Gan, R. Z. and Lu, H., The effect of blast overpressure on the mechanical properties of the human tympanic membrane, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 100 (2019), 103368.
(3) Kazaili, A., Geraghty, B. and Akhtar, R., Microscale assessment of corneal viscoelastic properties under physiological pressures, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 100 (2019), 103375.
(4) Jiang, H., Zhao, J., Liao, D., Wang, G. and Gregersen, H., Esophageal stress softening recovery is altered in STZ-induced diabetic rats, Journal of Biomechanics, Vol. 92 (2019), pp. 126-136.
(5) MacManus, D.B., Maillet, M., O’Gorman, S., Pierrat, B., Murphy, J. G. and Gilchrist, M. D., Sex- and age-specific mechanical properties of liver tissue under dynamic loading conditions, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 99 (2019), pp. 240-246.
(6) The 8th International Conference on Mechanics of Biomaterials and Tissues (ICMOBT) 2019年12月15~19日 Marriott Waikoloa
https://www.elsevier.com/events/conferences/international-conference-on-mechanics-of-biomaterials-and-tissues
(参照日2020.5.07)
(7) 日本機械学会第32回バイオエンジニアリング講演会 2019年12月20~21日 金沢商工会議所会館
https://www.jsme.or.jp/conference/bioconf19-2/(参照日2020.5.07)
(8) Asgari, M., Abi-Rafeh, J., Hendy, G. N. and Pasini, D., Material anisotropy and elasticity of cortical and trabecular bone in the adult mouse femur via AFM indentation, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 93 (2019), pp. 81-92.
(9) Carreon, A. H. and Funkenbusch, P. D., Nanoscale properties and deformation of human enamel and dentin, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 97 (2019), pp. 74-84.
(10) Han, G., Eriten, M. and Henak, C. R., Rate-dependent crack nucleation in cartilage under microindentation, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 96 (2019), pp. 186-192.
(11) Brunet, J., Pierrat, B., Maire, E., Adrien, J. and Badel, P., A combined experimental-numerical lamellar-scale approach of tensile rupture in arterial medial tissue using x-ray tomography, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 97 (2019), pp. 74-84.
(12) Hijazi, K. M., Singfield, K. L. and Veres, S. P., Ultrastructural response of tendon to excessive level or duration of tensile load supports that collagen fibrils are mechanically continuous, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 97 (2019), pp. 30-40.
(13) Mitrou, G. I., Sakkas, G. K., Poulianiti, K. P., Karioti, A., Tepetes, K., Christodoulidis, G., Giakas, G., Stefanidis, I., Geeves, M. A., Koutedakis, Y. and Karatzaferi, C., Evidence of functional deficits at the single muscle fiber level in experimentally-induced renal insufficiency, Journal of Biomechanics, Vol. 82 (2019), pp. 259-265.
(14) Salman, M. and Sabra, K. G., Assessing non-uniform stiffening of the Achilles tendon noninvasively using surface wave, Journal of Biomechanics, Vol. 82 (2019), pp. 357-360.
(15) Naghibi, H., Mazzoli, V., Gijsbertse, K., Hannink, G., Sprengers, A., Janssen, D., Van den Boogaard, T. and Verdonschot, N., A noninvasive MRI based approach to estimate the mechanical properties of human knee ligaments, Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, Vol. 93 (2019), pp. 43-51.
3.3 計算バイオメカニクス
本節では,計算バイオメカニクスに関する最近の研究のうち,特に生体内の流動現象に関するものについて述べる.計算流体バイオメカニクスの医療に関連した研究に関して,透析人工透析への計算バイオメカニクスの応用に関する解説論文(1)や,人工血管やステントなどの血栓形成に関する解説論文(2)がある.動脈瘤に関して多くの研究がなされており,CT画像に基づく血栓形成および流体力と腹部大動脈瘤の拡張に関する研究(3)や,胸部大動脈瘤の評価によるリスク予測に関する研究(4),胸部大動脈解離の計算バイオメカニクスに関する研究(5)などがある.また心臓弁に関する研究も盛んである.心臓弁のバイオメカニクスとメカノバイオロジーに関する研究(6)や,僧帽弁の動特性のモデリングに関する研究(7),ブタ心房弁葉の力学特性に関する研究(8)などがある.マイクロスケールの生体流動現象に関しては,糖尿病患者の赤血球の力学特性とレオロジー特性のモデル化に関する研究(9),非一様な毛細血管内の赤血球の3次元変形に関する研究(10),低酸素状態における鎌状赤血球挙動のモデリングに関する研究(11)などがある.
