日本機械学会サイト

目次に戻る

2024/9 Vol.127

バックナンバー

絶滅危惧科目-基盤技術維持のための再考ー

第9回 設計製図の変遷

松原 厚(京都大学)

変遷

最初に、この原稿の執筆を引き受けたときには「日本における…」というような話を考えていたが、いつものように時間がなくなってしまい、「私の大学(と記憶)では…」というスタンスになってしまった。

京都大学は1897年6月18日に設置され、1900年7月14日に機械工学科の最初の卒業生を世に送り出した(1)。このときの学内建物の配置図には、機械製図室と土木製図室がある。図1は1940年頃の製図の授業の様子である。当時の授業科目には、第1学年から製図があり、週18時間とかなりの時間をかけていた。また、当時は3年制であり、第3学年には卒業論文だけでなく設計も課されていた。それからの変遷を表1にまとめたが、この表からも設計製図は講義内容が縮小された科目であることがわかる。この表から変化は2回起こっていることがみてとれる。

図1 製図の授業(1940年)(1)

表1 京都大学工学部機械系教室における設計製図の変遷(文献(1) pp.84-92の要約)

①3年制から4年制への移行とともに第1~3学年で行われてきた設計製図が2~4学年に移行し、昭和40年あたりまで続く。

②設計製図→設計演習となり第3学年前後期だけの開講となった。

同窓会の大先輩が「卒業研究だけでなく設計課題も提出しないといけなかった」とおっしゃっていたことからも①の頃は、設計製図を習得させることが教育のミッションであったと推察される。本稿は②の昭和60年あたりからを関係者に確認しながらまとめた。

会員ログイン

続きを読むには会員ログインが必要です。機械学会会員の方はこちらからログインしてください。

入会のご案内

パスワードをお忘れの方はこちら

キーワード: