日本機械学会が担う技術者教育
講習会「プログラミングで学ぶ熱物性推算」~ Excel, GUI アプリケーションから脱皮したい人に捧ぐ、流体熱物性入門講座 ~
講習会のねらい
なんとなく難しそうな熱物性値計算、まずは「やってみる」
熱力学を学んだ方なら一度は蒸気表からエンタルピーなどの数値を拾ってサイクルの計算をした方も多いであろう。では、元になった水・蒸気に関するヘルムホルツ型状態方程式(1)の、56項にも及ぶ係数を打ち込んで計算したことは?密度や圧力の計算だけならば、辛抱強くやればなんとかなるだろう。しかし、飽和状態の計算となると、さらに複雑なアルゴリズムをプログラムする必要がある。
実際にはREFPROP(2)やCoolProp(3)など、便利な物性計算ツールにより、具体的な計算順序を知らなくても実務で困ることはほとんどない。しかし、大学で習った熱力学と、実務における流体熱物性計算の間に、いわばブラックボックス化した部分が介在していることには留意が必要である。本講習会がカバーしているのは、まさにこの部分である。計算のバックグラウンドを知ることはプログラムの動作やエラーへの対処、計算の効率化などに非常に有用であるし、未知の流体の物性値の推算方法に簡易的な相関式をあてはめるといった応用も効く。
本講習会はこのような知識を機械工学系の大学院生や入社数年目の若手技術者に習得していただくことを目的に、環境工学部門の企画として2021年度にスタートした。コロナ禍であったが、講習会のオンライン化の流れにもフィットしていたように思う。
講習会の特色
熱力学状態方程式の講義 × プログラミング演習
図1は実際の講習会の受講イメージである。状態方程式の理論背景や具体的な式の解説を聞きながら、それを使った計算を実際に受講者がプログラムしながら進めるスタイルである。
筆者の経験から、プログラミング習得の近道はとにかく「必要に迫られること」にあると考えている。漠然とプログラム言語を学びたいと思っても、ターミナルに“Hello world”と表示させることにモチベーションを感じる人は少ないであろう。逆に、研究であれ業務であれ、何かの目的をどうしても達成しなければならないとなれば、人はどうにかしてあの手この手でその方法にトライするので、この過程では自然と知識が身につくものである。
流体物性値の計算という具体的な目的がある人にとって、この講習会はプログラミング言語と流体の熱力学モデルの理論体系の両方を学ぶ良い機会になることが期待できる。
図1 デュアルディスプレイ環境での講習会受講イメージ
(スライド資料をZoomで共有しながら、別画面で実際にプログラミング、グラフ表示を行いながら進めていく)
言語にはPythonを採用
Pythonを選んだ理由は、そのシンプルな文法と即応性に加え、NumPyやSciPy、Pandas、Matplotlibなどの強力な科学技術計算ライブラリやデータ処理・可視化ツールが充実している点である。コンパイル不要で、コードを書いたらすぐに計算実行できる点も講習会に適している。
講習会はPython初心者を想定しており、講習会の数日前に、Pythonや開発環境(Visual Studio Code)、流体熱物性計算ライブラリ(REFPROP and/or CoolProp)のインストール方法を説明した事前資料を送付している(REFPROP以外は無償で入手可能)。サンプルプログラムも付いており、実行することで受講準備が整ったことを確認できる。
講習会は基礎編とステップアップ編(以前は発展編)があり、講義内容は以下のようになっている。
基礎編 …(午前)単位系、流体熱物性概論、飽和蒸気圧力相関式、汎用状態方程式の理論背景、計算方法および例題。(午後)ヘルムホルツ型状態方程式の成り立ち、計算方法。物性計算ライブラリ(REFPROP/CoolProp)の使用方法、応用問題とそのコーディング演習。
ステップアップ編 …(午前)基礎編の復習、REFPROP/CoolPropの利用方法と便利な使い方(高速化など)。(午後)汎用状態方程式を用いた混合系の計算アルゴリズム。ヘルムホルツ型状態方程式に用いられる混合則の理論背景とREFPROP/CoolPropによる計算。
プログラミングの演習では、ゼロからコードを書くことはせず、サンプルプログラムや半完成品のソースコードを配布し、講義の内容を参考にして受講者自身でプログラムを完成させ、実行結果が正しいかをあとで確認する方法を採っている。その場では正解に至らなかった場合に備えて、完成品のソースコードも配布することで、途中で脱落してしまう人が出ないように工夫している。また、講習の区切りにはQ&Aセッションも設けている。
受講者の声
熱・エネルギー分野を中心に幅広い受講者層
講習会後に実施した受講者アンケートによれば、参加者の内訳はおおよそ企業50 %、大学50 %(教員30 %、学生20 %)であった。若手技術者向けという企画の目論見に対して、ベテラン・シニアの技術者・研究者が一定数参加している。今後は後輩や学生にも薦めていただくことで、受講者の裾野が広がっていくことを期待している。
受講内容には概ね好意的な評価をいただいているが、もっと専門的な内容も取り入れてほしいという意見があり、2年目以降の発展編・ステップアップ編の開講につながった。一方、Pythonを身に着けることを主目的とする方も毎回一定割合参加しており、Pythonの入門部分にフォーカスした講習の要望もいただいている。
講習会で取り上げている例題は、筆者らのライフワークに近い冷凍空調分野となっている。当然、同分野の参加者も多いが、原子力、化学工学、流体力学、プラント設計や建築分野など多岐にわたる専門分野から参加していただいており、日本機械学会の総合力という強みが活かされていると感じる。今後も具体的なご要望があれば、これらの分野に関する例題も積極的に取り入れていきたいと考えている。
2025年度の予定
新たにスタートアップ編を追加
上記の受講者からのフィードバックもあり、2025年度はこれまでの基礎編、ステップアップ編に加えてPythonの基礎習得を主目的としたスタートアップ編を設け、以下の3レベルの講義を3カ月間隔で実施予定である。
5月 スタートアップ編(新)
8月 ベーシック編(以前の基礎編、入門編)
11月 アドバンス編(以前の発展編、ステップアップ編)
参考文献
(1) Wagner, W., Pruß, A. The IAPWS formulation 1995 for the thermodynamic properties of ordinary water substance for general and scientific use. Journal of Physical and Chemical Reference Data, Vol. 31, No. 2 (2002), pp.387–535.
(2) Lemmon, E. W., Bell, I. H., Huber, M. L., McLinden, M. O. NIST Standard Reference Database 23: Reference Fluid Thermodynamic and Transport Properties-REFPROP, Version 10.0, (2018). National Institute of Standards and Technology.
(3) Bell, I. H., Wronski, J., Quoilin, S., Lemort, V. Pure and Pseudo-pure Fluid Thermophysical Property Evaluation and the Open-Source Thermophysical Property Library CoolProp, Industrial & Engineering Chemistry Research, Vol.53, No. 6 (2014), pp. 2498–2508.
<正員>
粥川 洋平
◎(国研)産業技術総合研究所 工学計測標準研究部門
質量標準研究グループ 主任研究員
◎専門:熱工学、流体物性、精密計測
<正員>
赤坂 亮
◎九州産業大学 理工学部 機械工学科 教授
◎専門:熱工学、熱物性、状態方程式
キーワード:日本機械学会が担う技術者教育