計算流体バイオメカニクスの計算手法に関しては,マルチスケール解析や流体・構造連成解析に関する研究が活発に行われている.マルチスケール解析に関するものとして,疾患の発症・進展・治療のための心臓血管系のマルチスケールモデルに関する研究(12)やマクロ・マイクロ・マルチスケール血流解析手法に関する研究(13)などがある.流体・構造連成解析に関するものとして,動脈瘤内の定常・非定常流の流体・構造連成解析と安定性解析に関する研究(14)や複雑な力学特性を持つ動脈モデルを用いた流体・構造連成解析に関する研究(15)などがある.また流体解析ソフトウエアに関する研究がある(16).
〔早瀬 敏幸 東北大学〕
参考文献
(1)Ene-Iordache, B. and A. Remuzzi, Blood Flow in Idealized Vascular Access for Hemodialysis: A Review of Computational Studies. Cardiovascular Engineering and Technology, 2017. 8(3): p. 295-312.
(2)Johnson, S., et al., Review of Mechanical Testing and Modelling of Thrombus Material for Vascular Implant and Device Design. Annals of Biomedical Engineering, 2017. 45(11): p. 2494-2508.
(3)Zambrano, B.A., et al., Association of Intraluminal Thrombus, Hemodynamic Forces, and Abdominal Aortic Aneurysm Expansion Using Longitudinal CT Images. Annals of Biomedical Engineering, 2016. 44(5): p. 1502-1514.
(4)Youssefi, P., et al., Functional assessment of thoracic aortic aneurysms – the future of risk prediction? British Medical Bulletin, 2017. 121(1): p. 61-71.
(5)Doyle, B.J. and P.E. Norman, Computational Biomechanics in Thoracic Aortic Dissection: Today’s Approaches and Tomorrow’s Opportunities. Annals of Biomedical Engineering, 2016. 44(1): p. 71-83.
(6)Ayoub, S., et al., Heart Valve Biomechanics and Underlying Mechanobiology. Comprehensive Physiology, 2016. 6(4): p. 1743-1780.
(7)Gao, H., et al., Modelling mitral valvular dynamics-current trend and future directions. International Journal for Numerical Methods in Biomedical Engineering, 2017. 33(10).
(8)Laurence, D., et al., An investigation of regional variations in the biaxial mechanical properties and stress relaxation behaviors of porcine atrioventricular heart valve leaflets. Journal of Biomechanics, 2019. 83: p. 16-27.
(9)Chang, H.Y., X.J. Li, and G.E. Karniadakis, Modeling of Biomechanics and Biorheology of Red Blood Cells in Type 2 Diabetes Mellitus. Biophysical Journal, 2017. 113(2): p. 481-490.
(10)Polwaththe-Gallage, H.N., et al., A coupled SPH-DEM approach to model the interactions between multiple red blood cells in motion in capillaries. International Journal of Mechanics and Materials in Design, 2016. 12(4): p. 477-494.
(11)Li, X., et al., Patient-specific modeling of individual sickle cell behavior under transient hypoxia. Plos Computational Biology, 2017. 13(3).
(12)Zhang, Y.H., et al., Multi-scale Modeling of the Cardiovascular System: Disease Development, Progression, and Clinical Intervention. Annals of Biomedical Engineering, 2016. 44(9): p. 2642-2660.
(13)Imai, Y., et al., Numerical methods for simulating blood flow at macro, micro, and multi scales. Journal of Biomechanics, 2016. 49(11): p. 2221-2228.
(14)Sharzehee, M., S.S. Khalafvand, and H.C. Han, Fluid-structure interaction modeling of aneurysmal arteries under steady-state and pulsatile blood flow: a stability analysis. Computer Methods in Biomechanics and Biomedical Engineering, 2018. 21(3): p. 219-231.
