特集 ジョブ型雇用社会の人材育成
「備えよ常に」ジョブ型雇用時代の企業内人財育成と技術者の自律
はじめに
企業を取り巻く状況とジョブ型への移行
日立製作所は2021年に管理職を対象としてJD(Job Description、職務定義書)を導入し、翌22年から一般社員にも対象を広げるジョブ型人財マネジメントの導入を開始した(1)。この変革は近年の企業を取り巻く以下の状況が原因となっている。
・ グローバルな事業環境の変化
国をまたいだ多国間でのビジネスが活発化し、海外従業員比率が過半となっていることから、各国共通でマネジメントの仕組みを整える必要があるため。
・ 人的資本経営への転換
ステークホルダー資本主義の浸透によって持続可能な成長が求められるようになった。人材を「資本」として捉え、その価値を最大限引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営へと転換したこと。
・ 日本の社会課題
少子高齢化の進展や社会保障の持続可能性の低下といった問題があり、これが社員の労働価値観やライフスタイルなどの多様化につながっていること。また、IT・デジタル領域を筆頭に、国内外問わず高度な専門性を持つ人財の獲得競争が激化していること。
さらには、コロナ禍においてこれまで積極的に進まなかった勤務形態の多様化が進んだことや、蓄積された人財やスキルのデータ活用を可能にし得る、デジタルテクノロジーの進化などもこれを後押しする形となっている。
すなわち、当社がグローバル市場で勝ち抜くために、多様な人財の多様な働き方と整合する仕組みを整え、時間や場所の制約を超えてOne Teamで業務を遂行できるように、メンバーシップ型からジョブ型へと転換する、待ったなしの状況にあるということである。
そして、このことが(特に日本国内の)技術者に、より自律した技術者としての意識改革を求めることになること、そしてそれは当社だけでなく国内の多くの企業で起こり得ることであり、我々技術者がどう考えるべきかを本稿でお伝えしたいと思う。
当社におけるジョブ型雇用への移行
当社のジョブ型の実際
当社が実施しているジョブ型人財マネジメントについて簡単に紹介する(2)。
図1に当社がこのジョブ型人財マネジメントでめざす姿を示す。企業の多くはさらなる成長を望み、事業を実行する人財には効率よく最大のパフォーマンスを発揮してほしいと望む。一方で社員(個人)は自己実現のために必要な機会と対価を望み、自分のスキル(経験や知識、技能)と時間を提供し、またそれを自らの成長としていくことでより良い状態に進む。仕事(職務)に要求されるスキルや適正などと社員の持つそれとが整合していることが望ましく、そこに適所適材という考え方が発生する。
ジョブ型移行以前でも、例えば新卒採用の場での「ジョブマッチング」や「社内FA制度」などの仕組みでこの適所適材を実現してきたが、ジョブ型人財マネジメントはそれをさらに拡大強化したものになる。
ここで、図1の中で会社が提示する職務の中に「育成計画」が、社員が提示するものの中に「キャリアプラン」が含まれていることに注目したい。欧米型のジョブ型雇用の中ではこれらを提供・提示することは一般的でない。メンバーシップ型からの移行段階として将来は完全に欧米型となるのか、あるいはこの部分を活かして日本独自の型になるかは現在検討、議論されるところとなっている。
図1 ジョブ型人財マネジメントを通じて当社がめざす姿(2)
適切なマッチングに重要なのは「職務」の定義と個人が提供する能力の見える化であり、その主要な施策がJDの定義である(図2)。
管理職、非管理職の全ポジションに対してJDを定義するが、例えば設計や営業といった職務毎に標準JDを作成し、これを元に個人それぞれが現在の職務に合わせて追加修正した個別JDを作成する。これはこれまで職務定義がない中で、境界領域をカバーして業務を進めてきたことに対して取りこぼすことのないようにしたものである。この点が日本のモノづくりの緻密さや高品質を支えてきた可能性がある一方で、職務が属人化する要因となってきたと思われる。「見える化」することでその効果や全体の中での効率を考えることができることが期待される。
またJDは大きく分けてPM(People Manager)とIC(Individual Contributor)に分けて設定される。日本語ではPM=「管理職」、IC=「非管理職」ということになる。
ただし図2中の「管理職」はいわゆる課長以上の職位を指し、「非管理職」は主任までの職位を指している。
従来の非管理職はもちろんICであるが、従来の「管理職」の中でもPMとICとを分けた点が大きな変化になっている。従来では、例えば「部長」と「主管技師」は同じ職位でどちらも「管理職」とされてきたが、それぞれの役割は明らかに異なっているので、求められる行動も評価すべき事項も異なっているはずである。組織の長として人事や成果の管理を行うPMに対して、プロジェクトや専門的内容を統括するICとして再定義された点は、個人のキャリアプランの観点で大きな進歩であると筆者は捉えている。
もちろん、JDができたのでジョブ型人財マネジメントが完成したというわけではなく、この「見える化」によってできた職務データと人財データを有効に活用して理想の姿に近づけていく努力が今後進んでいく。
図2 職務の見える化(Job Description)(2)
自律的学びとリスキリング
社会人の自律的学びへの意識変革
