絶滅危惧科目-基盤技術維持のための再考ー
第7回 「内燃機関」の立ち位置
エンジン車の時代背景
くるまへの思い入れの熱量差
昭和45年(1970年)、大阪府で開催された万国博覧会(EXPO70)は、その会場の位置する北摂(大阪府北部にある池田、茨木、吹田、摂津、高槻、豊中、箕面の7市と島本、豊能、能勢の3町のあたりとされる)に暮らす何人もの小中学生を万博小僧に変えた。筆者もその一人で、開幕直後の春休みから早速、子供料金(夕方からはさらに割り引かれた)で何度も入場、パビリオン群をわくわく感いっぱいで探検、全館制覇を目指した。会場内縁に沿って環状に走るモノレールや、会場中央部の太陽の塔の目前を東西に真っすぐ貫く線路(現在は廃線、その上空に大阪モノレール)と道路(現在は中国縦貫自動車道と大阪中央環状線が並行)を走る車両や自動車も興味対象になった。そして、当時の急速なモータリゼーション、国産自動車の世界展開、日本人ドライバーのカーレースでの活躍、スーパーカーブームなどで、「くるま」≒「機械」を動かす「エンジン」技術に憧れを抱くことになる。一方、今の若い世代の多くは肌身離さぬスマートフォンが関心の的であり、機械系の学生になっても「くるま」は単なる移動手段、運転や「エンジン」にほとんど興味を示さなくなって久しい。
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