(15)Balzani, D., et al., Numerical modeling of fluid-structure interaction in arteries with anisotropic polyconvex hyperelastic and anisotropic viscoelastic material models at finite strains. International Journal for Numerical Methods in Biomedical Engineering, 2016. 32(10).
(16)Lan, H.Z., et al., A Re-Engineered Software Interface and Workflow for the Open-Source SimVascular Cardiovascular Modeling Package. Journal of Biomechanical Engineering-Transactions of the Asme, 2018. 140(2).
3.4 バイオマテリアル
バイオマテリアルは,「人体そのもの,あるいはその構成要素(臓器,器官,組織,細胞,タンパク質など)と直接,あるいは間接的に接触,あるいは相互作用する材料の総称」として定義される(1).主として,医療機器における人体との接触部位や,薬物送達システム(DDS)を構築するナノ粒子等の剤型要素として用いられるため,常に医療展開を根本的目標として金属材料,無機材料,有機高分子材料が幅広く応用されている.特に近年では,多様な生体環境に適応して相互作用を能動的に制御するバイオアダプティブ材料(2)の創出という観点で,バイオマテリアルの開発研究領域は拡大している.
2019年における国内の医療機器の開発動向としては,以下の14件の新規医療機器が承認されている(3):ロボット・ICT・その他領域2件(放射線治療用吸収性組織スペーサー2件),整形・形成領域1件(細胞血球細胞除去用浄化器*),精神・神経・呼吸器・脳・血管領域5件(中心循環系血管内塞栓促進用補綴材*,血管内塞栓促進用補綴材,中心静脈留置型経皮的体温体温調節装置システム,舌下神経電気刺激装置,大動脈用ステントグラフト),心肺循環器領域6件(アブレーション向け循環器用カテーテル*,単回使用体外設置式補助心臓人工心臓ポンプ*,心臓内補綴材,循環補助用心内留型ポンプカテーテル,循環補助用心内留型ポンプカテーテル用制御装置,中心循環系血管内塞栓促進用補綴材)(*印は国内企業発製品).これらを見ると,血液・循環器系に適用する機器がおよそ8割を占め,血液と触れる医療機器におけるバイオマテリアルの役割が依然,特に大きいことが窺える.一方,体温体温調節や電気刺激,アブレーション,心臓ポンプのように電気・機械装置とのシステム化もまた実用において必須であり,材料と電気・機械工学の緊密な連携が製品開発の前提となっていることがわかる.2019年の医療機器販売における企業動向(4)においては,世界の主要医療機器メーカーの販売額上位30位のうち,日本企業は4社が入っており(オリンパス19位,テルモ20位,キャノンメディカルシステムズ23位,ホーヤ26位),特にキャノンメディカルは今年度初めてのランクインを果たしている.
バイオマテリアル分野の研究動向として2019年および今後に向けて展開が注目されるトピックスをまとめると,まず,近年,急速に普及してきた3Dプリンティング技術が挙げられる.材料の外部・内部形状の自在な設計や,生体機能の模倣や獲得の上で必要となる特徴的なミクロ形状の付与などが医療機器の高機能化に資するものと強く期待されている.そしてこの3Dプリンティング技術を,細胞細胞外マトリックスの構成成分や細胞懸濁液自体をインク(バイオインク)として,生体組織様構造の構築に応用する研究(バイオファブリケーション・バイオプリンティング)も拡大している.一方,生体組織のもともとの形状を活かし,かつ生体の持つ生理活性物質を有効活用する組織再生促進材料としての脱細胞化マトリックス研究も盛んとなっている.脱細胞化したヒト皮膚やブタ小腸粘膜下組織などは既に数多く製品化にも至っており,また粉末状の脱細胞化マトリックスを原料とするゲルはバイオコーティング,インジェクタブルゲル,バイオインクなどへ応用も検討されている(5)(6).さらに,人工足場材料への細胞増殖・分化制御能,組織再生誘導機能,抗がん効果などの多様な機能付与が精力的に研究されており,再生医療・化学療法・温熱療法等を複合的に実現し得る高機能足場材料なども開発されつつある(7)(8).そして,細胞が分泌するナノサイズの膜小胞であるエクソソームのバイオマテリアルとしての応用にも大きな注目が集まっており,エクソソームが内包する様々な生理活性分子の機能を診断や治療に活用する研究が盛んとなっている.2019年の第32回バイオエンジニアリング講演会のバイオマテリアルセッション(9)においても,以上のような先端研究に関連する数々の発表がなされた.