ジョブ型人財マネジメントの浸透が進んでくると、効率化のために業務の中における各ジョブの整理・統合が進むことは容易に予想される。もちろんそれに合わせて個人も自分のできることをより高度化、あるいは広範囲化することが求められる。一方でデジタルテクノロジーに代表されるように、さまざまな技術やツールの進化や変遷は速く、それをうまく自分の仕事に取り込んで能力を向上させるなり、あるいは(時間や心の)余裕を持たせるなりすることが生き抜くために必要になる。そこで声高に叫ばれているのが「リスキリング」である。
一般的に「リスキリング」とは、「新たな職業(職務)に就くために、あるいは今の職業(職務)で今後必要とされるスキルを獲得する(させる)取組み」とされている。能力開発の種類として、一般的には
・ リスキリング:
現在の職務とは異なる職種に転換するための能力開発
・ アップスキリング:
現在の職務でステップアップするための能力開発
・ アウトスキリング:
現在の職務とは異なる職種に転換するための能力開発
とされているが、技術者が異なる仕事に就くとして、少なくともそれが技術に関係する場合、製品や業界、技術分野が異なっていてもそれまでに培った技術的知見を捨て去る意味はないと思われる。よって「リスキリング」をさらに場合分けすれば、
・ 元のスキルを残して新しいスキルを追加する
・ 元のスキルを活かして新しいスキルと融合する
ということになろう。これはむしろ「マルチスキリング」と言ってよいと思われる。図3にアップスキリングとリスキリング(マルチスキリング)をゲームのキャラクターを使って説明した例を示す。一芸を究めることを目指すか、さまざまな状況に対応できるようにするか、は最終的には個人の目指すキャリアによって決まろうが、いずれにしてもスキルアップが必須であることに変わりはない。
これまで多くの日本企業がとってきたメンバーシップ型雇用では、実際に職務の中で得られた経験や知識を蓄積することで成長する仕組み(OJT)と、適切な時期に研修などでこれらの知識や経験の再編、再確認、新規取得を行う仕組み(OFF-JT)によって個人の能力向上がなされてきた。
逆に言えば、職務に関することはOJTで学ぶことができるが、そこから離れた内容は自分でOFF-JTの中で開発するしかなく、ジョブ型人財マネジメントの中で自身を売り込むためにはOFF-JTで得た学びがより重要になるということである。すなわち、これまで以上に技術者自身が積極的に学びを得にいく姿勢(自律的学び)が要求されているのである。
図3 リスキリングとアップスキリングの考え方
自ら学ぶ人のための施策
学習体験プラットフォーム(LXP)の活用
図4にリスキリング施策において、必要な時間とどこを起点として学習するかの観点の2軸で整理した課題を示す。
図4 リスキリングの課題(3)
従来提供されていた社内研修では、長期的視点に基づいて経営リーダー層を育成するために会社が内容を指定する研修などは③に相当し、当社の技術者教育としては50年にわたって日立グループで実施しているIED研修(統合技術者研修)(4)などもそれに相当する。また、短期的に人員リソースの不足を解消するために行う研修は④に相当する。
一方、ジョブ型人財マネジメントの中で、個人が自分のスキルアップのために希望して受講する専門技術研修などの多くは①に相当する。前項で述べたように、ジョブ型人財マネジメントの中では個人が扱える領域を増やすための①が重要であるとともに、キャリアプランを考えれば②に対しても計画的に学ぶ必要がある。
このような場合、何を学ぶべきかという疑問に対して適切にコンテンツにたどり着けるキュレーションや、そもそも自律的学びを個人が志向し、またそれを職場や上長が理解する環境を作り上げていく必要がある。
そこで日立アカデミーでは、研修の提供にとどまらず、図5に示すようなリスキリングに向けた施策を提案し、推進している。
特にその中心となるのは、誰もが意図したときに学習ができる「学習体験プラットフォーム(Learning eXperience Platform、LXP)」の活用である(図6)。そしてその活用の要となるのはデジタルテクノロジーを用いて最適コンテンツをおすすめするキュレーション機能となる。現代的なこの仕組みは受講者が広く学習をすすめることができるほか、データ分析から個人、あるいは組織の学習効果を見積もることができることが期待されている。
さらに学習者の行動ステージモデルを考えて、より学習意欲が継続し、次の段階に進みやすくするための施策、例えば、「学びのコミュニティづくり」や「オープンバッジの付与」なども実施している。
本章の内容を読んだ会員の中には、社会人である社員に対して、自ら学ぶことを諭すが如き、まるで義務教育のような活動が必要なのか、という疑問をお持ちの方もいるだろう。おそらくこのような施策は海外では必要ないと思われる。なぜなら「学び」は自分から発しなくてはならない、という感覚が海外に比較して日本国内では弱いからであると個人的に考えている。
これは新卒一括採用から終身雇用に至るメンバーシップ型雇用、さらにはその前段である大学などの高等教育とその受験システムに連なる基礎教育のすべてが、その流れに最適化された社会構造において、目前に与えられた目標をクリアし続けていればゴールに至る、という錯覚を植え付けられていることによると愚考している。これは筆者自身が大学での登壇を経験してみても同じ感想を持つので、けっして一部の話ではないと思うが、いかがであろうか?
もちろん強い意志を持って学びに精勤する学生や社会人はいるが、その割合を多くすることは教育の努力と考える。
図5 リスキリングに向けた施策(3)
図6 学習体験プラットフォーム(LXP)の概要(2)
技術の伝承と技術者
技術伝承としての技術リーダー育成
前章図4の③「事業の中長期的変化に対応した人財育成体系の整備」について、技術伝承の観点から補足する。
前述したIED研修は、若手層の中で将来の技術リーダーとなる広い視野と高みを目指す意識を持つ技術者を育成する長期研修となっている(4)(5)。またすでに技術リーダーと目されているベテラン層に向けた、これの上位版も開発、実施している。これは個々人が自律的学びの意識をもって研さんする中でも、中核となる人財にはより多くの期待がかかるからである。その中の大きなミッションとしてそれぞれの事業をサステナブルに進めていくための技術の深耕とその伝承・発展がある。デジタルテクノロジーを用いてさまざまな技術情報を蓄積、あるいは参照することは容易になった。しかし、それらをまとめて体系化すること、その背後に埋もれたメカニズムを理解したうえで明文化し、それを伝えることが重要であり、これは現在のAIでも不可能と考えられる。LXPの仕組みはそのツールとして期待できる。
これはすなわち「自律的学び」がすでにあるものを吸収するだけではなく、自ら考えてそこに自分なりの真理を見出すことが上位ステージの要件となっているからに他ならない。広く全体を引き上げるとともに、重要な支点をきちんと強化すると言えば機械屋らしい表現と言えるだろうか。
おわりに
社会全体での教育改革と機械学会の役割
タイトルにスカウトのモットーとして知られている「備えよ常に」を入れさせてもらった。「自律的な学び」とはいうものの、本来はわざわざ「自律的」をつける必要はないと考えている。なぜなら「学び」は元々個人の行動であって、外から与えられる「学習」は必要な情報を取り込むための方法のひとつであり、受動的にはなしえないものであるからである。
日本の教育体系は近年多くの試みがなされているが、「教えてもらう」こと前提の意識になっていることは大学教員の方のみならず後輩指導の現場でもよく語られている。本稿では、一企業における教育の現状や展望について述べたが、これは社会をあげての取組みが必要である。日本機械学会の役割として、組織を越えて人の繋がりを助け、ビジョンを示す活動に大きく期待したい。
参考文献
(1) 日立が進める「ジョブ型」とは? わかりやすく解説(2022.11),https://social-innovation.hitachi/ja-jp/article/job_type_employment/ (参照日2024年11月7日).
(2) 鳥居和功, 日立グループの自律的学びやリスキリングを支援する取組み, HRカンファレンス(2023.5).
(3) 松田欣浩,日立の人財育成,CEATEC2023(2023.10).
(4) 佐々木学, 佃軍治, 小出晃,IED(統合技術研修)による統合型トップエンジニアの選抜育成,日本工学教育協会 年次大会(2021.9).
(5) 佃軍治,田口博文,大内貴之,酒井正剛, 変革の時代に対応したトップエンジニア育成のための統合技術者研修IEDのリニューアル,日本工学教育協会年次大会(2024.9).
<フェロー>
有坂 寿洋
◎(株)日立アカデミー 経営研修本部 担当本部長
◎専門:機械工学、機械力学、情報機器設計
キーワード:特集 ジョブ型雇用社会の人材育成
表紙:経年変化してグラデーションに紙焼けをした古紙を材料にコラージュ作品を生み出す作家「余地|yoti」。
古い科学雑誌を素材にして、特集名に着想を受け、つくりおろしています。
デザイン SKG(株)
表紙絵 佐藤 洋美(余地|yoti)