医療機器開発をターゲットとしたバイオマテリアル研究の今後の動向に関しては,2019年第41回日本バイオマテリアル学会大会の日本学術会議シンポジウム(10)において,日本医療研究開発機構(AMED)および科学技術振興機構研究開発戦略センター(JST-CRDS)からは重点課題領域の紹介があった.AMEDでは2019年3月に医療機器開発の重点化に関する検討委員会報告書(11)がとりまとめられ,以下の5つの重点分野に沿った支援課題に対する資金ポートフォリオの設定と運用が提案されている:1) 検査・診断の一層の早期化,簡易化,2)アウトカム最大化を図る診断・治療の一体化(がん),3)予防(高血圧,糖尿病),4)高齢化により衰える機能の補完・QOL向上,5)デジタル化/データ利用による診断治療の高度化.これらの重点分野には,医療機器開発を支えるバイオマテリアル研究に今後強く求められる出口を想定した課題が設定されている.一方,JST-CRDSからは前年度までにとりまとめられたバイオマテリアル工学に関する戦略プロポーザル(2)が言及された.特に,バイオマテリアル工学の基礎・基盤の拡充において,多様かつ複雑な生体環境における生体適合性発現のメカニズムや生体/材料相互作用を積極的に活用して能動的に制御する機能を有する材料の設計・創製を目指すことが提案されている.そのような材料は「バイオアダプティブ材料」と定義され,特に取り組むべき研究開発課題として以下の4つが挙げられた:1)生体/材料相互作用によって生じる現象の理解,2)多様な生体環境における定量評価・計測を実現する新技術・装置開発,3)バイオアダブティブ材料の設計・創製,4)実用化を促進する評価基盤構築.バイオマテリアルにおける基盤研究推進のための戦略的方針と具体的課題がこれらに整理されている.
2019年の医療機器の開発状況,バイオマテリアル工学の研究動向,そしてそれぞれの今後の研究開発展開に向けての戦略的重点課題動向は以上に見たところであり,今後の研究開発課題の設定を考える上で具体的指針となるものと考えられる.
〔木戸秋 悟 九州大学〕
参考文献
(1)医療を支えるバイオマテリアル研究に関する提言 2017年9月29日 日本学術会議材料工学委員会バイオマテリアル分科会
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t251-3.pdf
(2)戦略プロポーザル バイオ材料工学 〜生体との相互作用を能動的に制御するバイオアダプティブ材料の創出〜 科学技術振興機構 研究開発戦略センター CRDS-FY2018-SP-02
https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2018/SP/CRDS-FY2018-SP-02.pdf
(3) 令和元年度承認品目一覧(新医療機器別表) 医薬品医療機器総合機構
https://www.pmda.go.jp/review-services/drug-reviews/review-information/devices/0036.html
(4) The 2019 Top 30 Global Medical Device Companies, Medical Product Outsourcing,
https://www.mpo-mag.com/heaps/view/6119/1/
(5) 岸田晶夫, 脱細胞化生体組織の現状と将来展望, Organ Biology Vol25, No.1 (2018), pp.27-34.
(6) 監修:岸田晶夫, 山岡哲二, 干場隆志, 脱細胞化組織の作製法と医療・バイオ応用 (2019), シーエムシー出版
(7) Li, Qiwen; Wen, Junru; Liu, Chenlu; Jia, Yanpeng; Wu, Yongzhi; Shan, Yue; Qian, Zhiyong; Liao, Jinfeng, Graphene-Nanoparticle-Based Self-Healing Hydrogel in Preventing Postoperative Recurrence of Breast Cancer, ACS Biomaterials Science & Engineering, Vo.5, No.2 (2019), pp.768-779.
(8) Xue, Yumeng; Niu, Wen; Wang, Min; Chen, Mi; Guo, Yi; Lei, Bo, Engineering a Biodegradable Multifunctional Antibacterial Bioactive Nanosystem for Enhancing Tumor Photothermo-Chemotherapy and Bone Regeneration, ACS Nano Vol.14, No.1 (2020), pp.442-453.
(9) 日本機械学会第32回バイオエンジニアリング講演会 2019年12月20〜21日 金沢商工会議所会館
https://www.jsme.or.jp/conference/bioconf19-2/
(10) 第41回日本バイオマテリアル学会大会 2019年11月24〜26日 つくば国際会議場および筑波大学
https://jsbm2019.org/
(11) 医療機器開発の重点化に関する検討委員会報告書 2019年3月 日本医療研究開発機構産額連携部
https://www.amed.go.jp/content/000045318.pdf
3.5 生体計測
生体計測は,大きくは人の体の形態(形状)の計測と機能(はたらき)の計測の2種類に分けられる.例えば,形態計測としてコンピュータ断層撮影装置(CT)や核磁気共鳴映像法(MRI)による体の内部の組織の形状計測があげられ,機能計測として陽電子放出撮影法(PET)による血流や薬剤循環状態の計測や筋電図(EMG)による筋肉活動の計測があげられる.ここでは,生体計測のなかでも機械工学に関連深い生体力学(バイオメカニクス)に関連した最近の研究動向について記す.
2019年の関連journal,講演会をサーベイすると,本部門の英文誌であるJournal of Biomechanical Science and Engineering(JBSE)においては2件の生体計測関連の論文が掲載され,いずれも生体運動における筋骨系の動作解析に関する論文であった.また,台湾で行われた本部門主催の国際会議であるThe 10th Asian Pacific Conference on Biomechanicsにおいては,「Sport Biomechanics」,「Locomotion and Human Movement」,「Orthopaedics Biomechanics」のセッションが設けられ,筋骨格の組織変形と動作解析に関する研究,また足底の圧力分布計測に関する研究が発表された.バイオエンジニアリング講演会では,「生体計測」のセッションが2つ設けられ,筋骨格系の形態・動作計測,昆虫などの動作解析によるバイオミメティクス,指の爪の変形計測による力覚推定に関する研究が発表された.年次大会では,「人間支援・協調機械設計」のセッションで,動作解析に基づく行動分析に関する研究が,「医療・健康・福祉のためのセンシングおよびロボティクス」,「診療技術と臨床バイオメカニクス」のセッションにおいて,筋骨格の形態・動作計測による動力学解析,生体組織の力学特性計測,聴覚特性計測,薬物動態,血流の状態計測に関する研究が,「ヒューマン・ダイナミクス,マイクロ・ナノ機械の信頼性,スポーツ・生体計測」のセッションでは,脳波などの生体情報から心地よさなどの感性を評価する研究が発表された.日本生体医工学会大会においては,「光計測・診断の新展開」,「生命を維持するメカノセンシング機構」,「時空間生体機能計測による予防医学と病態解明」,「MEMS軸力センサの原理と医療・看護分野での研究応用」,「生体信号計測・解釈研究の現在」のセッションが設けられ,光イメージング,3軸力微小電子機械システム(MEMS)センサなどによる血圧,心電位などの生体情報計測に関する研究,足底の応力計測に関する研究が発表された.
現在の生体の機能計測は形態計測に比べてまだまだ発展の余地が大きい.特に生体を対象とした力学量の計測に関する技術開発には機械工学の貢献が求められている.ここで,生体に作用する力の計測に関連した研究例を紹介する.生体内の例えば,関節における荷重伝達,足底や手指に作用する力を評価するニーズは大きい.そもそも物体と物体の接触界面における応力状態を計測することは,困難であり種々の技術開発がこれまで行われてきた.弾性論による接触問題の理論解析や有限要素法(FEM)による数値解析的なアプローチがある一方,実計測のアプローチとして,接触界面に薄いセンサを挿入する方法,界面近傍の変形計測から界面の状態を推定する方法があげられる.
接触界面にセンサを挿入すると接触状態は変化してしまう.これを避けることが,界面近傍の変形計測から接触界面の応力を推定する方法の利点である.義足ソケットの変形計測からFEMなどの数値計算手法を援用して切断端―ソケット間の応力状態を推定する研究(1)や最近では指の腹や爪の変形を計測して手触り感などの手指の力覚を評価する研究(2)が行われている.界面近傍の変形から接触状態を推定するには,解析的な手法が介在するため煩雑になることが多い一方,界面の接触状態を計測精度に対して大きく変化させない薄型センサによる界面計測は直接的で簡便であるという利点がある.感圧紙(プレスケール)による生体関節内の静的な接触圧力分布の計測(3)は古くから行われ,その後,導電性塗料や感圧導電ゴムシートを圧力感受材として電気抵抗変化を捉える薄型センサ(4)が開発され,関節内や皮膚上の動的な接触圧力分布計測が行われている.このほか圧力負荷による静電容量や圧電気の変化を捉えるセンサも開発されている.最近では,MEMS技術を利用した小型3軸力センサ(5)や,工夫した形状の薄膜電極と導電性塗料を積層した薄くて柔軟な3軸応力センサ(6)による力覚評価が行われている.
ここでは人体全体やその部位を対象とした機能計測例を示したが,より小さな細胞内あるいは生体分子などを対象とした計測も今後重要になるであろう.生体計測のうち生体の力学量(特に力やトルク)に関する機能計測に対して,より簡便で高精度な手法の開発が機械工学者に求められている.
〔笹川 和彦 弘前大学〕
参考文献
(1)例えば,Tanaka, M., Akazawa, Y., Nakagawa, A. and Kitayama, I., Identification of pressure distribution at socket interface of above-knee prosthesis, Transactions on Biomedicine and Health, Vol. 2(1995), pp. 351-359.
(2)例えば,五十嵐智, 嶋脇聡, 中林正隆,示指側面つまみ動作における母指爪ひずみの計測,第32回バイオエンジニアリング講演会論文集(2019),Paper No. 1C22.DOI: 10.1299/jsmebio.2019.32.1C22
(3)例えば,Fukubayashi, T. and Kurosawa, H., The contact area and pressure distribution pattern of the knee: a study of normal and osteoarthrotic knee joints, Acta Orthopaedica Scandinavica, Vol. 51, No. 6(1980), pp. 871-879.
(4)例えば,Sasagawa, K. and Narita, J., Development of thin and flexible contact pressure sensing system for high spatial resolution measurements, Sensors and Actuators A: Physical, Vol.263 (2017), pp.610-613.
(5)例えば,野口博史, 雨宮歩, MEMS 3 軸力センサの看護応用としての糖尿病患者における歩行時に足底にかかる力の計測, 第58回日本生体医工学会大会抄録集(2019), Paper No. SY-080.
(6)例えば,Sonoda, M., Sasagawa, K., Fujisaki, K., Moriwaki, T. and Kayaba, H., Evaluation of venipuncture techniques based on measurements of haptic sense and finger motion,生体医工学シンポジウム2019予稿・抄録集(2019),Paper No. 1A-17.
3.6 ティッシュエンジニアリング
ナノテクノロジー・MEMS技術のバイオ分野への応用について,特にMEMS関連としてマイクロ流体デバイス(Microfluidics device)を用いた研究の隆盛は特筆すべきものがある.バイオ分野におけるマイクロ流体デバイスを用いた研究は多岐にわたり,ここでその全てについて解説することはできないが,その一例に触れておきたい.細胞が放出するナノサイズの小胞が血流などにより全身をめぐり,遠く離れた他の臓器・組織の細胞と情報伝達を行うことで生命活動のホメオスタシスを保っていることが明らかとなってきたが,一部のがんの発症と関連しているエクソソームと呼ばれる小胞の重要性が着目を集めている.MEMS技術を応用したマイクロ流体デバイスは,元来その流路や反応室のサイズが微小であるため,エクソームに含まれる非常に微量なバイオマーカーの検出用途への親和性が高く,この分野に関連の深い国際会議であるMEMS2019(The 32th IEEE International Conference on Micro Electro Mechanical Systems)やMicroTAS2019(The 23rd International Conference on Miniaturized System for Chemistry and Life Science)においても関連研究を集めたセッションが編成されていた(例えばMicrofluidics and BioengineeringやExosomes trapping and isolation,Exosomes and extracellular vesiclesなど).
エクソソーム計測に関連する研究は化学的・電気的分野をベースとしたものが多いため,マイクロ流体デバイスを用いたバイオメカニクス関連研究についても触れておきたい.細胞バイオメカニクスの分野では,細胞や細胞内小器官の力学特性計測や接着細胞のけん引力(Traction force)測定への取り組みが継続的に行われているが,これにマイクロ流体デバイスを組み合わせてハイスループット化を達成した成果などが報告されている(1)(2).
日本機械学会での研究動向に目を向けると,第32回バイオエンジニアリング講演会においては,マイクロ流体デバイスを応用し,異種細胞の三次元共培養モデルを製作した成果(3)や,マイクロ流路内でのウシ精子の運動性評価を行った成果(4)などが報告されている.マイクロ流体デバイス以外のバイオMEMS関連研究としては,日本機械学会2019年度年次大会においてマイクロ・ナノ工学部門とバイオエンジニアリング部門とのジョイントセッションが企画され,接着基質の微細加工による細胞シート制御技術(5)や流体力により動的に開閉するマイクロフィルターを微細加工により製作し,対象とする細胞のみをトラップする試み(6)などが報告されている.
バイオナノテクノロジー・MEMS技術は,MicroTAS(Micro-Total Analysis Systems)あるいはLab on a chipによる分析のみにとどまらず,マイクロデバイス内に生体組織や細胞集団機能を再現するOrgan on a chipやCells on a chipの実現へと応用され,生体機能の理解とその人為的制御や医療応用を目指す上で欠かすことのできないツールとなりつつある.
〔佐藤 克也 徳島大学〕
参考文献
(1)Patricia M. D., Gregory R. F., Solenne M., Emily S. B., Philipp I., Denis A., Rachele A. and Jan L., High-throughput microfluidic micropipette aspiration device to probe time-scale dependent nuclear mechanics in intact cells, Lab on a Chip, Vol.19, Issue 21, (2019), pp3652-3663.
(2)Hwanseok J., Jongseong K., Jennifer H. S., Jeffrey J. F., Chan Y. P. and Yongdoo P., Traction microscopy with integrated microfluidics: responses of the multi-cellular island to gradients of HGF, Lab on a Chip, Vol.19, Isuue 9, (2019), pp.1579-1588.
(3)肥高邦彦, 松井栞里, 山下忠紘, 齋藤義正, 須藤 亮, マイクロ流体デバイスを用いた胆管癌オルガノイドと内皮細胞の三次元共培養モデルの確立, 日本機械学会 第32回バイオエンジニアリング講演会, (2019), 1G13. DOI: 10.1299/jsmebio.2019.32.1G13
(4)杉田健太, 氏福祥太, 櫻井凛太郎, 村上蓮太, 安井学, 三田正弘, 百武徹, マイクロ流体チップを用いたウシ精子の運動性評価, 日本機械学会 第32回バイオエンジニアリング講演会, (2019), 2B23. DOI: 10.1299/jsmebio.2019.32.1G13
(5)木部善清, オケヨ ケネディ, 安達泰治,細胞-基板間接着の限定化に基づく細胞シート内における細胞配向の誘導, 日本機械学会2019年度年次大会, (2019), J02802. DOI: 10.1299/jsmemecj.2019.J02802
(6)熊本清太郎, 福山創一朗, 安田敬一郎, 北村祐介, 岩槻政晃, 馬場秀夫, 井原敏博, 中西義孝, 中島 雄太, 動的変形マイクロフィルタを用いた血中ターゲット細胞の特異的捕捉, 日本機械学会2019年度年次大会, (2019), J02815. DOI: 10.1299/jsmemecj.2019.J02815